第十三話 君に会いたい。
天音と同じ高校へと入学し、毎日二人で通学する。
行きも帰りも、授業中も休憩時間も、ずっと一緒だ。
ずっと一緒にいて、ずっと僕を見てくる。
いや、違う。
天音は僕の中にいる、楚乃芽を見ているんだ。
告白した頃から何も変わらないと、彼女は言う。
でも、告白する前とは違うと、僕は思う。
「加佐野さんって、思っていた以上に束縛感強そうだな」
部活中、部員の一人が天音に聞こえないように僕に語り掛ける。
「そうかな?」
「だってそうだろ? マネージャーになったのだって神山を追いかけてのことだろうし、どんな事情があったのかは知らないけど、教室でだって隣の席に強引になったんだろ? 見た目可愛いし性格も良いけど、あれは隠れヤンデレだろ」
体育館の端っこで、天音は誰かが脱ぎ散らかしたジャージを綺麗に畳んでいる。
彼女は僕の視線にすぐに気づき、笑顔で「頑張れ」って口だけを動かしてくれた。
「先生、私の席、神山君の隣にして下さい」
入学して早々、彼女が担任へと向けて言い放った言葉だ。
担任は手元にあった資料に目を通し、彼女の言葉に同意した。
中学三年の初め、不登校だった事実が記録されているのだろう。
事実、彼女のサポートが無ければ、僕の社会復帰は絶望的だった。
天音が毎日家に通ってくれたから、僕は人生を再開することが出来たんだ。
感謝はしている。でも、それが恋愛感情と結びつくかと言ったら、それは否だ。
彼女と一緒にいても、楚乃芽と一緒にいた時のようなドキドキを感じられない。
理由は分からない、分からないけど、僕は天音を、受け入れられなかったんだ。
「二年生になり一週間が経過しましたので、親睦会を開きたいと思います!」
クラス委員主催の親睦会に、僕と天音も参加することになった。
会場は駅近くのカラオケ屋さん。
人数が多くて四部屋に別れての親睦会でも、天音は僕との同室を希望した。
「大樹と同室が出来ないって、どういうこと?」
「クジ引きの結果なの、すぐに部屋替えするから、この通り、お願い!」
企画者である女子数名が、天音へと拝むように両手を合わせ頭を下げる。
「大樹、浮気したら私、泣くからね」
目に涙を貯めながら、それが永遠の別れでもあるかのように、天音は別室へと向かった。
浮気の前に、僕たち恋人関係ではないのだけれど、とは、口に出せず。
確かに、今の天音からはヤンデレの雰囲気を感じる。
浮気したら、本当に刺されるかも。
「神山君ってさ、やっぱり加佐野さんとお付き合いしているの?」
カラオケの最中、隣に座った女子から質問された。
どうやら皆気になっていたのか、熱唱中だった男子まで歌を止めて僕の言葉を待つ。
ドリンクバーのグラスを両手で持ち、少々間をあけて、やや俯きながら答える。
「……付き合っては、いない」
「え、付き合ってないの? なんであんなに距離近いの?」
「嘘だろ、尻に敷かれた夫婦だとばっかり思ってたのに」
「あれで付き合ってないって、加佐野さんヤバくない?」
「ちょっと待って! ちょっと待って! 付き合ってないだけで、実は両想いとか?」
言いながら、マイクを僕へと向けてきた。
いちいち静まり返らないで欲しい。
この空気感、加佐野さんが告白してきた時と、なんか似てる。
どう答えていいのか悩んでいると、突然、柏手を打つ音が室内に響いた。
見ると、親睦会を企画した女子の一人が、僕たちを睨みつけている。
「ほらほら、あんまり人のプライバシー侵害しないの。男子はとっとと歌って、女子は散って散って。こういうのの為に企画した訳じゃないんだよ、知りたいのなら個人で仲良くなって聞いてちょうだい」
彼女の一言で、歌っていた男子は熱唱を再開し、お喋り女子たちは僕から離れて、何か適当な話題で盛り上がりを再開する。僕はというと、直前まで感じていた圧に気落ちしたままで、手にあるグラスを眺めては、一人静かに溜息をついた。
「ごめんね、もっと早く止めるべきだったね」
僕に声を掛けている?
見上げると、先ほど柏手を叩いた女子が、僕の隣に座っていた。
「いや、大丈夫。でも、ありがとう」
「でも意外だったな、まさか付き合ってないとか」
「……まぁ、いろいろと事情があってね」
「深くは詮索しないよ。ほら、神山君も、何か歌いなよ」
「ありがとう、でも、歌はいいかな。苦手なんだ」
企画の子は、この親睦会を楽しいものにしようと必死なのだろう。入れ替わり立ち代わりで部屋の雰囲気を察し、盛り上げては別の部屋へと消える。彼女たちのムードーメーカーっぷりには、賞賛を送りたくなるほどだった。まさに陽キャ、ということなのだろう。
「やっと大樹と同じ部屋になれた」
「天音……なんか、久しぶりだね」
「ね、すぐって言ったのに、三回も待たされるとか勘弁して欲しいよ」
僕の隣に座った天音は、ほんのりと汗をかいているように見えた。
乱れた髪に火照った感じ、多分、ここに来るまでに熱唱でもしていたのだろう。
「結構、楽しかった感じ?」
「え? ううん、別にそんな」
「だって天音、汗かいてるよ?」
「ああ、うん、企画の子にね、歌ってって言われて、しょうがなくね」
「しょうがなく?」
少しだけイジメてみると、天音は申し訳なさそうに眉を下げた。
両手を股の間に入れて、首をすくめながら、ペコリと頭を下げる。
「大樹いないのに、全力で歌っちゃいました」
「別に、気にしなくていいよ」
「うー、大樹の方はどうだったの? 何か歌った?」
「いや、別に、何も歌ってないよ」
質問攻めにされたことは、言う必要はないだろう。
「そうなんだ、何か歌う?」
「ううん、カラオケとか、苦手なんだ」
「初めて知った。そういえば大樹、カラオケ行かないもんね」
きょとんとした顔、その後、嬉しそうに目じりを下げる。
「大樹のこと、またひとつ理解したよ」
天音はそう言うと、僕との隙間を埋めるように体を寄せてきた。
誰が見ても恋人だと分かる距離、僕もその距離から離れようとは思わない。
さっきのクラスメイトの驚きもそうだ、誰がどう見ても僕たちは付き合っている。
明確な天音の気持ちを、しっかりと受け止める必要があるのかもしれない。
そのための、努力をしようと思い始めていた。
でも。
「加佐野さん、俺、加佐野さんのことが好きです」
僕は、彼女が告白されているところを、目撃してしまった。
部活のない、テスト期間。
珍しく天音から「先に帰ってて」と言われた、七月初め。
蝉の音が響く体育館裏での告白は、アオハル染みた何かを感じさせる。
相手は他のクラス、同じ部活の男。
以前、僕に声を掛けた男だ。
「緑谷君、だっけ。私が大樹と一緒なの、ずっと見てるよね?」
「見てました、それで一年間、ずっといろいろと調べました。神山のことも、加佐野さんのことも、綺月とかいう、いなくなった女のことも」
「そこまで調べたんだ」
「はい。だって、惚れたから」
「ありがと。でも、そこまで調べたのなら」
緑谷は一歩、天音へと歩み寄る。
「加佐野さん、神山は加佐野さんのことを、なんとも思っていませんよ」
「なんとも思ってないって、どういう意味?」
「恋人と思っていないってことです」
「……だから?」
「そんなの、間違ってます。加佐野さんは神山に対して、誰よりも献身的に接しているし、不登校になったアイツを迎えにも行っている。感謝してもしきれないはずなのに、アイツは加佐野さんに見向きもしていない」
「でも、私も彼に助けて貰ったんだよ?」
「そもそもの原因は神山にあるじゃないですか!」
一際声を張り上げた彼は、さらに一歩、天音へと歩み寄る。
天音の方は、近寄ってきた彼に対して、一歩も引く素振りを見せずにいた。
むしろ、何かを悩んでいる、そんな感じに、顔を下げる。
「アイツは先日の親睦会で、加佐野さんとは付き合っていないと明言しました」
「……そうなんだ、初耳」
「俺を疑うのなら、あの時のメンバーに確認して貰っても構いませんよ」
歩み寄っていた足を下げると、彼は元の距離に戻った。
頬に汗を一筋流しながら、それでも語り続ける。
「俺はあの時の言葉を聞いて、怒りを覚えました。加佐野さんが陸上を辞めたのだって、神山がいるからですよね? 加佐野さんが陸上を辞めたって知って、中学校時代のクラスメイトが驚いてましたよ。天音が辞めるはずないって、そう言ってました」
「まぁ……そう、だろうね」
「アイツは加佐野さんに対してずっと素っ気ない態度を取っている。俺だったらそんなこと絶対にしない。傷つけたりも、やりたいことをやらせないことも、絶対にしない。神山大樹という男の存在は、加佐野さんにとってマイナスでしかないんだ。だから」
視線を逸らしながら喋る男の頬に、また汗が流れ落ちた。
その汗に、天音はハンカチを当てる。
「汗、凄いよ」
「でも、俺」
天音の傷だらけの手、その手を、男は受け入れる。
「暑いし、涼しいところ、行こ?」
天音は、自分から、場所の移動を提案した。
そこからの会話は、声が小さくて、僕には聞き取れず。
気づかれないように身を隠し、二人が消えるのを待った。
その後の二人が、どういう関係になったのかは、僕には分からない。
分からないけど、分かる必要も無いような気がしていた。
「大樹、ごめん、今日ちょっと用事があって」
「大丈夫、じゃあ、先に一人で帰るね」
「うん、ごめんね、この埋め合わせは必ずするから」
一人で歩き、電車に乗り、車窓を流れる景色を眺める。
きっと、これでいいんだ。
いつまでも天音に甘えている方が間違っている。
やりたいことをして、生きたいように生きた方がいい。
帰宅し、夜になると、僕はベランダへと出て、星を眺める。
六月の夜空には、もうオリオン座は無くて。
その代わりに、早い時間だというのに、北斗七星が空高い位置で輝いていた。
(楚乃芽……)
同じ空を見ているであろう君のことが、僕は未だに忘れられていない。
もう一度、君に会いたい。
そう、星に祈りを捧げることしか、僕には出来なかった。
次話『三年前と何も変わらない彼との再会』
明日の昼頃、投稿いたします。




