第二十二話 儚くも短い、幸せな時。
時は流れ、二月中旬。
迎えた受験当日。
「大樹、お待たせ」
試験当日、僕は試験会場の駅にて、楚乃芽と待ち合わせの約束をした。
白い息を吐き、大きなマフラーから顔を覗かせると、彼女は目を細めながら微笑む。
「楚乃芽……それ、高校の制服?」
「だって、制服で受験した方が合格できるって、ネットに書いてあったから」
革靴に紺色ソックス、膝下のスカートの上はダッフルコート。
三年間着込んでいたと思われる制服姿の楚乃芽に、僕は何度目かの一目惚れをした。
空いていた右手で、大げさに自分の目頭に手を当てる。
「どうしたの?」
「楚乃芽の制服姿が見れて、嬉しくて」
「やだな、こんなの、いつだって見せてあげられるし」
「だって、見れないと思っていたから」
「だからって泣くことある? ほれほれ、女子高生になった私ですよ?」
袖口を握り、ぱたぱたと彼女は僕の前で小躍りする。かわいい。
「もうちょっとで終わっちゃうのか」
「女子高生の賞味期限は短いからね」
「楚乃芽と、もっと甘酸っぱい高校生活を送りたかったな」
「意外と、秒で別れてるかもよ?」
「それは、ちょっと嫌かも」
ぽんっと、背中を叩かれた。
「さて、そろそろ行こ」
「うん。絶対、合格しようね」
「当然、二人一緒にね」
K大の受験は、想像以上に難しかった。
だけど、何とかなるっていう手ごたえは、確かにあった。
数学が基本、英語、それに小論文、合格ラインは超えていると思う。
「最低合格点が二百四十二点だったっけ?」
楚乃芽と二人、テストを終えた後、ファストフード店にて答え合わせをする。
「去年はね。多分、合格ラインには到達していると思うけど」
「私は小論文次第かなぁ? うぅ、時間無くて焦っちゃったよ」
自己採点を見るに、楚乃芽もいけそうだけど。
開いていたノートを閉じると、彼女は声高々に宣言した。
「うん、もう終わったし、今日は考えるの止める!」
「それがいいよ。考えてもキリがないしね」
「そうそう、大樹がいるんだし、デートに行かないとね!」
楚乃芽は無邪気に、そしてとても大胆に僕を誘ってくれた。
「このまま横浜で遊ぶのがいいんだろうけど、どうしよっか?」
「僕の乗る新幹線が東京駅夜八時だから、楚乃芽の地元とかでも大丈夫だよ」
「ほんと? じゃあ、あそこ行こうか、日本一高い場所」
「スカイツリー? 混んでるんじゃないの?」
「出来て結構経つからね、もうそんなに混んでないよ。それに下はショッピングモールみたいになってるから、デートするにぴったりな場所だと思うよ?」
「楚乃芽は、何回か行ったの?」
「うん。友達に誘われて、一回だけね」
「そっか、じゃあ、案内任せようかな」
「任されました。よし、それじゃあ行こっか」
荷物をまとめ始めた楚乃芽へと、僕は何気なく質問してしまった。
「ねぇ、楚乃芽」
「なに?」
「その友達って、男?」
なぜ、こんな質問をしたのか。
楚乃芽はまとめていた荷物を戻すと、テーブルの上に両手を組んで、そこに顔を乗せた。
「男だったら、行きたくない?」
「……出来ることなら」
「そっか、じゃあ違う場所に……なんて、する訳ないでしょ。私、これでも高校三年間で一度も彼氏とか出来たことないからね?」
「そうなの? 楚乃芽、可愛いし美人なのに?」
「ありがと。誘われることは多かったけどね、全部断ったんだ」
楚乃芽が意地悪に微笑むと、テーブル下で彼女の足が僕の足にツンツンと触れる。
「私、なんて言って断ったと思う?」
「ちょっと、想像出来ないかも」
にまーって、楚乃芽の口端がどこまでも下がっていく。
「神山大樹って名前の彼氏がいますって言って、断ったんだよ」
「……別れたのに?」
「うん、別れたのに」
「どうして?」
「どうしてだろうね」
この感じ、多分、嘘じゃない。
ううん、楚乃芽は嘘をつくのが下手な女の子なんだ。
だから、本当に楚乃芽は僕の名前を出したに違いない。
「じゃあ、行こ、遅くなったら大変でしょ?」
「うん。楚乃芽、変な質問に付き合ってくれて、ありがとうね」
「いいよ。大樹が束縛強いの、結構前から気づいてたからさ」
「束縛、強いかな」
「うん。でも、それが心地良いから、別に気にしなくていいよ」
束縛が強い、言われてみれば、そうかもしれない。
なんでかな、常にどこか不安を感じてしまう。
多分、それが原因なのだろうけど。
スカイツリーの展望デッキ。
日が沈み、夜景となった景色を前にしても、僕は考え続けてしまっていた。
「あまり、楽しくなかった?」
「ううん、凄い景色だし、ずっと楽しかったよ」
「だけど、あんまり乗り気にはなれなかった、そんな感じだよね」
図星だ、せっかくの楚乃芽との一日なのに、どこか心が曇っている。
試験も上手くいったし、全部上手く行っているのに、警鐘が鳴りやまない。
「多分だけど、大樹は自分が思っていた以上に、ダメージを受けていたのかもしれないよね」
「ダメージ?」
「加佐野さんの件。だって、浮気されてたんでしょ?」
いろいろと気になっていたのだろう。
天音に関しては、楚乃芽から質問され、全てを答えている。
それに関する楚乃芽の返事は「最低だね」の一言だった。
「浮気もされたし寝取られもしたのだから、傷つくなって方が無理だよ」
「別に、僕と天音は付き合っていた訳じゃ……」
問答無用、楚乃芽は両手を広げると、僕へと抱き着くようアピールをした。
僕はというと、それに素直に従い、彼女の首筋に顔を沈める。
「疑い深くなって当然、普通なら泣いてもいいぐらいなんだからね?」
「泣くほどのことじゃ無かったかな。だって、心の中に楚乃芽がずっといたから」
「私も、心の中には、ずっと大樹がいたよ。だから、いつか会えるって信じてた」
「僕も……必ず再会出来るって、信じてた」
人目も気にせず抱きしめあうと、心が、どこまでも落ち着いていく。
不安や焦り、悲しみや妬み、嫉妬的な感情が、どこまでも薄まっていくんだ。
「じゃあ、そろそろ下に降りよっか」
「うん。早く、楚乃芽と一緒に暮らしたいな」
「私も、大樹と一緒になりたい。でも、まずは合格しないとだよね」
「ああ、そうだった。なんかもう、すでに合格した気分になっていたよ」
「それは気が早いなぁ。さすが大樹、自信家だね」
「そういう訳じゃ……ねぇ、楚乃芽」
「もう、今日一日で何回名前を呼ぶの?」
「愛してるよ」
それは、自然と口から零れ落ちた言葉だ。
突然の告白に、楚乃芽は言葉を途切れさすも。
「私も、愛してるよ」
すぐさま返事をし、そして前を向いて歩き始める。
「楚乃芽」
「なに?」
「こっちを向いてよ」
「今はダメ」
「どうして?」
「ダメったらダメなの」
「楚乃芽……ふふっ、可愛いね」
「もう、あんまりからかわないでくれる? 慣れてないんだからさ」
楚乃芽と過ごす時間は、とても楽しくて、とても、あっという間過ぎて。
気付けば新幹線のホーム、定刻通りに出発を待っている新幹線が、僕の乗車を待っていた。
「じゃあ、またね」
「うん、次に会う時は二人で物件、見に行こうね」
「それと、お父さんに話もしに行かないとだよね」
「うん。そこは、大樹に任せるからね」
「そうだね……なんか、結婚する前みたいだ」
「そうかもよ? あ、そろそろ出ちゃう……大樹」
別れ際、彼女は両手を後ろにすると、顔を上げ、唇を少しだけツンとさせた。
目を閉じた彼女の両頬に触れながら、僕は彼女の唇と、自分のそれを重ねる。
一回だけ重ねると、遠慮気味に離れて、照れ隠しに笑う。
「ありがと、またね」
「うん……楚乃芽、愛してるよ」
「私も、愛してる」
閉まる扉、動き始めた新幹線は、秒で彼女との距離を広げていってしまう。
ほんの一分前までは側にいたのに、今はもう、手を握ることさえ出来ない。
たくさんの電話やメッセージのやり取りをしても、やっぱりそれは違うんだ。
離れたばかりだけど、もう、会いたい。心の底から、そう思う。
積もり積もった気持ちが、行動に移るまで、時間はいらなかった。
楚乃芽に会いに行く。間違いのない愛を、確かめるために。
次話、高校生編最終話『勘違いと裏切り』
明日の昼頃、投稿いたします。




