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ワイス家秘宝盗難事件~ラリサとアーネスト

作者: 塙瑶花


 カールトン・ギエルグの事件が一段落して、ラリサとアーネストの結婚式の日取りが決まった。そしてラリサはアーネストがリーヴァに戻る時に一緒にリーヴァに行き、半年間の王子妃教育を受けることになった。

 

 出発まで三か月間ほどの余裕があるが、ドレスや宝飾品の用意、身の回りの様々な品物を揃えるには時間が足りない。ドレスも悠長に屋敷に来てもらい採寸や仮縫いなんてことをしていては時間がないので、ラリサと母のイリーナは、直接洋裁店に行って生地やデザインを見繕い、そのあとに買い物と言った生活が続いている。

  

 ラリサはお金がかかることばかりで、父のディミテルに申し訳なく思っている。

だが、ディミテルは「こんなことくらいで我が伯爵家が傾くなんてことはないから心配するな」と言ってくれる。


 我がバージェス家の領地は、ひまわり油の大生産地である。最近、人々の健康志向が強くなってきたので、ひまわり油の売り上げも急上昇している。

 リーヴァ国方面にも一部輸出されているので、あちらに行って、バージェス家の名前を出せば知っている人もいるだろう。

 

 アーネストも仕事の引き継ぎや、リーヴァ国との連絡、ラリサを連れての帰途の旅の人員や配置などの確認ですごく忙しい。

 それでも何とかお互いに時間を作って会うようにはしているのだが、婚約してからというもの周りの目が厳しくなり二人きりで過ごすことができないのが悩みの種だ。

ラリサの部屋で過ごそうと思えば、扉は開けっ放しで扉の内には侍女やメイド、扉の外には護衛が控えている。

それにラリサの部屋には太ったファロンと言う名の毛足の長い白い猫がいる。

アーネストがラリサの隣に座ろうとするとその猫が先にその場所に座って邪魔をするのだ。

かといって、ラリサがアーネストの部屋へ来ても、ウディや侍女がお茶や軽食を出せるようにといつも傍に控えている。庭園の四阿でも同じようなものだ。

自分たちの秘密に触れるわけにはいかないから当たり障りのない話しかできない。


 それでアーネストは決心した。

 

 ラリサとのお茶会の時に周りに聞こえないような小声でラリサに言った。

「明日の夜、夕食後に君の部屋に行く。バルコニーの鍵を開けておいてくれ」


ラリサは驚いて目を見開いたが、仮に何かあってもアーネストは誠実に向き合ってくれるだろうと思い、頷いた。ファロンは侍女のマギーに預かってもらおう。


 マギーはラリサより四つ上で、ラリサの十歳の頃からラリサの傍について世話をしてくれる信頼のおける侍女だ。彼女は我が家の護衛騎士のリックと恋人同士で、二人ともリーヴァ国にラリサと一緒に来てくれることになっている。ラリサたちが結婚したら自分たちも結婚して、ずっとお仕えしますと言われ、ラリサは嬉しくて涙を流した。


 さて、次の日、マギーだけにそっと打ち明けて軽食とお茶とワインを用意してもらった。

マギーは「結婚式に体型の変わることのないようにお気を付けくださいね」と笑っていた。


 その夜、ラリサの部屋のバルコニーの扉がノックされた。

アーネストはラリサを見るなり、強く抱きしめて顔から首筋のいたるところに口付け始めた。


「婚約ってもっと良いものかと思ってたぞ。窮屈でしようがない」

「幸せを得る前の試練だって聞いたことがあるわ」

「そんな試練なんか俺たちには必要ないだろ?」


そう言って、ラリサを横抱きにしてそのままソファーに座った。


「ところでこの頃夢は見ないか?」

「ええ、今のところ問題ないわ。アーネストは何か琴線に触れるようなことはあった?」

「人は嘘を吐くものだし、円滑な人間関係には必要な時もある。いちいち気にしていたら身が持たない。俺の方も問題ないよ」

「それは良かったわ」

「ルミナ妃の記憶の方は?」

「そうね。普段は意識しないんだけど、何かあると助けてくれるという感じかしら」

「俺も普段はアービンド王を意識することはないな。どこか心の片隅に存在しているような気はするが」

「お茶にする? それともワインがいい?」

「君がいい」


 そうしてまたラリサに口づけをする。

それはあまりにも情熱的でラリサは理性を失いそうになった。と、その時、部屋の扉がノックされた。

ラリサとアーネストはお互いを見つめ合い、一瞬、部屋は沈黙が支配した。

もう一度扉がノックされた。


「アーネスト居るんだろ? クロフォードだ」

王太子の声に違いない。


 アーネストが「嘘だろ!」と声を上げると同時に、ラリサはアーネストから離れ居住まいを正した。

ラリサが「どうぞお入りください」と声をかけると、扉が開けられ金髪を後ろに一つに束ねたクロフォードが颯爽と入って来た。


「やあ、お取込み中悪いね」

「どうして俺がここだってわかった?」

アーネストは不愛想に尋ねる。


「緊急の要件だからと言ったら、ウディが教えてくれたよ」

「まったく。それで何の用だ」


 クロフォードはソファの前の椅子に足を組んで座った。


「お前とラリサ嬢の二人に頼みたいことがあってね。アーネストは私に借りがあるから断れないぞ」

「その話は愛する二人の邪魔をするほどの事なのか?」

「ああ、東の国のスティナが絡んでいて面倒な事態になっている。できれば明日の朝からすぐ動いてほしい」

「忙しいんだが」

「ウディが、とりあえず明日は大丈夫だと言っていたぞ」

「はあ......」

「さて、これから話すことは、ワイス家に伝わっている話とスティナ国から聞いた話を合わせて私なりに解釈したものだ」


クロフォードはテーブルに用意されていたワイングラスにワインを自ら注ぎ、それを一口飲むとおもむろに話し始めた。



◇ ◇


 現ワイス公爵家の当主グレアム・ワイス公爵の祖母にあたる故モーリン夫人はスティナ国の公爵の娘だった。

 彼女は当時の王太子と婚約していたのだが、その王太子が子爵令嬢と恋仲になりモーリン夫人との婚約披露の舞踏会で、彼女に婚約破棄を告げた。

 王太子は子爵令嬢の言うことをそのまま信じ、モーリン夫人がその子爵令嬢を虐めたとしてモーリン夫人をその舞踏会で断罪し、国外追放を告げた。

 たまたま舞踏会に出席していた当時のワイス公爵の子息であるデュアンは、王太子に対して一歩も引かないモーリン夫人の聡明さと美しさに魅せられて、婚約破棄されたことをこれ幸いとその場で彼女に求婚した。

 だが、婚約破棄に怒った彼女の父親であるウィッカム公爵が事実関係を調べ、すべてが子爵令嬢の嘘であることを突き止めた。子爵令嬢は自分が王太子と結婚しても王妃に相応しいモーリン夫人が傍にいれば、いずれは自分よりも彼女を選ぶ時が来るのではないかと恐れたという。

 その後、王太子は子爵令嬢との結婚は許されたが継承権を失い一代限りの男爵として生涯監視されることになった。

しかし、王室は面目を保つために、モーリン夫人には長年の婚約者にもかかわらず王太子を繋ぎとめられなかった責があるとして、ウィッカム公爵家に対し領地の一部を王領として取り上げる裁定を下した。


 さて、これからが本題だ。


 モーリン夫人とその当時の王妃は、五年にわたるのモーリン夫人の王妃教育の間に非常に親しくなり、親子とも思えるほどの仲だったという。

だから王妃は舞踏会の時に王家の大事なルビーのネックレスを「王太子妃になるのだからこれをつけなさい」と言って、そのネックレスを貸与した。


 そのネックレスは代々王室に伝わる宝で、真ん中に大人の男の親指ほどの大きさのルビーがあり、それを中心に小指に爪ほどのルビーが左右に三個ずつ配置され、その回りはダイヤモンドで囲まれていたということだ。中心にあるルビーの大きさは、現在でもあの大きさ以上のルビーは存在しないと言われているらしい。


 婚約破棄後は、デュアンもモーリンもすぐに会場を後にしたので、そのネックレスが返却されたのは舞踏会騒動の裁定が下ってから二週間ほど経った頃だったという。

 

 担当の者が中身をきちんと確認したかどうかは今となっては定かではないが、あまり縁起の良いものでもないということでそれを使う者はなく、長らく王宮の宝物庫の引き出しの中に入れたままになっていたらしい。

 

 今回、スティナ国の国王の代替わりに伴って、宝物庫のすべての物を点検することになった。そこで驚愕の事実が判明した。

 

 そのルビーのネックレスは偽物だったのだ。

さらに、それが仕舞われている箱の中の飾り台の下に『本物が欲しいのなら、ウィッカム公爵家への正式な謝罪と我が公爵家から取り上げた土地を公爵家に返すこと。王室は元王太子の愚行の責任をとるべきである』というモーリン夫人の署名入りの紙が入っていた。

 モーリン夫人にとっては公衆の面前で無実の罪で罵倒されたにもかかわらず、王室からは正式な謝罪もないことに非常に腹立たしく思ったろう。しかも自分のせいで実家の公爵家に迷惑をかけることになった。決死の覚悟と言っていい。

 だが、彼女とて、まさか百年近くもその箱が開けられないとは思ってもみなかったろう。

本物のネックレスは、スティナ国の王室からモーリン夫人が賜った貴重なものとしてワイス家の大金庫に仕舞われた。


 偽物と発覚した後、スティナ国ではウィッカム公爵家と協議して、取り上げた領地のすべてとはいかないが一部の領地を返還することで合意した。そして、我が国のワイス公爵家に事情を説明し、いくばくかの謝礼金を包んで本物を返却してもらうのがいいだろうという結論に達した。

 

 その詳しい経緯が書かれた書簡を携えてスティナ国から我が国の王室とワイス家に使者が来たのが、あのギエルグ事件のあと辺りだ。

 

 ワイス家は慌てて、件のネックレスを確認するために、あまり開けもしない金庫の中に入った。

 

 その時は深紅のビロードで覆われた美しい箱の中に燦然と輝くネックレスをワイス公爵夫妻と家令、息子のフリンクの四人が確かに見た。

そしてその台座の下には、スティナ国がウィッカム公爵家から取り上げた領地を返還されたことが証明されれば、その対価としてこれをスティナ国王室に引き渡すことというモーリン夫人の手になる一文の書かれた紙が入っていた。

 

 その後、今からちょうど一週間前に、スティナ国からネックレスの引き取りに正式な使者と護衛の騎士隊を派遣したので、三週間ほどでそちらに到着するだろうとの連絡が公爵家に入った。

 

 そこで、念のためにと公爵と家令がもう一度その箱を開けてネックレスを確認したところ、それは忽然と消えていた。

 泥棒が入った形跡もないので、使用人から出入りの者までを調べたんだが、何も分からなかった。大きなルビーのネックレスが持ち込まれたら至急連絡をするようにと王都内の宝石店に通達はしたが今のところ動きはない。

 

 他の高価な宝飾品や金貨はそのままだったので、そのスティナ国のネックレスだけが目的には違いないのだが。

 

 ◇ ◇

 

 

「その金庫は何処にあるんだ?」

「執務室に続く小部屋にあり、その小部屋には小さな窓があるが鉄格子がはめられているので外からは入れない」

「鍵は?」

「執務室の鍵は家令と公爵が持っているが、執務室だから人の出入りは多い。簡単な応接間もあるし、そこで働いている役人もいる。だから小部屋の鍵は夫妻の寝室に置いている。さらに金庫はダイヤル式で知っているものは公爵夫妻だけ。だが夫妻は盗みなど全く関係ないと言っている」

「国家間の問題に発展すると分かって、公爵家の者が盗むとは思えないが、使者が来るまでに金庫に返すつもりだったのか?」

「多分そうだろうとは思う。だが、返ってこなかったら? 一刻も早く誰が何のためにそれをしたのかを明らかにしなければならないだろう? スティナ国からの使者はあと十二日ほどでこちらに着くのだ」

「そう言えば、ワイス家主催の夜会が一週間後にあるよな。そこで俺たちの婚約披露をすることになっているが、なんだろ? 盗難と関係があるのかな?」

そう言って、アーネストがラリサの方を見て首を捻った。


「それを含めて探るのは、お前たち二人が適任だろ? ワイス家からも依頼が来ていることだし」

「ラリサ、どうする?」

「少しでもお役に立つのならお手伝いします。結果が出るとは限りませんが」

「よし、クロフォード。引き受けよう」

「ははは、お前を落とすにはラリサ嬢を落とせばいいんだな」

「良く言われてたな......」

「ん?」

「いや、なんでもない」

「よし、アーネスト、帰るぞ?」

「え、俺は帰らんぞ」

「何を言っている、行くぞ!」


アーネストはクロフォードに引き立てられて、しぶしぶと腰を上げ、

「ラリサ、明日の朝、迎えに来るよ」

そう言って、ラリサの頬に口付けて帰った。


扉の外にいたディミテルがため息を吐きながら、王太子とアーネストを送って行った。


入れ違いに憂い顔のイリーナが部屋に入って来た。


「ラリサ、若いから仕方がないとは思うけれど、婚約はあくまでも約束だから、反故にされることもあるわ。特に相手の身分が高ければそれは簡単なことよ」

「はい、分かっています」

「だから、出来ればあなた自身のために結婚までは、えーとそのー」

「お母様とお父様に心配かけるようなことはしません」


イリーナはラリサの両手にそっと自分の両手を重ねて微笑んだ。

そうして「お休みなさい」と言って部屋を後にした。


 嵐の去った静けさの中、ラリサは今夜は予知夢を見るかしらと思ったが、この時は何も見ることはなく、朝、ファロンに起こされるまでぐっすりと眠った。



 次の日は、アーネストが馬車で迎えに来た。

ラリサが馬車に入るなり、アーネストは彼女の手の甲を自分の唇にしっかりと当てた。


「昨夜は参ったな。二人の時間が台無しだ」

「それで、どう思います? この盗難事件のこと」

「やはり執事を含めた四人の誰かだとは思うが、動機が分からない」

「私はお手伝いするとは言ったものの、公爵家の皆様を殆ど存じ上げないから見当もつかないわ」


アーネストはラリサの手を弄びながら、彼女に尋ねた。

「ラリサはフリンクと会うのは初めてか?」

「はい、どんな方なの?」

「学園では同級だった。ラリサは別の学校だったよね」

「教会が運営している女子学校で昨年の秋に卒業したわ」

「俺の留学していたところは知っての通り男子校なのだが、近くに女子校があって何か行事があるとそこの女子生徒が良く来ていた。リリアもその一人だ」

「だから、いろいろな男性に声を掛ける機会があったのね」

「クロフォードはずっとクレアのことを好きだったから、リリアのことは歯牙にもかけなかった」

「クレア妃殿下からお聞きしました。お二人が両想いと分かったのはアーネストのお蔭と」

「そうだ。とすれば貸し借りはもうないはずだよな。失敗した!」

そう言って唇を突き出している子供っぽいアーネストが何だか可愛い。


「フリンク公子はリリア嬢に対してはどうだったの?」

「フリンクは自分の欲求のままに動くリリアに少し興味を持っているように見えたが、俺があれはやめておいた方が良いと言った時に、自分は子供の頃から好きな人がいるから心配ないと言っていた」

「彼は婚約していたの?」

「十五歳の頃に婚約したらしい。だが、昨年だったかな。婚約が解消された。相手の女性が病気がちで辞退したらしい」

「お気の毒に......、子供の頃から好きだった人ならなおさらだわ」

「俺もそう言ったら、好きな人は別にいるから大丈夫だと」

「そうなんですか」

「彼は頭もいいし、気も回る。今は財務関係の仕事に就いているが、その評判もいい。ただ......」

「ただ?」

「笑わない。笑ったのを見たことがない。北の辺境伯に嫁いだ二つ上の姉がとにかく優秀で、小さい頃から比べられて大変だったらしい。そのせいかもしれないが」

「皆さん、いろいろと抱えていらっしゃるのね」



 ワイス家では、すでに応接室にグレアム・ワイス公爵、ティルダ夫人そしてフリンク公子、家令の四人が控えていた。

 フリンクは公爵と同じ黒髪の長身で、涼やかな目元にどこか繊細な雰囲気を漂わせていた。

 

 一通りの挨拶が済んで椅子に座ると、ドアの隙間から光沢のある灰色の毛と金色の瞳を持つ猫が入って来て、アーネストとラリサの間に座った。

「なぜだ」とアーネストが呟いた。ラリサは思わず吹き出しそうになったが何とか耐えて聞いた。


「まあ、美しい猫ですね。襟に巻いている薄いピンクの布もとても可愛いわ。名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


フリンクが柔和な表情で答える。

「私が十歳の時から飼っている猫でね。名前はコリンと言う」


ラリサがコリンをそっと撫でるとコリンは目をつぶって気持ちよさそうにする。

「やっぱり猫もラリサ嬢が好きなんだな」

フリンクがそう言って微笑んだ。


 それを見た、周りの者が息を呑むのが分かった。


「フリンク、今、笑ったよな?」

アーネストがそう言うと、フリンクは感情の見えない元の顔に戻った。

「そうなのか? 気が付かなかったよ」


 アーネストは少し気まずくなった空気を振り払うように声を上げた。

「では、まず最初に金庫のある部屋に案内していただいて、それからお一人ずつお話を伺いたいのですが」


 公爵と家令とラリサとアーネストで金庫室に入った。確かに部屋の上部にある窓には鉄格子が嵌められている。二十センチ四方ほどの空調の設備にも鉄の格子が取り付けられていた。アーネストがそれらの鉄の格子が動かないことを確かめた。

(猫でも無理)とラリサは思った。


 他家の金庫の中を見るわけにはいかないのでテーブルの上にルビーを入れていた空の箱を出しておいて貰った。

アーネストがそれを開けるとモーリン夫人が書いた紙はそのままになっていて、無理やりネックレスを強奪したような形跡はなかった。


その後は小部屋で、夫人、フリンク、家令の順に話を聞いた。

それからは、家令に公爵邸の中を一通り案内してもらい元のサロンに戻った。


家令がアーネストに尋ねた。

「何か気の付かれたことがございましたか?」

「失礼だが、公爵家の財政については?」

「順調でございます。管理の者たちも悪事を働くような人間はおりません。皆、誠実に仕事をしています」

「そうか......」



 帰り際に、フリンクがラリサに声をかけた。

「ラリサ嬢、君は占いが趣味だと聞いた。良ければ明後日またここに来て、私を占ってもらえないか? アーネストは仕事があるだろうから来なくていい」

「おい、お前だって仕事があるだろ?」

「明後日は、昼からだ」

「では、午前中にお伺いしますね」

ラリサはそう約束して公爵邸を退出した。


 帰りの馬車では、アーネストの機嫌が非常に悪い。


「フリンクの君を見る目が気に入らない。だいたい、猫『も』ってどういうことだ? 君は本当にフリンクと会ったことはないのか?」

「ええ。その答えも含めて、明後日に何か分かるのではないかしら。ところでアーネスト、皆様に何か感じた事はあった?」

「犯人は盗んだとは思っていないな。ちょっと場所を変えただけと思い込んでいるのだろう。そうなると嘘か本当か見分けるのは難しい。ネックレスは公爵邸のどこかにあるということだ。ただし、公爵本人は除外してもいいと思う。彼はこの機会にスティナ国との交易を拡大したいと考えているからな。交渉のカードを隠す必要はない。家令は実直で横領などもしていない。やはり一番怪しいのはフリンクだが」


 ラリサは家令の言っていたことをもう一度振り返った。

彼は、『一番最初に金庫室にネックレスを確認した時ですが、部屋の扉を開けて出ようとしましたら、執務室で待っていた猫が扉の隙間から金庫室に入ってしまいました。フリンク様は猫を追いかけるのに金庫室の扉を一度閉めましたが、それはわずかの間でした』そう言っていたのだ。


「ダイヤルの番号なんて見ていれば分かったろうから、金庫を開けてネックレスを取るのはフリンクにとっては造作もなかったろう」

「でも、猫を見つけて執務室に移った後は彼は何も持っていなかったと。フリンク様の服装も体に添ったトラウザーズと白いシャツだったので、ネックレスをポケットに入れていたりすれば分かるはずとも言っていましたね」

「ああ......、フリンクは、その日以外には金庫室に入っていないと言っていた。それは本当だ」


アーネストは腕を組み目を瞑って考え込んだ。

するとラリサが「あっ」と言って軽く手をたたいた。


「もしかして猫のコリンちゃん?」

「何のことだ?」

「コリンには首に薄ピンクの布が首輪のように巻かれていたわ。その中にネックレスを入れて巻けば気が付かれないかもしれない」

「なるほど。方法はそれとして、動機はなんだ?」

「好きな人にネックレスを見たいとせがまれたとか親を困らせたいとか」

「幼稚すぎないか?」

「そうよね......」




 そして二日後、ラリサはまたワイス公爵邸に向かった。今日は一人だ。

フリンクは玄関先まで出迎えてくれた。


「今日は私のわがままを聞いてくれてありがとう」

やっぱり、フリンクはうっすらと微笑んでいる。いつもラリサを見る時はそんな感じなので、笑わないというのは本当なのかしらと思うくらいだ。


 今日は小雨の降る天気で、邸の中も薄暗く感じられる。そのせいなのか昨日とは違う「緑の間」と言う明るい小さめの応接室に通された。

 カーテンや絨毯は華やかな緑色、濃い緑の地に金の模様のあるソファや椅子。翡翠の置物。磨き抜かれた大小の銀の燭台。繊細な緑の薔薇が描かれている高価な陶磁器の数々。有名な画家の描いた緑のドレスを着た貴婦人の肖像画。この部屋を見ただけで、金銭目的で盗みを働くならわざわざリスクを冒して金庫に入るより、ここにあるものを盗んだ方が簡単だろうと思った。


開いている扉からコリンがやって来て、二人掛けの椅子に座っているラリサの傍で丸くなった。


「この子は人見知りするんだけれど、君には平気で甘える。不思議だね」

「私も猫を飼っているのです。きっとそのせいですね」

「ラリサ嬢の猫の名前は?」

「ファロンです。最近はすっかり太ってきて......」


しばらくお茶を飲みながら猫談義をして楽しんだ。

猫に関する限り、話は尽きることはないが話の区切りがついたところで、ラリサはルビーのネックレスのことに話を振ってみた。しかしフリンクはまったくそんなものには興味がないという。「ラリサ嬢に欲しいと言われれば、盗んだかもしれないが」と軽く笑い声を立てた。


 その後は、例のごとく、フリンクに生年月日を心の中に唱えながらカードを切ってもらった。

最初のカードは、鳥かごに入った小鳥が部屋の開られている窓から遠くの山々を望んでいる絵だった。


「言いにくいのですが、フリンク公子様のお小さい頃はいろいろと制約が多かったようですね。でも鳥かごの扉に鍵はかかっていないので、飛び立とうと思えば飛び立てた状態だったのかもしれません」


「まずはフリンクと呼んで欲しい。それから君の言う通り、僕の幼少時代はあまり良い思い出がない。姉はとにかく優秀な人で、一度見たもの聞いたものは覚えるし運動能力もあったから、母には『あなたと反対だったら良かったのに』と良く言われた。父は次期公爵として相応しくあるためにと、ただただ私に厳しく当たった。残念ながら両親に愛された記憶はない。いつも逃げたいと思っていたな」


遠くを見るようにそう語ったフリンクに、「立ち入ってしまってごめんなさい」

ラリサはそっと頭を下げた。


「気にしないでくれ。君だから話した」

フリンクはそう言って、穏やかな表情でラリサを見つめた。

だが、ラリサはその瞳の奥に宿っている熱いものを感じて戸惑った。


「えーと、そうですね。占いの時はフリンク様のように正直な気持ちを話していただけると助かります。ではフリンク様、次のカードに行きましょうか」


 次のカードは、旅人が鬱蒼とした森から道に出て歩み始める絵柄だった。道は旅人の前から上の方に少しずつ広がっていた。


「転機が訪れたのですね。良かった......」

「君は覚えていないかな? 私が十歳の頃、バージェス伯爵家のひまわり畑で君と出会ったことを」

「えっ?」

「多分あれが私の転機だ。私は父に連れられて伯爵家の領地を馬車で視察していた時に、ひまわり畑の道で使用人の引く仔馬に乗っている君とすれ違った」


「少し待ってください。......ファロンをひまわり畑で見つけた時でしょうか?」

「ああ、君はその手にしっかり白い子猫を抱いていた。そして馬車から降りた伯爵に子猫を飼いたいと頼んだ。伯爵は優しい声で『お母様の判断に委ねよう。お母様にきちんとお話しできるね』と君に言った。そして去り際にひまわりの飾られている君の帽子をポンポンと叩いて『気を付けて帰るんだよ』そう言った」

「ああ、そうですね。仔馬のカルがファロンを見つけたのです。周りを見渡しても親猫はいなくてつい保護してしまいました」


 父のディミテルは頭ごなしに子供の言うことを否定する人ではないので、ラリサが必死に訴えれば何とかなるのではないかと思ったのを覚えている。


「私の両親はいつも私に命令するだけだったから、あんな親子関係もあるのだと初めて知った。実際あの時だって父は資料を見ていて馬車の外に展開されている事柄に注意を払うことはなかった」

「そうでしたか」

「君は馬車の中にいる私を見て、満面の笑みを湛えて手を振ってくれたよね。私は何だか恥ずかしくてそっと手を上げただけだったが」

「そんなこともありましたね」


 ラリサは満開のひまわり畑を思い出し、リーヴァに行ったらもうあの中を馬で駆け回ることは出来なくなるのだと感傷的になってしまった。だが、続けて言うフリンクの言葉に我に返った。


「あの時、私は自分の中の張り詰めているものが徐々に溶け出していくのが分かった。漠然とだがいつか君が僕のお嫁さんになってくれたらいいなと思った。だから、私は父に押し付けられた婚約が解消された時、君に求婚しようと思い、王室の貴族部に行ったんだ。貴族の婚姻の申し込みは重複を避けるために必ずあの部署で確認しなくてはいけないからね。しかし、君にはすでに決まっている人がいると言われた。婚約した話は聞いていないと言ったら、とにかくダメだと。何度通っても同じ答えだった。それからしばらくしてアーネストと婚約したと聞いて『ああ、そういうことか』と思ったよ」

「それは......」


「ラリサ嬢、今からでも遅くはない。アーネストとの婚約を解消して、私と一緒になる気はないか? 慣習も違うリーヴァ国では苦労するだけだ。それに周りも君を歓迎する人ばかりではないだろう。本当にアーネストは君を守ることができるのか? 私は全面的に君の力になろう」


「フリンク様のおっしゃることも分かります。でも、詳しくは言えないのですが、私とアーネストは十歳のフリンク様に会う前から縁がありました。ですから彼との婚約解消は難しいと思います。フリンク様は子供の頃のお気持ちを美化なさっているだけですわ。この次のカードを引けばきっと何かがわかります」


「よし、カードを引こう」


 曇り空の切れ目から光が降り注ぎ、それを、生い茂る草をかき分けて見ている人物がいる。彼の顔がその光で明るく照らされていた。


「ああ、新しい出会いがありますね。その女性と一緒なら、フリンク様はとても楽しい人生を過ごせるようです」

「新しい出会い? これから? 君ではなく?」

「はい、楽しみですね」


ラリサは隣に座っているコリンを撫でながら、

「コリンもきっと気に入るわよ」

そう言うと、コリンが「ニャー」と返事をするように鳴いた。



 その日の夕方、アーネストが君とフリンクのことが気になって仕事が手に付かなかったとぼやきながら伯爵家に来た。

 ラリサは事の次第を包み隠さずに話した。嘘をついてもアーネストにはすぐに分かる。


「はあ、やっぱりな。フリンクの態度がおかしいとは思った」

「アーネスト、フリンク公子は盗んでいないわ」

「ああ、俺もそう思う」

「残るのはティルダ夫人ね」

「だが、彼女もあの日以外には金庫室に入っていないと言っていた。それも嘘ではない」

「でも、何か引っかかるわ」

「もう一度会ってみるか......」


アーネストはいつものようにラリサの頬にキスをして帰って行った。


 そして、その夜、ラリサは夢を見た。




 * * *  

 

 場所はどうやらティルダ夫人の私室のようだ。ラリサのドレスは夜会用に誂えたものなので、夜会の日なのだろう。

 

 ラリサは大きな鏡の前に座らされている。なぜかラリサの首にはあのルビーのネックレスが着けられていた。

栗色の髪をきれいに結上げたティルダ夫人が微笑みながらラリサの両肩に手を置いて鏡の中のラリサに話しかける。


「やはり、貴女のローズゴールドの髪にこのネックレスは良く似合うわ。婚約破棄される時にはこのネックレスが良い小道具になるわね」

「婚約破棄と言うと?」

「すべてはフリンクのためよ」

「フリンク様のため?」

「ええ、私は彼の子供の頃は酷い母親だった。自覚はあったの。ただあの頃健在だった主人の母親に、金持ちの子爵家から来た嫁なんてまともな行儀作法の一つも出来やしないと責め立てられる毎日で、とても辛くて弱い立場のあの子に当たってしまった。気が付いたらあの子は感情をまったく表に出さない子になっていた」


夫人の表情には深い後悔が宿っていた。

「あれはハジェンス伯爵領地から帰って来た時だったわ、あの子がとても穏やかな表情を見せたの。話を聞きだしてみると『ひまわり畑が美しかった。そこで伯爵令嬢に会った』と俯きがちにそう言ったの。その後すぐに頭を上げて『猫を飼いたい。いや飼います』と言ったので、びっくりしたわ。あの子が自分の意見を言うのは初めてだったから。でも分かったの。あなたに会ったせいだって。そして主人を説得して猫を飼わせた。それから猫にだけは感情を見せるようになったの」


ラリサは、振り返って夫人に聞いた。

「もしかするとフリンク様と私を結婚させようと?」

「そう、あの子に対する私の贖罪。先日、貴女と会った時に微笑んでいたあの子を見て私の考えが間違っていないと思ったわ。実はね、あのギエルグの事件のあと、私はリーヴァ国の従兄にアーネスト殿下のことを調べてもらったのよ。何が分かったと思う?」

「さあ?」

「アーネスト殿下には小さい頃から結婚の約束をしている公爵令嬢がいるのよ。彼女は殿下の五歳下の従妹なの。今日の夜会に彼女を呼んでいるわ。殿下は成長した彼女を見ればきっと自分の気持ちに気づくはず。あなたと婚約破棄をするに決まっているわ」

「夫人のお気持ちは分かりました。ところでこのネックレスを金庫室から出した方法を知りたいのですが」

「あら、皆で確認した()()()()()()()隙を見て金庫室から持って来たの。金庫室から場所を変えるだけなのだから問題ないと思って」



 夜会の場面に変わる。


 アーネストにエスコートされながら入った会場には、まだ幼さの残る顔に蜂蜜色の髪をハーフアップにしたリーヴァの公爵令嬢と思われる女性がすでに待っていた。

彼女はアーネストの瞳の紫色で全身を固めていた。


 彼女はラリサとアーネストを認めると、すぐにドレスを揺らしながら早足で二人の傍に寄って来た。


「アーネストお兄様、私と結婚の約束をしているのに、なぜこの女をエスコートしているの?」

「レネー、なぜここに?」

「愛する私がいるというのに、他の女と婚約するなんて馬鹿げたことを聞いたからに決まっているじゃない」

「私は君と結婚の約束をしたこともなければ、君を愛していると言ったこともない」


レネーはラリサとアーネストの腕を思い切り振りほどいた。そのはずみで足がもつれたラリサは傍にいたフリンクに支えられる形となった。フリンクの腕がしっかりとラリサの腰に回される。


「私が結婚してと言ったら、いいよって言ってたわ」

「それって、君が三歳か四歳の時の話だよね。そう言わなければ大声で泣きだすので仕方がなく頷いたんだが」

「いいえ、この間、戻って来た時だって私と結婚するって言ったわ」

「執務室で、君があまりにもうるさかったから皆に迷惑をかけると思って、君の言いたいことは分かったとそう言っただけだよ」

「私がずっとお兄様が好きだって知っているじゃない。他の女と結婚するなんて考えてみたこともなかったのに」

「この際ハッキリ言うが、私は君を妹以上に思ったことはない。君の両親の公爵夫妻もそのことは良く知っている。彼らからレネーと結婚してくれと言われたこともないよ」

「私と結婚すれば、公爵家の後援を受けられるのよ。そうでなければお兄様は王家のただの居候よ」

「そうか。なるほど、良く分かった」


 アーネストの言葉が自分との結婚を受け入れるものだと思ったのか、レネーはすぐにラリサと向き合った。


「それから貴女。結構美人なのは認めるわ。髪も綺麗、ドレスも素敵。でもどんな身分の女なの? え、すごいネックレスをしているわね? もしかして実家が大金持ちとか? そうなのね。お金でお兄様と無理やり婚約したのね。でも、残念ね。今夜、あなたはお兄様に婚約破棄されるのよ」

レネーはそう言って腰に両手を当てて胸を張った。


 ラリサはレネーの青い瞳に映る自分を見つめて

「アーネストがそう望むのなら」と彼女に答えた。

すると

「ラリサ、すまない......」

アーネストの絞り出すような声が聞こえた。



 * * *  

 

 


 目が覚めた。


 ラリサは久々にベッドの上で大きなため息を吐いた。

外はまだ仄暗い。あの後の展開を占ってみようかとも思ったが、クロフォードの『知らないことが幸せなこともある』という言葉を思い出して止めた。そして夢の出来事を反芻しながら夜が明けるのを待った。


 夜が明けるとマギーを呼んで軽く食事をとり、乗馬服に着替えて、二人の護衛を伴い王宮まで馬で駆けた。

一刻も早くアーネストに夢のことを伝えたかった。いや、アーネストに会いたかった。


 王宮の中を乗馬服で歩くわけにもいかないので、王宮の周りの道を通ってアーネストの部屋の近くの庭園の四阿に案内してもらった。

四阿の椅子に座ったラリサは護衛の一人に、アーネストを呼んで来てくれるように頼んだ。


 アーネストを待つ間、ラリサはなぜ自分はこんなに慌てているのだろうと考えた。そして、ああ私はレネー公爵令嬢に嫉妬しているんだと思い至った。


こんな気持ちはどうすればいいの? と心の中のあの人に問いかけようとした時、

「乗馬服姿もいいね。結われていない髪も新鮮だ」と四阿の下の道からアーネストの声がした。

「ごめんなさい、こんなに朝早くから」

「朝から君に会えるなんて、仕事が捗りそうだよ」


そう言ったあとで、アーネストはすぐにラリサに近づいて小声で尋ねた。

「夢を見たのか?」

「ええ」


 ラリサは夢で見たことを小声でゆっくりと正確に話した。


しばらくの沈黙の後、アーネストは

「この夢に関する限りは、事前に何かすることはないかな」と言った。

「そうね」

「だが、知っているか知らないかでは雲泥の差だ」


 ラリサはアーネストが夢の後の展開について何か言ってくれるかと期待していたのだが、彼は何も言わなかった。落ち込む心を押さえて立ち上がった。

「では、もう帰るわね」


四阿の階段を下りようとしたラリサの腕をアーネストが引いて自分の腕の中にラリサを捕えた。

「俺を信じるか?」

ラリサはアーネストを見上げ、右手を彼の右頬に伸ばして

「もちろん信じているわ。でもあなたはこの怜悧な顔立ちに似合わず優しい所があるから」

そう言って、ラリサはアーネストの腕からするりと抜けた。


 ラリサはそのまま四阿の階段を下りて、波立つ心を悟られないようにアーネストに努めて明るい笑顔を向けた。

「夜会には迎えに来てね。とても素敵なドレスなの。楽しみにしていて」

「ああ、必ず」


 庭園の小径を護衛たちと去っていくラリサを見てアーネストは

「俺の大切な人が可愛すぎる」と頭を抱えた。




 夜会当日。銀色を基調とした鎖骨が綺麗に見えるオフショルダーのラリサのドレスは、身頃から腰にかけて紫色の花が浮き立つように刺繍されていた。

迎えに来たアーネストは黒のスーツにサファイアのブローチをタイに着けている。


 馬車に乗るとすぐに「これを」とアーネストから差し出されたのは、揺れるダイヤのイヤリングだった。


「例のネックレスを着けるのなら、イヤリングはシンプルな方が良いと思ったんだ」

「そういえば夢の中ではどうだったかしら? あ、レネー嬢の瞳を見ていた時に私の耳元が光っていたわ。なぜ気が付かなかったのかしら」

「そんなこともあるさ」そう言って、アーネストはラリサの耳にイヤリングを付けた。

「綺麗だ......」

その言葉がラリサの心に染み入り、これから起きることへの不安をかき消してくれた。



 車寄せで馬車を降り、二人で公爵家の玄関に入った所で、ティルダ夫人に捕まった。

「ラリサさんにお話ししたいことがあるの。殿下、彼女を少しの間お借りするわね」

ラリサがティルダ夫人の私室に入ると、大きな鏡の前に座らされた。


 そうしてラリサの夢そのままの物語が始まった。

 


 会場の前で待っていたアーネストと一緒になると、アーネストはラリサの首元を見て「そのネックレスはもしかして」と尋ねた。少し驚かなくては不自然に思われるからだ。ラリサは何も言わずに首を縦に振る。


 そして会場に入るとまた予知夢通りの物語が展開していった。


 ただ夢では分からなかったが、レネーが話すたびにラリサの腰に回されているフリンクの腕が少しずつ緩んで来るのに気が付いた。振り向いて見上げるとフリンクはレネーに少しずつ心を動かされている様子だった。



 さて、「ラリサ、すまない......」と言ったアーネストはそのまま強引にラリサをフリンクの腕から奪い取り彼女を抱きしめた。


「すまない。これからバカップルに突入するぞ。あいつの目を覚まさせる」

ラリサの耳元でそう言うと、アーネストはラリサに熱い眼差しを向け、会場に通る声で話し始めた。


「ラリサ、君と私は魂で結ばれている。私は君なしでは生きていけない。他の女性と結婚するくらいなら、喜んで王子の立場を捨てよう。ラリサ、愛している。君の笑顔のない人生なんて考えられない。私に付いてきてくれるか? 私と共に人生を歩んでくれるか?」


ラリサはアーネストの首に両腕を回し、サファイア色の潤んだ瞳で彼を見つめた。

「ええ、喜んで。アーネスト、愛しているわ」


そして二人は口付けを交わした。その間、ラリサはせっかくバカップルの噂が払拭されたばかりなのにと思った。


唇を離したラリサが囁いた。

「アービィ、やりすぎじゃない?」

「ルー、本当の気持ちだよ」



 どこからかパチパチと手の叩く音がした。

「クロフォードの奴め」

と苦々しげに言ったアーネストの意に反して、瞬く間に会場中の人が拍手をし始めた。


 拍手が止むと、それまでフリンクの傍で目を見開いて硬直していたレネーが大声で泣き始めた。

フリンクがハンカチを差し出すとレネーはそれを取って、フリンクに縋り付いて泣き始めた。

フリンクは彼女の背中をさすりながら

「君は素晴らしいよ。これだけの人の前で自分の言いたいことを言えるなんて。さあ、外に出て風に当たろう。違う世界が見えてくるかもしれない」

そう言うと彼女を支えて、会場を出て行った。



「二人が幸せを掴めるといいわね」

「レネーはああ見えてもいい所もあるんだ」

「分かるわ」


そう、実際に接すると夢とは違う。レネーはわがままだが、表情が可愛いし憎める人ではない。一途であきらめない所はラリサにはない長所だ。ただ、もう少し相手の気持ちを考えることを学んで欲しい。きっと今回の出来事で変わるのではないかしらとそう思った。


 ラリサとアーネストは、手を繋ぎワイス公爵夫妻とクロフォードがいるテーブルに向かった。

彼らの前でアーネストがラリサの着けているルビーのネックレスを外してテーブルの上に置いた。

顔を強張らせているティルダ夫人を見て、ラリサは彼女を安心させるように柔かな微笑みを浮かべた。


「夜会前の緊張を和らげようと思いまして、庭園を散策していましたら片隅にこのネックレスが落ちていましたの。お届けする時間もなく、無くしてもいけないと思い、身につけさせていただきました。謹んでお返しいたしますわ」


「ワイス公爵。これで盗難事件は解決と言うことで良いのではないですか?」

アーネストの言葉に公爵はしぶしぶと頷いた。


「あの、それからこのネックレスはモーリン夫人を幸せにいたしました。私たちも幸せになると誓います。そしてフリンク公子様にも幸せが訪れることと思います。だからこのネックレスは不吉なネックレスではなく、幸せを呼ぶネックレスだと、スティナ国の使者にお伝えいただければ嬉しいです」


ラリサは正式な淑女の礼をして、その場を辞した。


 音楽が奏でられ始めた。


「踊ろうか?」

「考えてみたら、二人で踊るのは初めてね」

「足を踏むなよ」

「ふふ、あなたもね」


 ラリサはアーネストの肩に顔を寄せながら、明日にでも領地に向かおうと決心した。


 ――すぐに戻ればリーヴァに出立するまでには間に合うはず。ひまわりはまだ咲いていないけれど、あのどこまでも広がる澄み切った青空とひまわり畑を廻る柔らかな風は『また会う日まで元気でいるんだよ』と私を優しく包み込んでくれるはずだから。



 終

相変わらず、カードの絵や解釈なの土は全くの創作です。

お読みいただきありがとうございます。誤字脱字、無いことを祈っていますが......。

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