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【短編】まとめ

無能な私の殺し方~四度目の王女アーシュラは死を希う~

いつもお読みいただきありがとうございます。

 無能。

 それは、役に立たないこと。能力や才能がないこと。またそのさまやその人。

 対義語は有能。


 使用例:魔力が誰よりも豊富にあるのに全く制御できない無能な第一王女アーシュラ・ウィストリア


 ウィストリア王国では高位貴族や王族は基本的に魔力量が多く、魔法が使える。

 魔法の行使に必要なのは杖で、子供のうちから魔力があると判明した場合は自分に合う杖を探すのだ。杖を所持していても、より自分に合う杖を生涯探し続ける人もいる。


 私だって憧れていた。自分だけの杖を持つことに。

 父も母もキラキラした綺麗な杖を持っていた。一度に所持する杖は一本だが、その種類は身長くらいある長いものから手のひらくらいしかない実用的なサイズまでいろいろだ。


 私は類まれなほど豊富な魔力量を生まれた時から持っていたにもかかわらず、王国中からどんな杖を集めても魔法を使えなかった無能な第一王女アーシュラ。


 魔力がない無能の方がまだ良かった。ないならないで私も周囲も諦めがついたのに。

 無駄に王族として生まれてしまったのも良くなかった。両親つまり国王と王妃は、私のあまりに豊富な魔力量に期待し魔法が使えないのはなぜかと王国中の名医に診せ、職人を呼んであらゆる杖を作らせた。


 そうまでしても私は魔法が扱えなかった。原因は不明。そして期待された分、失望も大きかった。



 目覚めると、嫌な汗をかいていた。

 さっきまで私はパーティー会場にいたはずだ。魔物討伐から帰ってきた慰労パーティーで毒を盛られて倒れた。


 普段の私ならどんな毒にも倒れることはない。でも、魔力量が少なくなっていると強力な毒を盛られたら治癒が間に合わない。


 体に巡る豊富な魔力で傷も毒も勝手に治る。傷つけられても瞬時に治癒し、毒だって勝手に解毒する。

 命の危険を感じれば魔力が暴走して暗殺者はいつの間にか死んでいるし、軍勢や魔物に囲まれようものなら敵味方関係なく焼き尽くしてしまう。


 水が欲しい時に一滴の水を出すこともできず、寒い時に火を起こすこともできないのに、自分に命の危険がある時だけ魔法が行使されるのだ。私の意志に関係なく。


 暗い部屋の天井に向かって手を伸ばす。

 腕に見覚えのあるブレスレットを見つけ、反射のようにすぐに引きちぎって床に投げた。


 投げてから我に返り、起き上がってブレスレットを拾う。

 呼吸が速くなるのが自分でも分かるが、暗い部屋でブレスレットを触って眺めて確かめて安心した。

 大丈夫、あの石はついていない。違うブレスレットだ。だから、まだ大丈夫。


 あぁ……でも……あの石がまだついていないということは……。


「また、巻き戻ったわけね……」


 そう。私はこれまで三度死んで、今回は四度目だ。

 四度目の人生ともなると、何の嬉しさもない。

 前回までは良かった。「私は今度こそ無能な第一王女ではない人生を歩むんだ」と少しだけでも思えたから。


 でも、今回は最初から諦めて絶望している。

 どうせ明日はまた魔物討伐に駆り出されるのだ。巻き戻るといつもこのタイミングだ。


 明日はイスロ地方という場所に行かされて、私は一人で魔物の出現区域に放り込まれる。他国との戦争や国境の小競り合いなら前線に出される。

 無能な第一王女なら死んでもどうでもいいからだ。

 騎士たちと魔法使いたちは私が死んだら出てくるように温存されている。でも私は死なない。私の生命の危機に瀕して魔力が暴走し、周囲の魔物と人間は敵味方関係なく焼き尽くされるから。


 魔物の息遣い、近付いてくる足音、飛んでくる矢。

 何度戦場に放り込まれても慣れることはない。

 私は三度の人生で不思議と一度も戦場で死んだことはない。でも、全部の人生で私は殺されている。


 そう、私の実の妹に。

 第二王女リリアナに。



 翌日はイスロ地方に行くようになっていた。

 やっぱり私は人生を繰り返している。無能で無意味な自分の人生を。


 その事実に、まだ馬車に乗ったわけでもないのに吐き気がした。

 正直、もう死んだままでいたい。やり直しなんてもうしたくない。

 前回までは良かった。人生をやり直したい・やり直せるんだと希望があったから。今回は完全に完璧に諦めた。


 動きやすい騎士服に着替えさせられた私は馬車に乗る。誰にも強制されずに馬車に自分の足で乗り込んだけれど、家族は誰も見送りには来ない。「魔法が使えない無能なんだからこのくらい役に立て」ということだろう。自分で行動しているようで、私は相変わらず全ての行動を強制されている気がした。


「アーシュラ殿下」


 馬車の扉が閉まって、これから魔物のひしめく地獄に連れて行かれるのだろうと考えていると外から誰かが私を呼んだ。

 銀色の髪をした護衛騎士のダグラスがやや戸惑ったように馬車の外に立っている。


「あの、本日は……?」

「眠りたいから今日は同乗しなくていいわ。振り回して悪いわね」


 前線や魔物討伐に行かされる時はいつも幼馴染で騎士のダグラスに同乗を願っていた。馬車に乗る前に必ずダグラスを呼んでいたから、何も言わなかった今日は不思議に思ったのだろう。


「はい、失礼しました」


 ダグラスは去ろうとして私の腕にブレスレットがないのに気付き、思わずといった風に立ち止まった。


「昨日壊れちゃったの」


 うっかり、彼の前では癖でやや幼い口調になる。

 あのブレスレットは彼が私の十六歳の誕生日にくれたものだ。騎士になって初めての給金で買ってくれたもの。昨日引きちぎるまでは確実に私の宝物だった。


「では、新しいものを贈ります」

「いいわ。ちゃんと修理するし、せっかくの贈り物がまた壊れてしまったから悲しいから」


 ダグラスは頭を下げて去っていく。

 ゆっくりと馬車の扉が閉まった。


「裏切者」


 諦めているはずなのに、口にせずにはいられなかった。今すぐ床や地面に体を投げ出して「やり直しなんていいからもう私を殺して! 目覚めさせないで!」と叫びたいのに。


 三度目に死んだのは、昨晩引きちぎったのとは違うダグラスがくれた新しいブレスレットのせいだ。あのブレスレットには私の目の色と同じルビーのような石がついていた。

 死ぬ直前まで気付かなかったが、あの赤い石に魔力を吸われていたのだ。そうでなければ、私があのくらい残った魔力で毒を盛られて死ぬはずがない。死に瀕してやっと気付いた、少しずつ魔力を吸うあの宝石に。


 ダグラスが知っていてブレスレットを贈ったのかどうかは分からない。

 でも、幼馴染でよく一緒にいた相手からそんなものを渡されたとあれば疑うより他ない。妹のリリアナは見目の良いダグラスを自分の騎士に欲しがっていたから。


 案外「裏切者」という言葉はそぐわないかもしれない。ダグラスは私が魔法を使えないと分かる前から幼馴染で、態度に出さないだけで今は嫌々私の護衛をしているのかもしれないのだから。そもそも魔力暴走する私に護衛は必要ない。王女という身分で一応ついているけれど、皆手抜きをしている。


 四度目ともなると、嫌なことばかり考えてしまう。何度やり直しても私は先に進めていないのだから。


 一度目は魔物討伐で魔力が枯渇した後に毒を盛られた。二度目も同じく魔力暴走で魔力が枯渇したところで暗殺者に殺された。だから三度目の人生では魔力枯渇に注意していたのに、ブレスレットに仕組まれていてまた毒殺された。

 全ての人生に共通しているのは、私は結局魔法を意のままに使うことができない無能ということ。


 第二王女リリアナが珍しい治癒魔法を使えると分かってから、私は第一王女で魔力が豊富だけれども存在しない無能だった。


 でも、魔法がいつか突然使えるようになるかもしれないという一縷の望みを賭けられて魔法の家庭教師はついていた。その家庭教師に虐待紛いの教育を受けて命の危機を感じた時に、私は魔法が全く意に沿わない形で使えたのだ。

 私に激しく鞭を打とうとした家庭教師は火に包まれて丸焦げになった。水魔法が得意な侍女が近くにいたので何とか一命はとりとめたが、治癒魔法を使ってもまだ火傷の跡は残っているんだとか。


 皮肉にも丸焦げになった家庭教師は、私が意に沿わない形で魔法を行使できることとその威力を知らしめた。


 それから私は魔物討伐や前線に放り込まれている。

 これが無能な第一王女アーシュラ・ウィストリアの使い方。



 イスロ地方の魔物が出現した森に到着して、私は一人で魔物討伐のために森に入らされた。他の騎士や魔法使いたちは私の魔力暴走が終わるまでは森の外で待機する。

 いつもの光景、当たり前のことだ。第二王女リリアナならとんでもない数の護衛が一緒だろう。リリアナが魔物討伐や前線に行くことなんてあり得ないけれども。


 ちょっとやそっとのことで傷もつかず死なない私は一人で十分なのだ。そもそも護衛がついてきたら魔力暴走で彼らが死ぬかもしれない。


 待機組の姿が見えなくなるところまで歩いてから、私はしゃがみこんだ。

 しゃがんでいるのも疲れてきて、とうとう地面に手足を投げ出して寝転がる。


「このままどこかへ逃げようか。また死んで昨日に戻るのも嫌だし」


 いや待てよ。私が命の危機を感じなければ、魔力暴走は起きずにこの森で魔物に食われて死ぬだろうか。

 でも、痛いのは嫌だ。それに即死でなければ傷なんてすぐ塞がるので、延々と魔物に食われなければいけない。それも嫌だ、なんて面倒な体質なのだろう。


「いっそ、魔力なんてない方が良かったのに」


 仰向けに寝ていると上空をカラスが飛んでいく。それを目で追った。


「こんなに空って綺麗だったのね」


 皮肉だ。

 やり直そうと必死だった三度目の人生まではこのように空を見上げる時間もなかった。歯を食いしばって魔法をなんとか意のままに使えないか模索し、魔力が枯渇しないように自分の状態に神経を張りつめ、ダグラス以外の誰も信用できなかった。

 今となってはバカなことしかしていない。


 雲がほとんどない空は抜けるように青い。でも、ダグラスの目もこんな風に青かったと思い出してうんざりして起き上がった。ダグラスは銀髪に青い目で容姿端麗な公爵家の次男だ。

 きっと親から言い含められていたんだろう。私かリリアナのどちらかが女王になるから、どちらに転んでも王配になれるように幼少期から私の側にいたのだ。いざという時は無能な私を裏切ってリリアナ側にいけばいいし。


「もうダグラスなんてどうでもいいわ」


 幼馴染でずっと側にいた男性がダグラスだったから無条件に信頼して依存してしまった。

 普通の神経を持っているなら、こんな魔物がうようよいる森に一人で誰かを入らせない。どうでもいい人だったら入らせるんだろうけど。

 私は彼からもらったブレスレットを肌身離さずつけているほど彼のことが好きだったけれど、ダグラスにとってはどうせ死なないどうでもいい楽な護衛対象くらいの存在だったのだろう。


 バカみたいだ。

 なぜ、ダグラスだけは私のことを愛してくれるなんて思っていたのか。婚約もせず、何の口約束もしていないのに。ちょっと邪険にされないだけで舞い上がって信用してバカみたい。


 だめだ、心がずっとささくれている。

 無能なんて生きている価値がない。無能な王族なんだから命くらい張って魔物を倒してこい。家族にそう言われたではないか。


「もう……全部燃えちゃえばいいのに」


 急に世界が明るくなる。

 昼間だから明るいはずなのに、さらに明るくしかも熱く。何事かと見回すと私の周囲の木々が大きく燃えていた。


「え? どうして? 魔力暴走なんてしてないのに」


 魔力暴走はもっと体内で魔力が暴れる。その激しさで私も倒れるほどだ。でも、今はそれがない。


「誰かいるの⁉」


 そう叫ぶと、大きな魔物が一体出てきた。ブラッドウルフと呼ばれる大きな個体で、人間を殺すどころかバリバリ食べる類の凶暴な魔物だ。


 ブラッドウルフが私の方にヨダレを垂らしながら襲い掛かってくる。


「っこないで!」


 ブラッドウルフは何かに弾かれたように吹き飛んだ。私はまたも何が起きたのか分からずに混乱する。

 周囲に誰かいるわけでもない。魔法使いが隠れて私を守ってくれているわけはないし、魔力ナシでも使える高価な魔法アイテムを私が持っているわけでもない。


 もしかして、私は魔法を使っているのだろうか。いや、あり得ないそんなこと。


 グルルという唸り声がして、ブラッドウルフが起き上がっていた。その後ろからさらなる個体も現れている。元々群れで行動するタイプの魔物だ、一体いたら近くに十体いると思わなければいけなかった。


「とっ、止まれ!」


 一縷の望みをかけて、私は叫んだ。

 ブラッドウルフたちは口を開けて足を上げたままピタリと止まる。

 信じられない思いで、言葉にしたように停止したブラッドウルフたちに恐る恐る近付いて触った。触ってもそれらが動き出すことはない。


 杖でずっと訓練してきたのに。まさか、私の魔法は杖では発動しなかったの? でも、この国で魔法を扱える人達は全員杖を持って魔法を使っているのに。杖を奪われたら魔法を使えないのだ。


 二体のブラッドウルフを止めたはいいが、どうしようかと思っていると茂みから五体ほどまた飛び出してきた。


「ね、眠れ!」


 試しに思い付きでそう叫ぶと、五体のブラッドウルフたちはすぐに地面に倒れていびきをかき始める。


「え……凄い……!」


 私が発した言葉の通りになる。

 相変わらず燃え続けている木のことを忘れていたので、慌てて消火する。木にも魔物にも言葉の通りになった。


 その後は遭遇するあらゆる魔物に言葉を投げかけ、その通りになることが分かった。もちろん魔力は使っているが、魔力暴走のような激しい負担のかかる減り方ではない。

 歩ける範囲に魔物がいないことを確認して、私はまた土の上に大の字になった。


「あは、あははっ」


 本当に皮肉だ。諦めきって死にたいと願ったら、魔法がやっと使えるようになるなんて。しかも、こんな魔法の使い方は聞いたことがない。だって使う魔法のイメージをして、それから杖を振るはずだから。しかも魔法の中にも自分との相性があり、イメージしても使えないものもあるらしい。そして難易度も当然ある。最も難しいと言われるのは、リリアナやごく一部が使える治癒魔法だ。


 私はひとしきり笑って、はぁはぁと荒い息を整える。

 息が整ったくらいで、地面に伝わる足音が聞こえた。待機組が火が消えたのを見て魔力暴走が終わったと判断して森の中に入ってきたのだろう。


 私はいつも魔力暴走を起こして気絶してから回収されるので、待機組が森に入って来る場面に立ち会ったことはない。


 気絶したフリをして彼らがどんな会話をするか聞いてみようか。

 いや、もうそんな細かいことはいいか。人になんと言われているかなんてこれまでの三度の人生で嫌というほど聞いてきた。「無能は生きている価値がない」「無能なんだからこのくらい役に立て」「税で生活しているんだから魔物討伐くらい一人でやれ」。


 私は立ち上がって後ろでくくった髪についた土を払うと、待機組が来るのを待った。


「アーシュラ殿下!」


 最初に私を見つけて駆け寄ってきたのはダグラスだった。ダグラスの後ろで他の騎士たちや魔法使いたちは私が気絶していないことと、森がいつもよりも焼けていないことに驚いているようだ。


「終わったと思うわ。魔物は眠っていたり、動きが止まっていたりするだけだから素材が欲しければすぐに殺して頂戴」


 いつもの私なら魔力を暴走させ、森のほとんどを焼き尽くし魔物もほとんど骨だけになっている。だから、無能王女と舐められていた前までの人生ではよくグチグチ言われた。「骨だけにするから素材が全く採れない。こんなところまで無能だ」「森の再生に時間がかかる」と。


「殿下は大丈夫なのですか? ふらついたり、めまいがあったりなどは?」

「ないわ」


 いつもとあまりに違う私の様子に、ダグラスが心配してくれている。私は笑いそうになる口元に力を込めた。このままでは浮かれて喋ってしまいそうだ。「魔法が使えるようになったみたい!」と。


 でも、これは四度目の人生。頭の中の妙に冷静な部分がストップをかけた。

 杖を奪われたら魔法使いが役に立たないのと同じように、私は声を奪われたら魔法を使えないんじゃないか、と。声を奪われたら、私はただの魔力量だけ豊富な魔力暴走する無能に戻る。


「殿下?」

「なんでもないわ。魔力量が少なくなって頭が働かないみたい」


 ダグラスが手を差し出してくれるが、私はそれを断った。


「新鮮な空気を吸いながら戻るわ」


 誰にも見られない場所でまだ実験する必要はありそうだ。死にたいと希ったことを一旦脇に置いて、私は焦げた臭いがする森の香りを歩きながら吸い込んだ。

 焦げ臭い香りは良い匂いとはお世辞にも言えないのに、この空気を吸っていると今までのどの人生よりも生きている感覚がした。生温い空気も肌に感じる。空も青くて太陽の光は眩しい。


 これはきっと夢じゃない。私だけが見ている悪夢じゃない。私は間違いなく生きている。



 すぐに別の場所で魔物が発生したため、イスロ地方の件からそれほど間を置かずに完全に一人になることができた。


 魔力暴走があるので、私は一人で離宮に住んでいる。何せ暴走すればいろんなものを焼き尽くすのだ。城の一室に住んでいた時は暗殺者騒動で何度かボヤを起こした。

 昼間はよそよそしく世話する使用人がいるが、夜は騎士が巡回しているもののほぼ一人である。

 私の側にいくら人がいないといっても、城ではどこから誰が見ているか分からない。だから、魔物討伐で一人になれるのは幸運だった。


「やっぱり、発した言葉の通りね」


 地面にぺたんこになり「潰れろ」の言葉通りに潰れた魔物を見ながら、今度は飛行型の魔物に向かって「落ちろ」と言ってみる。そうするとその魔物は急に制御を失って地面に落下したのだ。


「でも、あの飛行型の魔物まで私の声が届いていたとは考えにくいわね」


 対象に声が届いたから魔法が使えるというわけではなさそうだ。

 でも、声に出したことは百発百中だ。試しに離宮の部屋に転がっていた古い杖を振ってみたが何も起きなかった。杖を振りながら声に出すと大丈夫なのだが。それなら杖は必要ない。杖を取り出して振るという動作自体が無駄である。


 私は待機組が来るまでしばらく大岩に腰掛けて思案する。

 イスロ地方の時は魔法が使えて混乱したものの、嬉しかった。でも、今はまた悩み始めている。魔法が使えるようになったら私は無能ではなくなって人生はバラ色だと思っていた。でも、よく考えたら私は三度リリアナに殺されているのだ。魔法が意のままに使えない無能な状態で。


 あれはリリアナが確実に女王になるためだろう。私は魔力量の多さと魔力暴走を起こす可能性が高いことから他国に嫁ぐこともない。繰り返してきた人生の中で気付かなかったことだが、魔物討伐や小競り合いの前線に出ている私を支持する人々も少しはいたわけだ。


 それなら、魔法が使えるようになったとバレるのは非常にマズい。殺される時期が早まるかもしれない。発動条件だってバレてはいけない。魔力が枯渇した状態なら私はどのみち毒を盛られたり、暗殺者に狙われたりすると呆気なく死んでしまう。


 やって来た待機組に気絶していないことをまたも驚かれながら来た道を戻る。


「殿下は最近、討伐の後で気絶されませんね」

「体が魔力暴走に慣れてきたのかもね」


 後ろからついてきたダグラスが気遣わしそうに聞いてきたので、適当に答えた。


「良かったです。いつも魔力暴走の後で殿下をお運びする時、顔色も真っ青で生きているのか疑わしかったので……」


 でも、あなたは一緒に前線や森の中に行ってくれないじゃない。それに前の人生では魔力を吸うブレスレットを贈ってきて私の死の原因を作ったじゃない。

 そう言いたくなるのを耐える。

 ダグラスだけが悪いわけじゃない。ブレスレットのことを見抜けなかったのは愚かな私。彼を信じたのもバカな私。


「ふふ、いつもありがとう」


 すべての怒りを心の中に引っ込め、ムカムカしながらも私はダグラスに微笑んだ。彼は数歩後ろで頷き、そっと頭を下げる。


 変なの、諦めきっていた私にまだ怒りがあるなんて。私は死にたいと希いながらみっともなく人生にしがみついているのだろうか。だから、逃げずに人間兵器みたいな扱いの王女をやっているのか。


 魔法を使えるようになっても、結局私は自分が大嫌いだった。



 何度かの魔物討伐の後で、慰労パーティーが開かれる。

 私ではなく、騎士・魔法使いたちをねぎらうためだ。私も一応参加はさせられるが、いつもバカにされた視線を向けられるのが嫌で中座していた。


 今日も私の目に合わせたような赤いドレスで私はパーティーに参加している。仕方ない、私は目立つ赤のドレスは嫌いなのだがこれを着ろと母から届くのだ。無能にドレスを選ぶ権利はないらしい。私はこういう扱いが当たり前だと今まで過ごしてきた。


 大して何もしていない、同行して素材を集めるだけの騎士たちと魔法使いたちがねぎらわれるのをぼんやり見ていた。無能だと陰で罵って私を上手く使って自分たちがねぎらわれるなら、とても良い立場だろう。私もできるならそちら側にいたかった。搾取されるのではなく、無能と蔑まれるのではなく、搾取する側に。


「お姉さま!」


 耳障りな声に振り返りながら、嫌な記憶が蘇る。「邪魔なのよ。いい加減に早く死んでよ、無能なお姉さま」という一度目の人生の終わりに聞いた妹の言葉。


 妹である第二王女リリアナは嬉しそうに、赤ワインの入ったグラスを持って私の方にいそいそと向かってくるところだった。

 そうだ、忙しくて忘れかけていたが妹はこういう人間だった。自分の可愛らしい容姿を存分に活かし、心配するフリをして私をあの手この手で貶め自分がさらに上に行こうとする。ついでに言えば、私は赤ワインなんて好んでいない。


 リリアナは私と同じ金髪だが、王妃である母譲りのグリーンの目の持ち主だ。外見だけだと小柄であるし本当に可愛い。守ってあげたくなるタイプだ。私は長身で細身で少しキツめの顔立ちなので妹のようにはなれない。


「あっ」


 妹は繰り返してきた人生と同じように、完璧な躓いた演技をして私のドレスに赤ワインをかけた。毎回これが変わらない。赤いドレスに赤ワインをかけてもあまり意味はないが、残念ながら今日のドレスには金の刺繍がところどころ使われていた。


「ご、ごめんなさい、お姉さま。お姉さまはお疲れだろうから飲み物をと思って……」


 吐き気がしそうなほど白々しい演技だ。

 国王と王妃の間には私と妹しか子供がいない。つまり王女二人だ。どちらかが女王になる。そしてまだどちらも婚約者を決めていないので、こういったパーティーで私たち王女をエスコートする男性はいない。

 エスコートする男性がいたら王配だといっているようなものだ。だから今日は私の側にダグラスもいない。


 次期国王・女王の指名は慣例によりその人物が十六歳からだ。

 私はもう十七だが、リリアナは十五。まだ指名できないのだろう。あるいは、ほとんど可能性はないが私と妹とで迷っているのか。揉めた場合は候補者が十六歳を過ぎてから、国王・王妃そして投票権のある貴族たちによって指名されることもあるのだから。


 いつものように諦めて「大丈夫よ、疲れているからもう失礼するわ」と妹に口にしようとして、はたと気付く。

 私は杖なしで魔法が使える。このパーティー会場で魔法を使うのはご法度だが、無能な第一王女なのだ。私が魔力暴走以外で魔法を使えるなんて誰も考えない。

 つまり、今世では初めて私は妹リリアナをいつでも殺せる。口を開いて何か言えば。


 その事実に、思わず口角が上がった。


「お姉さま?」


 思ったような反応を見せない私に妹は床に座り込んだままの姿勢で問うてくる。

 ちょっと我に返って考える。この妹を私は殺したいのだろうか。三度私を殺した妹を。一瞬で殺すのはもったいないのではないか。いや、そもそも妹に殺すような価値があるのか。


 分からない。自分の心が分からない。悔しいのか、復讐したいのか、それとも逃げたいのか。四度繰り返したからこそ分からない。


 私は妹に微笑む。妹はそれで安心したようだ。私がどうせ許して、疲れているからと中座するだろうと。治癒魔法が使えるだけの、国のために戦ってもいない妹にさえ舐められて死ねばいいと思われているのが私なのだ。


 気持ちを整理するのは一旦置いておく。今は少しだけやり返そう。

 私は歩を進めると、妹の後ろに控えていた妹付きの侍女の前まで行った。私にそんなものはいないが妹にはいる。


 私は微笑んだまま、妹付きの侍女の頬を打った。

 酷く乾いた音がした。


「あなた、何をしているの」

「お姉さま! 私の侍女に何を!」

「妹がいつまでも床に座っているのをなぜ傍観しているの。それに、飲み物を持ったまま走るのをなぜ止めないの」


 妹は国王と王妃に可愛がられている。頭はあまり良くないようだが、治癒魔法も使えるし、何より無能な第一王女よりは好かれている。ちなみにどの人生でも彼女はずる賢い。ここで私が妹を叱ったら私が悪者だ。だから、私は敢えて妹付きの侍女を職務怠慢だと叱った。今までの人生でやってこなかったことだ。


「さぁ立って」


 私は手を伸ばして妹を立たせる。私の行動が斜め上過ぎてポカンとしていたので、そのまま私に従った。


「じゃあ、私はドレスを汚されてしまったことだし失礼するわね。リリアナ、その侍女はあまり役に立たないんじゃない? 配置換えをした方がいいわよ?」


 無能な私に役立たずと言われるのは、さぞ気分が悪いでしょうね。

 妹と叩いた侍女にそう告げて、私はさっさとパーティー会場を後にする。今までのように俯かず堂々と顔を上げて。


 私が扉に向かっていくのと同時に貴族たちの囁きがさざめきのように広がっていく。


「無能な王女殿下だが……頭まで暗愚なわけではなさそうだ」

「ここ最近、魔力暴走も派手には起こされないそうだな」

「だが、王族なのに魔法を使えないというのはな」

「リリアナ王女殿下はあの通り少し……だが、治癒魔法を使える」

「骨折を治せるそうだな」

「あぁ。だが酷い怪我は治せないし、見目の良い騎士の治療ばかり優先して行うという話だ」

「王配候補を探されていらっしゃるのか」


 そんな会話を小耳に挟みながら、私は治癒魔法を使えるか試していなかったことに気付いた。


 視界の端にリリアナと仲の良い令嬢たちを見つける。

 あの子たちはニキビだとか隈だとかをお茶会でリリアナに治癒してもらっていた。そうやってリリアナは同性の友人を作るのが上手い。私はお茶会など開いたことはないし、そもそも許可も出ない。

 リリアナが治せるのは小指の骨折くらいまでだったか。それでも十分珍しいのだが。


「戻れ」


 扇で口元を隠しながらそっと彼女たちに向かって呟いた。ある令嬢の額にニキビが浮き出たのを見て笑いを耐え、騒がしい声と鬱陶しい視線の渦巻く会場から脱出した。


 治癒魔法も試したいが、自分の傷は試す前に治っている。騎士団の訓練でも遠目で見ながら声に出してみればいいだろうか。でも、私を助けてくれない騎士を助ける必要があるだろうか。


「っう……ぐっ」


 離宮に一人で戻ろうとしている私の耳に苦しそうな声が届いた。


 誰か具合でも悪いのだろうか。何とはなしに私は声のする方向に足を向けた。

 休憩室の部屋の入り口に知らない若い男性が座り込んでいる。扉が開け放たれているので見つけられた。閉まっていたら休憩室なんて絶対入らない。前の人生で連れ込まれて暗殺者に殺されそうになり、休憩室は丸焦げになったのだ。


「大丈夫?」


 珍しい黒髪の貴族令息のようだ。声をかけると、彼は苦し気に赤くなった顔を上げる。


「熱でもあるの?」


 黒髪は肩をやや覆うくらい。そして目はダグラスよりも綺麗な薄い水色だった。


「盛られました……」

「え?」


 思わず聞き返したのは聞こえなかったからではなく、理解ができなかったから。


「まさか、興奮剤の類?」

「は、い……」

「強力なのね。魔力でどうにもならないのね?」


 興奮剤は確かに存在するが、城のパーティーに招かれるような高位貴族たちは皆大なり小なり魔力を持っている。正規に流通している興奮剤は少ない魔力でも巡らせれば簡単に中和できるはずだ。彼は違法で強力なものを盛られたのかもしれない。


 意識も朦朧としているから、治癒魔法を試すのにもってこいかもしれない。ただ、問題なのは目の前の男がどこの貴族令息なのか分からないことだ。リリアナと大変親しくしている家の令息なら助けてバレたら困る。


「私に……魔力はありません」


 その言葉で私の思考は中断された。

 魔力がない高位貴族がいる? 嘘でしょう? そんな話聞いたことがない。だって、いたら私のように確実にバカにされているはずだから。


 黒髪の彼はそれ以上何も言わず、耐え切れないとばかりに荒く息を吐きながら床に倒れ込んだ。


「治れ」


 私は扇で口元を隠しながらそう呟いていた。

 リリアナと違い、私の治癒魔法は杖の先から迸る光などない。だが、明らかに私の体内の魔力量に変化があった。

 他の魔法と比べ魔力消費が大きかったので、めまいがして思わず近くの壁に手をつく。一方で彼の荒かった呼吸は徐々に落ち着いてくる。


 めまいが落ち着いてやっと私が体勢を立て直した頃には、彼は床に倒れ込んだまま私を見上げていた。


 まずい。彼にバレたかもしれない。

 いや、まだ大丈夫だ。治癒魔法まで使えたのなら、難しい記憶消去だって使えるはず。


「今回は……諦めて死なないでください」


 忘れろ、のわの形を象ったまま私は固まった。


「繰り返しておられるのでしょう?」


 彼は私の反応を見ながらそう続ける。


 頭でも殴られた気分だった。

 なんて愚かなんだろう。何も考えたことがなかった。自分以外も巻き戻ってやり直している記憶を持つ者がいるなんて。それがリリアナもだったらどうしよう。また魔力が枯渇した時を狙って私は殺されるのだろうか。あの子が確実に女王になるために。王位継承権を持つ者が一人なら、投票や支持など関係ない。


 落ち着くために唇を舐める。


「あなたと面識もないのに何を言っているのかしら。盛られた薬で頭がおかしくなった? 保護者を呼ぶ必要があるようね」

「レスター。レスター・ローズヴェルトです。王女殿下」


 ローズヴェルト公爵家。かの公爵家に娘はいないからリリアナとそこまで近くない。

 でも、ローズヴェルト公爵家に魔力ナシの令息はいなかったはず。すべての人生で大して社交をしていなかったツケが回ってきた。それか、高位貴族で魔力ナシは恥だから隠すように育てられてきたのか。それなら、なぜ着飾って城にいるの?


「殿下。どうか女王になってください。リリアナ王女が女王になればウィストリア王国は滅びます。私はそれを何度も見てきました」


 レスター・ローズヴェルトが偽名なのでは、と怪しんでいると彼は完全に私の盲点をついてきた。

 女王になる? 無能と呼ばれた私が? 魔法を使えるようになってもそれを隠して妹を恐れてウジウジしている私が?


「不敬よ」


 このまま彼といるのは危険だ。リリアナの手先かもしれない。

 踵を返す私に彼は何も言わなかった。



 そこからいつも通りの日常が続いていくはずだった。

 悩みながらも魔物討伐に向かうだけの日々。


「どうしてあなたがここにいるの」


 魔物がまた出現し、その地域に到着したところで私はいるはずのない顔を待機組の中に見つけた。


「公爵家が金をばらまけば後方支援に私を潜り込ませるくらいはできるんですよ」


 自称レスター・ローズヴェルトは騎士服姿でへらへらと笑っている。


「危ないから帰った方がいいわ」

「王女殿下が一番危ない場所に行かれるではないですか。まず帰るなら高貴なあなたでは?」


 なんなの、この人。誰も彼も分かっていてこれまで言わなかった。魔力量が多いだけの無能が命の危険に晒される場所に行くことを誰もが許容して、私だって王族に生まれたんだからと諦めていたのになぜ今更あなたがそんなことを言うの。


 そもそも、彼は魔力ナシなのに魔物討伐に参加するなんて危険すぎる。剣の腕が素晴らしいなら別だけど、物理攻撃が通りにくい魔物だっているのに。待機組の騎士たちだって魔法より剣が得意なだけで、少しは魔法が使える。


「とにかく私はあなたに何かあっても知らないから」



 緊張感のない男を置いて、私はさっさと魔物の出現ポイントに一人で向かう。


「凍れ」


 綺麗に氷漬けになった魔物の周囲を歩き回りながら、どうやら私は火魔法が一番得意なようだと分析する。魔力消費が一番少ないのだ。それに魔力暴走の時も周囲を焼け野原にしていたくらいだから、相性もいいのだろう。


「へぇ、詠唱タイプですか。なんと珍しい」


 私以外誰も入っていないはずの森で声がした。あまりに驚いたので、近くの木にやや暴走した魔力による雷が一発落ちる。


「止まれ」


 言葉を発しても、木陰から出てきたレスターは平気な顔ですたすたと私に近付いた。彼は私の目の前まで来ると、自慢げに身に着けている石のついた指輪を振った。

 一瞬だけ彼が私を殺しにきたのかと思った。でも、殺すならこの前が絶好のチャンスだったわけだ。それにもっと私が弱ってから出て来た方がいいはずだ。


「魔法アイテムです。回数制限はありますが、私に向かって放たれた魔法を無効化できるんです」

「そんな貴重なもの使わないで普通に声をかければ良かったのよ」

「どうも嫌われているようですから」

「気配も何もなかったのに……」


 そうだ、私は魔力が豊富で無意識に他人の魔力も感知している。だから魔力がなく物音さえ立てなかった彼のことは近くにいたのに認識できなかったのだ。


「なんで森の中に入っているの」

「魔力のない私の動向など誰も注視していませんから」

「それでもあなたは公爵家の……」


 魔物の気配がした気がして、私はピクリと身構えた。なぜかレスターは私を庇うように前に出る。胸元から彼は杖まで取り出していた。それを見て妙な気分になる。


「……何のつもりよ。あなた、魔力ないんでしょ。なのに何で杖を」

「あぁ、失礼。魔力がないのは初めてだからどうにもまだ勝手が……」

「え?」


 私の疑問に彼が答えることはなかった。

 気付いた時には軽やかな音とともにレスターの肩に矢が刺さっていた。

 悲鳴を上げそうになる私の腕を取って、彼はすぐにその場にしゃがみこむ。


「魔力暴走はやめてください。アイテムが一瞬で無駄になる」

「矢が刺さってるのにどうしてそんなに冷静なの⁉」

「何度も死んで記憶があったら、誰でもこうなるんじゃないでしょうか」


 軽口を叩いているが彼の顔色はだんだん悪くなっている。


「おそらく暗殺者でしょう」

「どうしてこんなところにまで」


 繰り返す人生の中で、暗殺者に襲われたのは城にいる時だけだった。


「殿下を殺すためでしょう。最近全く起きない派手な魔力暴走、そしてこの前の慰労パーティーでの態度」

「あれが悪かったの?」

「それで殿下の支持者が増えたってことです。焦る人が一人いるでしょう」

「リリアナね」


 周囲を見回しながら、どうすればいいか考える。

 とりあえずレスターの傷は治した方が良いだろうと口を開こうとしたが、止められた。


「魔力をかなり消費するからやめておいた方がいいでしょう。この矢には毒が塗ってあります」


 思わず舌打ちしそうになる。この前の興奮剤の解毒もかなり魔力を消費したのだ。ここで治癒魔法を使ってしまえば、魔力が温存できず暗殺者に反撃できないかもしれない。


「ここから生き延びられるか無能同士仲良くやりましょう。ひとまず、魔法は何度か無効になりますから」

「魔法アイテムを奪って私一人で逃げた方がいいと思うけど」

「おや、そんな言葉が出るようになられたとは良かったです」


 レスターの軽口は聞いていてイライラした。

 たった数分やり取りしただけなのに、私のことを理解したように上から目線で喋られるのは嫌だった。


「面識なんてなかったのに、まるで私を知っていたかのように言わないでくれる?」

「知っていますよ。三回の人生分」

「いい加減にして。私はあなたのこと今世で初めて知ったわよ」


 彼を置いて行って死なせる勇気はなかったので、仕方なく立っている彼の腕を取る。


「歩ける?」

「歩けますが……私を置いていかないのですか」

「無能同士仲良くしましょうってあなたが言ったんじゃない。死なれたら寝覚めも悪いし」

「てっきり、置いて行かれるのかと」

「大体、あなたがしゃしゃり出なかったら良かったのよ。私は怪我なんて一瞬で治るんだから」

「すぐ治るからといって目の前で傷つくのを見たい人間がいるんですか?」


 いるでしょ。じゃなきゃ、王女の私はこんなところにいない。

 その言葉は口に出さなかった。暗殺者が何人いるかも分からないのに、呑気に同じ場所で喋っているわけにもいかない。

 まさか、彼は暗殺者がいると分かって森に入ったの? まさかね。


 待機組に私の場所を知らせて助けに来てもらう方法もあるが、何人いるか分からない暗殺者にも私たちのいる正確な場所を教えることになる。つまり、レスターを連れて魔力を温存しつつなんとかこの森を出るしかない。


「結界」


 結界魔法があることは知っていた。

 無能の私は魔法が使えることを夢見て、前の人生で散々勉強だけはしたから。まさか今世で結界魔法まで使えるようになるとは思わなかった。


「結界魔法まで使えるんですか。それなら私は用無しでしたね」

「……あなた、喋らない方が良いわよ。浮かした方がいいかしら」

「何が起きるか分かりませんし、結界の強度も分かりませんから魔力は温存してください。私のことは適当に捨て置いていただいてもいいので」

「さっきと言っていることが違うわ」


 レスターと喋っていると本当にイライラする。リリアナにさえこんなにイライラしたことはない。


 結界が矢を弾いたので、私は不毛な会話をそれ以上続けなかった。アイテムを使って魔力を隠しているのか、暗殺者の居場所が探りづらい。


 結界はなんとか保ち、森の入り口が見えてきた頃に私はそっと振り返った。数歩後ろにいたレスターは毒が回ったのか冷や汗を流しながら微笑んだ。それにまたもイライラした。


「私の生殺与奪の権利を手にしていたご感想は?」

「意味が分からないわ」

「だって、あなたは前までの人生でいつもご自分でその権利を持っていなかったので。いつでも私を置いて逃げるか、殺せる権利を手にしていたご感想はいかがですか」


 レスターの言葉のすべてが私の神経を逆なでする。

 その意味が今分かった。

 私はレスターに返事はせず、森に向かって「焼き尽くせ」と言葉を投げた。途端にすべての木という木が燃え上がる。魔力暴走を起こした時のようだ。


「……暗殺者を殺すためとはいえ魔力は大丈夫ですか」


 レスターはさすがに大丈夫ではなくなったらしい。ふらついてしゃがみこみながらそんなことを言う。


 私はこの男のこういうところにイライラしていたのだ。魔力ナシの無能と呼ばれながら、自分のことよりも私のことを考えて行動する彼に。私を庇って毒矢を浴びるし、平気で自分のことは置いていけと命を諦める。


 彼の姿はまさしくこれまでの人生での私だった。無能だから、奪われても殺されても私はひたすら諦めていた。それが当然だとさえ思っていた。

 彼の杖を見て妙な気分になったのではなく、彼の背中を見て変な気分になったのだ。私は人に庇われたことがなさすぎて、誰かの後ろにいた体験などなかったから。それに、森の中まで私のために入って来てくれた人はいなかったから。


 私は単純だ。

 ダグラスの次は彼をその座に据えようとしてしまっている。彼が本当にレスター・ローズヴェルトなのか、信用できる男なのかも分からないのに。もう信じて裏切られたくない、でもダグラス以外を信じてみたい。特に、同じ無能と呼ばれる彼のことを。たった一度、一緒に命懸けで行動しただけで。


 出来過ぎている、出会いからすべて。これまでの人生の記憶が彼にあるなら簡単なのだろうけれど。


 私は座り込んでいる彼の顔を覗き込んだ。綺麗なアクアマリンのような目が私を捉える。

 やっぱり、私は彼と面識はなく庇ってもらえる理由もない。


「治れ」


 魔力がごっそり持っていかれる感覚と、せりあがってくる不快感で私は彼から顔を背けて咳をする。血が少し混じっていた。魔力の枯渇が近い。魔物討伐の後は森を全部焼いて、治癒魔法まで使ったのだから仕方ない。


 ケホケホと咳き込みながらしゃがみこんでいると、彼が近付いてくる気配がした。


「なぜ……? 魔力をそこまでして……」


 レスターは少し迷ったようだったが、火が迫ってくるのでしゃがみこんでいる私を慎重に抱きかかえて森から出るために歩き始めた。ダグラスにもこうしてもらっていたはずなのだが、意識が少しでもある状態なのは初めてだ。


 魔力が枯渇しかけて朦朧とする意識の中で、私は抱きかかえられたままレスターの首に縋りついた。そして、これまで誰にも言ったことがなかったことを口にしてしまった。


「レスター、あなたは私を裏切ってはいけない」


 そんなことを言う資格は無能な私にはない。でも、魔力が枯渇しかけて意識が朦朧としないと私は自分の本当の望みさえ言えなかった。薄い色の目が見開かれている。


「あなただけは、私に死んでもいい無能と言わないで」


 誰も彼も、私のことを死んでもいい存在として扱った。私は、誰かに生きていていいと言って欲しかった。生きていていい存在だと行動で示して欲しかった。


「私だって魔力ナシの無能ですからそんなことは言いません」


 吐き気を堪えていると、レスターの声が降ってくる。


 魔法が使えるようになっても私はやっぱり無能だった。私は戦う前に、対等になる前に全てを諦めていた。無能な私は死んだ方がいいと思っていた。レスターを信じたら何か変わるだろうか、無能な私は死ぬだろうか。


 魔力の枯渇の気持ち悪さに耐え切れなくなって、レスターの温かさを感じながら目を閉じる。


「あなたに死んでほしいなら、わざわざ巻き戻すことはしません」


 遠のく意識の中で考えてしまう。ダグラスのことは好きなはずだったけれど、こうやって自分から体を預けたことはなかった。



 魔力の枯渇は休めば治る。

 完全に回復しきる前に、珍しく私は夜会に呼び出された。普段なら魔物討伐や他国との小競り合いの慰労パーティーくらいにしか招待されないので、これが何のための夜会なのか分からない。しかし暗殺者を差し向けられたことから、今回の夜会では毒が待っているのだろう。


 このまま黙って普段通りにしていては、またリリアナに殺される。

 侍女に赤いドレスを着せられながら私は考える。私のドレスは馬鹿の一つ覚えのように毎回赤だった。


 準備を終えて離宮を出ると、ダグラスが立っている。騎士服ではなく、夜会に参加する盛装姿だ。


「どうしたの。今日護衛の仕事はないでしょう」

「こちらをアーシュラ殿下にお渡ししようと」


 ダグラスがゆっくり取り出した箱には赤い石のついたブレスレットが入っていた。あの、三度目の人生で私の死因になったものとそっくり同じだ。


「……素敵ね。でも、私、誕生日でも何でもないと思うけれど」


 魔物討伐に行きすぎて最近は日付の感覚はないが、私はもっと寒い時期に生まれたはず。


「今日はリリアナ王女殿下の誕生日ですから、女王の決定があるはずです」


 もうそんな時期なのか。私はリリアナの十六歳の誕生日まで生きたことはなかったはずだ。なるほど、リリアナも焦るわけだ。彼女にとって私は無能な姉で、目の上のたんこぶなのだから。


「それとプレゼントは何の関係もないでしょう?」

「父はリリアナ王女殿下が女王になると思っています」

「大多数の貴族がそうでしょう?」


 ダグラスはそこで大きく息を吐いた。珍しい、いつもクールな彼なのに。


「その時は、アーシュラ殿下に求婚させてください」


 どうにかしてブレスレットを断ろうと考えていると、ダグラスはそんなことを言った。


「……私は無能な王女なのに?」


 あなたが三度目の人生で私を殺したも同然なのに? 求婚? 何を言っているの。

 バカな私が喜ぶのでも見たいの? リリアナの差し金?


「私は幼い頃から殿下だけを見てきました。もう……これで殿下は魔物討伐や前線に行かなくて済みます」


 苦しそうに言うダグラスを見て、唐突に思い出した。ダグラスだって最初は私が魔物討伐や前線に行くのに反対していた。でも彼も騎士になりたてで下っ端だったから、いくら実家の爵位があるとはいえ決定は覆せなかったのだ。「じゃあ、お前も一緒に森に入ったらどうだ」と指揮官に言われているのを見て、私が「一人で行く」と言ったのだ。


「指輪はまだ……準備ができておらず……殿下のお好きなものをと思って……」


 私が黙ってブレスレットを見ていると、ダグラスの声はだんだんしぼんでいく。珍しく彼の顔は赤くなっていた。


「ありがとう、そこまで考えてくれて。それならブレスレットは後で受け取るのでもいいかしら。あの、バラの咲いた庭で受け取りたいの。ダメかしら」

「あ、いえ。気が利かず……」

「そんなことはないわ。ありがとう」

「その、殿下は以前のブレスレットを全くされていないので……焦りました」

「大切なものはずっとつけていたら壊れてしまうから。また壊れたらと思うと悲しくて」


 意外とダグラスは目ざとい。適当に話をしながら、夜会の会場へと向かう。ダグラスも自然とついて来た。ダグラスは何が何でも入場前に私にブレスレットをつけさせようという雰囲気ではない。彼はきっと利用されただけだろう。


「まだエスコートは受けてはいけないから。別々に会場に入りましょう」

「殿下はいつもダンスをされませんが、今日は私にその権利をいただけますか?」


 ダグラスのよく晴れた空のような目を私は見た。

 一度は裏切られたのかと思った。不器用ながら私を数歩後ろから見てくれていた、私の騎士。


 でも、即答できなかった。私が求めているのはもっと薄い青である気がしたから。

 ダグラスは真面目だ。指揮官に逆らってこっそり森に入ってくることはない。でも私は数歩後ろでずっと待たれているよりも、森で急に声を掛けられて驚く方が良かった。


「会場の雰囲気によるんじゃないかしら。ねぇ、ブレスレットは……高そうだったけれど、ダグラスの負担にならなかった?」

「そんなことはございません。ただ恥ずかしながら何を贈ればいいのか分からず……リリアナ王女殿下がいろいろ提案してくださいました」

「あぁ、そうなのね」


 意外にも私とリリアナは不仲だとは思われていないのだ。リリアナが頻繁に「お姉さま」とパーティーで絡んでくるから。それに、リリアナは外面がいいから狙っていたダグラスに本性を気取られるようなことはしないだろう。

 少しだけ嬉しかった、おそらく私の中の初恋が報われた気持ちが急速に沈んでいく。


 ダグラスが恥ずかしそうにしてくれた求婚を前回までに聞けていれば、私は即答でイエスと答えただろう。でも、今回はイエスと言わない。

 だって、無能な私を今日で殺すんだから。そう、今、決めた。初めて私は誰にも強制されずに自分で決めた。


「じゃあ、後でね」


 ダグラスと別れて会場に入ると、離宮の前でぐずぐずしていたためすでにパーティーは始まっていた。

 私の周囲に当然人は寄ってこない。でも、参加者の中に黒髪を見つけて私はそちらに向かって行った。普段ならこんなことはしない。でも、黙っていればリリアナに殺されるだけだ。どうせ繰り返すなら今日くらいは好きにしよう。


「レスター。踊ってくれない?」


 女性からダンスに誘うのはマナーとしてはしたないとされているので、周囲にいた貴族たちがぎょっとしている。

 でも彼らだって女王になるのはリリアナだと思っているんだったら、私がどう行動しようとどうでもいいでしょう。


 肝心のレスターは私が急に現れたことに少し驚いたようだったが、すぐに手を取ってくれた。毒の影響はなさそうだ。そして、彼は全身黒い夜会服だ。陰鬱な印象を与えそうなのに、全くそんなことはない。


「焦りました。あの後、殿下と全くお会いできなかったので。手紙も出せませんし。魔力は回復しましたか」

「完全じゃないけど大丈夫よ」


 私の手を取って歩きながら、レスターは軽く微笑んだ。

 強い視線を感じて振り返ると、会場の隅でダグラスが驚いたようにこちらを見ていた。視線は確かに合ったが、私はすぐに逸らした。先ほど見た赤い石が脳裏をちらつく。不思議と求婚の言葉は思い出さなかった。


「踊りながら話しましょう。今日、女王が決まるのよね? 私、ここまで生きたことがないの」

「はい。アーシュラ王女殿下が亡くなられた後で葬儀が終わり、リリアナ王女殿下が女王になることが決定して涙ながらに演説をするという筋書きでしたね、毎回。彼女は倒れたアーシュラ殿下に治癒魔法を使おうとさえしなかったのに、どうして皆あんなよく分からない演説で泣けるのか分かりませんでした」


 レスターはやや嫌そうに語る。それだけで彼を信用していいと思ってしまう。


 教養として一応ダンスはできる。でも、こんな風にパーティーで踊るのは初めてだ。


「無能に治癒魔法は使わないってことでしょう。それに、私は倒れても怪我をしても大丈夫と思われていたから」


 リリアナはまるで小説の主人公みたいだ。私と違って無能と呼ばれず、皆から愛されて。それなのに私を殺そうとする。私はリリアナを殺そうとしたことなんてないのに。リリアナとしては無能な姉が生きているのが許せないのだろう。私が妹に生まれていたら少しは違ったかもしれない。これも、皮肉だ。


「リリアナ王女殿下が女王になると、いつもどこかの国と戦争が起きます。そしてウィストリア王国は戦争に負けて滅亡します」

「うちの軍はそんなに弱かった?」

「アーシュラ殿下にまかせっきりにしていたせいで、戦い慣れておらず死者が多く出るのです。兵力や魔法ではなく、戦術的に負けますね」

「そう。それにしてもどうして毎回巻き戻るのかしらね。ウィストリア王国に何か秘密でもあるとか?」

「今回は巻き戻らないでしょう。だって、魔力がもうありませんから」

「え?」


 レスターの言葉がよく聞こえずに聞き返すが、レスターは踊りながらまたちょっと笑った。ふざけた笑いではなく、悲し気な笑い方だ。


「殿下、今回だけは死なないでください。もう巻き戻りませんから」

「レスター?」

「殿下は、私と母を救ってくれたんです」

「あなたと面識はないわ」

「一度目の人生の時、私はイスロ地方の魔物が出た森の近くに住んでいました。私の母はローズヴェルト公爵の愛人でしたからね」


 あぁ、だから私は彼の存在を知らなかったのか。急に身の上話を始めたレスターを疑問に思いながらも、妙に納得する。イスロ地方は王都と離れているから、身ごもった愛人が逃げたか追い出されたのだろう。


「魔物が襲ってきて母は怪我をして、その時にアーシュラ殿下が討伐に来てくださったのです。殿下が来てくださらなかったら全員食われていたんじゃないでしょうか。魔物が出た地域の住民は皆、知っていますよ。殿下がお一人で何をしているかくらい。だって待機組の奴らは夜に酒場で酒を飲んで、仕事をしていないくせにあなたのことをバカにしているんですから」

「最後のは聞きたくなかったわね。それで、なぜあなたはローズヴェルト公爵家に引き取られることになったの?」

「私は公爵とよく似ているので。魔力も平民にしては珍しいほどありましたし。魔物被害で身を寄せた教会の関係者から情報が洩れて引き取られました。ローズヴェルト公爵家の一人息子は病弱でしたしね」

「一度目は魔力があったの?」

「三度目まではありましたよ。一度目と二度目は貴族の教育をされている間にあなたは亡くなり、三度目はリリアナ王女殿下の王配候補にまでなったのですが結局国は滅びましたね。ですから、あなたが巻き戻りのカギなのではないかと思い今回は接触したのです」

「それはおかしいわね。巻き戻っているのに魔力がなくなるなんてことがあるの?」

「今回は立派な無能になりました。なんとか知っている情報を予知のように見せかけて公爵家に引き取ってもらえたものの、殿下への接触は難しかったのですよ」

「それで興奮剤を盛られたところに私が通ったってこと?」

「あれは公爵に盛られたんですよ。リリアナ王女殿下に近付けと。興奮剤で関係を持ってもいいですし、治癒魔法を使っていただいて距離を縮めてもいいという指令でした。魔力ナシは初めてでしたから、中和できなくて焦りましたね」


 私が何も言えないでいると、レスターの視線が私の後ろに向く。


「殿下、今日は飲み物や食べ物は絶対に口にされないようにしてくださいね」

「それは分かってるけど。だって、今日はきっと毒を盛られるんでしょう?」

「えぇ、今日を回避したらリリアナ王女殿下はさらに焦って派手に動くでしょう」

「あの子は女王に任命されるのに?」

「戦争が起きたら前線に行かされるのはアーシュラ殿下ですよ。そこで殺されるかもしれません。女王に任命されても女王にならなければいいので、先に彼女の尻尾を掴みます」

「どうしてあの子は私をそこまで殺したいのかしら。女王の座を手に入れたらそれでいいじゃない」


 もうすぐ曲が終わる。

 レスターに言ったように、私は食べ物や飲み物を口にする気はなかった。そしてこの後の行動は決めていた。


「王配候補になった時に聞いたことがあります。代々、王は赤い目の者が多かったそうですね。その赤い目を、無能と呼ばれるアーシュラ殿下が受け継いでいるのが特に気に入らないとおっしゃっていました。あとは身内に魔法も使えない無能がいるなんて許せない、王家の恥だと」


 赤い目は王の証、少し前まで言われていたことだ。私が無能だと周知される前まで。赤い目を受け継いだのは私にはどうしようもない。この目があげられるなら、いくらでもリリアナにあげたのに。


「魔力が豊富で魔法が使えると、魔法を使えない者を軽視してしまう傾向があります。私も以前まではそうでした。今回、魔力ナシになってみて身に沁みました。殿下はずっとあの視線と陰口に耐えていたのですね」


 私が口角を上げるのと同時に、とうとう曲が終わった。

 レスターがどう動くのかは知らないが、私はこの後の行動をもう決めている。きっと、今日でなければ無能な私は殺せない。


「ねぇ、レスター。無能は生きている価値がないと思う?」

「私は元々そちら側に近かったのですが今は思いません。思いたく、ありません」


 レスターはまた悲し気に笑った。

 なぜ私たちはやり直しているのか、なぜレスターが魔力を失ったのか私には分からない。


「じゃあ、私のことを信じていて」


 レスターの腕に添えていた手を放すと、私は背を向けて玉座の方に歩き始める。


「アーシュラ殿下?」


 レスターの困惑したような声が聞こえたが、無視した。どうか、今日だけは私を信じて庇わないで欲しい。

 会場の隅からダグラスも動いていたが、それも無視する。私は玉座の近くまで行くと、父と母の前で礼を執った。


「陛下、リリアナの誕生日ですので私から余興を披露したく存じます」


 国王である父は私を無視したいようだったが、周囲の視線がすでに集まっていたため仕方がなさそうに「何だ」と答えた。


「私とリリアナの決闘などいかがでございましょう。楽しんでいただけるはずです」

「魔力暴走を起こして祝いの席を台無しにするつもりか?」

「いいえ。最近暴走まではいきませんし、それにここには大変優秀な貴族の方々がいらっしゃるではありませんか。彼らに結界や障壁を張ってもらえばいいだけのこと。私の魔力暴走くらい彼らは防げるでしょう? それに、万が一怪我人が出てもリリアナが治癒できますでしょう」

「祝いの席で決闘だなんて」


 考え込んだ父に母が非難を滲ませた声を上げる。母は私を生み「無能を生んだ」と散々なじられたと聞いているからこの反応も仕方がない。リリアナが生まれてからは手のひら返しをされたようだが。


 魔法使いの決闘は野蛮でもなんでもなく、正式な伝統だ。いくら国王でも断るには相応の理由がいる。それに、周囲で聞いていた貴族たちは決闘を期待するような会話をすでに始めているのだ。

 面白くて仕方がないだろう、無能な私が魔法の決闘を提案するだなんて。


 父は少し考えて、護衛騎士を呼びつけ何か指示を出す。

 護衛騎士たちが動いて中央にスペースを作り、高位貴族で魔力量が多いものたちが結界を周囲に展開し始めた。友人たちと喋ってご満悦だったリリアナも呼ばれた。


「え、決闘?」


 リリアナの高めの声が響き、彼女は私を信じられないという目で見た。いくら私を支持してくれる貴族がいてもそれは少数。騎士たちの中にもいるかもしれないが、彼らに投票権はない。私が女王になれないことは明白なので、気でも狂ったと思われているのかもしれない。


 いいじゃない、リリアナ。私のことが殺したいくらい嫌いなんでしょ?

 決闘では対戦相手を失神・気絶・戦闘不能にすればいい。最悪、死亡させても罪には問われない。そうなる前に誰か止めるだろうが。

 リリアナは少し考えたようだが、貴族たちが結界を張っているのを見て頷いて中央のスペースに進み出てきた。


「あぁ、忘れていたわ。誰か私に杖をかして下さらない? 私、持っていないのよ」


 古い杖は離宮に転がしてある。あれは家庭教師を丸焦げにした時に持っていたものだから、今日持つのはやめておこうと思ったのだ。私に杖は要らないし、最悪その辺のフォークやスプーンで代用してもいい。気が狂ったと思われて舐められる方が都合がいい。

 他人の杖をかりるという行為は、魔法使いにとっては恥だ。自分の杖に皆誇りを持っているから。


 狙い通り、失笑が巻き起こる。


「とうとう、無能な王女殿下は気が狂ったようだ」

「魔力暴走でも起こすつもりかと思ったが」

「まぁ、お姉さまは私の誕生日を本当に祝ってくださるのね」


 リリアナまで笑っている。


「予算がないから贈り物ができなくて。私にはこのくらいしかリリアナにお祝いができないのよ」


 リリアナに適当に言葉を返す。失笑の中で慌てたように進み出てくれたのは、やっぱりレスターだけだった。


「殿下、私の杖をお使いください」

「あら、ありがとう」


 周囲に貴族たちがいるから、レスターは質問したくても何も聞けないようだ。アクアマリンのような目には心配と恐怖が見える。比較的短い杖に手を伸ばして、レスターの指と触れあった。大丈夫という意味を込めたが、伝わっただろうか。

 ダグラスも信じられないという表情で私を見ている。


 私は数多の視線を感じながら、リリアナの待つ中央までレスターの杖を持って歩いて行った。途中で給仕が水を薦めてきたが断ろうとして、やはり考え直して口をつけるフリだけした。やっぱり、リリアナは私を殺すつもりだったのだ。無能な私の存在を許さないから。


 リリアナと向かい合い、杖を胸の前で持って礼をする。これは決闘のマナーだ。

 顔を上げるとリリアナは笑っていた。私のことを無能で可哀想だと思っている笑い方で、目には隠しようのない蔑みが見える。


 礼をした後はお互い決められた位置まで歩いて行って、距離を取ってからまた向かい合う。歩いている間に顔が見えた参加者たちは大体リリアナと同じような笑みを浮かべていた。違うのは、レスターが心配そうに私を見ていることだろうか。もう一つの強い視線はダグラスだろう。


 リリアナの杖は私の胸のあたりに突き付けるように向いている。でも、私は口の前で杖をまっすぐに保持したままだった。


「始め!」


 いつの間にか決まっていた審判役の貴族の号令が聞こえる。

 リリアナの杖から水魔法が迸った。治癒魔法を使える者は大抵の場合、水魔法が得意なのだ。


「結界」


 私はぼそりと呟く。杖で口元をなるべく隠しているし、このくらいならバレないだろう。

 リリアナの水魔法はたくさんの魚の形を象って、私の方に向かってくる。しかし、結界に弾かれて魚は破裂しただの水の塊になって周辺をぼたぼたと濡らした。


 リリアナは目を細めて怪訝そうな表情をしたが、再度水魔法を放つ。この感じだと審判はリリアナと親しい貴族だろう。リリアナは最初から手加減する気はないようだし、魔力が完全に回復していない私に大きな怪我でも負わせる気だろう。最悪の場合、殺すのか。さっきの水で少しは毒を飲んだと思っているだろうし。


 大きな龍の形になった水の塊が私に襲い掛かってくる。観客となった貴族たちはリリアナの見事な水魔法に歓声を上げ、私の結界が水龍を難なく弾くと野次が飛んだ。


 何度かそれを繰り返す。リリアナの治癒魔法以外は初めて見たのだが、私もそろそろこの展開には飽きてきていた。リリアナは水魔法が一番得意ということはよく分かった。


 ワンパターンなリリアナの攻撃と防御だけの私に、段々つまらないという不満の声が周囲から上がり始める。


「火球」


 私はそれっぽく杖を振って小さく告げた。

 私の周辺に小さな火球が数えきれないほど出現する。魔法が使えないはずでは、とどよめく貴族たち。そしてリリアナも驚いている。


「行け」


 またもそれっぽく杖を振ると、火球が一斉にリリアナに襲い掛かった。リリアナは焦ったように杖を滅茶苦茶に振って水魔法を展開している。知らなかったのだが、彼女は結界魔法を使えないらしい。


「凍れ」


 火球に水魔法を当てて消しているが、私は消火を邪魔するようにリリアナの水魔法を凍らせた。避けきれなかった火球がリリアナの体に火傷を負わせ、せっかくの見事なドレスを焦がす。


「火龍」


 さっき見た水龍が素敵だったので、私も真似して出してみた。リリアナよりも大きなサイズの龍を象った火魔法だ。


 まだリリアナが火球に苦戦している間に、私は火龍をリリアナに向けて放った。貴族たちは悲鳴を上げる。

 リリアナは変わらず焦った様子で杖を振る。鉄砲水のような攻撃が私の持つ杖を目掛けて飛んできた。攻撃に転じた時に結界は解除していたので、私の手に勢いよく水が当たってレスターの杖が床に落ちて攫われていく。


 リリアナが「やった」という顔をし、私の魔法にポカンと口を開けていた貴族たちは我に返ったようにリリアナの名前を叫ぶ。

 私は手の水を払いながらレスターを探し、見つけると笑った。彼だけは確実にリリアナを応援していなかった。レスターは皆が熱狂する中で私だけを射抜くように見ていた。


「燃えろ」


 すぐにリリアナの方に顔を向けて、そう叫ぶ。

 リリアナがいる場所に一瞬で火柱が上がった。何が起きたのかも分からず、悲鳴さえ上げる暇もなかっただろう。

 一瞬の静寂の後「は、早く火を消せ!」「リリアナ!」という国王と王妃の声で我に返った者たちが水魔法を繰り出し始めた。


 私はリリアナに向かってさらに火球を放つ。


「アーシュラ! 何をしている! これ以上はやめぬか!」

「決闘終了の合図が聞こえませんので。これはルールですから」


 審判が決闘終了と勝者を宣言するまでは攻撃を続けていいというのが決闘のルールだ。


 国王の言葉に、レスターの杖を魔法で引き寄せながら答える。

 私の火魔法は強力なので数人がかりで消火しているがなかなか消えない。国王が審判役を睨むと、審判役の貴族は慌てて私が勝者であることと決闘終了を宣言した。


「し、勝者……アーシュラ・ウィストリア殿下!」


 結界が解かれ、貴族たちがリリアナに杖を向けてありったけの水魔法をかけている。

 私は杖についてしまった水滴をドレスで拭いながら、レスターのところに戻る。


「杖が濡れてしまったわ」

「そんなこと、どうでもいいですよ……」

「行きましょう」

「どこへ?」

「ここじゃないところ」


 振り返ると、リリアナの消火は終わっていた。

 今度は必死に治癒魔法を使っているのだろう。死なないように加減はしたから、家庭教師と同じように火傷の跡が残るくらいではないだろうか。

 それを見るたびにリリアナは自分の魔法が及ばなかった今日のことを思い出すだろう。無能な私に全く歯が立たなかったことを。自分こそが散々バカにしていた無能であると突き付けられた時に、リリアナは何を思うのだろうか。こうするために、私は最初にわざと防御だけしていたのだ。


 レスターの腕を引いて会場を歩くと、貴族たちが自然と私たちのために道を開ける。

 割れた人垣の中の悠々と歩いて、会場の外に出た。

 まだ目の前で起きたことを皆受け入れられていないだろう。だから、私が会場から出ても何も言われなかった。正気に戻ったら捕まるかもしれない。


 会場の扉に念のために封印をかけ、レスターに向き直った。

 彼は泣きそうであるような、それでいて嬉しそうであるようなおかしな表情をしていた。


「どうしてそんな顔をしているの」

「殿下が近くにいるのに、遠い気がして……いえ、殿下は今日示されたのです。ご自分は無能ではないと」

「そうね、無能な私は今日で終わりにするの」


 まだ無能な私は終わってない。

 レスターの腕を取って再び歩き始める。静かな廊下に靴音が響いた。しばらく歩いて、レスターが口を開く。


「では、今日で殿下とはお別れですね」

「どうして?」

「ご自分で無能をやめた殿下の側に魔力ナシの私のような無能は必要ないでしょう。殿下が今日こんなことをするとは夢にも思っていませんでしたから。毎回いつだってあなたは生きることを諦めていた。でも、今回あなたは諦めなかった。だから、私はもう必要ないでしょう」

「私は女王になったわけでもないのに?」

「あれほどの魔法を見せつけたのですから女王の座は回ってくるはずです。それにリリアナ王女殿下にはきっと後遺症が……」


 階段を下りながらそんな話をしていて、私はふと立ち止まった。

 窓から半分欠けた月が見える。


 レスターが話してくれていたのに、私にはずっと不自然に聞き取れない彼の言葉があった。それが今、はっきりした。私は聞きたくなかったのだ。だって、聞く資格がないと思っていた。


 一度目の人生は頑張っていれば誰かが愛してくれると期待して、ボロボロになった。二度目も私は空っぽの両手を広げて愛を待っていた、それはダグラスだけに期待していた。でもやっぱり殺された。

 三度目では希望が打ち砕かれた。私はどんなに頑張っても無能で誰からも愛されない、死んだ方がいい存在なのだと思った。

 でも、四度目の今回はレスターがいた。彼だけが私に続いて森の中まで入ってきてくれた。私の隣に並んでくれた。だから私は生きていてもいいと少しは思えたのだ。


「あなたは、私のために時間を巻き戻したの? 三度も」


 気付いたらそう口にしていた。

 レスターは最初からおかしかったのだ。魔力を失っていることを筆頭に。


 私が止まったことに気付かず先に行ったせいで二段下にいるレスターは、こちらを見上げてまたも悲し気に微笑んだ。


「実は今回まで気付きもしませんでした。殿下が生きてさえいてくだされば、この国なんてどうでもいいということに。一度馬車の中の殿下を見かけただけだったのに、殿下の後を追っている自分に気付きもしませんでした。巻き戻しのために魔力を捧げて失い、無能になってみて私は初めて大切なものに気付いたのです」


 彼のいる段まで私は下りた。踵のある靴なので危なっかしかったのか、レスターが支えてくれる。

 ダグラスの求婚とは全く別の言葉に聞こえる。肝心の言葉をレスターは口にしていないのに、私の耳にはとても都合のいい言葉に変換されて届いた。


「私が何度でもあなたに言うわ。レスターは魔力がなくても生きている価値があるって」


 レスターの薄い唇を指で撫でて、そっと彼の首の後ろに両手を回す。


 私はこれから逃げようと思っていた。とりあえず追手が来るまでは逃げようと。だからこんなことをしている場合ではない。でも、彼に伝えておきたかった。

 捕まるのか、女王になるのか分からないけれどレスターが一緒にいてくれるなら私は何でも良かった。レスターがいたから、諦め果てた私はもう一度自分を信じて立ち上がってみようと思えた。


「だから、ずっと私と一緒にいて」


 レスターが唾を飲んだのが分かる。それほど近い距離に私たちはいた。油断したら心臓の音まで聞こえそうだ。しばらくして、彼の手が私の頬に触れたので目を瞑る。


 無能な私を殺したのはさっきの決闘ではない。魔法が使えない無能な自分、過去の自分を許していくこと。レスターに「生きている価値がある」と伝えることで私は自分を許していける。彼がいないと私は自分を許せない。


 これが、無能な私の殺し方。

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『さようなら、私の白すぎた結婚 「いい嫁」をやめたら本当の愛が待っているなんて聞いてません』

(スターツ出版 ベリーズファンタジースイート)


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「尊い5歳児たちが私に結婚相手を斡旋してきます~捨てられ令嬢と宰相補佐はなかなか結婚式が挙げられない~」(リブラノベル)

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