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第7話 誘惑

 あれから1週間が経った。


 正雄が最初に履いていた靴は履きつぶされて、今の2足目も早々とガタが来始めている。


 それなのに、連続殺人事件の犯人につながる手掛かりは何ひとつ見つかっていない。


 地道に聞き込みを続ける毎日。


 防犯カメラの映像解析は終わったが、事件につながるような不審な人物は映っていなかった。


 犯行直後に現場近くに凶器を隠しておいて、何食わぬ顔して犯人が回収を戻ってくる可能性を考えて、数人の刑事が今も現場近くで張り込みを続けている。徒労感を漂わせながら。


 張り込みをすり抜けられることも考慮して、防犯カメラの映像の追加提出も求め始めている。やる気の無さを隠しながら。


 犯人像は欠片も浮かんでこない。


 今も事件は深い霧の中。霧が晴れる様子は欠片もない。


 健矢が殺された公園のベンチに座って、正雄は一休みしていた。横には空になったミネラルウォーターのペットボトル。


 その反対側で、「影」がぼやく。


(なあ、今日はもう終わりにしようぜ。疲れたぜ)


 聞き流して、次にやるべきことを考えようとするが、疲労で頭が上手く働かない。


(大体無駄なんだよ。手がかりが何もないのに探し回るなんてさ)


 正雄の目は公園の隣の夜見神社の方向を向いていた。


 この一週間の間に、3件目の犯行現場となったこの公園に幾度となく足を運んだために、いつのまにか、因縁がある夜見神社に対しても忌避感を感じなくなっていた。


 視界には、神社を囲む鎮守の森の木々が入っていた。夕日に照らされて紅く輝いている。


(そもそもありえねーんだよ。このご時世で犯人の手掛かりひとつ見つからねーなんて)


 「影」も正雄と同じ夜見神社の方向を向いている。


(それに防犯カメラに不審者が映っていないなんてどういうわけだ? 防犯カメラが何台設置されていると思ってるんだ? 2件目なんか街の中心部だぞ。この公園だって、夜のガラの悪い連中の様子を捉えるために、出入口を中心にガッチリマークしている。どちらもカメラが映していない死角なんかほとんどねーぞ)


 愚痴愚痴言っている「影」の言葉は聞き流す。


(凶器を薙刀だとしても、間合いは2mか。それだけ離れていても、正面からあれだけ盛大に人をぶった切っていたら、返り血がかかっていないなんてありえねえ。犯行に使った凶器をどこかに隠したとしても、返り血を浴びた状態で、人通りが少ない夜だとしても、誰にも見とがめられずに現場から去っていけるなんてありえねー。まるで……まるで……)


 最後、「影」が言い淀んだ。


 同時に、親一の言葉を思い出す。


『これは8年前の『光村家一家殺人事件』と一緒だな』


 正雄の目は夜見神社を捉えている。


(おい!)


 正雄はガバッと勢いよく立ち上がった。


(行くのかよ? おい!)


「行く」


 短く答えたあと、早足で歩き始める。「影」もついてくる。


(なんでだ? 「神」なんて名乗る胡散臭いヤツの所なんか行く必要があるか?)


「ある」


(そりゃあ、8年前にお前が犯した罪がバレないように、返り血を浴びたまま家に帰ったのに誰にも咎められなかった、逮捕状を取って仲間たちがお前の所に来なかったのは、あいつがなんかした、と考えたのは分かる)


 正雄の心にズキリと痛みが走る。


(同じように、今回の連続殺人もあいつが手を貸している、と考えるのもな。だが、あいつのところに行く必要があるか? あいつが本当のことを話すと思っているのか?)


「それでも行く必要がある」


(なぜだ?)


「8年前の俺と同じように、ヤツが誰かを唆しているなら、止めないといけない」


 公園の外に出た。目の前には、夜月神社の入口である大鳥居が立っている。


(別にいいじゃねえか。新しい4件目5件目を犯していったら、そのうち必ず下手を打つだろう。その時、言い逃れが出来ない証拠を握ってから、突っ込めばいいじゃないか。今、行く必要があるか?)


「ある。これは俺がやらないといけない仕事だ。これ以上の被害者が出ないように、犯人がこれ以上の罪を犯さないように、8年前にヤツに唆されて罪を犯してしまった俺がやらないといけないことだ」


 大鳥居をくぐる。


(くそ! どうなっても知らねーからな! せいぜい、またヤツに取り込まれないように気を付けるんだな!)


 大鳥居の所で足を止めた「影」の言葉が背中に届く。


「当然だ。あんな失敗、二度と犯すわけにはいかない」


と口から小さくこぼした。心に走る痛みに耐えながら。




 *




 正雄は記憶をたどって神社の境内を探す。


 だが、かつては簡単に見つけられたはずなのに、あの祠が見つからない。神を自称するナニカと出会った祠が。


 差し込んでくるはずの夕日が神社を取り囲む鎮守の森の木々で遮られて、暗い。


 境内は外よりも一足先に夜の帳に覆われ始めていた。


 そんな中を探す。


 何度か、あったはずの場所を行き来していると、ふと正雄の目に止まるものがあった。


 木々の中を分け入っていく。


 ――まるで神社にお参りに来た人たちの視線を隠しているようだな。


 分け入っていくと、ポッカリとそこだけ木々が生えていない空間に出た。


 地面には刈られていない草が生い茂っている。


 祠があった。朽ち果てかけた祠が。


 屋根は苔生し、草が生え、軒先は一部が朽ちて崩れ落ち、8年前には閉じられていたはずの正面の観音開きの扉の片側は外れかけている。


 そこに8年前と同じようにいた。神を自称していたナニカは、祠の屋根の上に座り、夜が濃くなりつつある空を見上げていた。


 草を踏んだ音で気づいたのか、正雄の方を向く。


 その目に喜色が浮いた。口も笑みの曲線を描くが、すぐに開かれた扇で隠される。


「およおよおよ。誰かと思えば、懐かしき顔よの」


 口調も8年前と同じゆっくりとしたもの。


 そして、かつてと同じようにすべてを見透かすようなまなざしを向けられて、足がすくんだ気がした。


其方(そち)がまた来るのを、麿は待っておったぞ。供物の対価を授けておらんのに、姿を見せんとは、ほんにおかしなことをする」


 息子を探す想いに付け込まれた結果、殺人という決して犯してはいけない罪を犯してしまった過去をまざまざと思い出してしまう。


 キュッと唇を噛み締めてしまう。


 こんな正雄の内心を見透かしたのか、自称「神」の扇で隠しきれていない唇がさらに上を向いたように見えた。


 たったそれだけなのに、自分と自称「神」との存在の違いを見せつけられたような感じがした。


(どうなっても知らねーからな! せいぜい、またヤツに取り込まれないように気を付けるんだな!)


 「影」の言葉を思い出すが、それでも気を抜くと、跪いてしまいそうになる。


 「連続殺人犯について問い詰める」なんてことが出来る余裕はなかった。


 が、ふと、正雄は(にお)いを嗅いだ。腐った酸っぱい臭い。


 何なのかは分からなかったが、その臭いが正雄に我を取り戻させた。口を開く。


「……あ、あんたは、8年前の俺にさせたように、誰かにまた人を殺させているんじゃないのか?」


「およ?」


 ナニカの目に意外さが浮かんだ。想定外の問いかけだったからなのか、声を発したことそのこと自体が意外だったのか、は正雄には分からなかった。


 気にせず、言葉を紡ぐ。一気に。


「最近、この街で人が殺される事件が3件起きた。1件はこの横の公園で、だ。なのに、俺たち警察は殺した犯人をまだ逮捕出来ていない。それどころか、手掛かりすら見つかっていない。8年前にあんたが俺に人を殺させた時と同じようにだっ! あんたは8年前と同じように誰かに人を殺させているんじゃないのか!?」


 息が切れる。


 ナニカの目が丸くなっていた。でも、すぐに、元にもどる。


「およおよおよ。ほんに異な事を申すのう。見れば分かるであ……其方には分からぬか。神に仕える家に生まれたわけでもなく、理を知るでもなく、単に偶然によって麿の姿を見、声が聞こえる其方には」


 ナニカの目に憐れむような色が浮かぶ。正雄の無知を憐れむように。


 だが、正雄は屈辱とは感じ取らなかった。似たような状況の記憶があったから。警察署の取調室の中で。絶対に捕まらないと確信して、警察を見下していた被疑者の中にいた。


 こういう時は、相手に会話の流れを委ねる。そうすれば、自然と答えは見つかる。


「ならば、特別に教えてつかわそう。ほんに単純なこと。ここには結界が張られているのよ。麿が外に出ぬように、只人(一般人)が入って来ぬように、の。なぜ、張ってあるのかは其方が自分で調べよ。そこまでは麿は教えぬ」


 ナニカの目に忌々しさが混じる。


 ――「結界」とはこの周りを覆っている木々のことか?

 ――「結界が張られている」と言った。自分が張ったのではない。誰かに張られたのだ。

 ――こいつにとって不本意な状況なんだな。


「とはいえ、ここまで語れば分かるであろう? ここには人は入って来ぬ。其方のように麿とつながりを持たぬなら、入って来られぬ。ゆえに、其方が言うたような、其方以外の何者かを使嗾して人を殺させるなど、出来ぬのよ」


「だったら、誰だ? 心当たりはないのか?」


「……さて、心当たりのう」


 自称「神」のナニカの目に楽し気な色が浮かぶ。気まぐれさも感じた。


「ここの主祭神殿も久しく供物を求めておらぬようだしのう。ただ……」


 ナニカがもったいつけるように流し目を送ってくる。


 だから、相槌を打つ。


「ただ?」


 ナニカの目に満足げな色が浮かんだ。


 厳しく長い逃亡生活を送っていたがために、他人との会話をほとんどせず、会話に飢えていた指名手配犯のことを正雄は思い出した。


「最近、知らぬ神の気配を感じたのう。海を渡った異国でもない。世界をまたいだ別の神の気配であった」


 ――「世界をまたいだ別の神」?


 予想外の言葉に首を傾げてしまう。


「そのような神であれば、供物を求めるのやも知れぬ」


「そもそも、普段から捧げられる物ではない、供物をなぜ求める? なぜ、人の命を求める?」


「一言で言ってしまえば、気まぐれよ。其方も分かるであろう。たまには趣向の変わったものを味わってみたいもの。人の命など、最たるものよ」


 自称「神」の目に暗いものが浮かんだ。人を殺すことに何も感じなくなった殺人犯の目に似ていた。


 漂ってくる腐臭が強くなる。風呂に何日も入っていないような体臭の臭さとは違う、何かが腐った匂い。


 よくよく見れば、身にまとっている狩衣が所々ほつれていることにも気づく。


 それよりも、


 ――身勝手な。


 憤りを覚えた。でも、同時に浮かんだこの疑問、


 ――このような存在の行動を抑えることが出来るのか。


 無力感を覚えた。


「なに、心配するには及ばぬ。神が望むものを供物として捧げることには、人の世の縛りは一切関わらぬゆえ」


 自称「神」の目が細くなった。全てを見透かすように。


 正雄の背筋にゾクッと寒気が走った。


「其方が心配しておるように、人の命を奪っても、警察などという組織に捕まるようなこともない。この世の只人の間ではほとんど忘れ去られてしまっているから、心配するのも致し方ないがのう」


 そして、自称「神」の言葉が重くなる。


「だが、『神への供物』は世界をも超越した普遍の(ことわり)。決して、忘れるな」


 世界が暗くなったかのような圧迫感を感じた。思わず、膝をついてしまう。


 そんな正雄を見て、憐れんだのか、


「およおよおよ。そんなに恐れるな」


 ナニカの言葉も表情も軽くなる。


「そうそう、8年前の供物の褒美を其方を授けなければならなかったの。確か、行方が分からなくなっている息子のことであったか」


 神を自称するナニカの目が彼方を見通すかのように空を向く。


 夜空には星が瞬き始めていた。


「其方の息子、大志はこの世界にはおらぬのう」


「死んだのか!?」


 先程感じた圧迫感も忘れて、正雄は反射的に聞き返してしまう。10年間探し求めてきた息子の手掛かりだから。


「早まるな。麿は今、『世界』と口にしたであろう」


 変わらず、自称「神」のゆっくりとした口調に苛立ちを覚えてしまう。


「この世とあの世ではない。異なる世界のことよ」


 見透かされないように、苛立ちは抑える。それでも、聞かずにはいられない。


「だったら、生きているのか?」


「分からぬ。生きているのか、死んだのか。異なる世界での生死は麿の関知できる範囲を超えておる」


 手掛かりをつかんだ感覚があったのに、指の間からすり抜けていった気がした。


 落胆してしまう。視線が落ちる。


 無力感に襲われる。10年、懸命に探し続けてきたのに、息子の行方につながる手掛かり1つ掴めない。


「だが、望みが全くないわけではない」


 続いた言葉に視線が上がる。


「先程話したであろ。世界をまたいだ別の神の気配を最近感じたと。その神は其方の息子が迷い出た世界に通じておるようよ」


 まだ臭ってくる腐臭が、目の前にいる存在とはこれ以上関わり合いにならないように警告を発しているような気がした。


 それでも、問わずにはいられない。10年探し続けている息子の行方につながる手掛かりになるかもしれないから。


「……その神とはどこで会える?」


 被疑者と違法な取引をしているような感覚に襲われた。


 目の前にいる存在は気にする素振りは見せない。むしろ、幼子を教え導くような表情を浮かべた。


 その表情が、違法取引をしているような後ろめたさを無くさせ、正雄の気持ちを前のめりにさせる。


「簡単なことよ。其方の息子と同じ時に姿を消し、最近姿を現した者を探せばよい。その者が麿の知らぬ神のことを知っておろう」


 正雄の脳裏に一人の姿が浮かび上がる。


 光村智尋。


 同時に、彼が過去の記憶を思い出せないことも。


「そうそう。其方が最初に問いかけてきた人殺しもその者よ。異なる世界の神に供物を捧げておる」


 神を自称するナニカの表情が楽し気なものに変わる。


 正雄の心の中で驚きが広がる。


 ――彼の華奢な身体で殺人なんてできるのか?

 ――憂いと深い悲しみの、あの目で殺人なんてできるのか?

 ――嘘じゃないのか?


「およ? 疑っておるな。麿とかの者とは細いながらも縁が繋がっておる。恐らくは、麿が地主神として差配しておった地に住んでおった者の(子孫)なのであろう。ゆえに分かるのよ」


 ナニカが扇で口元を隠すが、正雄にはその口が弧を描いたように感じた。底意地の悪さとともに。


 でも、続いた言葉で、そんなことは忘れてしまう。


「なんなら、その者を麿の下に連れてきやれ。さすれば、其方が求めることを見通そうぞ」


 その言葉を聞いて、正雄はガバッと立ち上がってしまう。


 ――智尋が思い出せずにいる過去の記憶を知ることが出来るかもしれない。

 ――大志を探しに行く方法が分かるかもしれない!


 もしも、ここに「影」が姿を現していたら、こう言っていただろう。


(おい! 言っただろ! 取り込まれないように気を付けろ、って! こいつがタダ働きするようなガラか? 8年前のこと(光村家一家殺人事件)を思い出せ! あの時、お前は何をさせられた!)


 このことに正雄は考えが至らない。


 「県立月渓高校1年B組失踪事件」発生から10年目にして、35人の行方不明者から初めて保護された者(光村智尋)が現れたことが彼を焦らせる。


 ――大志を早く見つけ出さなければ!


 離婚によって妻と娘から見捨てられたことが、彼の中で行方不明の息子を探すことを大きくする。


 ――(智尋)にこれ以上、罪を犯させるわけにはいかない。


 刑事としての意識が彼の気持ちを前のめりにさせる。「影」から「偽善者!」と蔑まれるのに。


 自分が犯してしまった罪には、無意識に目をつぶってしまう。すべては息子のために。


 だから、頭の中にあるのは、


 ――大志の行方が分かるかもしれない!


 それだけ。


 もしも、「影」が姿を現していたら、強い警告を発していただろう。でも、姿はない。


 気が付けば、祠に背を向けて走り出していた。


 そんな正雄の背中に言葉が投げられてくる。それは神の言霊。


「堂坂正雄よ。其方は麿の氏子となった。さらに多くの氏子を連れて来や」


 「もしも連れてこなければ祟るぞ」の意味が込められていることを本能的に悟る。でも、否定する。


 ――そんなものになった覚えはない!


 自分の身体に、ナニカが纏っていた腐臭がまとわりつくのに気づくことはない。


 神の言霊を人が打ち消すことはかなわない。



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