第二十三話 勘違いと裏切り。
受験が終わり、合格発表までの期間は学校もなく、無駄に時間が余る。
そこで僕は、ふと思い立ち、サプライズをすることに決めたんだ。
「母さん、僕、ちょっと東京まで出かけてくるね」
「東京? 楚乃芽ちゃんとデート?」
「違うよ。楚乃芽と暮らす予定だけど、壮志郎さんに断られたら一人暮らししないといけなくなるから、その物件の下見にでも行こうかなって思ってさ。もう管理会社にも連絡して、予約も入れてあるんだ」
「あらそうなの? お母さんも一緒に行った方がいい?」
「僕だけで大丈夫だよ。ありがとう、行ってきます」
予約を入れたのは嘘じゃない。
でも、デートをしないって部分は嘘になるかも。
楚乃芽のバイト先、今日は午後から入っているはずだから、そこに客として向かう。
きっと驚く、そしてバイトが終わるまで待てば、また楚乃芽と一緒にいられるんだ。
(ふふっ)
自然と笑みがこぼれる。
サプライズプレゼントも用意したんだ。
小さいクマのヌイグルミ。
楚乃芽が喜べばいいのだけれど。
住居の内見を終えた後、僕は一人電車に乗り、楚乃芽のバイト先へと向かった。
(あれ? 楚乃芽、いない)
まだカウンターには付かない時間なのだろうか? それとも厨房内での作業だったのかな? でも、楚乃芽は基本カウンターにいるはずだから、単純に休憩時間なのかも。
店の入口付近から三十分ほど眺めるも、楚乃芽は出てこず。
もしかして休み? そう思い、僕はカウンターへと向かった。
「いらっしゃいませ、本日は店内でお召し上がりですか?」
「あの、えっと。今日、綺月楚乃芽さんって、いらっしゃらないのでしょうか?」
「綺月さん? ……ああ、少々お待ちくださいね」
カウンターの女の人、営業スマイルって分かる笑みを残すと、その場から外れてしまった。
その後現れたのは、僕よりも背の高い、同年代くらいの男の人だった。
ネームプレートを外している、もしかして、厄介客と思われたのかも。
「お客様、綺月に何か御用でしょうか?」
眉を波打たせ、強い口調で問われる。
接客とは程遠い接し方に、衆目が集まる。
「御用、という訳ではないのですが」
「困るんですよね、当店ではナンパ行為は禁止となっておりますので」
「すいません、でも、僕」
「それに彼女、俺の恋人なんですけど」
…………こい、びと?
固まっていると、先ほどの女の人もカウンターへと戻ってきた。
「そうなの、綺月さんに声かける人多くってね。渡会君とは一年以上、家族同士の付き合いもしてるっていうのに。これじゃあ堪らないわよね」
「まぁ、それだけ楚乃芽が魅力的ってことでもありますけどね」
「ふふっ、惚気ないでよね。この前だってお家デートしてたんでしょ?」
「店長、あんまり言わないで下さいよ」
「またまた、いいじゃない仲が良くて。そういう訳だから、諦めてちょうだいね。あんまりしつこいと警察呼ばないといけなくなっちゃうからさ」
楚乃芽に、恋人?
そんなの、一言も聞いたことがない。
それにコイツの苗字、いま、なんて言った?
「渡会」
「ん?」
「渡会……流星、ですか」
「え? ネームプレート外したのに、なんで俺の名前知ってんだ?」
渡会流星、楚乃芽の想い人の名前。
楚乃芽は僕だけじゃなく、渡会とも再会していたのか。
なのに、それを今まで、ずっと隠していた。
想い人と再会して、誘われて、同じ職場で働いている。
それってつまり、そういう意味、だよな。
――――裏切られた。
心臓が変な風に動き始めて、意識してないのに手が震え始める。
頭の中で変な音が響く、ぐわんぐわん音がして、とても煩い。
眩暈がして、胃液が出そうなぐらいに、気持ちが悪い。
「すいません、お邪魔しました」
「あ、おい、あんた、名前は?」
「……神山、大樹です」
「神山――――」
おそらく、コイツも僕のことを楚乃芽から聞いているのだろう。
何かを言おうとしていたけど、もう、何も聞きたくなかった。
楚乃芽も天音と同じだったんだ。
僕に隠れて、他の男と付き合えてしまう。
どうして、何も言ってくれないんだ。
なんで、ずっと嘘を言い続ける。
「うぐっ……ぐっ……」
涙が止まらない、悔しくて、悲しくて、ずっと、涙が止まらないんだ。
リュックの中に入れてあったスマートフォンが、鳴動している。
画面を見たら、楚乃芽からの着信が、表示されていた。
「――――ッ! うるさいんだよッ!」
僕はスマートフォンを地面に叩きつけて、踏んづけて、破壊した。
衆目を浴びるけど、そんなの、気にもならない。
新幹線に飛び乗った後も、ずっと泣き続けたんだ。
もう、恋愛はしたくないって、そう、誓いながら。
「大樹、楚乃芽ちゃん、来てるけど」
「いいよ、会いたくない」
「そう……何があったのかは知らないけど、東京から来てるんでしょ?」
「どうでもいいよ、早く追い返して」
「……わかった」
泣いて帰った次の日、楚乃芽は僕の家を訪ねてきた。
でも、話し合う余地なんて、どこにもない。
浮気をしていたんだ、それも一年以上も。
いや、僕が浮気相手だったんだ。
それはつまり、楚乃芽も浮気をできる女、ということだ。
再会した時に、あれだけ嬉しかったのに。
(くそっ……)
思い出すだけで、悲しみと怒りが込み上げてくる。
再会しなければ良かった、あの日、渋谷にさえ行かなければ。
全身がむず痒い、気づけば柱に頭を打ち付けてしまう。
「うああああああああああぁ!」
もう、何も考えたくない。
何も、したくない。
「大樹、あんたK大合格したって! 凄いじゃない!」
皮肉なことに、大学には合格してしまっていた。
自己採点的にも合格点だったのだから、別に嬉しくも何ともない。
それ以上に、あの女と同じ大学になってしまうことが、心の底から嫌だった。
「母さんも、大学って出てるんだよね?」
「ええ、父さんもね。それがどうしたの?」
「入学式って、出ないとダメなのかな?」
母さんの顔が、一瞬曇った。
「別に、出なくても大丈夫だと思うけど」
「じゃあ、入学式には出ないで、必要な書類だけ後で貰いに行くね」
「わかった。ねぇ、大樹」
「ん?」
「無理、しないでね」
心配を絵にかいたような顔。
だから、僕は自分の口端を意図的に下げた。
「ありがと、無理はしないよ。もう、自分の為だけに生きることにしたから」
作り笑いだって出来るようになったのだから、もう、大丈夫。
内見した家は、楚乃芽と住む予定だった家よりも、遥かに遠い。
でも、それよりも遠くにしたかった。可能な限り、遠くへ。
一流大学だけあって、構内は広く、楚乃芽を避けるには最適な環境だった。
同じ部屋の空気だって吸いたくない、彼女が大学を辞めてしまえばいいのに。
そんなことを考えながら学校へと向かい、そして今日も、楚乃芽の姿を見つけた。
彼女と目が合った瞬間、踵を返し、外へと出る。
(必修科目ではないし、別に出席しなくてもいいか)
構内にあるベンチに腰掛けて、バイトでも入れるかとスマートフォンを手に取る。
最近始めた派遣のバイトは、隙間時間を潰すのに最適だった。
引っ越しの手伝い、コンサート会場の設営、販売員、売り子。
誰でも出来る簡単な仕事は、頭を空っぽにするのに丁度いい。
(お昼からのレストランのウエイターか、今日はこれでいいかな……ん?)
視線を感じる。
あの女が追いかけてきたのかと思って身構えるも、違った。
「……大樹」
大きなキャリーケースを転がしながら現れたのは、地元にいるはずの天音だった。
両手に包帯を巻き、やつれた顔をした彼女は、僕を見て瞳を潤ませる。
「あのね……私、その……」
洗っていないであろう伸びた髪は、皮脂で汚れ、フケが浮かびあがる。
僕を見る怯える眼差しは、以前とは違い、自信の欠片も見えやしない。
服装だけはそこら辺にいる女子大生と変わらないけど、雰囲気が全然違う。
以前とは比べ物にならないぐらいに、傷つき、ダメになっていた。
(関わりたくないな)
無視して、立ち去ろうと思ったけど。
「大樹!」
また、名前を呼ばれた。
今度は本命、僕を追いかけてきたであろう、楚乃芽だ。
慌てて走ってきたのか、彼女の頬を汗が伝う。
「……行こ」
「え……」
ベンチから立ち上がり、目の前にいた天音の肩を抱き寄せる。
「キャリーケース、重かったでしょ? 僕が持つよ」
「う、うん。大樹、私、あの」
「いいよ。このまま家に行こうか」
「え……う、うん!」
天音の存在は、ある意味丁度良かった。
奇跡的タイミングと、言っても良いくらいに。
次話『望まない二人暮らし』
明日の昼頃、投稿いたします。




