第三十六話 一番信頼出来る人
※渡会瑠香視点
何が起こっているのか、理解出来なかった。
お兄ちゃんが逮捕され、お母さんが倒れ、天音ちゃんもいなくなる。
何でもない平日の朝だったはずなのに、いきなり私は独りぼっちになった。
「ご臨終です」
警察が手配した救急車の中でお母さんは息を引き取り、病院に到着した後、医師の診断により死亡確認が行われてしまった。
死因とかいろいろと説明された気がするけど。
なんていうか、声が頭の中に残らず、そのまま素通りしていく。
ただ、お母さんの手を握り、泣いたことだけは、しっかりと頭のどこかに記憶されていた。
「頼れる親族は、どなたかいらっしゃいますか?」
お母さんの葬儀をしないといけない。
だけど、お爺ちゃんもお祖母ちゃんも、既に他界している。
両親は互いに一人っ子だったんだ、だから、親族なんて誰もいない。
「誰も、いません」
「そうですか。では、葬儀社をご紹介いたしますので、なるべく早めのご対応を、宜しくお願いいたします」
「葬儀社を紹介って……アタシまだ、何も分からないのですが」
いきなり一人で葬儀をしろって言われても、出来るはずがない。
でも、病院では三時間程度しかお母さんを置いておけないらしい。
紹介された葬儀社に連絡しようと思ったけど、まだ、出来ていない。
受け入れられない。
感情が、もう訳わかんない。
(……お母さん)
冷えた、無機質な病院の廊下で、一人、霊安室を眺める。
このままお母さんと一緒に死んでしまえば、楽になれるのに。
寂しい、私の側には、誰もいないんだ。
このまま小さくなりたい、消えていなくなりたい。
楽しかった昨日に戻って、そのまま死んでしまいたい。
「……ぐすっ」
鼻をすすり、涙を袖で拭う。
とりあえず、電話だけでもしよう。
お母さんを送り出さないと、それだけはしないといけないから。
スマートフォンを手にし、壁紙の写真を見て、また涙した。
お兄ちゃんとお母さん、三人で江の島に行った写真。
あんなにも楽しい毎日だったのに、今はもう。
「……」
番号を入れようとして、出てきた履歴を眺める。
友達や家族とはLimeでしか繋がっていなかったから、そこに表示されたのは一人だけ。
綺月楚乃芽。
一番頼りたくない相手。
だけど、一番頼りになる人。
「はい、もしもし、瑠香ちゃん?」
綺月さんは、すぐに電話に出てくれた。
いろいろと伝えなきゃいけないのに、言葉が出て来ない。
「瑠香ちゃん、どうしたの?」
「……お母さんが」
「お母さん? お母さんがどうしたの?」
「お母さんが、死んじゃった」
「――!」
「それと、お兄ちゃんが逮捕された」
「…………、瑠香ちゃん、今、どこにいるの?」
「家から一番近い、中央病院」
「わかった、ちょっと時間かかっちゃうけど、今から行くね」
綺月さんが来てくれる。
それが心の底から安心できて、ようやく、頭の中が整理出来た。
「ううっ、うううううっ……ひっく、えええぇぇ……ええええええぇぇん……」
整理出来て、やっぱりそのまま、泣き崩れる。
廊下で一人、膝を抱え込んで、いつまでも。
「瑠香ちゃん」
声を掛けられ、自分が眠っていたことに気付く。
目を開けると、そこには以前と変わらない、綺月さんの笑顔があった。
「……まだ、一時間半しか経ってない」
「瑠香ちゃんが心配で、急いで来ちゃった」
本当は、泣いて抱き着きたかった。
でも、それをしないで我慢する。
泣くのはもう、ずっとしてたから。
「葬儀の手配とかは、まだしてないのよね?」
「……うん」
「じゃあ、私が代行で手続きしても、いい?」
「うん」
「ありがとう、じゃあ、ちょっと行ってくるね」
来てすぐにいなくなって、それからしばらくして、綺月さんは私のところに戻ってきた。
「手配してきたよ。他の手続きも、後でいろいろとしないとなんだけど」
「あの、綺月さん、ウチ貧乏で」
よく分かんないけど、葬式って百万円ぐらいお金かかるってイメージがある。
ウチは生活保護で生きてきた家族だから、そんなお金、あるとは思えない。
だけど、綺月さんはそれでも、笑顔を崩さなかったんだ。
「お金のことはね、葬儀社の人と相談して、福祉を頼ろうかとも考えたんだけど」
言葉を区切ると、綺月さんはそこで初めて、少しだけ困った顔をした。
困った顔のまま、首を振り、またにっこりと微笑む。
「ううん、その話はまた後でにするね。とりあえず、お金に関して、瑠香ちゃんは何も心配する必要はないから。家族葬にするけど、誰か声を掛けたい人とか、お母さんの知り合いとか、瑠香ちゃん分かるかな?」
数年間、ずっと寝込んでたんだ。
お母さんに知り合いなんて、一人もいない。
「わかった、じゃあ、後は私の方で準備しておくからね」
そこから先は、全部綺月さんが対応してくれた。
病院の死亡診断書とか、葬儀社の手配とか。
お母さんの遺体が車に乗せられると、今度は斎場の安置室へと移動する。
「私は斎場の人と打ち合わせしてくるから、瑠香ちゃんはお母さんの側にいてあげてね」
そう言うと、綺月さんは別室へといなくなった。
二つしか年齢が違わないはずなのに、綺月さんは私よりもずっと大人な対応をしている。
二年後に同じことが出来るかと問われたら、多分、私には出来ない。
一緒になって泣いているか、そのまま誰かを頼るか。
(お兄ちゃん、どうして綺月さんと別れたのかな)
天音ちゃんも一緒に生活して良い人だとは思ったけど、あの人は性格が破綻している。
お兄ちゃんがいる日は笑顔が多いけど、いない日は一日部屋に引きこもって出て来ない。
家のこともしないし、料理も何もせずに、ただただお兄ちゃんを待ちわびる。
お母さんと変わらないなって、思うことが多かったんだ。
あんな生活をする人が、まともなはずがない。
「お待たせ、打ち合わせ終わったから、何か食べに行く?」
「……あの、綺月さん」
「なに?」
「お兄ちゃんと綺月さんって、結局、どんな関係だったんですか……?」
踏み込んじゃいけないと思って、ずっと聞かなかった部分。
それを聞くと、綺月さんはしばらく間を開けた後、眉を下げた笑みを私へと向ける。
「ゲーム友達、かな」
「ゲーム友達……シャドモン、でしたっけ」
「うん、流星君が教えてくれて、初めてハマったゲームなんだ」
「……それって、このスマートフォンでも遊べるんですか?」
「もう古いアプリだからね、遊べると思うよ」
こんな話を、したかった訳じゃなかったんだけど。
なんとなく、どんな関係だったのか、分かった気がする。
「瑠香ちゃん、今日、一緒にお家に行っても大丈夫?」
「はい、大丈夫です。むしろ、来てくれるんですか?」
「もちろん。四日後の葬儀の日までに用意しなきゃいけないものとかあるし、お母さんの私物とかも、一緒に見ないとっていうのもあるんだけど」
立ったまま喋っていた綺月さんが、隣に座った。
お花の良い香りがする。手入れのされた長い髪が、とても綺麗で。
そしてそのまま、私のことをぎゅっと、抱きしめたんだ。
「今の瑠香ちゃんを、一人にさせられないなって、思ったから」
「綺月さん……」
「ずっと、妹だと思ってたからね。頼ってくれて、嬉しかったよ」
偽りのない優しさに、自分の明かしていない悪意がとても醜く思える。
綺月さんは最初から最後まで、ずっと優しかったんだ。
初めて家に来た日に、綺月さんはお父さんへの焼香をためらっていた。
自分の親がしたこと、それがウチにどんな影響を与えたのか。
綺月さんは理解し、それでも接することを止めなかった。
悪意を持たれてもおかしくない、事実、私は綺月さんを許せなかった。
なのに、こうして私を受け入れてくれている。
とても、強い人だと思う。
こんな人が本当にお姉ちゃんだったらと、思ってしまう程に。
「楚乃芽」
「あ、お父さん」
葬儀の日、楚乃芽さんだけじゃなく、楚乃芽さんのお父さんまで式に参列してくれた。
背が高くて物腰柔らかそうで、この人が綺月さんのお父さんって、一発で分かる感じの人。
「お父さん、この子が瑠香ちゃんだよ」
お父さん、私の前に来ると、静かに頭を下げた。
「この度は、誠にご愁傷様でございます」
「え、あ、あ、はい、ありがとう、ございます」
こういう時、なんて返事をするのが正解なのか、分からない。
自分の無知さが恥ずかしい、今度勉強しておこう。
「うん、話には聞いていたけど、利発そうな子だね」
「でしょ? 瑠香ちゃん、とっても良い子なんだ」
「あの話は、まだしていないのかな?」
あの話?
「ああ、うん。全部終わってからの方がいいかなって、思って」
「そうか、分かった」
あの話ってなんだろうって思ったけど。
二人の言う通り、今はお母さんを送り出すのが、一番大事だ。
「お母さん」
私と綺月さんと、お父さんだけの、三人だけの葬儀。
本当はお兄ちゃんも参列したかっただろうけど、それは出来ない。
逮捕されて五日目、きっとまだ、お兄ちゃんは留置所の中にいる。
綺麗な花に囲まれたお母さんは、家で寝ている時と同じ表情のまま。
まるでいつもみたいに、肩を叩いたら目を開けるんじゃないかって顔のまま。
静かに、納棺されていったんだ。
「ご飯、食べるんですか」
斎場内の一室にて、私の前には、彩鮮やかな料理が並べられていた。
お吸い物とかお寿司とか、見たこともない総菜とか。
「うん。精進落としって言ってね、お母さんへの弔いと、瑠香ちゃんにお疲れ様ってする会食みたいなものなんだ。だから、ここでは笑顔になるのがルールなんだよ?」
「そうですか……」
笑顔になれって言われても、そう簡単には出来そうにない。
それよりも、ずっと気になっていたことを、綺月さんへと聞いてみることにした。
「あの、綺月さん」
「ん? 食べられないものとかあった?」
「いえ……その、さっき言ってた、話って」
「ああ、それは……お父さんからの方が、きっといいよね」
綺月さんから、お父さんへとバトンタッチをされてしまった。
喪服姿のお父さんは、優しい表情をしながらも、しっかりと私の目を見る。
しっかりと目を見ながら、こう言ったんだ。
「瑠香ちゃん、ウチの子にならないか?」
次話『兄との離別』
明日の昼頃、投稿いたします。




