第十九話 奇跡の再会と、変わらぬ二人の想い。
渋谷一〇Qを出ると、既に空は赤く染まり始めていた。
大学を出たのがお昼過ぎだったとはいえ、長居しすぎたのだろう。
上から下、更には下着まで吟味していたのだから、当然と言えば当然なのだけど。
変わらない人混みの中、天音は露出している自分のお腹をさする。
「ちょっと、お腹空いちゃった。渋谷のハンバーガー屋さんなら、地元と変わらないかな?」
「多分ね。疲れたのなら、少し寄って休憩する?」
「うん。そしたら帰るのか……嫌だな、もっと今日が長ければいいのに」
「なんか今日の天音、すっごい甘えん坊じゃない?」
何かあった? そう思わずにはいられない。
この前の香水の時だってそうだ、あんな行動を取るなんて思いもしなかった。
まるでアレは、僕への告白に失敗し、不登校になった時に近い。
緑谷との間で何かがあったと、考えるのが妥当なのだろうけど。
質問の返事をせず、天音は物珍しさに前方を指さしする。
「うわ、なにあれ、地下一階から四階までハンバーガー屋さんの看板あるよ」
「さすがは渋谷って感じなのかな……結構、中も混んでる」
「あ、私、先に席取ってくるね。フィレオフィッシュのセット、飲み物ウーロン茶でお願い」
「わかった、後で何階か教えてね」
「うん、Lime送るね」
ぱたぱたといなくなった天音を見送ると、僕は混雑する列へと並びこんだ。
どこが先頭なのか分からないレベルの列だったけど、自然と形になり、十分程でカウンターへと到達する。
アプリのクーポンを使おうと、スマートフォンへと視線を落としていると。
「いらっしゃいませ、本日は店内でお召し上がりでしょうか?」
声を聞き、自分の耳を疑った。
(嘘だろ?)
メニュー表から顔を上げ、僕は彼女へと問う。
「……楚乃芽?」
ネームプレートを見ると、そこには間違いのない、綺月楚乃芽の名前があった。
どうしてここに、なんで彼女がバイトなんか。
いろいろな思考が逡巡するけど、その全てが濁流となって消え去っていく。
「……大樹?」
四年ぶりに再会した彼女は、一瞬で僕を思い出し、そして、瞳に涙を浮かべた。
このまま時間が止まって欲しい。
積もる話が、言いたいこと、聞きたいことが、山ほどあるのだから。
だけど、現実はそうはいかない。
後ろには行列が出来ているし、何より彼女は仕事中だ。
だから、伝えなきゃいけないことを、一番に伝える。
「僕、K大を受験するんだ」
「え、私も、K大」
「ホント?」
「うん」
楚乃芽も同じ大学を目指していた。
なら、合格すれば、僕たちはまた同じ学校に通えるようになる。
嬉しさが、歓びが止まらない。
(連絡先……そうだ、連絡先を交換しないと)
慌てて鞄の中に入れておいたスマートフォンへと手を伸ばすも、突如それは振動し、画面に加佐野天音の名前と共に〝三階にいるからね〟というメッセージを表示させた。
天音に楚乃芽の存在を知られる訳にはいかない。
傷だらけの天音の手、香水の件が脳裏をよぎり、僕の動きを止めた。
「大樹」
楚乃芽はドリンクと共に、一枚のメモ紙を、僕へと手渡してくれた。
「楚乃芽、これ」
「飲み物は、注文しない大樹へのサービス」
「……あ、そっか、注文、してなかった」
「それと、そのメモ紙、絶対に無くさないでね」
ニッコリとスマイルを僕へと送ると、楚乃芽は後ろに並ぶ客へと声を掛けた。
混雑する店内を抜け、僕は一人、手渡されたメモ紙へと目を落とす。
(これ、楚乃芽の番号)
顔を上げると、僕の視線に気づいた楚乃芽は、笑みだけを僕へと送ってくれた。
変わらない想い、別れを選んだのだって、嫌いになったからじゃない。
相手を一番に考えての別れだった。
あの時はまだ、中学二年生だったから。
楚乃芽の想いを知った僕は、歓びと共に三階へと向かう。
「え、大樹、私の飲み物だけ買ってきてくれたの?」
「え? あ、ごめん、注文忘れちゃって」
咄嗟についた嘘だったけど、天音は頬杖を突きながらも笑みを浮かべてくれた。
「だからって自分の分まで忘れるってことある? あ、わかった、私の忘れちゃったから、自分のも注文しなかったんでしょ? 大樹ってそういうところあるもんね」
「ま、まぁ、そうだね。ごめん、もう一回買いに行ってくるよ」
「うん。ここ混んでるし、席取られたら嫌だから、ここにいるね」
「本当ごめん、ちょっと待ってて」
「にひひ、いいよ。フィレオフィッシュのセットだからねー」
天音が席に残ってくれることは、むしろ良いことだ。
きっとまだ、楚乃芽はカウンターにいるはず。
また楚乃芽に会える、そう思いながら、階段を下りたのだけど。
(あれ? 楚乃芽、いない)
残念なことに、楚乃芽の姿はカウンターには無かった。
代わりに入っているのは、僕たちと同年代くらいの男の人だ。
休憩中……ならば、会えるのではないか? とも考えたけど、この混雑する店内で仕事をしているのだから、休憩中はちゃんと休んだ方が良い。
結局僕は、注文だけを済ませると。
天音の待つ三階へと、向かうのであった。
新幹線へと乗り込み、二時間を掛けて、僕たちは地元へと帰ってきた。
駅から自転車に乗り、僕は彼女の家へと、送り届ける。
時刻は既に夜の九時を回っている。
予定通りとはいえ、女の子を一人にはさせることは出来ない。
シャッターが閉まり、お店の看板が撤去された家の前で、天音は微笑む。
「今日、とっても楽しかった。大樹、家まで送ってくれてありがとうね」
「うん。ねぇ、天音」
「なに?」
「僕のこと、好き?」
「うん。一番大好き」
「なら……」
ならばなぜ、緑谷のことを一言も僕に相談してくれなかったの?
そう思うも、彼女の両手を見て、僕は言葉にするのを辞めた。
「ううん、また、どこかに行こうね」
「うん。大樹と一緒なら、どこにでも行きたい」
どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。
分からないままに、僕はその日、天音と別れ、一人家路についた。
(ふぅ……)
風呂を済ませ、片付けを終えると、僕は楚乃芽からのメモ紙を手に取る。
スマートフォンに番号を打ち込み、通話をタップし、耳に当てた。
数回コールするも、楚乃芽は出ず。
次第に脈打つ心臓を抑えながら、僕は彼女が出るのを待った。
「……もしもし」
十コール目くらいで、彼女は電話に出てくれた。
「あ、楚乃芽、僕、大樹だけど」
「うん、わかるよ。電話、くれないのかと思っちゃった」
「ごめん、地元まで帰ってたから、遅くなった」
「そっか……それにしても、ビックリしたね」
「うん、ビックリした。まさか楚乃芽がバイトしてるなんて思わなくて、本当に」
スマートフォン越しに聞こえてくる彼女の声に、耳が癒される。
ベッドの上に膝を立てて座り込んで、ぎゅっと、耳に押し当てた。
「バイトはね、人に誘われて始めたんだ」
「そうだったんだ、結構、長いの?」
「長くは……ないかな。でも、一年くらいは続けてる」
「一年? それは充分長いよ」
「そうかな? ふふっ、そうかもね」
「一年か、一年ってことは、その間、転校も引っ越しもしてないってこと?」
「うん。転校はね、お父さん偉くなったから、もうしてないんだ」
「それ、ホームページ見たよ。壮志郎さん、取締役になったんだね」
「うん。あ、でも、大樹の学校を転校してからも、一回は転校したんだよ?」
「そうだったんだ、中学三年で転校って、大変だったね」
「慣れてたから、そうでもないかも。高校も近くを選んだだけだし」
「高校に入ってからの転校は?」
「高校に入ってからは、一回も転校してないよ」
「へぇ……部活は、何をしていたの?」
「それがね、最初の一年間は、どうせ転校するんだろうなって思って、入部しなかったんだ」
「それは、もったいないことをしたね」
「本当にね。二年生になってから、転校しないってことを知ったの。でも、それから入部してもって感じでしょ? だから、社会勉強の為に、バイトをすることにしたんだ」
「いつも、あそこでバイトをしているの?」
「ううん、今日はヘルプで行っただけなの。もう行きたくないって思ったけどね」
「凄かったもんね」
「本当、信じられないくらい忙しかったよ。どれだけ対応しても人がいなくならないの。一体みんなどこから来たの? って、問いただしたくなっちゃうくらい、人だらけだった」
「本当、お疲れ様」
「ありがと。久しぶりに大樹の声聞けて、本当に嬉しい」
僕も嬉しくて、きゅっと、体を縮こまらせてしまった。
「今日ってあれでしょ? K大のオープンキャンパスだったんでしょ?」
「うん、楚乃芽は行かなくて良かったの?」
「本当は行く予定だったんだけど、私は別日にしたの。最悪、行かなくても大丈夫だしね」
「まぁ、あくまで体験が目的だからね」
「それに、行かなかったお陰で、大樹と再会できたし」
「……うん。ねぇ、また、二人で会えたりしないかな?」
「でも、大樹の家からだと、遠すぎじゃない? お金、もったいないよ」
「もったいなくてもいい、僕、楚乃芽に会いたいよ」
「ありがと……大樹、変わってないね」
「変わってないよ、中学二年のあの日から、僕は何も変わってない」
「大樹……大樹はまだ、天体観測、続けているの?」
「うん、楚乃芽に教わってから、夜空を見上げる回数が増えてるくらいだよ」
「じゃあ、同じ夜空を、見上げていたのかもしれないね」
「うん……楚乃芽、僕」
「でも、ダメだよ。それに、同じ大学受けるんでしょ?」
「うん」
「なら、勉強頑張らないと。K大はそんなに簡単じゃないよ?」
「……そうだけど」
「大樹」
どうにもならない思い、抑えきれない感情を抱いていてのは、僕だけじゃなかった。
「じゃあ、大学合格したら、私と一緒に住もっか」
「……え、え!?」
「今の家からはね、大学、ちょっと遠いんだ。通えなくはないけど、あの電車でしょ? だから、お父さんにお願いして、私、大学生になったら一人暮らしする予定だったの。その家に、大樹も一緒にどうかなって」
心臓が、飛び出しそうになった。
「い、いいい、い、一緒?」
「……うん。だから、大樹も勉強、頑張ってね」
「わ、わかった。頑張る、絶対合格する」
「私も、頑張るからね。じゃあ、遅くなっちゃうから、またね」
「うん。あ、ねぇ、楚乃芽」
「なに?」
「また明日、電話してもいい、かな?」
「いいけど……じゃあ、電話番号で送れるメッセージの方に、LimeのQR送るね。あれなら無料でビデオ通話とかできるし、そっちの方が経済的だよね」
「あ、そっか、これ、普通の電話だった」
「電話料金、高いよぉー?」
「う、じゃ、じゃあ、すぐにQR送ってね」
「うん。……電話ありがと、凄く嬉しかった」
「僕も、嬉しかった。じゃあ、また」
「またね、大樹」
電話が終わった後も、しばらくは脱力してしまう。
頭の中がなんか、上手く考えられないくらいだった。
振動するスマートフォン、見れば、楚乃芽からのメッセージが送られてきていた。
スクリーンショットされた、LimeのQRコード。
ここからリンクすれば、楚乃芽とLimeで繋がることが出来る。
「……どうやって?」
リンクするためには、Limeのアプリからカメラを起動して、QRコードを読み取らないといけない。しかし、読み取るべきQRコードは画面にある。どうやってもカメラで読み取ることが出来ない。
しばらく悩んだ後、家の近くのコンビニへと向かい、印刷することにした。
きっとこれも、楚乃芽との笑い話になる。
そう、思いながら。
しばらくして。
「神山君、ちょっとだけ顔、貸してくれないかな」
僕は緑谷君に、呼び出されることとなった。
次話『壊れた歯車』
明日の昼頃、投稿いたします。




