第九話 二人だけのお別れ会を。
二人ゆっくりと自転車を漕ぎ、なだらかな坂を上り続ける。
午後の早い時間に出発したからか、時間にはかなりの余裕があった。
途中のコンビニで休憩したり、橋の上から泳ぐ魚を眺めたり。
何もない田舎町だけど、その分、都会にはない大自然を満喫することが出来る。
寄り道しながら目的地へと向かった結果。
到着する頃には、どっぷりと、日も沈み始めていた。
「この駐輪場に自転車を停めて、後は徒歩で山道を上がるんだ。って、どうしたの?」
綺月さん、自転車に手を掛けたまま、目の前に広がる山道を見上げている。
「え? ううん、結構本格的で、ちょっと驚いてるところ」
「ピクニック感覚で行けるから、大丈夫だよ」
「熊とか出そうじゃない?」
「熊よけスプレー持ってるから大丈夫。それにこの季節なら虫も少ないしね」
「否定はしないんだ……っていうか、虫?」
「夏はヤバいよ?」
「うへぇ、それはご遠慮しておこうかな」
苦々しい顔をした彼女と二人、山道を進む。
山道と言えど、それなりに整地はされているし、懐中電灯さえあれば危険は少ない。
「大樹、手、つないでもいい?」
それでも手を繋ぎたくなるのは、やはり外灯が無いからだろう。
街の明かりがない、人工的なものが一切なくなるその場所は、
「うわ……なにこれ」
満天と呼ぶにふさわしいほどの、星空を僕たちへと与えてくれるんだ。
短く刈られた草の上にレジャーシートを敷き、念のため虫よけスプレーを撒いてから、シートの上に座り、星空を見上げる。
夜空に吸い込まれる感覚、まるで地上が無くなったみたいに空が近くなるこの場所には、実は過去に来たことがある場所なんだ。
その時は、隣にいるのは男友達だったけど。
やっぱり、こういう場所は、愛する人と来てこそ意味があるのだと思う。
「凄い、こんなに綺麗な星空、生まれて初めてみた」
「冬の夜空って空気が澄んでるし、それに今日は雲も少ないしね」
「絶好の天体観測日和ってことなんだ。私たち、運がいいね」
ずっと見上げていたままだと首が痛いってことで、僕たちはシートの上に寝そべる。
横になった綺月さんは、浅い呼吸と共に胸を上下させた。
どこを見ているのか。気づかれる前に、僕も星空へと視線をやった。
「天体望遠鏡持ってきたけど、これなら要らないかもね」
「でも、せっかく大樹が持ってきてくれたんだから、後で見ようね」
「ありがと……それにしても冬の星座か、オリオン座ぐらいしか分からないな」
砂時計みたいな形に、真ん中に三つの星、誰もが知る星座だと思う。
「でも、それが分かるってことは、冬の大三角形も分かるってことでしょ?」
「なんとなく。オリオン座の左上の星と」
「べテルギウスね」
「その左にある星と」
「プロキオンね」
「……下にある星」
「シリウスね」
「あの……もしかして綺月さん、星座の知識結構ある感じ?」
「授業でやったし」
「そうだっけ」
あまり覚えてない、もうちょっと予備知識入れておくべきだったかも。
でも、それでも会話が途切れることはなく、寝そべったまま綺月さんは、右手の人差し指で星座をなぞりながら、僕にも分かるように星について語り始めた。
「オリオン座の上の方にあるのが双子座、、右にあるのがおうし座。おうし座の中にちょっと赤い星があるの分かる? あれがアルデバラン、で、その右の方にあるのが火星だよ」
「火星? 火星ってそんな場所にあったんだ」
星の名前や位置が分かると、次第に星座について興味が湧いてきた。
なんか、思っていた以上に天体観測って楽しいかも。
「そのレベルだと、春の大三角形も知らなそうね」
「え? 冬と夏だけじゃないの?」
「スピカ、デネボラ、アークトゥルス、この三つの星で春の大三角形」
「スピカは聞いたことあるけど、他は知らない」
「じゃあ、スピカがどこにあるのか知ってる?」
「知らない」
「えっと……北斗七星って、分かる?」
「あ、分かる。クエスチョンマークみたいのでしょ?」
「うん。その下の方から弧を描くようにしてアークトゥルス、スピカって順に見えるの」
「それなら、見ること出来るかも」
「ちなみに、スピカはおとめ座。私の星座だよ」
「え、そうだったんだ……おとめ座って、何月だっけ?」
「八月二十三日生まれです」
「八月二十三日って……夏休みじゃん」
「うん。夏休み、沢山一緒に遊んでくれてありがとうね」
「言ってくれれば良かったのに」
「だって、仲良くなっていきなり誕生日祝えって、それはどうかと思わない?」
「確かに、そうかもだけど。でも、もう一緒の夏は来ないし……祝いたかったな」
「ありがと、大樹は優しいね」
星空を指差ししていた手を下げて、僕の頭を撫でてくれる。
この手の感触を味わえるのは、今晩が最後。
明日の今頃は、この手に触れることが出来ない。
頭にあった彼女の手を、ぎゅっと、握りしめた。
寝そべったまま、二人、視線を絡ませ続ける。
明日にはもう、僕たちは会う事すら出来なくなってしまうんだ。
それがなんて言うか、とても悲しくなって。
「大樹……?」
お別れ会の時には我慢出来てた涙が、今になって、溢れてくるんだ。
「ごめん、男の僕が泣くなんて、ないよね」
慌てて目にたまった涙を拭う。
だけどダメだ、溢れて止まらない。
「いいよ、ありがとう、大樹」
「……ねぇ、綺月さん」
「なに?」
「楚乃芽って、呼んでもいい?」
「うん。いいよ」
「ありがとう……楚乃芽、僕、楚乃芽と離れるのが、辛い」
ウチの街は、子供が少ない。
だから、誰かと別れるってことは、ほとんど無かったんだ。
知り合いはずっと知り合いのままだし、むしろ離れることが出来ない。
だから、この町から離れる楚乃芽を、未だに受け入れられない自分がいる。
ずっと一緒にいたい、このまま朝まで、一緒にいたいと願う。
「大樹」
「うん」
「春の大三角形って、今の時期でも見ることが出来るの、知ってる?」
「知らない。そうなんだ」
「でもね、見ることが出来るのは、夜中の十二時ぐらいからなの」
語りながら、楚乃芽は起き上がると、僕へと笑顔を見せる。
星空の下で見る彼女の笑顔は、青白く輝き、神秘的な何かを彷彿とさせた。
微笑み、瞳を輝かせながら、頬に笑窪を作る。
「だから、今から私の家に行って、一緒に見れないかお父さんにお願いしてみよっか」
その顔には、歓びと嬉しさが混じりあう。
まだ一緒にいられる、朝まで僕たちは一緒にいることが出来る。
その可能性があるのなら、試さない理由なんてどこにもない。
「じゃあ、帰ろ」
「うん、お父さん、許可出してくれるかな」
「出してくれるよ、だって、自宅で天体観測がしたいだけなんだから」
絶対に大丈夫と、楚乃芽は根拠の無い自信と共に言い放った。
もっともらしい理由、果たしてそれが本当に通るのかどうか、不安だった。
帰り道は楚乃芽が前を歩き、自転車に跨って二人漕ぎ始める。
地面が剝き出しになっていた道から、舗装された道へ。
既に時刻は夜十時を過ぎている。
人口の少ない町の明かりは、ほとんどが消えていた。
世界に二人だけ、僕と楚乃芽が自転車を漕ぐ音だけが耳に入って来る。
とても嬉しかった。
楚乃芽も僕と一緒にいたいと思ってくれる、その事実だけでも、嬉しい。
朝が来なければいいのにと、心の底から思い願うほどに。
次話『そして君は、僕の前からいなくなった。』
明日の昼頃、投稿いたします。




