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メンヘラ彼女との別れ方。  作者: 書峰颯


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第二十五話 強がりの果てに

 思えば、女性の裸体を生で見るのは初めてのことだ。


 今や検索すればモザイクなんて無視して画像が出てくる時代、全く見たことがないと言えば噓になる。


 でも、画面越しに見る裸体と、今こうして目の前にある裸体とでは、やはり違う。

 肉感や湿度、匂いや熱が、視覚と聴覚と嗅覚をフル稼働して伝わってくるんだ。


 天音の裸体は、素直な気持ちで言えば綺麗だった。


 中学生の頃はショートだった髪も伸び、大人びた雰囲気をまとった彼女は、他の部分も女性としてしっかりと成長を果たしていた。


 ふくよかな胸は隠されていた下着を失っても尚お椀状の形を保持し、細くくびれた腰つきはなまめかしく、さりとてお尻周りは大きくなく。また、中学校時代の陸上が作ったであろうふくらはぎや太ももの艶やかさは、男の視線を捉えて離さないものだ。


 何もなければ、裸の彼女がいることに喜びを覚えたことだろう。

 だけど僕は、そんな彼女の存在に気付いた後も、目を閉じ背を向けた。


 淫猥な情念を抱かなかった訳じゃない、僕だって男だ、それなりに性欲はある。

 でも、天音を見ても、その感情を抑え込めてしまう何かの方が、強かった。


「大樹……眠ったフリ、だよね」


 背中越しに声を掛けてきたけど、僕はそれに応えない。

 眠ったフリだと分かるのならば、それが何を意図しているのか、理解して欲しい。 


「あのね、そのままでいいから、聞いて欲しい、です」


 座った気配はない。

 立ったまま、天音は語り始める。


「大樹、覚えてるかな。私ね、高校の時、大樹からタオル、貰ったんだよね。香水付けていって、大樹につけるなって言われた時、なんだけど。それでね、あの時貰ったタオル、あれから毎日ベッドに敷きながら、眠るようにしていたの」


 ……。


「今日はね、そのタオル、持ってきたんだけど、キャリーケースから出さなかったの。だって、大樹の家だから。大樹の匂いに包まれながら眠るから、安心して眠れるって、思ってたんだけど」


 ……。


「でもね、眠れないの。大樹がいるのに、眠れないの。不安で心が圧し潰されそうになって、ドキドキが止まらなくて、悲しくなって、涙が出てきて、どれだけ目をつむっても、眠れないの」


 天音の声色が、震えている。


「だからね、私また、バカなこと、しちゃったみたい」


 バカなこと?

 振り返り、彼女を見てみると。


「天音、それ」

「ごめんなさい、部屋、汚しちゃった」


 左手首から血が溢れてる、それだけじゃない、何本もの傷が腕にあるじゃないか。

 リストカット、残る傷はためらい傷か。


「ごめんなさいじゃないよ、なんでこんな事したんだ」

「わかんない……わかんないの」


 とりあえず、治療しないと。

 これぐらいの出血なら、傷パッドで大丈夫か? 

 分からないけど、とりあえず貼って様子を見るしかない。


「大樹」

「腕、出して」

「大丈夫だよ、私、これぐらいなら」 

「いいから、一回シャワーで傷を洗い流すよ」


 傷が深いのか、血の色が黒いな。

 水で洗うと、痛むのだろう「ひぃ」と声をあげ、天音は全身を震わせた。

 傷の範囲が広いけど、傷パッドを重ねればなんとかなりそう。


「タオル、押し当てるよ」

「……うん」

「傷パッド貼るから、我慢してね」


 洗った傷口からはすぐに出血が走るけど、傷パッドを貼ることで血が溢れるのを強引に止めることが出来た。二枚、三枚と広く重ねることで、血の色も見えなくなり、やがて患部を中心に傷パッドが膨らんでいく。


「これでもう、大丈夫かな」

「……ありがとう、ごめんなさい」

「もし、痛みが引かなかったら、明日病院に行くからね」

「うん。……大樹、ごめんね」

「そんなに謝らなくてもいいし、それと」


 カーペットの上に座った天音は、きょとんとした瞳を僕へと向ける。 


「……早く、服、着てよ」


 見ないように視線を逸らして、目をつむる。

 手当の時だって見ないようにしたし、触らないようにしたんだ。

 天音の裸は、破壊力が強すぎる。


「あれ? ……あ、ごめんなさい」


 裸になっていたこと、気付かなかったのか?

 床に敷いた布団の上で着替えをすませると、天音はぺたんと、座り込んだ。

 無言で、僕は自分に掛けていた布団を持ち上げる。


「……大樹?」

「不安なんだろ、いいよ、一緒に寝ても」

「え……い、いいの?」

「ただ、絶対にしないよ。一緒に寝るだけね」

「う、うん。しない、大樹と一緒に寝れる、嬉しい……嬉しいよぉ」


 また泣き始めそうだったから、こちらに来るよう、天音へと手を伸ばした。

 差し出された手を握り締めると、彼女は僕のベッドへと、身体を忍ばせる。


(天音の手、思っていた以上にゴツゴツだな)


 子供の頃は、もっと綺麗な手をしていたような気がする。

 だけど天音は、自分が傷つく度に自傷し、特に自分の手を痛めつけてきた。 


 骨折もしていたし、傷だらけになって血が溢れるまで掻き続けていたこともある。

 度重なる心の傷が、彼女の手をここまで歪な形へと変えてしまった。


 その全てが、僕に関わることなのだとするのならば。

 少なからず、責任を負う必要が、僕にはあるのだろう。


「すー……、すー……」


 眠れないと言っていた彼女から、寝息が聞こえてきた。

 僕の手を握り締めながら、身体を丸めて、子供のように眠る。 


「……おやすみ」


 寝ている時くらいは、優しくしてもいい。

 繋がった左手はそのままにして、僕も仰向けになり、瞼を閉じた。


 シングルベッドで二人、静かに眠る。


 しばらくして目を覚ますと、真横には手をつないだままの天音の姿があった。

 遮光カーテンの隙間から差してくる日差しが、寝ている彼女を照らし上げる。

 僕の視線に気づいた彼女が、目を開けるとすぐに微笑み、そしてまた目を閉じた。


「……寝るの?」

「え? あ……あ、あ、そっか」


 繋がったままの左手を、天音は自分の頬へと摺り寄せ、笑顔を見せる。


「夢だと、思っちゃった」

「……夢じゃないよ」

「うん。夢じゃない……夢じゃないけど、このまま覚めなければいいのに」


 どうやら、繋がった手は、まだしばらく繋がったままらしい。

 部屋の時計を見るに、まだ六時半、アラームすら鳴っていない。


「じゃあ、もう一回、寝る?」

「え……でも、大学は?」

「今日は午後から、午前中は何も用事ないよ」

「そうなんだ」


 ぎゅっと、繋がった左手に力が込められる。


「大樹」

「なに?」

「寝顔、見てても、いい?」

「見ててもいいけど、寝ないの?」

「あー……、でも、大樹の寝顔見たいし、でも、一緒に寝るのも幸せだし」


 うーんうーん言いながら悩み始めた。

 しばらく待ったけど、答えは出ないらしい。


「別に、今日の夜だってあるんだし、したいことをしたらいいと思うよ」

「え、いいの?」


 体を起こすと、天音はつながったままの僕の左手を、両手で握り締めた。

 昔のように輝く瞳は、必要以上にキラキラだ。


「天音の両親からも、僕の母さんからも、天音を頼まれてるからね」

「そっか……私てっきり、今日中に迎えが来ると思ってた」

「どうやら、僕が天音に対する特効薬だと思ってるらしいよ」

「特効薬……それは、そうかも。ぐっすり眠れたし」

「僕としても、前に天音に助けて貰ってるしね」


 中学生の時と、状況は似ている気がする。 

 失恋し、全てに絶望したあの時と。


 今もまた、僕は失恋している。

 そして、天音が側に来た。


「だから、しばらくは、僕の側にいなね」

「……うん」


 互いに特効薬なのだろうね。

 彼女とのふれあいは、思えば、何よりも心地が良い。


 だけど、薬は使い過ぎると副作用を起こしてしまうから。

 気づけば僕たちは離れていき、そしてまた傷つき距離を戻す。


 運命という言葉があるのならば、きっと僕と天音は運命に見放されている。

 何もなければ、もっと最初から上手く出来ていれば、そう、思わずにはいられない。


「大学、付いてくるの?」

「うん。終わるまで待ってるから」

「そう……じゃあ、一緒に授業受けちゃう?」

「え? 出来るの?」

「こっそりとなら、大丈夫だと思うよ。少人数授業だと厳しいだろうけど、今日のは百人以上が受ける授業だから、多分平気。誰がいるのか、なんて、全然分からないよ」

「そうなんだ、じゃあ、行ってみようかな」


 昨日と違い、天音は可愛げのある服装を着込み始めた。

 黒のキャミソール風のインナーに、白いシャツを羽織る。

 下はスカートではなく、裾の方が広いタイプのパンツだ。


「出来る限り、女子大生っぽくしてみたよ」

「十八歳なんだから、っぽくしなくても女子大生にしか見えないよ」

「そうだけど、でも私いま、無職だから」

「来年には大学生、目指すんでしょ」

「うん。だから、今日は予行練習、かな」


 口元を隠しながら、天音は目じりを下げた。

 嬉しいが隠せない、そんな彼女と二人、坂を下りて、電車へと乗り込む。


 相変わらず、僕の左手は繋がれたまま、彼女の膝の上へと乗せられている。

 そのことを咎める人もいないし、誰が見ても幸せカップルにしか見えないのだろう。


 もういっそのこと、このまま天音と暮らせばいい。

 そんなことを考えそうになっている、自分がいる。

 そういう責任の取り方も、きっとあるのだから。


「本当に授業、出れちゃったね」

「だから言ったでしょ、大丈夫だって」


 講義を終えた後、天音と二人、大学の食堂へと足を運んだ。

 時刻は二時を過ぎている、昼の混雑は既にない。


「結構、美味しいね」

「ここの学食、一般の人も食べにくるレベルだからね」

「そうなんだ……あ、本当だ、ご年配の方とかもいるね」


 天音と二人、サンドイッチとポテトをつまみながら、朝兼昼のご飯を済ませる。


「それにしても、あれが大学の授業かぁ、なんか、無駄に興奮しちゃった」

「高校や中学と違って、なんか一方的な感じがするよね」

「うん、質問とか出来る雰囲気じゃなかった。全部あんな感じなの?」

「人によるかな。僕的には、今回みたいな授業の方が楽でいいけどね」

「大樹、あまり人と会話しないもんね」

「そうかな? でも確かに、誰かといるよりかは、一人の方が好きかも」


 テーブルの正面、対座している彼女の手が、僕の手に触れた。


「私は、大樹と一緒が一番好き」

「ありがと。そうやって素直に言われるの、思えば初めてかもね」

「そうだっけ? ……そうかな。うわ、そうなんだ」

「どうしたの?」

「私、もっと素直に大樹に甘えれば良かったんだ」

「そうかもね」 

「うわー、失敗した、私ずっと何やってたんだろ」

「さぁ?」

「うぅ……」


 甘えられたとしても、それが恋愛に繋がるかは、正直微妙だけど。

 天音は可愛いから、それだけで万人に愛されるのだろうけどね。


「そろそろ行こうか」

「え、もう帰るの? 授業は?」

「今日はこの一コマだけ、後は帰るだけだよ」

「えー、大学生は遊べるっていうけど、本当に時間あるんだね」

「提出物を作る時間は、高校や中学の宿題とは比にならないけどね」

「そっか、そっち方面に偏るんだ。大学って面白い」

「来年、合格できるといいね」

「……うん。同じ大学は、絶対に無理だけどね」


 悲しそうにするけど、その表情、昨日の天音とは雲泥の差だ。

 悲しみの中に、隠しきれない喜びが溢れている。

 精神的に落ち着いてきている、そう受け取ってもいい感じだ。


「じゃあ、行こうか」

「うん。今日は私が夜ごはん、作ってあげるね」

「本当? そうしてもらえると助かるかも」

「任せてよ、これでもちゃんと、花嫁修業はしてたんだから」


 誰のために、とは聞かなかった。

 いや、聞く余裕が、その時には無かった。


「大樹?」


 足を止めた僕の名を、彼女が呼んだ。

 繋がっている手、そこに力を込めたのは、僕の方だ。




「もう、流星君ったら」

「いやいや、楚乃芽の飯の方がレストランより美味いから」



 

 僕たちの前を、二人が通り過ぎる。

 眩しいぐらいに輝いたそれは、僕には見ることが出来なくて。


「天音」


 停止した思考のまま、僕は彼女へと言った。


「セックス、しよっか」

次話『㉖第二十六話 誤解』

明日の昼頃、投稿いたします。

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