第三十話 送られてきたビデオレター
「心因性勃起不全でしょう。各種検査的には何の問題もありません。問診にある通り、これまでの神山さんの経験から来る、心の病といったところでしょうか。良ければ精神科医をご紹介しますが、どうしますか?」
医者の問いかけに、僕は丁重に断りを入れた。
どうやら僕の心は、すでに限界を迎えていたらしい。
それもそうか、僕の人生は、失恋と裏切りのオンパレードだ。
心の限界が肉体にまで影響を与えた、ただ、それだけのこと。
「大樹、どうだった?」
問診を終え、待合室へと戻ると。
心配そうな顔をした、天音がいた。
「病気じゃないみたい。精神的なものだってさ」
「そうなんだ……じゃあ、大樹のが治るまで、私毎日してあげるからね」
原因のひとつなんじゃないかって思えなくもないけど、天音がいることで僕は平静を保つことが出来ている。彼女も僕を利用して心の平穏を保っているのだから、お互いにまだ利用できる部分がある、ということなのだろう。
それからというもの、天音は毎日のように僕に尽くしてくれるようになった。
毎晩裸で抱き合いながら眠り、毎朝朝食を一緒に食べ、二人で電車に乗り込み、二人で大学へと向かう。あらゆるシチュエーションを試すべきだと、天音は容赦なく僕へと迫り、可能な限りのことを全てし尽してくれた。
でも、治らなかった。
天音のしてくれることが、気持ち良く無かった訳じゃない。
心のどこか、何か大事な部分が冷めてしまっている、そんな感じだ。
「天音ちゃん、調子どう?」
ある日、母さんから電話が掛かってきて、天音との共同生活について質問をされた。
ベッドに座り、壁を背にしながら足を延ばしていると。
天音がコロンと、僕の膝を枕にしながら横になった。
「そうだね……ここに来た当初よりかは、元気に過ごしているよ」
「そうなの? でも、天音ちゃんも嫁入り前の娘さんだし、あんまり大樹の家に住み着くのも、母さんどうかと思うんだけど。責任取らなきゃいけないようなこと、してないわよね?」
「まぁ……してないね」
出来ない、とも言うけど。
僕の足を枕にしながらスマホをいじる天音の頭を、優しく撫でる。
目を細めながらフリフリと頭を揺すると、天音はまた、スマホをいじり始めた。
「そういえば母さん、天音、来年は大学受験するんだってさ」
「あらそうなの? じゃあ、家にいる時よりも、ずいぶん良くなってるみたいなのね」
「最近猛勉強してるみたいだしさ、落ち着いたら、自分からそっちに帰るんじゃないかな?」
視線を落とすと、スマホを口元に持っていきながら、黙ったまま天音が僕を見上げていた。
帰るつもりはない、そう言っているように見える。
「まぁ、そんな感じだから。心配なら食糧の仕送りとか送っておいてよ」
「わかった、天音ちゃんのご両親にも、宜しく伝えておくからね」
「それじゃあまた、電話ありがとうね」
心配性……でもないか、普通に考えたら家出少女を匿っているのだから、心配して当然か。
「大樹、身体のこと言わないんだ」
膝を枕にしたまま、天音が見上げながら言う。
「言わないよ。言ったところで意味ないし」
「それもそっか」
言いながら、天音は体を反転させると、僕の股間へと顔を沈めた。
させるがままにさせていれば、いつかはきっと治る。
事実、僕の精神状態は、この一か月で随分と良くなってきているのだから。
(……?)
大学の講義を終えて天音を迎えに行くと、彼女からいつもと違う香りがした。
彼女の髪から香る匂いが、家のコンディショナーとは違う。
「待たせたね、どう? 勉強捗った?」
「うん、そこそこ、かな」
匂いの変化について、僕はあえて追及をしなかった。
天音は僕が講義の時間、ずっと一人で大学の中にいるんだ。
季節は夏、歩くだけで汗だくになってしまうのだから、構内のシャワー室を借りていてもおかしくはない。
天音の変化は匂いだけで、他は何一つ変わらなかった。
一緒に夜ご飯を食べ、お風呂にも一緒に入り、ベッドで体を重ね続ける。
僕の方も彼女の期待に応えるべく、出来る限りのことをした。
残念なことに、勃起不全が治る気配は無かったけど。
それから二週間後。
大学の講義を終えると、いつもいるはずの場所に天音の姿が無かった。
電話を掛けてみるも、繋がらず。
数コールしたのち、留守番電話になり、やがてコールすらしなくなってしまった。
空き教室だったり、食堂だったり、図書館だったり。
彼女がいそうな場所を探すも、どこにも見当たらず。
(シャワー室にでもいるのかな?)
今日から九月下旬まで、大学も夏休みに入る。
長い夏休みを天音とどう過ごすか、実は内緒で考えてたりもしてた。
一緒に避暑地に行き勉強に励んだり、足を延ばして温泉に行ったり。
いろいろな計画を打ち明けたら、きっと天音のことだ、飛んで喜ぶに違いない。
そういった気分転換を重ねれば、僕の病気だってきっといつかは治ってくれる。
(ふふっ)
口元に手をやり、自然とほほ笑む。
気づけば、天音がいる生活が、当たり前になっていたんだ。
楚乃芽に裏切られた時に感じた悲しみや怒りは、時薬が癒してくれた。
献身的な彼女のために、これからは心を入れ替えて向き合おう。
そう思いながら彼女を探すも、大学のどこを探しても見つからなかった。
すでに日が沈む、たまらず、スマートフォンを手に取った。
「ああ、母さん? 天音から何か連絡来てない?」
「連絡? 何も来てないけど。天音ちゃん、どうかしたの?」
「いや、何も無いならいいんだ。ごめんね、電話しちゃって」
母さんにも連絡が入っていないみたいだし、実家に帰った様子もない。
地元は狭い町だから、天音が家に帰れば、どこかしらで情報が回ると思うんだけど。
(どこに行ったのかな)
いないものは仕方がない、それに意外と先に一人で帰っているかもしれないし。
先に家に帰り、サプライズプレゼント的な何かを用意しているとか。
ありとあらゆる事を試すと言っていたのだから、きっとそうに違いない。
星空が走る電車に乗り込み、僕のアパートのある駅にて一人降りる。
冷房の効いた車内から外に出ると、蒸し風呂のような外気が肺を襲った。
天音と二人で歩く時は苦じゃなかったけど、一人だと何だか不快感が凄い。
街灯が少ない坂道を一人で歩き、自分の住まうアパートへと到着する。
(明かり、ついてないな)
外から見える自室を眺めた後、玄関へと向かった。
扉のノブに手を掛けると、するりと回る。
鍵が、開いていた。
(やっぱり、家にいるんだ)
天音には合鍵を渡してあったんだ。
先に一人家に戻り、美味しいご飯か何かを用意してくれている。
そんな期待と共に、玄関の扉を勢いよく開いた。
「ただいま、天音、いるんでしょ?」
真っ暗な室内、手探りで電気を点けると。
「……?」
一瞬で、違和感が僕を襲った。
今朝まであった天音の私物が、全て消えてなくなっている。
部屋の奥、クローゼットの中に入れておいたキャリーケースすら見当たらない。
歯ブラシや彼女の為に購入した食器とかも、何もかもが消えている。
カラーボックスの中身も、洗濯機の中身も、今朝二人で干した洗濯物も。
彼女がいたはずの形跡が、全て無くなってしまっていた。
しばらく探したのち、もう一度、スマートフォンを手に取る。
「ああ、母さん?」
「どうしたの何度も」
「天音、そっちに帰ってないんだよね?」
「帰ってきたとは聞いてないけど、天音ちゃん、どうかしたの?」
「部屋にいないんだよ、今朝、大学に行く時までは一緒だったんだけど」
「荷物とか、書き置きは?」
「何もない、まだ、ちゃんとは調べてないけど」
「わかった、お母さんの方も、天音ちゃんのお母さんに聞いてみるわね」
「ありがとう、何か分かったら、連絡お願いね」
その後、家の中を探しに探したけど、何も見つからず。
母さんからの連絡によって、実家にも帰っていないことが、判明してしまった。
「天音ちゃんのお母さん、警察に行方不明届け出すって」
母さんからの連絡を終えた後、誰もいない自室にて、ばたりと、横になった。
視界に入るのは、狭いはずの1Kの部屋なのに、無駄に広く感じる部屋だ。
キッチンとユニットバスしかない部屋、曇りガラスを、何となく眺める。
(そういえば……最近、天音から違う匂いがしたっけ)
天音から違う匂いがしたのは、違和感があった日だけじゃない。
最近、大学から帰る度に、天音は違う匂いを身にまとっていたんだ。
そんなにシャワーを借りることが出来るのだろうか?
スマートフォンを手に取り、ネットにて検索を掛ける。
(K大、シャワー室利用………………学生証、必須)
シャワー室の利用には、学生証が必要だった。
それはつまり、天音は大学のシャワー室を利用していないことを意味する。
胸が、ズキリと痛んだ。
右手で自分の心臓を握り潰すように、しがみつける。
呼吸がどんどん荒くなっていく。
左手で頭を掻きむしり、何度も小突いた。
――またか。
――また裏切られたのか。
もう何度目だ。
僕に何の恨みがある。
叫びたい。
でも、ここはアパートだ。
隣の部屋のカップルの喘ぎ声が無駄に聞こえてくるぐらい、壁が薄い。
微かに残る理性が、込み上げてくる怒りと悲しみをない交ぜにしてくれる。
叫ぶことは我慢出来た。
だからだろうか、無駄に頭の中がスッキリしている。
僕は自室にて膝を抱えてうずくまり、ベランダから見える星空を見上げていた。
七月の空は、夏の大三角形が見える。
ただただ茫然と見上げながら、息をするのも忘れて、星を眺めてたんだ。
そして考える。
当然と言えば当然か。
僕は天音にキツく当たっていた。
自分がダメになって、それで彼女に甘えるなんて、都合が良すぎる。
もし、帰ってくることがあるのならば。
その時は、天音に頭を下げよう。
幸い夏休みだ、ずっと、待っていられるから。
三日後。
今日までの間、僕は一度も家から出ていない。
水すら飲まずに、冷房が効いた部屋の中で、天音の帰りを待ちわびていた。
――――ガコンっと、玄関の郵便受けから、何かが放り込まれる。
以前頼んでいた、母さんからの仕送りだろうか。
動くこともしたくなかったけど、四つん這いになりながら、荷物を取り出しに向かう。
玄関に落ちたそれは、四角い箱だった。
差出人……渡会流星と、書かれてある。
世界が歪む。
それが眩暈だと理解するまで、時間が掛かるぐらいに。
この期に及んで、この男が僕に何の用がある。
放り投げて捨ててしまおうと思った。
でも、理性が、その手を止めた。
(待て、なんでこの男が、僕の住所を知っている)
この家の住所は、楚乃芽にもこの男にも、誰にも教えていない。
知っているのは家族と、天音だけだ。
ガムテープで封された箱をハサミで切り、中を開ける。
(家の鍵……これ、天音に渡した合鍵じゃないか)
鍵ともうひとつ、マイクロSDカードが、箱から転がり落ちてきた。
とても、嫌な予感がする。
警鐘が鳴りやまない。
見ない方がいい、調べない方がいい。
だけど、もし、天音に関することで、情報が記録されているのであれば。
彼女の両親は警察に届けを出したんだ、調べない訳には、いかない。
(……)
パソコンにマイクロSDカードをセットすると、中身が表示された。
無題のフォルダー、震える指でクリックをすると、自動で映像が再生される。
『よう、久しぶりだな。こうして話しかけるのは、地元のハンバーガー屋以来か?』
見覚えのある男が、モニターに表示された。
短髪でギラギラした目をした、ベッドに腰掛ける上半身裸の男。
渡会、流星だ。
『お前、天音に楚乃芽と再会したこと伝えてなかったらしいな? 渋谷での再会の時に、天音もいたらしいじゃねぇか。男女の関係で隠し事は良くないぜ? 俺は隠し事が嫌いだからよ、こうして全部を包み隠さず伝えてやるんだが。おい、天音、お前もコッチ来いよ』
『え……いいよ、私は』
『何言ってんだ、可哀そうな勃起不全の神山大樹君のことを、全力で癒してあげるんだろ? お前の裸は何よりもの特効薬なんだからよ、せめて映像だけでも見せてやれよ』
『あ、ちょっと……これ、本当に録画してるの?』
『ああ、してるぜ。大樹君に送り付けてやらねぇとよ』
『別に、そこまでしなくたって』
『いいんだよ、俺は隠し事が嫌いだからな。という訳でだ、これからお前の彼女……じゃないんだっけ? 同居人って奴か? まぁなんでもいいけど。とりあえず天音を抱くからよ、しっかり見ておけよな。ほら、天音からも何か言ってやれよ』
『いいよ……別に』
『いや、そこはハッキリさせておいた方がいいぜ? 天音は神山に依存してるんだからな。神山と縁を切るために、この場で別れを告げた方がいい。いいか天音、これまでお前が神山を追い求める理由は、お前が神山に振られる立場だったからだ。逃げる者は追いたくなる、これは人間の性って奴なんだ。だから今回、お前は初めて立場を逆転させる。お前が、神山大樹を振るんだ。……ほら、天音』
『……』
『……』
『……大樹、ごめん。私、ずっと貴方のことが好きだった。でも、大樹が私を見る時って、私か大樹、どちらかがダメになった時だけなんだよね。それって、絶対にお互いを想っての関係じゃないと思うの。流星君の言う通り、私は大樹に依存してたんだと思う。ずっと大樹だけを考えて、大樹以外は全部ダメだって、思い込んでしまっていたから』
『……』
『でも、違った。大樹よりも良い人、ここにいたよ』
『へっ、それはちょっと可哀想なんじゃないか?』
『だって、素直になれって言ったのは流星君だよ?』
『まぁ、そうだけどよ』
『大樹、これまでありがとうね。私はもう、大丈夫だから。これから流星君と幸せになるから…………大樹も、身体良くなって、良い人と幸せになってね。……さようなら、大樹』
『じゃあ、もういいよな』
『うん』
『最後の最後だ、SDカードの容量限界まで、見せつけてやろうぜ』
蝉の音が、煩かった――――。
次話『変わり果てた大事な人の姿』
明日の昼頃、投稿いたします。




