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第9話 月明かりの下で

 剣戟の交わる音が響く。本来なら、神聖さと静謐さが保たれているはずの神社の境内の中で。


 鬱蒼とした鎮守の森の木々に囲まれる中、小望月の月明かりが天から降り注いでいる。


 その月明かりを頼りに正雄が見ている前で、剣戟の音を奏でているのは智尋と神を自称するナニカ。


 智尋が自分の身長より長い薙刀を振るえば、ナニカは閉じた扇で金属音を立てながら受け流す。


 ナニカが間合いを詰めて扇を勢いよく突けば、智尋は薙刀の地面に接する部位についている石突を使って払い落そうとする。


 智尋の失われた右目を弱点と見て、ナニカは攻め立てるが、智尋は百も承知と言わんばかりに捌く。逆に、カウンターを仕掛けさえする。


 彼らが剣戟を交わし始めて数分と経っていないのだが、正雄はすでに数時間が経ってしまったような気がしている。場の緊張感に満ちた重い空気に息苦しさを覚えるほど。


 8年前に犯した罪を暴かれた後、正雄には智尋の案内を求める声に断る選択肢は与えられなかった。


「およ?」


 祠へと早々と戻ってきた正雄の姿を目にしたナニカは首を傾げた後、一緒にいる智尋に目を止めると、顔に喜色を浮かべた。


「およおよおよ。早速、新しい氏子を連れてくるなど、ほんに殊勝な心掛け。褒めて遣わすぞ」


 喜びのあまり、祠の屋根の上から地面に下りてくる。


 そして、さらなる歓喜の声を上げる。


「さあ、麿を崇めよ! 讃えよ!」


 その声を耳にして、正雄は本能的に跪きそうになってしまう。


 けれど、たった一言によって切って捨てられる。


「お断りだ」


 自称「神」の動きが固まる。


 ギギギと錆びついた金具を回すような動きをして、切って捨てた声を発した主に目を向ける。


「……今、なんと言った?」


「お断りだ、と言った。誰が貴様なんかの信徒になるか。私の信仰はすでに捧げられている」


「……なんと、面白うない。なら、なにゆえにこの地に参った? 用がなければ、早々に去れ」


 全身で落胆の感情を表すナニカに向けて、


「あんたを倒すために来た。私の家族の命を奪った罪、贖ってもらう」


 智尋は宣戦を布告する。


「あなたが私の望むモノを供えるならば、私はあなたの望むモノを授けましょう」


 不思議な抑揚をつけて、智尋がこの言葉を唱えると、シャランと音が響いた。彼の後ろに立っている正雄からは見ることは出来ないが、その音で智尋が身に着けているペンダントトップの天秤が逆様を向いたのが分かる。


 そして、何もない虚空から現れた薙刀に右手を伸ばして掴むと、その刃の切っ先を突きつける。


 もっとも、神を自称するナニカは刃先を突きつけられても全く動揺を示さない。どころか、鼻で笑う。


「およよよよ。何しに来たかと思えば、麿を殺す? 只人が神を殺すことなどできるわけなかろう」


 智尋の持つ薙刀を見て、さらに、彼の身体を見て、


「まあ、その薙刀であれば、神器ゆえ、麿の身体に傷をつけることはかなうであろうが、其方のその痩せ細った身体では振り回されるのが落ちでおじゃろう」


 嘲笑う。


 ――怖い。


 ナニカのその顔を見るだけで、正雄は本能的に心の中で恐怖が浮かび上がるのを感じる。存在の違いから自分の力の無さを見せつけられる。


 対して、智尋は全く怯まない。それどころか、彼も鼻で笑う。


「はっ! あんたの方が人の力を舐めているだろ。信仰する信徒が少ないために力が足りず、祟り神にもなれない落ちこぼれの神のくせに」


 この言葉に、自称「神」の顔から表情が消える。


「自分が腐臭を漂わせているのを気づいていないのか? それは死の穢れだろ? 罪を犯した神に与えられた(しるし)だ。戯れと八つ当たりで私の家族の魂を食ってしまって、罪なき魂を輪廻転生の輪から外した罪を、愚かなあんたは犯した」


 神を自称するナニカの額に青筋が浮かび上がる。広げられていた扇が畳まれた。


「それを知ったここの神社の神官たちに結界をむざむざ貼られてしまい、無力なあんたは逃げ出すこともできない」


 ナニカの目が吊り上がる。閉じた扇が握りしめられる。


「このままこの場で朽ちて消えゆくことしかできない堕ちた神に過ぎないんだよ、あんたは」


「黙れぇぇぇっ!!!」


 自称「神」の口から放たれた咆哮に、正雄は圧倒されて、思わずしりもちをついてしまう。


 だが、智尋は怯んだ様子を見せない。


 それも癇に障ったのだろう。怒りのあまり、ナニカが紡ぐ言葉の口調さえ変わってしまう。


「俺に仕えていた氏子の老婆の孫だから甘く見ていたら、つけあがりやがって! 貴様は殺す!」


 直接向けられた怒りではないにもかかわらず、背中を向けて逃げ出したくなる衝動に駆られる。だが、腰が抜けていて、動けない。


 なのに、智尋は挑発を止めない。


「あんた、口調が崩れているぞ。それが地か? 最初の口調は格好を付けていただけだったのか?」


「殺すっ! 殺してやるっ!!」


 ナニカは握りしめていた扇を薙ぎ払う。


 扇といっても、軽く柔らかなものではない。


 振るわれた扇は重く鋭く、空気を切り裂く。鉄扇のようだが、「鉄扇」で表現できる威力から大きくはみ出ている。


 そんな一閃を智尋は身体をさばいて軽々と避けた。


 切り裂かれた空気は離れた所で座り込んでいた正雄の髪を揺るがせる。


 軽くかすっただけでも、肉を抉り、骨を砕きかねない威力を正雄は感じた。失禁してしまいそうなほどの恐怖に襲われた。


 対して、智尋も薙刀からの一閃を繰り出す。


 彼らの目まぐるしい攻防が始まった。


 ……。


 しばらくして、落ち着きを取り戻した正雄は、警察官として修めている剣道有段者の目で彼らの攻防を見つめ始めた。


 一見すると、神を自称するナニカの方が智尋を圧倒しているように見えた。けれど、状況をコントロールしているのは智尋の方。


 ナニカの動きは大きく、無駄が多かった。勢いはあるが、智尋の身体を捉えきれていない。


 逆に、智尋の動きはシンプルで、無駄が少ない。勢いに圧倒されているようで、上手く相手の勢いを逆手にとったカウンターを仕掛けていた。


 ――柳に雪折れなし。


 この言葉が正雄の脳裏に浮かんできた。


 同時に、智尋の卓越した動きに、数多の修羅場を潜り抜けてきた戦士の風格さえ感じられた。


 ――光村君が異世界にいたのは、あながち嘘ではないかもしれない。


 空中から薙刀が出現するという現実離れした光景を目にしたせいもある。


 だからといって、智尋が明らかに優勢というわけでもない。


 扇に対して圧倒的にリーチが長い薙刀の利点を最大限に生かしてはいたが、仕留めきることは出来ないでいた。


 彼の動きが少しずつ鈍くなってきているのも、正雄の目はとらえていた。


 ――やっぱり、光村君の体調は万全ではないのか? 大丈夫なのか?


 そんな心配をした瞬間、


 智尋の踏み込みがこれまでより半歩前へ、力強く出る。


 あわせて、一閃。


 神を自称するナニカの右手が、持っていた扇ごと、切り飛ばされた。


 さらに、一閃。


 今度は、左足が切り飛ばされた。


 地面に倒れ込んだ。


 傷口から勢いよく噴き出るのは、真っ赤ではない、ドス黒い、血らしきなにか。


 月明かりの下に見えたそれが、正雄にナニカが人にあらざる者であることをまざまざと示した。


 そんな相手を、


 ――光村君は倒した。それも正面から。


 畏怖さえ感じた。


 が、


「まだだ!!」


 ナニカの叫び声が響く。


 ――負け惜しみを。勝負はもうついたのに。


 と、冷たい目を正雄は送ろうとした。でも、


「祟ってやる!」


 ナニカの顔の険しさがさらに増す。


 地面に倒れ込んでいたのを、残った左手で上半身を起こす。


「祟ってやる!!」


 浮かぶ憎しみはもっと強く深くなる。


 肘先を斬り飛ばされた右手を智尋に向かって突き付ける。


「貴様を祟ってやる!!!」


 その顔つき、その姿の凄まじさは、神は神でも「悪神」「祟り神」の言葉を、正雄の心に強く刻み込む。


「貴様だけではない! 貴様の子も、孫も、その先も! 俺の全てをかけて、末代まで祟ってやる!!」


 その瞬間、ナニカの身体から、月明かりを通さないドス黒い空気が溢れだし、智尋の身体にまとわりつきに行って、


 霧消した。


 霊感とか全くない正雄の目にも、それが悪いモノであることは分かった。


 でも、何も悪さをすることなく、消えていった。


 驚き、と言うよりも、目の前で起きた出来事を受け入れることが出来ずに、目が丸くなる。


 ただ、それは神を自称するナニカの方が大きかった。


「何をした?!」


 一瞬だけ、顔の表情が白くなった後、さらに顔つきは険しくなり、浮かぶ憎しみは深くなる。


「貴様自身は、貴様の神に守られるかもしれん! だが、これから生まれる貴様の子や子孫にまで、神は守らんぞ! 神の加護は届かん!!」


 ナニカの叫び声が轟く。


 それに対して、智尋は淡々と返事を返した。男としては甲高い特徴的な声で。


「単純な話だ。私は子供を作ることが出来ない」


 思わず、正雄の口から驚きの声が漏れそうになった。智尋の身体の性器が切除されていること、子供を授かることが出来ない体であることを思い出したから。


 驚いたのは、ナニカも同じだが、智尋の事情は知らない。でも、何度も正雄の内心を見透かしてきたように、目を細めて智尋を見つめる。


 と、天を仰いだ。


 深い溜息を吐きながら、ゆっくりと顔を戻す。


「……見事」


 その顔からは、憑き物が落ちたかのように、憎しみが消えてなくなっていた。


「ほんに見事よのう」


 口調が戻っている。


「麿は見てしもうた。其方の弛まぬひたむきな努力を。見て知ってしまえば、讃えざるをえん」


 ――何を見たんだ?


 正雄は疑問に思うが、答えてはくれない。直接は。


「幾たびもの修羅場をくぐる中で、右目を捧げ、己に出来ることは全て捧げる。全てはこの世界に戻ってくるため。人にあらざる者にも対峙するために、男児たる象徴も捧げる。回る因果はすべて己で絶つ。その周到さと覚悟を讃えよう」


 その言葉は智尋が異世界で過ごしてきた一端を示す。


 智尋を見つめる目には慈しみさえ浮かんでいるように見えた。


「麿は負けを認めよう」


 その口から溜息が漏れた。そこに含まれた感情を推し量ることは出来ない。でも、次に紡がれた言葉には深い決意が感じられた。


「……ただ、滅びる前に1つ祈りを捧げるとしようか」


 ナニカが両腕を天に掲げた。無事の左手も、肘先がない右手も。


 そして、声を張り上げる。


「この者を加護せし異世界の神よ! 麿の最後の願いを聞き届けたまえ! この身は卑賎にして堕ちし神なれど、全てを捧げよう! この者を讃え、世界で生きていくための加護を授けん!」


 応えるかのように、シャランと音が鳴った。


 それは智尋が下げているペンダントトップの音。正雄がいる位置から見ることは出来ないが、天秤が元に戻ったことを知らせる。


「ふふふっ。そう嫌そうな顔をするでない」


 彼の背中は拒絶感を示している。


 そんな彼に自称「神」が諭すように声を掛ける。


「あちらの世界で其方が倒した盗賊が持っていた財貨と同じようなものと思え。こちらで生きていくために、持っていて損はないであろう。まあ、麿に力がないゆえ、さほど大きな加護は与えられぬがな」


 ナニカが無事の右足一本で立ち上がる。


「これは感謝よ。長きに渡って麿に仕えてくれた其方の祖母への。これは賛辞よ。10年もの長きに渡ってあちらの世界を生き抜き、さらにはこちらに戻ってきた其方の努力への。そして、これは贖罪よ。戯れで罪なき其方の家族の命を奪ったことへの」


 ナニカの姿が消えていく。


「許しを請うことはせぬ。それだけのことはしたゆえな。ただ、別れは告げさせてもらおう。……さらばだ」


 姿が消えると同時に、朽ちかけていた祠が崩れ去った。


 このことが忌まわしい神を自称していたナニカの消滅を告げてくる。


 小望月の月明かりの下で立つのは智尋だけ。


 その彼が後ろを振り返る。手には薙刀を持ったまま。


 ――さあ、次は俺が殺される番か。


 

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