第二十八話 彼が背負ってしまった病
※加佐野天音視点
「セックス、しよっか」
その言葉が心からのものじゃないって、私にだって分かる。
大樹の目は私ではなく、前を歩いたカップルへと、向けられていたのだから。
周囲の羨望を浴びるその子は、昔の面影を残しながらも、大人へと成長を遂げていた。
(……楚乃芽ちゃん)
今も昔も、大樹の心は楚乃芽ちゃんだけだ。
彼女が転校したあの日からずっと、大樹は楚乃芽ちゃんだけを追い求め続けている。
私の告白も、思えば彼女がいたから。
大樹が取られると思って焦った結果、私は玉砕した。
もしも彼女がいなければ、私たちはきっと、もっと違う恋愛をしてきたんだと思う。
でも、彼女は私たちの町に現れて、大樹の心を奪っていった。
左手に込められた力の分だけ、大樹の想いが分かる。
彼からの愛情を、これだけの愛情を、楚乃芽ちゃんは受けることが出来るんだ。
とても、羨ましいと思う。
その愛情の欠片でいいから、私に向けてくれたら良かったのに。
「大樹」
でも、今は違う。
「いいよ」
汚れてしまった私だけど、それでも彼が求めてくれるのならば。
……こんなにも、嬉しいことはない。
途中、薬局へと行き、コンドームを購入した。
来年からは大学に行きたい、それを考えたら、妊娠はダメ。
ちょっと前、それこそ一昨日の私なら、それでもいいと思っていた。
だけど今の私は、大樹が目標をくれたから。
大学生になって、先生を目指す。
まだ、間に合うから。
夕飯を作る約束をした以上、作ってあげたいとは思っていたけど。
大樹を見るに、今日はそんなことよりも、早く家に帰った方がいいと思った。
早く帰って、セックスをした方がいい。
とても厭らしい言葉なのに、全然、厭らしさを感じない。
なんだか、義務的なものを少しだけ感じる。
治療……みたいな。
でも、きっとその治療は、大樹だけじゃなく、私の心も癒してくれる。
私にまとわりついた臭いも、ようやく消えるんだ。
「ただいま……って、私が言うのもおかし――――」
玄関を開けて入るなり、大樹が強引に肩を引き寄せて、唇を重ねてきた。
凄い力、逆らうことが出来ないほどに、力強く引き寄せる。
口の中に乱暴に入ってくる舌が、けれども丁寧に、私の中を舐めてくる。
舌の裏側へと入り込み、筋を舐め、唾を無理に流し込んでくる。
「んっ……」
大樹の唾なんだ、喜んで全部飲み干せる。
むしろ、一滴もこぼしたくない、あますことなく、全部欲しい。
「大樹……っ、はぁ……」
私も両手を彼の頬にあてがい、むしゃぶりつくように彼を求めた。
着ていたシャツを脱がされ、インナーの中に彼の手が入り込むと、一気に乳房を揉んだ。
下着の上、凄く、力強くて、でも、それが気持ち良くて。
「……?」
愛撫の海に体を委ねていると、大樹の攻めが止まった。
背中に回した手で、必死になってブラジャーを外そうとしている。
でも、しばらく待っても、ブラのホックは外れないまま。
(外すこと出来ないんだ……大樹、可愛い)
とても乱暴なキスに、私の胸が崩れてしまうほど強い掴み方だったのに。
繊細な部分が隠し切れない彼のために、私は自らブラのホックを外した。
「……ありがとう」
「どういたしまして、ふふっ、何それ、変なの」
「初めてなんだから、しょうがないだろ」
「いいよ、それよりも、ベッドに行こ」
上半身裸のまま、彼の手を取り、ベッドへと向かう。
玄関から数歩でベッド、この家、ラブホテルよりもベッドまでが近い。
寝ころんだ途端にむしゃぶりついてくる、そんな彼が、とても愛おしい。
いつか、心の底から私を求めてくれたらと、そう願わずにはいられない。
「大樹」
「……うん」
穿いていたパンツを脱ぎ、下着も全部脱いだ。
大樹の攻めに身を任せつつも、私もと、彼を求める。
(……あれ?)
だけどその時、私は異変に気付いてしまった。
大樹のが、全然勃起していない。
これが初めてだったら、そういうものなのかなって思えるけど。
残念なことに、私には経験がある。
だからこれが、普通の状態ではないということが、理解出来てしまうんだ。
「ちょっと、待ってね」
出来る限りのことをしてあげよう、そうすればきっと、大樹もその気になれる。
だから私は、知りうる限りの全てを、大樹にしてあげたんだ。
なのに、大樹のは勃起しなかった。
勃起しないどころか、どんどん小さくなっていってる気がする。
「……ごめん」
「緊張してると、出来ないって言うから」
「緊張しているつもりは、ないんだけどね」
「大樹……大丈夫だよ、また時間が出来たらしようね」
裸の彼を抱きしめながら、二人ベッドで横になった。
ずっと肌を触れ合わせていれば、きっといつの日か出来るはず。
そう信じながら、恋人のようにキスをして、彼の横で眠りについた。
それから二週間。
私は毎晩毎日大樹と肌を重ね続けたけど、大樹のは勃起しないまま。
朝も夜も、全く微動だにしないのだから、さすがにこれはおかしい。
「病気、なのかな」
落ち込む彼と共に、二人で病院へと向かう。
一通りの検査を行ってから、二週間後。
大樹に下された診断は〝心因性ED〟つまり、精神的なところから来る勃起不全だった。
過剰なストレス、プレッシャーやトラウマが原因であり、治療にはカウンセリングが必要とか言われたらしいけど。カウンセリングを受けたところで、彼がEDになってしまった原因なんて、ひとつしかない。そしてその原因は、今も大学にいる。
綺月楚乃芽。
彼女との失恋が原因で、大樹は心に傷を負ってしまった。
あの女が大学にいる以上、大樹の心が癒えることはない。
そんな彼に押しかけている私も問題かもしれないけど、でも、大樹は私のことを特効薬と言ってくれたし、私にとっても彼は特効薬なんだ。一緒に住まうようになってから不安はなくなったし、自傷行為もしていない。腕の傷は残っているけど、新しいのはひとつもない。
あの女がいなければ、私と大樹はもっと深く繋がることが出来たのに。
でも、だとしても、私が大樹に出来ることは、何もない。
出来ることは、迷惑を掛けずに、静かに彼の側にいることだけ。
大学での授業中、私は構内で一人、受験に向けての勉強を始めていた。
受ける大学はそこまでレベル高くないけど、勉強はしていないと忘れてしまうものだから。
地理や歴史、英会話や文法、数学もろもろ、頭の中から抜けちゃってる。
(一から覚えなおさないとかな)
そんなことを考えながら、空き教室の机で一人、勉強に励んでいたのだけど。
「お前、この大学の生徒じゃないだろ」
突然、教室にやってきた男に、声を掛けられてしまった。
これまでもナンパされたことはあったけど、大学の生徒じゃない宣言は初めてだ。
身構えるも、声を掛けてきた男を見て、違う感情が芽生える。
(この男)
背の高い優美さを感じさせる男、目にかかる程度の髪、いたずらそうな眼差しに、色黒な肌がよく似合う。普通に知り合っていれば、警戒すらしなかっただろう男だけど、私はこの男に見覚えがあった。誰でもない、綺月楚乃芽と一緒にいたのだから。
「別に、この大学は一般でも出入り自由のはずですけど」
「だからと言って、勝手に授業を受けるのはどうかと思うがね」
私が大樹と一緒に授業を受けていることを知っている?
どこかで見ていたのかな、やだな、気持ち悪い。
「別に、貴方にとやかく言われることじゃないですから」
「ああ、そうだな。俺だって部外者だからよ。人のことは言えねぇ」
言いながら、前の座席に座った。
「声を掛けたのも、アンタに用があってのことさ」
「私に用、ですか」
「ああ、率直に言っていいか? お前、俺に抱かれる気はないか?」
物凄いド直球な誘い文句に、一瞬我を忘れた。
我に返った後は、ただただ呆れるばかりだ。
せっかく大樹と一緒にいられるのに、なんでこんな男に抱かれないといけない。
(変なのに絡まれた、このまま荷物をまとめて帰ろう)
ぱたぱたと片付け始めるも、男は席に着いたまま。
「初めて見た時からずっと一目惚れしててさ、次見かけたら誘おうって決めてたんだよな」
「そうですか、ありがとうございます。でもごめんなさい、彼氏いますので」
「付き合ってるのか? そんな風には見えないけどな」
「付き合ってますよ、どんな風に見えてるんですか」
「逃げ場所を探してる、可愛い子猫ちゃんにしか見えねぇよ」
一体、何を言っているのやら。
(この男、綺月さんの彼氏、だよね?)
綺月さんの彼氏が、こうしてナンパ行為をしている。
このことを彼女が知ったらなんと思うのかな?
それに大樹が知ったら、少しは喜ぶのかな?
いや、大樹が知ったら、綺月さんとの寄りを戻すきっかけになっちゃうのかも。
じゃあ、教えない方がいい。
教えるのなら、綺月さんだけにしておこう。
……いや、それもなんか、嫌だな。
今の私を、彼女に知られたくない、かも。
次話『私という女』
明日の昼頃、投稿いたします。




