第二話 夏休み、僕は彼女に尾行されていた。
「夏休みだからって、何時まで眠っているつもり? 部活が無いからって、ずっと遊んで良い訳じゃないのよ? 勉強する子はお盆にも塾にだって行ってるし、大樹も来年は受験生なんだから、もっとちゃんと勉強しないと……って、大樹、どこに行くの?」
「図書館、静かな場所で勉強してくる」
夏休みも既に半分を過ぎた。
毎日毎日家にいて母さんの愚痴を聞いているのは、精神的に滅入るものがある。
逃げるように着替えを終えて玄関を出た途端、夏の空気が肺を焼いた。
強すぎる日差しで肌が痛い。
暑すぎる、四十度超えはもはや地獄だ。
こんな暑さの中で活動する方が間違っている。
夜型になるのは、人類の正当な進化なのではないか?
きっとこの論理を世界中に広めれば、いつしか夜型が正しい認識になるはずだ。
そんなことを考えながら、図書館の駐輪場へと到着し、停まっている自転車を眺める。
一台一台、じっくりと眺めていたところ。
「あー、自転車盗もうとしてるー」
麦わら帽子をかぶった綺月さんに、見つかってしまった。
見つかっただけで、特に何をするでもなく。
僕は会釈だけをして、図書館へと足を運んだ。
涼やかな図書館の休憩スペースに、髪をおさげにした綺月さんがいる。
なぜか一緒についてきた彼女は、なぜかそのまま僕の隣に座った。
とても面白いものを見つけた。
言葉にせずとも、彼女の顔にそう書いてある。
「あの、僕、自転車を盗もうとしていた訳じゃないよ?」
「ふふっ、本気にしたの? 大樹は冗談通じないね」
目を細めて笑う彼女は、夏休みでも可愛かった。
白いワンピースに肌色のカーデガンを肩から掛けるファッションは、少女と大人、両方の雰囲気を醸し出しているように感じる。僕の方はというと、半そでシャツに穿き心地の良い、けれども安い八分丈のパンツスタイルだ。足元はサンダルだし、安さ爆発といったところか。
服装だけでも落差を感じる。
綺月さんは多分、こういうのを気にしないのだろけど。
咳払いひとつ。
意識しまくっているのを感じ取られたくない。
気を取り直し、形だけでもと問題集を広げるも、彼女はお構いなしに話しかけてきた。
「それにしても、なぜ大樹は図書館で勉強を?」
「夏休み中ずっと家にいるなって、親に言われたんだよ」
「追い出された訳か」
「そっちは?」
「私は、自転車を漕ぐ大樹を見つけて、尾行しただけだよ?」
「つまりは暇ってことでしょ」
「まぁ、そういうこと。この学校でも友達出来そうにないしね」
頬杖を突き、前髪をいじりながら、小さくため息を吐く。
実際、綺月さんが僕以外の人と会話をしているのを、最近見かけていない。
彼女の親が原因で問題を抱えているのは、加佐野さんだけじゃないんだ。
「親の問題なんだから、綺月さんは関係ないと思うけどね」
「お、嬉しいこと言ってくれるね」
組んだ足を揺らしながら、彼女は頬にエクボを作った。
「でも、そんな風に割り切れるのは、大樹が無関係だからだよ」
作ったエクボが一瞬で消えると、綺月さんは眉を下げ、寂し気な表情になった。
無関係と言われれば、そうかもしれない。
ウチの父親は農協勤めだし、母さんだって役場で働いている公務員だ。
ショッピングモールが出来るんだ良かったねと語るだけの、いわば外野とも言える立場。
だからこそ、加佐野さんのように悲観する必要もない。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「……どうぞ?」
「実はさ、私、あの日のこと、廊下で聞いてたんだよね」
あの日のこと、つまりは夏休み直前の出来事を言っているのだろう。
「大樹、加佐野さんの告白、断ったでしょ? どうしてかなって、思って」
走らせていたペンを止めて、視線を彼女へと向ける。
「それに理由って、必要かな?」
「必要でしょ。だって告白だよ? しかも女の子からの」
「男からでも告白は告白だよ。断ったのは単純に好きじゃないから。それと、あの空気の中で告白するのって、ちょっと卑怯だとも感じたんだ」
「卑怯?」
「あの状態って、いわばフラッシュモブに近かったでしょ?」
「フラッシュモブって……ああ、あの皆でダンスしたりする」
「うん。加佐野さんの顔に余裕が見えたんだ。どう? 断れないでしょ? みたいな」
だからだろう、断った瞬間、加佐野さんは焦り「どうして」と言い始めた。
まるで断られる可能性がゼロだったみたいに、壊れたオモチャの如く連呼したんだ。
そんな彼女を周囲の女子が支え、やがて泣き出した加佐野さんを男子たちが慰め、僕はその場にいた全員から責められることになった。
結果、中学二年の夏休みだというのに、僕の予定は空白しか存在しない。
さらに言えば、誰にも会いたくないからという理由で、自転車まで確認してしまう有様だ。
「じゃあさ、もしラブレターとかで呼び出しして、それから一対一で告白とかしてたら、大樹も考えたかもしれないってこと?」
「それは結果論だと思う」
「だとしても、後学の為に知りたいな」
「後学の意味が分からない」
「後学っていうのはね、後で役に立つかもしれない知識を」
「それは知ってる。まぁ、考えたんじゃない?」
かなり適当な答えだったと思う。
でも、綺月さんは違ったんだ。
「そっか。大樹の攻略法、ゲットしちゃった」
花が咲いたような笑顔、先ほどまでの陰鬱とした何かが、全部吹き飛んだ。
僕の中の何かが熱を持つ、心と体が、熱い。
慌てて話題を逸らそうと、適当なことを口にした。
「と、いうかさ」
「うん?」
「あの話を聞いたのなら、もっと他に引っかかるとこあると思うんだけど」
例えば、親の問題でクラスメイトが泣いていた、とか。
頭のいい彼女は、僕の言わんとすることを秒で理解した。
理解したあと、また頬杖をついて足を揺らし始める。
「あー、私、自分のことはどうでもいいから」
「どうでもいいって」
「どうせ一年後には、この町にいないし」
とても冷めた感じで、彼女は言った。
「ショッピングモールのグランドオープン、来年の三月でしょ?」
「そういえば、そんな広告入ってたかも」
「だから、切りのいい中学二年の三学期の終わりで、また転校するんだって」
「転校? どこに」
「守秘義務だから、大樹にも教えられない」
彼女が転校することは、分かっていたことだ。
転校初日にも話題にしていたし、彼女からすれば、それはしょうがないこと。
だけど、突然すぎて、なんだかそれらが全然、リアルじゃなかった。
嘘だよって言いながら微笑んでくれた方が、まだ全然リアルだったと思う。
「今日一人でぶらついてたのもね、見納めの意味も込めてのことだったんだ。そしたら偶然大樹を見かけて、それで後を付けてみたの」
「見納めって、まだ半年以上はあるんでしょ?」
「そうだけど。でも、この町の夏は、もう見れないから」
机の上、神に祈るように手を重ねると、それに合わせて、言葉も小さくなった。
「学校始まったら、また窮屈だしね」
窮屈なのは、僕も同じだ。
加佐野さんの告白を断ってからというもの、僕は村八分に近い。
一クラスしかないのに全員が無視してくるのは、とても窮屈なんだ。
「なら、思い出を作らない?」
「思い出? 大樹と?」
「僕もずっと暇だし、それに少しでもこの町の思い出が良いものになればと、思うんだけど」
伝えた後、綺月さんは宝石のように瞳を輝かせる。
そんな彼女を見て、僕は自分が何を言っているのかに気付いた。
加佐野さんの気持ちが、理解出来る。
この状況でこのお誘いは、きっと断ることが出来ない。
同じことをしている。その事実に気付いた後、差し出そうとしていた手を引っ込めた。
「ごめん、出しゃばりだったね」
「え? ううん、全然、出しゃばりなんかじゃないよ?」
「いいよ、無理しないで」
「無理なんてしてないって。これまでこんなこと言ってくれた人いなかったから、素直に驚いちゃっただけ。というか、いいの? 私、これまでの付き合いで分かる通り、ちょっと変な女だよ? いきなり約束すっぽかすかもしれないよ?」
「それぐらいの方が自然でいいよ。むしろすっぽかされた方が話題になりそう」
「え、え、え、なんか急に楽しくなってきた! どうする? 何する!?」
綺月さんが机に手を置きぴょんぴょんした辺りで、図書館の人の咳払いが聞こえてきた。
休憩スペースと言えど、さすがに騒ぎ過ぎたらしい。
「ごめん、怒られた」
「別にいいよ。それじゃあ、何かご要望はある?」
「とりあえず美味しいお店行きたい! あとは花火大会も行きたい!」
どうやら、楽しい気持ちが抑えきれなくなると、綺月さんは声が大きくなるらしい。
またしても聞こえてきた咳払いにペロっと舌を出すも、それでも笑顔のままだ。
「大樹、ありがとうね」
「こちらこそ。残り半分、夏を楽しもうか」
「うん! めっちゃ楽しむ!」
三回目は、どうやら許して貰えないらしい。
司書さんにこっぴどくお説教された後、図書館を追い出されてしまった。
「これも夏の思い出だね」
にこやかに微笑む彼女と過ごす夏は、とても楽しくなるに違いない。
うるさい蝉の鳴き声も、どこか心地よく感じてしまうのだから。
次話『こうして、私の周りには誰もいなくなった。』
本日の夜、投稿いたします。