第二十七話 私の決断
※綺月楚乃芽視点
大樹のお母さん、神山樹里香さん。
前は無かったけど、今は眼鏡を掛けて、髪の毛を後ろで一本に縛っている。
当然だけど、お父さんと同年代、結構綺麗な人。目が合う前に、頭を下げた。
「ごめんね、大樹、いるにはいるんだけど、ちょっとね」
「あの、全部誤解なんだって、多分、聞いてくれれば分かる話だと思うんです。だから」
続きを言おうとした瞬間、大樹の叫び声が聞こえてきた。
それと同時に、何かを叩きつける音も。
家が揺れて、悲鳴が木霊する。
言葉が、止まる。
「……ちょっとだけ、いいかしら?」
「はい……」
家から少し離れ、樹里香さんは腕組みしながら頬に手を当てた。
「楚乃芽ちゃん、中学校二年生の時のこと、覚えてる?」
「中学校二年の頃……はい、覚えております」
「貴方に一方的に別れを告げられた後ね、大樹、不登校になったのよ」
「不登校、ですか」
そんなの、一言も聞いてない。
「知らなかったの?」
「……はい、全然、知りませんでした」
「もう、何も信じられないって言ってね。三か月ぐらいかな、部屋に閉じこもったまま出て来なくなったの。そんな大樹に手を差し伸べたのが、加佐野天音ちゃん……知ってるわよね?」
「はい、私も、下の名前で呼び合ってましたから。それと、最近のことも」
細かくは言葉にしなかった。
言わなくても、わかっていると思う。
樹里香さんは二階に視線をやった後、その目を私へと下ろしてきた。
「なら、話は早いかな。この短い間にウチの子は二回も裏切られたって感じなのよね。親としてはどんな事情があったにせよ、許せることじゃない。むしろ、大樹を思えば、真っ先にその事情を伝えるべきだったんじゃないのかしら? 誤解を与えるって、わかってたんでしょ?」
何も言えず、唇を噛みながら、頷く。
伝えなかった理由はあった。
大樹に伝えると、彼が不安がると思ったから。
でも、そんなのは言い訳に過ぎない。
「あまり、子供の恋愛に親が口出しをしない方がいいとは思うのだけど、あの様子を見ていると、私としても胸が痛くてね。強い子なのよ? 普段は怒りもしない、とても静かな子なの。マジメで機転が利いて、周りをよく見て動く子なんだけど」
目頭が、どんどん熱くなっていく。
大樹に謝りたい、ごめんねって言いながら抱きしめてあげたい。
「とにかく、今の今、大樹を貴方に会わせる訳にはいかないと思うの。多分、まともに話も出来ないだろうし、無理に話をしようとしても、どうなることか私にも分からない。時間が必要なんじゃないかな。落ち着いてから話をすれば、大樹も分かってくれると思うから、ね?」
「わかり……ました。突然の訪問、誠に申し訳ありませんでした」
「遠くから来たのにごめんね。これ、私の連絡先、大丈夫そうになったら連絡入れるからね」
お母さんの言うことを素直に聞いて。
私は、大樹の家を後にしたんだ。
帰り道、ずっと頭の中で、大樹の悲鳴が木霊し続けている。
一体、どれだけのことを、私はしてしまったのか。
(大樹……ごめんね)
スマートフォンで昔のやり取りを見ているだけで、ぽろぽろと涙が落ちてくる。
一緒にいたい、だけど、きっと今は、その時じゃないから。
「そうか……では、家はどうするのかな?」
自宅に帰り、私はお父さんへと、事情を説明した。
少なからず落胆しながらも、お父さんは建設的な意見を求める。
「変えたくない。今の大樹は、誤解しているだけだから」
「そうか、わかった。もう楚乃芽も大人だ、自分のしたいようにすればいい」
二人暮らしの家、家具とか大樹と決められたら、もっと楽しかったのに。
いつかは二人になる、そう想定した部屋作りは、思っていた以上に辛かった。
「広いな……」
3LDKの新居で一人、膝を抱えて静かに座る。
大樹が大学に合格していてもいなくても、この部屋に迎え入れたい。
一度手放してしまったのは、私の方なのだから。
大学の入学式、大樹の姿は無かった。
不合格だったのかなって不安になったけど、後日、必修科目の日、講義開始ギリギリの時間に、大樹は講義室に姿を現した。学校指定のノートパソコンと小さなリュックを背負った彼を見るに、合格したのは間違いない。
本当は隣に座りたかったけど、教授も登壇してしまっているし、席を立つ訳にもいかず。
講義を終えてすぐに追いかけようとしたけど、振り向いたら大樹の姿はもう無かった。
(バスケ部だったんだっけ。足、速いな)
状況としては何も改善されていない。
だけど同じ大学なのだから、いつかは会える日が来る。
そう信じて通っていたのだけど……嘘みたいに、履修登録がズレていた。
もしかして意図的にズラした? そう思えてしまう程に、大樹と会えない。
ならばと、登録していない日に、大学へと足を運んでみることにした。
大学に到着し、フラフラと探し求めていたところ。
(いた!)
思わず、声が出そうになるぐらいだった。
彼の方も私に気付いたのか、背を向けて猛ダッシュで逃げ始める。
(あんなに本気で逃げなくてもいいじゃない!)
さすがは元バスケ部、全然追いつける気がしない。
あっという間に見失うと、もうダメ、どこにも姿が無かった。
講義予定の講義室にも、空き教室にも、どこにもいない。
(無断欠席までして私から逃げるとか)
どれだけ嫌われてるのって、泣きそうになる。
しょぼくれながら、周りを歩くカップルを羨まし気に眺めた。
私だって、大樹と二人で仲良く講義を受けて、キャンパスライフ楽しむはずだったのに。
同棲して、二人で料理とか楽しんで、毎日楽しいはずだったのに。
なんでかな、どうしてこんなに上手くいかないのかな。
服の袖で涙をぬぐって、目を閉じ、ため息をひとつ。
「帰ろ」
誰の目も気にせず、ひとりごちる。
いつまでもここにいてもしょうがないし、これ以上大樹に迷惑を掛ける訳にもいかないし。
探すのも止めようかな、必修科目の時に、私が後から入ればいいだけだもんね。
切り替えよ、今日はお家に帰って、資料作成でもしようか――――いた。
ベンチに腰掛けている、大樹を見つけた。
慌てて駆けて、彼の名を呼ぶ。
「大樹!」
声を掛けると、彼は野暮ったそうに私を見上げた。
逃げない、でも、彼の前に誰かがいる。
「……行こ」
「え……」
見知らぬ女の肩を抱き寄せながら、大樹は歩き始める。
私に見せつけるように仲良さげにすると、女が大樹へと微笑みかけた。
その横顔を見て、女が誰だか気づく。
(天音ちゃん?)
間違いない、髪が伸びているけど、天音ちゃんだ。
でも、目にクマが出来ているし、両手だってまた包帯を巻いている。
化粧もしてないし、涙袋が腫れあがってるし、服装も何もかもが薄汚れているけど。
どうして彼女がここにいるのか、そして何故、大樹と一緒にいるのか。
直接聞いても、きっと大樹は答えてくれない。
なら、自分で調べるしかないんだ。
(……)
先を歩く二人に気付かれないように、探偵のように身を隠す。
天音ちゃんがいるからか、幸い、二人の歩行速度は遅い。
遠くから見ている分には、仲良さそうにしているけど。
大樹は天音ちゃんに裏切られているはずなんだ。
彼女は自ら浮気して、他の男に抱かれている。
これだけのことを、大樹が許すとは思えない。
駅に着いたところで、大樹はどこかへと電話をし始めた。
そして天音ちゃんから離れ、しばらくして、また二人歩き始める。
電車に乗り、何駅か通過したところで、電車を降りた。
その頃にはまた二人、仲良さそうに歩いて、そして、アパートの一室へと姿を消した。
(海が見える……こんな場所に、大樹は引っ越していたんだ)
遠くにある海を眺めながら、私は事情を伺うべく、大樹のお母さんへと電話を掛けた。
「突然お電話して申し訳ありません、綺月なのですが」
「あら、楚乃芽ちゃん? どうしたの?」
「あの、加佐野さんが大学に来ていて、大樹さんと仲良さそうにしていたので、何かあったのかなって、思いまして」
樹里香さんは天音ちゃんの一件も把握しているはずなんだ。
だからこれが、樹里香さんが承諾している話だとは思えなかったのだけど。
「ああ、それね。さっき大樹からも連絡あったんだけど、天音ちゃん、家出してそっちに一人で勝手に行っちゃったみたいなの。ご両親も止めようとしたんだけど、止められなかったみたいでね。……ほら、あの子、大樹に惚れてたくせに、浮気したでしょ? それがバレて、自殺未遂までしちゃったみたいなのよね」
「自殺未遂、ですか」
「そうなのよ、手首をグサーッてやったみたい。病院にも連れて行ったみたいなんだけどね。そんなことがあったからか、天音ちゃんのご両親も無理に止めなかったみたい。私から天音ちゃんのお母さんに今さっき連絡いれたところなんだけど、少しでいいから見てやってくれないかってお願いされちゃってね。大樹にも、それをお願いしたところなのよ」
「お願いって、大樹さんは大樹さんで大変なのですよね?」
「そうだけど、前に言った通り、大樹は以前、天音ちゃんに助けて貰ってるから」
「だから……今回は、天音ちゃんを助けるために」
「持ちつ持たれつって感じかな。私そろそろ仕事に行かないとだから、ごめんね」
「いえ、ありがとうございます」
「楚乃芽ちゃんも私情を抜きにして、良かったら天音ちゃん、助けてあげてね」
私が、天音ちゃんを助ける?
通話が終わったスマートフォンのモニターに映る私を、じっと見る。
モニターに映るは、疑念をあらわにした私だ。
(私が、天音ちゃんを? 大樹の部屋に今も二人でいるのに?)
私に何か出来るとは思えない、出来るとしたら、何もしないこと。
このまま二人に触れずに、一人で生活をすることだけだ。
「……」
それが、一番良いのかもしれない。
大樹には大樹の人生があるのだから、私の我がままを通すのは、きっと間違ってる。
この日を境に、私は大樹を探すことを止めた。
何もしないことが彼にとって一番なのなら、それに従うまでのこと。
「やっぱり、広いなぁ」
大きな部屋、ベッドに座りこむと、膝を抱えたまま、横に倒れる。
(ふぅ……)
昔、天音ちゃんが不登校になった時に、彼の背中を押したのは私だ。
自分が辛いのは耐えられるけど、他人が苦しんでいるのは耐えられない。
そんなことを、言った気がする。
「……私だって、耐えられないよ」
絞り出すように出した言葉は、誰の胸に届くことなく、藻屑となって消える。
誰の助けも来ないままに、ただ一人、それでも明日が来るんだ。
大樹もいない、友達もいない、たった一人の朝が。
「楚乃芽……大丈夫か?」
そんな、一番辛い時に、彼は声を掛けてきた。
「流星君」
「あれから全然連絡取れなくなっちまったから、どうなったのか心配になってさ。ほら、俺もう就職して、車運転できるから、大学までなら行けるなって思って……って、楚乃芽?」
頼ってはいけない。
わかってはいるけど、でも、少しだけなら。
私だって、誰かに頼りたくなる時が、あるのだから。
次話『彼が背負ってしまった病』
明日の昼頃、投稿いたします。




