第二十一話 負け犬の遠吠え
あそこまで言う必要はなかったのかもしれない。
だけど、僕自身が悪役になる必要が、絶対にあった。
天音は僕に依存している。
それも、緑谷君という代役を見つけても、変わらない程に。
「神山、ありがとうな」
天音が走り去った後、彼は僕へと感謝を述べた。
「別に、感謝なんていいよ。それよりも、大変なのはこれからだよ?」
「大丈夫、天音には俺がついてるから。安心して任せて欲しい」
いろいろな含みを込めての言葉だったのだけど。
緑谷君は軽口とともに、自分の胸をドンと叩いた。
昔の僕の役目を、彼は果たすことが出来るのか。
一抹の不安はあったものの、もう深入りするつもりは、微塵もなかった。
それからしばらくして。
教室では、学校に来なくなった天音のことを、悪く言う声ばかりが耳についた。
――自業自得だよね。
――浮気女に制裁を加えたんでしょ? 見てた人いたらしいよ?
――神山君、やる時はやる男だったんだね。
お節介焼きの人たちの中で、天音は完全に悪者扱いされていた。
浮気をしていたのだから、許される話ではないのであろう。
そして、お節介焼きの人達の牙は、間男である緑谷へも、向けられる事となった。
――あいつ、なんで普通に学校に来てるわけ?
――彼女が学校に来なくなったんだから、面倒見に行けよな。
――来年には子供が出来たりして。十代で妊娠とか、ウケる。
浮気不倫という名のスキャンダルが表沙汰になってしまった場合、された側は徹底的に庇護され、した側は徹底的に加害者として攻撃される事となる。ましてや緑谷は完全なる悪として噂され、目に見えない形でのイジメや陰口が後を絶たなかった。
秋を過ぎ、冬が訪れるころ。
昇降口に姿を見せた緑谷は、僕にこう告げた。
「神山、俺、学校来るの辞めるわ」
疲れ切った顔、毎日の攻撃がどれだけだったのかは、僕には分からない。
「そう。天音はどうするの?」
我関せずの一歩手前。
お前なんかどうでもいいの極地の言葉を、彼へと投げかける。
「俺が行っても、顔を見せてもくれねぇんだ。最近だと親御さんが出てきて、もう来ないでくれって言われてさ。俺が近づいたせいで、天音はお前と別れる羽目になったんだって、怒鳴られちまってよ。完全に悪役、もう、関係の修復とか、そういう次元の話じゃねぇんだ」
下駄箱から革靴を取り出して、上履きと履き替える。
振り返り見てみると、緑谷は下駄箱に寄りかかりながら、俯き、体を震えさせていた。
「どうして、俺じゃ、ダメなんだろうな」
泣きそうな声、震える喉を抑えながら、彼は自分の腕を握る。
そんな彼とは裏腹に、僕の感情はどこまでも冷静で、冷ややかなものだった。
「周りの意見を聞くに、彼氏がいる女に手を出す時点でダメ、ってことらしいよ」
「んなこと、言われたってよ」
「それと、申し訳ないんだけど」
おかしくって、自分の口端が上がってしまう。
「……なんだよ?」
「僕、高校卒業と同時に、天音とは別れるつもりだったんだよね」
うっすらと、緑谷の表情から血の気が引いた。
「……それ、マジかよ」
「うん。引っ越すからね。緑谷君がいようがいまいが、別れるつもりだったよ」
「お前……それじゃあ俺、一体何のために、いま、こんな状況になってんだよ」
高校卒業を待ってから告白していれば、傷心の天音が緑谷君に全てを委ねていた。
そんな未来もあったのかもしれないけど、時すでに遅しだ。
「悪役になってくれて、ありがとうね」
「――――ッ!」
浮気の引き金である間男への復讐。
そう思われてもおかしくない僕の言葉が、彼の理性を飛ばす。
緑谷君の拳が頬に叩き込まれると、僕の身体は下駄箱へとぶつかった。
衝突音が響き渡り、周囲にいた生徒たちが一斉に声を上げる。
「お前のせいで、全部お前のせいで!」
馬乗りになり、彼は僕へと拳を振り下ろし続けた。
反撃はせず、必死に防ぎ続けていると、先生たちが彼を引きはがす。
「緑谷、お前、何やってんだ!」
「うるせぇ! 全部神山が悪いんだよ!」
「だからって、殴って良い訳があるか!」
「ちくしょう、ちくしょうがあああぁ!」
暴力は、ある意味、全てを解決してくれる。
完全に被害者だった僕は、特に何を言われるでもなく。
対して緑谷は、宣言通り登校しなくなり、そのまま姿を消してしまった。
警察の介入もあったらしいけど、僕は被害届を出さなかった。
一番の理由は面倒臭いから、それと、もう関わりたくなかったから。
「被害届を出さないでくれて、ありがとうございました」
緑谷のご両親が謝罪しに来たらしいけど、僕は顔を出さなかった。
代わりに両親が謝罪を受け、お菓子を貰っていた。それと、若干の金銭も。
いろいろなごたごたがあったものの、ようやくこれで、身辺整理が出来た。
これで、受験に専念できる。
(天音の両手、きっと酷いことになっているのだろうな)
珍しく、僕は夜空を見上げながら、天音のことを考えていた。
彼女の誕生日星座すら、知らないというのに。
次話『儚くも短い、幸せな時』
明日の昼頃、投稿いたします。




