第十二話 天敵がいなくなり、煮え切らなくなった彼との日々。
県立高校に入学した後、彼はこれまでとは違って運動部へと入部を希望していた。
男子バスケットボール部、私の知る限り、彼は文化系だったはずなのに。
「じっとしていると、なんだか思いつめちゃって」
頭に手を置きながら、申し訳なさげに彼は言う。
言葉にしなかったけど、綺月さんの存在が、未だ彼の中に残っているのだろう。
「じゃあ、私もマネージャーとして、一緒に入部しようかな」
「え? 加佐野さん陸上は? 県大会までいってたよね?」
「いってたけど、七位だったからね。限界感じたし、高校は違う部活に入ろうって最初から決めてたんだ。だから別に、神山君が入るから一緒に入ろって訳じゃないから、気にしないでいいからね」
心にもない嘘を、彼は言葉通りに受け取ってくれる。
陸上を辞めることに後悔が無かったかと言えば、それはきっと嘘だ。
でも、陸上と神山君、天秤にかけた時に、間違いなく重かったのは彼の方だったから。
それに、陸上だけじゃない。
高校だって、私は希望校を彼の為に変えている。
「本当にいいのか? 加佐野なら、もっと上を狙えるんだぞ?」
中学校の担任に、何度も言われた言葉だ。
何度も言われたけど、私の希望は変わらない。
神山君と違う高校に通うなんて、想像もしたくなかった。
一緒に通えるのなら、私はどこだって構わない。
そう言い切れてしまう程に、私は彼に、惚れてしまっているのだから。
当然のように二人で帰り、当然のように二人で電車に乗り込む。
地元から遠い高校だけど、遠い分、彼と二人きりの時間が多い。
空いている電車の席に二人で座ると、彼はさっそくお喋りを始めてくれた。
「それにしても、中学校の時とは全然違うよね」
「全然違うって、何が?」
「人数。だって、これまで一クラスしかなかったのに、今じゃ一学年に六クラスもあるんだよ? 場合によっては、三年間一度も会わないで終わる人もいそうじゃない?」
「ふふっ、そうかもね」
「クラスメイトの名前を覚えるのも大変だし、部活に入ったら先輩の名前も憶えないといけないし、全部覚えきれるか不安だよ」
「別に、全員覚える必要なんてないと思うけど」
「そうかな?」
「うん。だって私、中学校の時だって全員覚えてないよ?」
「え? そうなの?」
「会話する相手なら自然と覚えるけど、そうじゃない場合、覚える必要がないってうか。あ、でも、マネージャーとして部員は頑張って覚えるつもりだけどね。とりあえず、一人は完璧に記憶したよ」
「誰?」
「神山大樹君」
「僕じゃん」
「うん、一生忘れないと思う」
「またそんな、大げさな」
(大げさじゃないよ)
心の声は、口には出さず。
ただ、彼の苦笑に合わせて、私も笑みを作るんだ。
慌てる必要はない。
だって、もう綺月さんはいないから。
高校のクラスメイトも、彼に好意を寄せるような人はいない。
全力で私が側にいるってアピールをしているのだから、いるはずがない。
もしいたら、その女とは全面的に戦う必要がある。
そんな人、いないと思うけどね。
二日後、私のスマートフォンに、樹里香さんからの着信があった。
〝いずれお義母さんになる人〟と表示された画面に、指を落とす。
「天音ちゃん、今電話大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「天音ちゃんって、元陸上部だったでしょ? 大樹バスケットボール部入るみたいでね、シューズとかって専用のお店があるんでしょ? 学校の案内だと結構お店遠いみたいで、天音ちゃんおすすめのお店とかあったら、大樹に紹介して欲しいなって思って連絡したの。どこかに良いお店、あったりしないかな?」
「もちろん、ありますよ」
「ほんと? じゃあ、お願いしてもいい?」
「喜んで。じゃあ今度の土曜日に、大樹さんお借りしますね」
「ありがとう、天音ちゃんいてくれて本当助かる。お金は持たせておくから、後お願いね」
「わかりました、しっかり値切っておきますね」
通話をオフにした後、ひとりガッツポーズをとった。
お父さんもお母さんも、今日は仕事でいない。
誰も見ていないのを確認したあと、もう一回拳を握った。
「母さんが何か無理言ったみたいで、ごめんね」
「ううん、無理なんてしてないよ」
翌日の土曜日、彼は朝一で私の家を訪れてくれた。
通学の時も思っていたけど、やっぱり神山君、身長伸びてる。
完全に見上げる感じ、私の身長が低いのが原因かもだけど。
「それじゃあ早速だけど」
「ちょっと待って、その前に言うことない?」
「え? えっと……時間を作って頂き、ありがとうございます?」
「違う」
「お店を紹介してくれて、ありがとうございます?」
「違うよ。もっとちゃんと見て」
薄手のコートをスカートみたいに手に持って、くるりと一回転する。
ミニスカートに丈の長い、けれども肩を見せるタイプのカットソースタイル。
小物入れの鞄だって今日の為に選んだものだし、靴だってガーリー系を意識した。
メイクだって気合いれたし、ネイルにだって時間を掛けている。
もちろん、彼の為に伸ばした髪だって、時間を掛けてセットしたんだ。
その努力を、少しだけでいいから誉めて欲しいと思う。わがままかもだけど。
「えっと……とっても、可愛いです」
「それだけ?」
「え? あの、世界一可愛いです」
「もっと」
「超可愛い、加佐野さんは宇宙一可愛い女子高生です」
「ふむ、まぁ、神山君ならそんなものか」
内心、とっても嬉しくて飛び跳ねそうだけど。
それは見せずに、心の中だけにしまっておいた。
「そうだ、お礼とかいいからさ、そろそろ苗字で呼ぶの、ヤメにしない?」
「というと、下の名前ってこと?」
「うん。大樹って、私も呼びたいよ」
綺月さんは、そう呼んでたでしょ。
「そっか、うん、いいよ。じゃあ僕も天音って呼ぶね」
「にひひ、ありがと。大樹ってさ、良い名前だよね」
「そうかな。父さんの大吾と母さんの樹里香が混ざっただけの、安直な名前だよ」
「それでも、なんか呼びやすいじゃん。ほら大樹、そろそろ出発するよ」
わだかまりの一つが、ようやく消えた気がする。
綺月さんは大樹と出会ってすぐに下の名前で呼んでたけど、私はようやくだ。
何年かかってんのよって、自嘲したくなる。
「あ、お店って、ショッピングモールなんだ」
「そ、結局町のお店に限らず、最新のお店も全部ここにあるからね」
今年の三月にオープンしたショッピングモールは、県内外から人を集め、想像をはるかに超える集客数を見せているように感じる。これまで無かった渋滞も発生するようになったし、駅からショッピングモールへと向かう無料バスまで運行が始まったんだ。
「それに、私の両親も、ここで働いてるからね」
「系列の電気店の副店長だっけ? 凄いよね」
「うん、お陰さまで、この町で無事生きていけます」
父さんにお声が掛かったのは、ショッピングモールが完成するちょっと前のことだ。
これまで培ったノウハウに加え、人脈の全てを活用して頂きたい。
そんな誘い文句を、断れるような父さんではない。
「もしかしてさ、このショッピングモールが商店街のお店と酷似してたのって、引き抜くことが前提だったのかもしれないよね。だとしたら、綺月さんのお父さんは最初からそれを計画して、出店するお店を決めてたりしたのかな?」
「多分、そうだと思うよ」
「だとしたら、やっぱり綺月さんのお父さんって、凄い人だったんだね」
「……そうかもね」
「僕も同じような仕事をしてみたいな。ちょっと憧れるよね」
まだ、綺月さんが大樹の中にいるのかな。
早く出て行ってくれればいいのに。
もう、二度と会うこともないんだろうから。
(うぅ)
ダメだ、私いま、ダメな子になってる。
こんなのダメ、大樹に嫌われる。笑顔を作らないと。
土曜日だからかな、ショッピングモールの中、すっごい混んでる。
ほとんど人がいなかった町なのに、嘘みたいだ。
はぐれないよう、彼の手を握りながら歩くのだけど。
「昔さ、ここが工事中だった時に、楚乃芽と二人で歩いたんだよね」
また綺月さんの話、しかも楚乃芽って。
「ふぅん、そんなことがあったんだ」
「うん。あの時と景色も何もかも違うけど、やっぱり、変わらないものなんだね」
彼の目には、今もなお、綺月さんが映ってしまっている。
そんなの、嫌だ。
私がいなかった場所を眺めながら、私じゃない人を思わないで欲しい。
繋いでいた手を引っ張り、体ごと、全部絡めるようにして抱き着いた。
「っと、天音?」
「だって大樹、私のこと全然見てくれないから」
「ごめん、つい」
「別にいいけどね。でも、また不登校になったりしたら、樹里香さん悲しむよ?」
「その時は、また天音が助けてくれるんでしょ?」
「……まぁ、そうなんだろけど、さ」
もにゃる感じ。
彼が私の恋人になるまでは、まだまだ時間が掛かりそう。
そんなことを想いながら、時間だけはやたらと早く過ぎてしまっていた。
一年後、私と大樹が二年生になって、三か月が過ぎた頃。
「加佐野さん、俺、加佐野さんのことが好きです」
私は、同級生の男子から、告白されてしまっていた。
次話『君に会いたい。』
明日の昼頃、投稿いたします。




