第三十四話 彼女の幸せの為に。
※渡会流星視点
彼女が泣いたのは、全て俺の責任だ。
バイト先に神山が現れた時に、俺はアイツが誰なのかを理解していた。
あの時、あの瞬間、神山が楚乃芽にとってどういう男だったのか。
理解していながらも、俺は走り去る神山へと、手を伸ばさなかったんだ。
アイツがいなくなれば、楚乃芽の側にいるのは俺だけになる。
そんな自分勝手な考え方をした結果、楚乃芽は笑わなくなっちまった。
バイトも辞め、高校の卒業式でも他人行儀な笑顔しか見せず。
卒業式後のクラス会にも、楚乃芽は参加しなかった。
「では、この工場におけるルールを、まずは学んでいただきたいと思います。この場にいるのは高校を卒業してから入社した人たちばかりですから、基本的に喫煙者はいないと思いますが、この工場は全面的に禁煙となります。もし、工場敷地内で喫煙している人がいたら、人事課へと連絡をして下さい。密告者には金一封が与えられるかもしれませんよ?」
教育担当のユーモアセンスの無い語りに、皆が苦笑する。
四月から、俺の環境も激変した。
入社したのは、聞けば誰もが名前を知っている会社の工場。
高卒での入社は、基本現場からのスタートとなるらしい。
「工場は基本二十四時間稼働になります。ローテーションで夜勤も担当していただきますので、そのつもりでいて下さい。基本的にすべての作業はオートメーション化されておりますので、皆さんが実施する業務は、機械の管理、および異常発生時の報告になります」
最近の工場は、人間が何かをするという部分は、ほとんど無いらしい。
原料加工から容器生成、詰め作業から倉庫陳列まで全て機械が行っている。
ある程度の内容を覚えると、そこから先は変わらない日々が延々に続いた。
「瑠香、そういえばお前、スマートフォン欲しがってたよな」
「うん……え、まさかお兄ちゃん、買ってくれたの?」
「ああ、初任給貰えたからさ、安いのだけど、無いよりはマシだろ?」
「えー! 本当?! マジ!? めっちゃ嬉しいんだけど!」
「大事に使えよ? 料金は全部俺持ちなんだからさ」
「ありがとー! これってネットは?」
「使い放題プランにしたよ」
「きゃー! お兄ちゃんありがとー! 大好きー!」
変わらない日々だけど、就職したのだから給料が入る。
収入が増えたことにより、出来なかったことが出来るようになった。
高校二年生の瑠香にだって、スマートフォンを買い与える事だって出来る。
「あ、そうだお兄ちゃん」
「ん?」
「前にお兄ちゃんの彼女だった綺月さん、あの人の番号教えてよ」
「楚乃芽の番号を?」
「うん。綺月さん、実はちょっと前にもプレゼント送ってきたりしててさ、さすがにお兄ちゃんも働き始めたし、私もこうしてスマートフォンをゲットした訳だから、そろそろ断りの電話を入れようかなって」
「楚乃芽の奴、まだ送ってきてたのかよ」
「律儀だよね。お兄ちゃんとの関係がどうなったのかは知らないけど、私にはちゃんと送ってきてくれてるよ。でもさ、ほら、綺月さんって、綺月さんだから」
瑠香の視線が、隣の部屋で寝ている母さんへと向けられる。
最近、母さんの体調は悪化し、一日中寝込んでいることが増えた。
こんな体調の母さんが綺月家との接点を知ったら、確かに不味い。
「わかった」
「ありがと、お兄ちゃん」
瑠香からの連絡以降、楚乃芽からのプレゼントは完全に止まったらしい。
またひとつ接点が減っちまったなと、心の中で悔やむ。
「お兄ちゃん、免許取りに行くの?」
「ああ、会社が金出してくれるみたいでさ」
「ふうん、良いとこに就職出来て良かったじゃん」
「それなりに成績良かったからな。瑠香も高二なんだから、将来のこと考えておけよ?」
車の免許を三週間程度で取得し、そのままローンで車も購入した。
そして初めてのドライブに、家族で江の島まで出かけたんだ。
寝たきりの母さんの、気晴らしになればいい。
発進から停車、高速道路に乗る時まで瑠香は悲鳴を上げていたけど、母さんは静かに微笑んだまま。しばらくして海が見える食事処で休憩すると、母さんはこんな事を口にしたんだ。
「お父さんとの初デートも、江の島だったのよね」
これまでまともに喋れなかったのに、急に一言だけ喋ったんだ。
瑠香と目を合わせて、母さんが喋ったことを兄妹二人して喜んだ。
俺が働くことで、家族全員が幸せになっていく。
それと共に、俺の中での気がかりが、徐々に膨らみ始めていた。
(楚乃芽、神山と仲直り出来たのかな)
高校卒業以降、楚乃芽からの連絡は一度も来ていない。
神山との仲が良くなったからって、俺に連絡が来る訳ではないのだけれども。
(車もあるし、K大なら首都高の練習にも丁度いいか)
工場のローテーション勤務は、曜日関係無しに休みを取得できる。
特に二十四時間勤務となると、八時間勤務を三回した計算になり、翌日と翌々日まで休むことが出来るんだ。実際には仮眠もあるし、勤務明けの日だって普通に行動することが出来る。
思い立ったが吉日、さっそく俺は楚乃芽に会いに、K大へと向けて車を走らせた。
「ここがK大か」
東京の南側、横浜との間にあるK大は、首都圏とは思えないほどに緑豊かな学校だった。
敷地面積も広く、学内に棟が幾つもあって、通う生徒たちもどこか品の良い奴らばかり。
(人、多いな)
これは、楚乃芽を見つけるのは無理かなと、半分諦めかけていた。
赤レンガ風の校舎を眺めながら、無駄に洒落た洋風の正門に背を預けていると。
(……お? いた!)
沢山の生徒の中に紛れて、俯きながら歩く楚乃芽を、見つけることが出来た。
長い髪を編み込みお団子にしているなんて、ずいぶんと珍しい。
いつもの楚乃芽は髪を下しているのに……と、思いながら近づくと。
「よう、久しぶり」
「流星君」
「あれから全然連絡取れなくなっちまったから、どうなったのか心配になってさ。ほら、俺もう就職して、車運転できるから、大学までなら行けるなって思って……って、楚乃芽?」
俺を見つけるなり、楚乃芽は泣きそうな顔を、俺の胸に沈めてきた。
「ごめん、ちょっとだけ」
「いや、別に構わないんだが」
胸に熱を感じる、楚乃芽、泣いてるのか?
しばらくして離れると、楚乃芽は「ごめん」と、再度謝ってきた。
「何があったのかは知らないけど、話だけでも聞こうか?」
聞くと、楚乃芽は頷き、前を歩き始める。
どこに行くのかとついていくと、そこは大学内にあるコーヒーショップだった。
「凄いな、大学の中にあるのかよ」
「学生が勉強してても、ここなら文句言われないから」
「ああ、そういう……へぇ、いろいろと考えられてんだな」
コーヒーを二つ注文し、二人掛けの席に楚乃芽と座る。
店内には他にも生徒が沢山いて、なんだかソイツらが眩しく見えた。
「洋服」
「ん?」
「洋服、汚しちゃってごめんね」
店内を見ていた俺に、楚乃芽が今日何回目かの謝罪を入れてきた。
シャツの胸元、確かに濡れた後が残っている。
「ああ、これか、こんなの乾いちまえばどうってことないさ。それよりも、急に泣くとかどうしたんだよ? 神山とは仲直り出来なかったのか?」
聞くと、楚乃芽は「うん」と頷いた。
「そうか……悪かったな」
「流星君は悪くないよ、悪いのは大樹に伝えてなかった私だから」
「神山に俺のこと、言ってなかったのか?」
楚乃芽はコーヒーを一口飲んだ後、落胆するように俯き、肩を下げながら息を吐いた。
「大樹は嫉妬深いから、流星君と一緒に働いてるって伝えたら、不安にさせちゃうと思ったの。お互い受験生だったし、無駄な心配は掛けたくなかった。でも、それが結果として、最悪な結果をもたらしたの」
「だが、それならそれを伝えれば」
「出来なかった」
首を振ると、楚乃芽はグラスに触れながら、宝石のような瞳を俺へと向けた。
「新幹線で家までいったけど、樹里香さんに時間を置けって言われたから」
(樹里香?)
「じゃあ、今からでも会いに行けばいいだけのことだろ? 俺も協力するぜ?」
「それも出来ない。今の大樹には天音ちゃんがいるから」
「天音?」
「大樹の幼馴染」
「それが、なんでまた?」
「元々、大樹のことが好きだったんだよ」
「そうじゃなくて、どうしてその天音って女が出てきたんだよ。神山は彼氏なんだろ?」
聞くと、楚乃芽は俺に向けていた視線を泳がせ、氷で濡れるグラスを指でなぞり始める。
「実はね、私、流星君に嘘、ついてたんだ」
「嘘?」
「うん。私、中学校の時に大樹と付き合って、引っ越しと同時に別れていたの」
「そうだったのか」
「ごめんね。高校の時は嘘ついてた」
「どうして嘘なんか」
「わからない、多分まだ、大樹のことが好きだったんだと思う」
そう言われちまうと、俺としては何も言えないんだが。
「私と別れた後、大樹、不登校になったみたいでね。そんな大樹を助けたのが、天音ちゃんなの。それから二人は同じ高校に進学して、仲良かったらしいんだけど……天音ちゃん、浮気したんだよね」
「マジか」
「うん。どうしてそんなことをしたのか、私にも分からない。でも、大樹は浮気した天音ちゃんを許さなかったんだよね。大樹が言うには、そもそも付き合ってなかったらしいんだけど。ごめんね、なんか複雑。でね、高校三年生の時に、大樹は天音ちゃんに離別を伝えたらしいの。それで、今度は天音ちゃんが学校に行かなくなったらしいんだけど」
「なんか、昼ドラみたいだな」
「……こっちは真剣なんだけど」
「すまん、続けてどうぞ」
半眼になって睨まれちまった。
一拍置いた後、楚乃芽は続きを語り始める。
「それでね、そんな天音ちゃんが、大学まで大樹を追いかけてきたの。私も大樹に話をしたかったんだけど、天音ちゃんがいたから近寄れなかったんだよね。その時にはもう、天音ちゃんが不登校からの引きこもりになってたって、知っていたから」
「うん」
「でも、気になって二人を尾行したの。それで、二人の住まいも見つけて、それから樹里香さんに連絡したんだよね」
「すまん、樹里香さんって、誰?」
「大樹のお母さん」
「ああ、なるほど」
「樹里香さんに連絡したら、天音ちゃん、引きこもってた時に自殺未遂もしたみたいなんだよね。そんな天音ちゃんだから、樹里香さんも天音ちゃんのご両親も、大樹に頼っちゃったみたいでさ。確かに、過去に一度助けられているから、大樹も何も言えないのも分かるけど……それにその原因を作ったのは私なんだから、私も何も手出し出来ないなって思って、それで」
「それで、神山を諦めて、一人とぼとぼ歩いていたと」
「うん……ごめんね、私ばっかり喋っちゃって」
「別に、構わないけど」
ここまで落ち込んだ楚乃芽を見るのは、初めてだった。
でも、掘り返してみれば、あの日、俺が止めなかったことが一番の原因な気がする。
「流星君来てくれて、嬉しかった」
「そうか?」
「うん、誰かに話をするって、気晴らしになるよね」
「そりゃ良かった。じゃあ、このままカラオケでも行くか?」
「……そうしよっかな。あ、でも、午後からの講義には参加したいから、午前中だけね」
「OK、じゃあ、車出すから乗ってけよ」
「え、流星君、車運転できるの?」
「ああ、って、会った時に伝えたと思うけど?」
「ごめん、頭に入ってなかったかも」
会話を終える頃には、楚乃芽は昔の楚乃芽に戻っていた。
喋るだけで嬉しくなって、笑顔が可愛い彼女は、万人に愛されるべき人だ。
「なんか、知り合いの運転って緊張するね」
「もう首都高も走ってるし、瑠香やお袋乗せて江の島まで行ったこともあるんだぜ?」
「そうなの? じゃあもうベテランじゃん」
「という訳で、安心して助手席に座っててな」
楚乃芽が助手席にいることが、心の底から嬉しかった。
そして、自分の気持ちを再認識した。
やっぱり、俺は楚乃芽が好きだ。
大好きだからこそ、笑顔でいて欲しい。
今の彼女から笑顔を奪ったのは、誰でもない俺だ。
「お昼は大学で食べよっか」
「大学って、食堂?」
「うん、一般の人も入れるし、美味しくて評判なんだよ?」
「そりゃ、至れり尽くせりだな」
楚乃芽の言う通り、大学の食堂での昼飯は美味しかった。
瑠香も連れてきてやったら喜ぶかな、そんなことを考えていた時だ。
(……ん?)
俺は、俺と楚乃芽を見て瞠目している男の存在に気付いた。
俺よりも背の低い、ひょろっとした痩せた感じの男。
目が隠れる程度に伸ばした前髪から、見開いた目を俺たちに向け、固まっている。
(神山……それと横にいる女が、件の女か)
加佐野天音。
楚乃芽と同じぐらい髪を伸ばした、病的に痩せた女。
今、楚乃芽が神山に手出し出来ないのは、この女が原因だ。
俺が原因で楚乃芽は笑顔になれず、今も苦しみ続けている。
なら、俺には俺の、俺にしか出来ないことをするべきなんじゃないのか?
幸い、顔だけは良いと、昔から言われている。
一人の女を落とすことぐらい、経験の無い俺にだってきっと出来るはずだ。
「お前、この大学の生徒じゃないだろ」
それから二週間ほどして、ようやく俺は天音へと接触を果たした。
神山からこの女を奪い取る。
それが、楚乃芽の幸せになると信じて。
次話『終わりの始まり』
明日の昼頃、投稿いたします。
※三十三話、父親から絶縁を求められているのに流星と連絡を取ろうとしているのはおかしい、という意見を真摯に受け止め、該当部分を訂正させて頂きました。




