第三十二話 私の望み
※綺月楚乃芽視点
「ああ、お父さん? ちょっと話いい? 今ね、大樹のパソコンを借りたんだけど」
病室を出て、車に乗り込むなり、樹里香さんは方々へと連絡を取った。
話を聞くに、どうやら加佐野さんは行方不明者として、警察に届け出されていたらしい。
一体いつの間にこんな事になっていたのか。
ううん、一番の問題はそこじゃない。
どうして天音ちゃんと一緒に、流星君がいたのか。
「こんな動画に出演するなんて……天音ちゃん、誘拐されたのかしら?」
連絡を終えると、樹里香さんはパソコンへと視線を落とした。
「……違うと思います」
「違うって、なに?」
「すみません、もしかしたら大樹さんも天音さんも、私のせいかもしれません」
「楚乃芽ちゃんのせいって、どういう意味?」
眼鏡の奥、樹里香さんの瞳が、私を見る。
敵視した視線、母親として、息子を守ろうとする視線だ。
心臓が、ぎゅっと、掴まれた感じがする。
「この動画に映っていた男、私の知り合いなんです」
「知り合い?」
絞り出すようにして吐き出した言葉に対して、樹里香さんは当然の如く怒りを露わにする。
「どうして貴方の知り合いが、天音ちゃんとこんな関係になっているの? あなた達、どういう付き合い方してるわけ? なんかもう、いろいろとおかしくない?」
樹里香さんは私を睨みながら、堰が切れたように喋り始めた。
「勝手に別れて、疑われるような事をして、大樹に振られたからってメンヘラになって、それで家出して住み着いて! それでいてそこから更に浮気して、大樹にこんな動画まで送り付けて、しかも相手が貴方の知り合い!? 何なのそれ! こんなの昼ドラでも採用されないわよ! あなた達の穢れた人間関係に、ウチの大事な息子を巻き込まないでよ!」
悲鳴のような叫び。
それに対して、私は何も言えず。
怒鳴りつけた後、樹里香さんは座り直し、パソコンを睨みつけた。
「あーイライラする……とりあえず、最初から全部見てみるか」
ダッシュボードにパソコンを置くと、樹里香さんは映像を倍速で再生した。
記録された映像は、三時間にも及んだ。
セックスしているところや、休憩しているところ。
ピロートークから最後のシャワーまで、全てが記録されていた。
特筆すべき点は、二人は大樹のEDを知っているということ。
大樹は天音ちゃんを一度も抱けていなかったということ。
そんな大樹のことを、ゴミみたいに言っているということ。
もうひとつ言えば、二人の関係は同意のもと、そんな風に受け取れる。
「これ、寝取られ動画って奴よね」
「そう……ですね」
「天音ちゃんから、この男の誘いに乗ったって事なのかな。ねぇ、この男、何なの?」
「高校の時の知り合いです。名を渡会流星、当時は偽装彼氏を、お願いしておりました」
「偽装彼氏? ……ああ、大樹が誤解したっていうのは、そこなのね」
樹里香さんは僅かな情報から、一気に全てを理解してしまった。
そして怒りを含んだ眼を、動画の流星君へと向ける。
「クソみたいな男ね」
ひとり呟くと、樹里香さんはパソコンを閉じた。
「家まで送るから、住所教えて」
車を走らせると、会話の無いままに、私の家へと到着する。
ハザードランプを点滅させると、扉の鍵が自動で開いた。
樹里香さんは何も言わずに、頬杖をついて外を眺める。
私なんか見たくもない、そう、言っているみたいだった。
「送っていただき、ありがとうございました。あの、樹里香さん」
「……なに」
「明日、お見舞いに行っても、いいでしょうか?」
私を見て、大樹は錯乱してしまった。
行かない方が、彼の為だと思う。
でも、私はもう、引きたくない。
樹里香さんは私を睨んだ後、ため息を吐き、額に手を当て顔を小さく振った。
「好きにしたら」
扉を閉め、頭を下げる。
走り去る車のテールランプが見えなくなるまで、私は頭を下げ続けた。
しばらくしてから顔を上げ、そのまま夜空を見上げる。
「……大樹、星、見れてるかな」
もしかしたら、薬のせいで寝ているかもしれない。
スマートフォンで数枚夜空を撮影し、それを保存する。
明日、大樹に見せたら喜ぶかもしれないから。
約束通り、私は翌朝一番に病院へと向かった。
朝十時からの面会開始の時間まで、待合室で時間を潰す。
「本当に来たのね」
「樹里香さん、おはようございます」
慌てて立って挨拶をする。
コンビニの袋を持った樹里香さんが、私の横に座った。
樹里香さん、昨日と同じ服装のままだ。
家に帰らず、近くに泊まったのかも。
樹里香さんはコンビニ袋の中から名前ペンを取り出すと、買ってきたであろうプラスチック製のコップへと、名前を書き始める。神山大樹と書き終わると、それを袋へと戻し、次にハブラシを取り出し、また名前を書き始めた。
「子供の使う道具に名前とか、昔を思い出しちゃうわね」
「あの、名前、書くんですか?」
「ええ、病院の規則なんですって」
この病院は精神病院だから。
自分の物を、自分の物だと分からない可能性があるから。
全ての入院患者にとって、名前を書くことが必要なのだと、樹里香さんは教えてくれた。
そしてまた、私は泣きそうになる。
その中の一人に、大樹が含まれていること。
この責任は、とてつもなく大きい。
「あの、樹里香さん」
「……書く?」
「はい、書かせて、ください」
熱くなる涙腺が視界をボヤケさせる。
それでも、出来る限り綺麗な字で、彼の名前を書いた。
十時を告げるチャイムが流れると、私と樹里香さんは大樹が待つ病室へと向かう。
「大樹、おはよう」
昨日と同じ服装の彼は、昨日と同じように、ベッドから空を見上げていた。
私たちが側に来ても気づかないのか、ずっと、空を見つめている。
「大樹、朝ご飯ちゃんと食べた? お母さん、お菓子とかおにぎりとか買ってきたけど、食べる?」
樹里香さんが問いかけると、彼はようやく、顔をこちらに向けた。
感情の無い顔。
出迎える為のおもてなしとか、遠慮とか。
そういうのが、全然ない。
「お腹、減ってないか」
伸びた、白い前髪がはらりと落ちてくると、それが目にかからないように、樹里香さんが手櫛で整え、そして優しく、頭を撫でた。
「退院したら、髪も染めちゃおうか。大樹、ずっと黒のままだったから、思い切って金髪とかにしちゃうのも良いかもしれないわね。……ね、楚乃芽ちゃんも、そう思うでしょ?」
「……はい、大樹さんなら、絶対に似合うと思います」
「良かったね、大樹、カッコいいってさ」
この間、大樹は一言も発していない。
眉のひとつも動かさないまま、ぼんやりと、視線を樹里香さんへと向けたまま。
何も言わず、反応もせず、そして無言のまま、視線を私へと向けた。
「……大樹」
何を話しかけていいのか、わからない。
別人になってしまった彼が、とても、いたたまれなくて。
「少し、失礼します」
部屋から出て、廊下で声を殺しながら、やっぱり私は、泣き崩れてしまうんだ。
こんな姿、大樹に見せる訳にはいかない。
不安のひとつもさせたくないのに。
責任が、涙となって溢れ出てきてしまう。
「大樹の為に泣いてくれて、ありがとうね」
お昼、樹里香さんは私を見ずに、そう言ってくれた。
「なんて、まるで大樹が死んじゃったみたいだったかな」
「いえ……でも、すいません、私が泣く権利なんてないのに」
病院に併設されたレストランでの昼食、食欲は、はっきり言ってゼロだ。
目の前に置かれたカレーにスプーンを落とすも、口まで運ぶことが出来ない。
精神的に無理、これの極地が、大樹の症状なんだ。
「でも、嬉しかった」
同じように食べていなかった樹里香さんが、私へと視線を向けてくれた。
「昨日の貴方を見て、また復讐に走るんじゃないかって、心配してたの」
「復讐、ですか」
「うん。知り合いの男の家にでも詰め寄って、それでまた揉め事を起こすのかなって、そんな風に思っていたの。でも、貴方は復讐よりも大樹の側にいることを選んでくれた。それが何よりも嬉しいと思える。楚乃芽ちゃん、大樹の側にいてくれて、ありがとうね」
突然の感謝を告げられて、私はまた、涙が零れ落ちてしまうんだ。
「楚乃芽ちゃん」
「すいません、私、大樹さんに申し訳なくて」
「いいの、そう思ってくれる子が一人でもいることが、大樹にとって大切だと思うから」
復讐なんか、何も生み出さない。
あの二人の謝罪を要求するよりも、大樹の側にいたい。
揉め事とか、そういうのから全部逃げたっていいんだ。
ずっと、大樹と一緒にいたい。
それだけが、今の私の望みだ。
次話『聖域』
明日の昼頃、投稿いたします。




