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メンヘラ彼女との別れ方。  作者: 書峰颯


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第四十七話 五年後の僕ら

 楚乃芽との同棲生活を始めて、今年で六年になる。

 同じ会社に勤めてはいるものの、僕と楚乃芽の帰りは時間が違う。

 僕の方が毎日、三時間は帰宅が遅い。


「おかえり、ご飯出来てるよ。それともお風呂にする? 私はもう入っちゃったけど」


 時刻は既に夜十時を回る、これでもまだ早い方だ。

 楚乃芽の笑顔だけが救い、そんな生活を今の僕は送っている。


 壮志郎さんの期待の現れとも受け取れなくもないけど、それにしたって過分だ。

 重要会議にはほとんど列席させられるし、顧客との接待にまで顔を出さないといけない。

 もちろん新人である以上、業務習得の為に毎日勉強させられている。


 その上、僕と壮志郎さんとの関係は、社内では秘密にして欲しいとお願いされてしまった。

 それもそうだろう、事実上、僕と壮志郎さんの関係は知人でしかない。


 なぜなら、僕と楚乃芽はまだ、結婚を許されてはいないのだから。


「先にご飯にする、もうお腹ぺこぺこ」

「わかった、温めるからちょっと待っててね」


 お帰りなさいのキスをした後、ワイシャツとスーツを脱ぎ椅子に座り込む。

 出てくるのは溜息、それと現状に対する不満だ。


「今日も石田課長にお小言言われちゃってさ」

「そうなんだ? 何があったの?」

「市場調査データが古すぎるって。ネットの情報だけじゃなく自分の足で歩いてこいって散々言われちゃったよ。地域特性とか人口動態とか、見るべき場所はひとつじゃないんだ! って、目の敵にされてるみたいでさ。壮志郎さんならもっと上手く事を運ぶんだろうけど、全然、近づけている気がしないよ」


 需要と供給、僕達の都市開発計画が破綻した場合、そこ町はゴーストタウン化してしまうのだから、それがとても重要なのは理解してる。


 けど、実際に歩くったって、行って帰ってくるだけで二日は要するのに、それを日本全国津々浦々してこいって言うのは、事実上の戦力外通告にしか感じられない。


「毎日怒られてばかり。こんなんじゃ、壮志郎さんも僕に愛想尽かしちゃいそうだよね」

「大丈夫だよ、お父さん、大樹のことすっごい褒めてるから」


 座っている僕のことを、後ろから優しく抱きしめてくれる。

 楚乃芽の体温に包まれると、とても安心する。

 柔らかいし温かい、ほのかに香る良い匂いに、荒んだ心が浄化されていく。


 でも、それと同時に、僕の中には若干の焦りが生まれてしまうんだ。

 楚乃芽は既に係長という役職を付与されている。

 対して僕は平社員、役職のやの字も貰えそうな気がしない。


「来年ぐらいには、楚乃芽と同じ係長になれるかな」

「うん、なれるよ。大樹なら絶対なれる」

「……そっか、ありがとう。ご飯、食べようかな」


 楚乃芽と僕は、同じ会社だけど部門が違う。


 僕が事業企画課なのに対し、楚乃芽はリーシング部、主に商業施設を担当にしている部署になる。フロアも違うし、壮志郎さんと同様、僕と楚乃芽の関係は社内では秘密だ。


 新人同士が同棲している状況は、会社的にはあまり宜しくないらしい。

 バレたら僻地への異動もあり得るというのだから、恋愛禁止の学校よりも厳しい感じがする。


「そういえば、今度役職者会議があるでしょ?」

「うん、会議室の予約、僕が取ったからね」

「そうなんだ、その会議に私も参加するんだけど。多分その場で発表になると思うんだけど、沖縄の新規リゾート開発に、私も同行することになるみたいなんだよね」


 沖縄の新規リゾート開発。

 最近ちょくちょく耳にしている案件のひとつだ。


 観光地として魅力的な沖縄が舞台とあって、行きたがる人の声を耳にすることが多い。

 というか、楚乃芽が行くということは、長期出張、という意味だよね。


「どれぐらいで帰ってこれそうなの?」


「今回は現地調査だけだから一週間で帰ってくるけど、でも、その後も結構な頻度で沖縄に行くことになると思うの。デベロッパーとして入る予定だから、開発が終わった後も逃げられないかも。大樹と一緒にいられる時間が減っちゃうなーって、ちょっとショックだったり」


 沖縄となると、下手な遠距離恋愛よりも遠くなっちゃうな。


「……寂しくなるね」

「ね、それに不安にもなる」

「不安って」

「だって、大樹と私、まだ結婚してないから」


 僕が浮気をすると思っているのかな。

 その言葉はそっくりそのまま、楚乃芽に返したくなる。


「僕の方が不安だよ」


 本当なら、結婚したくてたまらない。

 だけど結婚には、壮志郎さんが証人になることが絶対だ。


 今の僕を壮志郎さんが認めてくれているかと言われたら、その答えはNOに決まっている。

 入社して三年、平素の業務すらままならないのに、結婚とか。


 楚乃芽は同じぐらいの時には主任になっていたのに、僕は未だに平社員のままだ。

 差がどんどん広がっていくことに、単純に焦りを覚える。


「愛してるよ、大樹」


 出来ちゃった結婚なんかしたら、それこそ絶縁させられそうだよな。

 楚乃芽との未来を明るいものにするためには、今を堪えないといけないんだ。




「あ、役職者会議始まるみたいっすね」


 僕の隣に座る女の子が、本社会議室の様子を遠巻きに眺めている。


 僕達が働いているフロアの最奥にある会議室、円卓みたいになっているその場所に入ることが出来るのは、会社でも限られた優秀な人物のみ。その中に楚乃芽が入っていることが自然に見えてしまうのだから、彼女の優秀さは万人が認めているということなのだろう。


「わ、神山君、見て見て、綺月専務の娘さんっすよ」

「……そうだね」


「うはー、綺麗っすねぇ! 年齢一個差とは思えない、アタシとは雲泥の差っすよ。専務の娘っていう七光りかと思いきや、その実、全然親の力を借りていない実力そのものだけで成り上がる。美人聡明、天は人に二物でも三物でも与えるものなんすねぇ、まったく、羨ましい」


 ベタ褒めだけど、言葉通りなのだから何も言えない。


 楚乃芽は凄いんだ、顧客との関係も評価が高いし、楚乃芽が出向くことでまとまらなかった商談がまとまったことだってある。実力ともに文句なしの役職、今回の沖縄リゾートの件だって白羽の矢が刺さって当然と言えよう。寂しいけど。


「あ、用地部の根鳥(ねとり)課長も入るみたいですね」

「そだね」

「神山君知ってます? 根鳥課長と綺月係長が出来てるって噂」 


 なにそれ。

 そんなの知らない。


「女子の間では有名な話なんですよ? 根鳥課長って三十歳で独身じゃないですか、前の飲み会の時に、今年で独身貴族から抜け出せそうだ、みたいな話をしていたみたいでしてね。あ、ほら、二人仲良さそうにしているじゃないですか」


 用地部、つまりは今回の新規リゾート開発に伴う土地の仕入れを担当しているのだから、リーシング部の楚乃芽と関係があるのは絶対な訳なんだけど。


「一緒に仕事をするんだから、仲が良いのは大人として当然でしょ」

「そうっすけど、でもほらあの二人、無駄に近くないっすか?」

「そういう目で見ているからだけじゃないの?」

「一回、神山君も見てみるといいっすよ」


 僕の頬を両手で挟むと、強引に顔を会議室へと向けられてしまう。

 まだ開いている扉、その先で微笑む楚乃芽と、彼女の横に立つ根鳥課長。

 確かに近い、真横と言えるぐらいの距離にいる。


「あの目、完全に獲物を標的にした肉欲獣(にくよくじゅう)の目っすね」

「……違うでしょ」


「きっと沖縄視察を兼ねて、二人は同じホテルで楽しむんっすよね! ああ羨ましい! アタシも沖縄に行って真夏の太陽とビーチを楽しみたいっす! 昼間からお酒飲んで飲酒ファイアー! ってしたいっすよ!」


「それ飲みたいだけでしょ」

「そうとも言います。まぁ、黙って仕事に戻りますか。石田課長に睨まれてますし」


 喋りたいことだけ喋りまくると、隣の子は仕事へと戻った。

 僕はと言うと、彼女の言葉が気にかかり、視線を会議室へと向けてしまう。


「……」


 既に会議室の扉は閉められ、中の様子を伺うことは出来ない。

 しばらく眺めていたけど、僕もモニターへと視線を戻した。


(まぁ、仕事の話しかしてないよな)


 一週間の出張、その上、僕との関係は秘密になっている。

 壮志郎さんのお墨付きと言えど、安心はできない。


 あの人は楚乃芽の意向が全てだから。

 楚乃芽が僕を捨て、根鳥課長を選んだその瞬間、僕はあっという間に捨てられる。


(大丈夫、だよな)


 考えれば考えるほど、不安で目の前が見えなくなってくる。

 集中も出来ない、あの時みたいに、音が聞こえなくなる。


「神山お前、この三時間何してたんだ?」


(三時間……え、三時間!?)

 

 いつの間にか、僕の横には眉間にシワを寄せた石田課長が立っていた。

 そして僕の前には、三時間前と何も変わらない画面が映し出されている。


「俺はお前たちのモニターを遠隔で見ることが出来んだよ、お前、三時間の間、ずーっと何もしてなかったよな? 入札案件の必要事項を埋めるだけだぞ? 分からない部分なんてないだろうが。もしかしてお前、寝てたのか?」


「寝てません」

「じゃあなんでこんな書類ひとつに三時間もかけてんだよ!」


 言い訳は、何も出来ない。

 頭を下げていると、会議室の扉が開く音が聞こえてきた。

 顔は上げずに、視線だけをそちらへと向ける。


(楚乃芽……)


 楚乃芽と根鳥課長が並んで歩いている。

 楽しそうに会話をする、その会話内容は、仕事の件、だよね。


「神山、聞いてんのか!」

「あ、はい」

「お前、俺の話聞いてねぇな?」

「すいません、聞いております」

「……ふん、まぁいい、お前これ、今日中に終わらせろよ?」

「はい、分かりました」


 石田課長がいなくなった後、ようやく下げていた頭を上げる。


(……)


 視線を感じ顔を向けると、遠くから楚乃芽が心配そうに僕を見ていた。

 怒鳴られているところを楚乃芽に見られるのは、ちょっと、キツイな。




「……、九時か」


 深夜残業が十時からだから、あと一時間で終わらせないといけない。

 どうあがいても無理、なら、明日の早朝から出勤するしかない。


 家に帰って十一時、家を出るのが五時、寝るだけで終わりそうだ。

 フロアに残ってる人もいないし、僕だけが毎回こんな感じ。

 手が止まり、ため息が出る。


(まぁ、僕の責任だしな)


 文句を言ってもしょうがない、やることをやらないと。

 止まっていた手を動かそうとした時、事務所の扉が開く音が聞こえてきた。


「お、まだやってるっすね」

「……え? なんで君が」


 ショートカットを揺らしながら、隣の席に彼女は座った。


「いやぁ、どう考えても今日のはアタシが原因っすからね。手伝いますよ、入札案件の必要書類っすよね。市町村ごとだから面倒臭いんっすよねぇこれ! それじゃアタシこの四つやりますから、神山君は残りお願いしますね!」


 自分のパソコンを起動すると、彼女はさっそくキーボードを叩き始める。

 その様子に唖然としていた僕だったけど。切り替えて、僕もモニターへと向き直った。


「ありがとうね」

「いえいえ、当然っすよ。すいません、神山君の気持ちに気付けなくて」


 僕の気持ち?


「綺月係長のこと、好きだったんっすよね」


 素直には、言えない。


「……いや、別に」

「またまた、隠さなくていいっすよ。まぁ、あの二人は鉄板でしょうから、傷心するのも止む無しっす。ほい一個終わった、次やるぞ次ぃ! あ、神山君」


「なんですか」

「これ終わったら、二人で飲みに行きましょうよ」

「え? 今から?」


「はい、どうせ終わらないですし、明日早く出勤するのなら近くのホテルに泊まった方が楽じゃないですか。飲んで泊まって明日に備える、これで万事解決っす! あ、もちろん別室ですからね、アタシはそんな尻軽女じゃありませんので。こう見えても古木(こぼく)梳琉(けずる)、大和撫子っすからね!」


 にこやかに語る彼女の笑顔に、僕も釣られて笑顔になった。

 まぁ、仕事は終わらなかったんだけどね。


 楚乃芽に帰れないって、連絡を入れないと。

次話『猜疑心』

明日の昼頃、投稿いたします。

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― 新着の感想 ―
彼女の親と同じ会社なんて入るものじゃないからね。 ましてや、彼女の親が役員とか終わってる。 経験豊富なベテラン役員と比較するのは無駄なことだけど、一緒にいると比較してしまって自暴自棄になるからね。 …
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