表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メンヘラ彼女との別れ方。  作者: 書峰颯


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/56

最終話 間違った幸せ

 これまで僕はずっと、壮志郎(そうしろう)さんに憧れていた。

 何度も助けられてきたし、数えきれない程に恩を感じている。

 頼れば助けてくれる、そういう存在だった。


 でも、それはやっぱり、人間関係としては間違っているんだ。

 庇護下にあればとても楽だけど、人として大切な何かがずっと成長しない。

 守られているんだという優越感にも似た何かが、僕の決断を鈍らせるんだ。


「失礼します」


 壮志郎さんの部屋は、オフィスの一番奥に設けられている。

 ガラスで区切られたこの部屋に入れる人は、そう多くはない。


大樹(たいじゅ)君と楚乃芽(そのか)か、いろいろと話は聞いたよ。大変だったみたいだね」


 手で僕達に座るよう促すも、僕と楚乃芽はそれを受け入れなかった。

 座って話すようなことじゃない。 

 だって僕達は、これから壮志郎さんの期待を裏切るのだから。


「どうしたのかな?」

綺月(きづき)専務、これを」


 エグゼクティブデスクへと、二通の封書を乗せる。

 表紙に掛かれているのは、退職願の三文字だ。


「これは……どういう意味かな?」

「そのままの意味です。僕と楚乃芽さんは、この会社を退職します」


 デスク上の封書を眺めるも、壮志郎さんは手には取らず。

 いつものように顎に手をやると、しばし時間をあけた。


「理由を、伺っても?」

「楚乃芽さんと結婚する為です」

「別に、退職する必要はないのでは?」

「今のままでは、綺月専務は僕と楚乃芽さんの結婚を認めないと、分かったからです」


 壮志郎さんは、根取(ねとり)と楚乃芽の結婚を認めていた。

 僕よりも根取の方が彼女を幸せに出来ると判断し、壮志郎さんは許可を出したんだ。


 では、根取と僕とで一体何が違うのか。

 答えは簡単だ、彼は己が力のみで成り上がり、今の地位を築き上げてきた。


 対して僕は、いつまでも壮志郎さんに甘え続け、どこまでも頼り切った生活を送っている。

 会社だけじゃない、住まいも、車も、何もかもが壮志郎さんのお陰なんだ。

 こんな情けない僕に、壮志郎さんが娘を預ける訳がない。


「お父さん、私、大樹以外じゃ笑顔になんてなれないよ」

「……楚乃芽」

「幸せってね、誰とでも作れるものじゃないんだよ。私は大樹以外は無理、お父さんだって私と同じでしょ? お父さん……ずっと再婚しないじゃない」


 壮志郎さんが奥様である佳乃(よしの)さんを亡くしたのは、楚乃芽が小学生の時の話だ。

 既に二十年近い時間が流れているのに、壮志郎さんは未だ独身のまま。

 壮志郎さんの地位を考えれば、縁談のひとつやふたつはあったと思うのに。


「……幸せか」


 指と指を重ね肘をテーブルに乗せると、壮志郎さんは一人呟く。


「私はね、要望に応えることこそが、全ての解決策だと信じているんだ。要望に応えること、それには大概お金が必要だ。莫大な金額を支払ってでも要望に応えること、その先に幸せがあると信じているのだよ」


 もう一度、ソファに座るよう手で促され、今度は僕達もそれに従った。

 デスクから立ち上がると、壮志郎さんも僕達の前に座り、軽くため息をつく。


「大樹君、君が楚乃芽の要望、全てに応えられるとは、私は思えないんだ」

「でしょうね、今のままだと、間違いなくそうだと思います」

「ならばなぜ、退職などという道を選択する」

「応える必要がないからですよ」


 要望に応え続けること、それは相手にとっての喜びに他違いない。

 だけど、幸せとか結婚とか、そういうのは違うベクトルの問題なんだ。


「僕も楚乃芽さんも、互いを想い、そうであって欲しいと願うことは多々あります。ですが、彼女の要望が全てではありませんし、出来ないものは出来ないと言っていいんです。そこからまた二人で考え、新しい道を模索すればいい。……正直、退職した後のことまで考えていた訳じゃありません。ですが、僕たちにはまだ時間がある、貯金だってしてきました。新しい道を選択して生きることは絶対に出来るはずなんです。だから――――」


 隣に座る楚乃芽の手を握り締め、壮志郎さんへと伝える。


「だから、僕達は会社を辞め、貴方からの支配から逃れます」


 怒りでも憤りでも悲しみでもない。

 ただ、ありったけの想いを、壮志郎さんへとぶつける。


「それが唯一、楚乃芽との幸せな日々を送れる道だと、確信したからです」


 感謝しかない、ありがとうの言葉しか伝えられない。 

 だからこそ、僕達は庇護下を脱し、飛び立つ必要があるんだ。


「……そうか」


 どんな反論が来るか。

 相手は壮志郎さんなんだ、如何様にも出来てしまう。


 だけど、壮志郎さんは反論はせずに。

 ただ黙ったまま、天井を見上げた。


「楚乃芽」

「はい」

「楚乃芽は、お母さんが亡くなった日のことを、覚えているかい?」

「……覚えています」


「あの日は、楚乃芽の通う小学校の運動会の日だった。そして佳乃は楚乃芽の為にお弁当を作り、一人で小学校まで行こうとして、そして、事故にあった。あの日もね、私は佳乃から何度も言われていたんだよ。楚乃芽の運動会を一緒に観てやれないか、たまの休日ぐらい家族で過ごせないのか、とね。だが、私はそれを選択しなかった。仕事だったんだよ、とても大きなプロジェクトを任されたばかりでね、抜ける訳にはいかなかったんだ」


 上げていた顔を下すと、その目は僕へと向けられる。


「信じられるかい大樹君? 私はね、事故の報告を受けても、妻の下に駆け付けなかったんだ。妻が亡くなるまでの三日間、ずっと会いに行くこともせず仕事をしていた。治ると思っていたんだ。絶対に治る、家に帰ればいつもの如く出迎えてくれる、そう信じてたんだよ」


 壮志郎さんはそこまで語ると、眼鏡を外し、掌で顔を覆う。


「だが、佳乃はいなかった。私を待っていたのは、とても静かな、寂しい家だった」


 袖で涙を拭うと、壮志郎さんは眼鏡を戻し、続きを語り始める。


「佳乃がいなくなった後、心の底から後悔した。なぜ、彼女の要望に応えなかったのか。もし、あの時一緒に楚乃芽の運動会に行っていれば、彼女はまだ私の隣にいただろうし、いなくなることもなかった。後悔がね、止まらなかったんだ。だから、私は愛する人の要望には応えるべきだと、心に誓ったんだ。例えそれがどんな理不尽な内容であっても、楚乃芽が求めるのなら叶える。それが正解だと思い、楚乃芽の幸せだけを、求めるようになってしまっていたのだが」


 ここまで喋ると、壮志郎さんはもう一度ため息を付き、肩を下げた。

 羨望、羨ましそうに僕達を見ると、そのまま静かに、視線を下げる。


「どうやら、私は間違ってしまっていたらしいね」

「お父さん……」


「盲目に、それが正解だとばかり思い込んでしまっていたみたいだ。もし、佳乃がいたら……そう思ってしまうと、曲げることが出来なくてね。私の中の佳乃が消えてしまいそうで、変えることが出来なかったんだよ。……応えなくてもいい、か。確かに、佳乃ならそう言ってくれそうな気がするね」


 これまで見たことのない笑顔だった。

 とても優しい父親としての笑顔を、壮志郎さんは僕達へと向ける。


「……私は、父親失格だね」


 壮志郎さんはそこまで語ると、立ち上がり、僕達へと頭を下げた。


「根取君の件、本当にすまなかった。これは完全に私の判断ミスだ」

「……ありがとうございます、まさか、頭を下げてくれるとは思いませんでした」

「退職を、考え直すつもりはないのだろう?」


 その質問に、僕は若干の間を開けた後、誠実に答える。


「はい、ありません」

「ならば、私に出来ることは、これぐらいのものだ」


 もっと反対されるかと思っていた。

 でも、それをせず、壮志郎さんは父親としての責任を果たそうとしてくれている。

 それがとても、嬉しかった。


「退職後の支援は……」

「結構です。とてもありがたい申し出ですが、それを受け取ると今と何も変わらないですから。それよりも、退職願と共に、もう一枚、一筆していただきたい書類があるのですが」


 壮志郎さんは疑問符を顔に浮かべていたけど。

 楚乃芽がバックから出してきた書類を見て、笑みをほころばせた。


「僕達の婚姻届けです。承認蘭への一筆を、宜しくお願いいたします」




 二人とも退職してしまったから、お金には限りがある。

 結婚式は挙げずに、僕達は婚姻届けを提出した。


 たった一枚の紙。

 それだけで、僕達は夫婦へと、関係を変える。




 多分、これからの道は、僕達の想像以上に大変な道のりなのだと思う。


 でも、僕の横には楚乃芽がいてくれるから。

 二人なら、どんな困難でも乗り越えられると、信じているから。

エピローグ『メンヘラ彼女との出会い方』

一時間後、投稿いたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ