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第6話 警察の怠惰。刑事の情熱

 夜の暗闇から朝日によって照らされ始めたその公園は、警察によって封鎖されていた。


 集っている多くの警察官は、皆、殺気立った険しい顔つきをしている。


 当直の終わりが近づいて疲労困憊の者であっても、非番で寝室での微睡から叩き起こされた者であっても、例外はない。


 正雄も、その公園が因縁がある夜月神社に隣接しているために、この8年間近寄っていなかったのだが、それでも例外ではなかった。


 ブルーシートが何かを覆って盛り上がっている。


「堂坂。来たか」


 脇に立って、周囲にいる刑事と鑑識に指示を出していた親一が、駆け付けた正雄に目を止めて、声を掛けてきた。


「確認していいか?」


 親一が頷くのを見て、正雄は膝をついて、ブルーシートをめくった。


 生気を失った健矢の顔が現れた。その顔には、恐怖と絶望が強く刻まれている。


 斬られた右足が、犯人によって逃げ足を潰されたことを物語っている。


 そして、何より目立つのが、左肩から大きく斜めに切り裂かれた傷口。


 ブルーシートを元に戻すと、わずかな間、目をつぶって、彼の冥福を祈る。


「先週と昨日と同じか?」


 立ち上がって、親一に確認すると同意の頷きが返ってきた。


「3件目か」


 昨日の事件の捜査もほとんど進んでいない。防犯カメラのデータ提供もまだ揃っていない。


 犯人像につながる手掛かりはゼロ。


 それなのに、3件目が起きた。しかも、今度の被害者は警察官。自分たちの仲間。


 ――無残に殺された仲間の仇は必ず取る!


 この想いは警察官なら誰もが抱いている。公園に集まった警察官は誰しも。正雄も。


 ただし、例外はある。


「堂坂。ちょっと」


と言われて、正雄は親一に少し離れた所に連れ出された。


「俺はこれから真辺の周辺を探る。お前はどうする?」


 囁かれた言葉に、驚きで目が見開く。思わず、「お前は殺された仲間(健矢)を疑うのか?!」と叫んで、食って掛かろうとするが、親一の冷静な目を見て、グッと堪えた。代わりに、


「探るのはボス(刑事部長)からの指示か?」


 問いかけに、親一の顔が静かに縦に動いた。


 正雄の心に親一への同情と憐れみが広がる。彼は、その人の好さ、敵の少なさから、仲間を疑うような損な役回りを押し付けられることがこれまでにもしばしばあった。その役を今回も押し付けられたということ。


「1件目の被害者は殺人犯。2件目も違法薬物の販売組織の元締め。どちらも、俺たちが事件を認知できなかったか、逮捕できる証拠を揃えられなかったか、の違いはあるが、犯罪者だった」


 でも、流石に、この言葉は見逃せない。抑えられてはいるが、責める声が出てしまう。


「おい! 真辺も犯罪者だと言うのか!」


「流れで言ったらそうなる。彼が犯人につながる証拠か何かを握って、口封じをされた、その線も確かにある。だが、彼はそんな情報を握ったら黙っているタイプだったか?」


 返ってきた冷たい言葉に反論が出来ない。握った情報を黙って抜け駆けする血気にはやるタイプとは真逆だった。正雄に反感は持っていたが、情報は黙って隠すのではなく、正雄に押し付けて、極力、自分の負担は少なくしようとするタイプだった。


「彼が情報を握っても口にできない事情があったかもしれない。そこも含めて、真辺が白である(犯罪者ではない)確証を、連続殺人犯の捜査にあたる前に、俺たちは持たないといけない。そうだろ?」


 正雄は首を縦に振るしかできなかった。


「それで、堂坂、お前はこれからどうする?」


 一緒に行動して健矢について調べるのか、それとも殺人犯の捜査に専念するのか、の問いかけだった。


 本当なら、親一と行動を共にして、健矢の潔白の証明に動く。


 なのだが、今日は土曜日。どちらも選べない。


「……すまない」


 頭を下げる。正雄のこの反応は、親一には予想外だったらしく、彼の目が驚きで丸くなった。


「何かあったのか?」


「実は、……今日は妻との離婚協議に出ないといけない」


 歯切れの悪い正雄の言葉に、親一の目に、今度は同情と「それ見たことか」といった感情が浮かぶ。以前から、


「行方不明の息子を探すお前の気持ちは分かる。だけどな、今いる奥さんと娘さんのことも大事にしろ」


とことあるごとに正雄に忠告してきたからだ。


「周りには話しているのか?」


(上司)には相談して、今日は一日休みにしてもらっている。まあ、この事件が起きる前の話だが」


「分かった。今日は一日休め。そして、きっちりとケリをつけてこい。明日からはガンガン働いてもらうからな」


 最後には、親一に両肩を掴まれて言われてしまい、再び首を縦にしか動かせなくなる。


 そうして、後ろ髪を引かれる気持ちはあったが、正雄は現場を後にした。


 


 *


 


 翌日。


 月渓警察署に出勤した正雄は、最初に刑事課に顔を出した。


 案の定、事件の捜査に出払っていて、事務員以外誰もいない。


 事務員に挨拶の言葉をかけた後、片隅に置かれた2枚の看板に目を止める。そこに書かれてあるのは、


 「県立月渓高校1年B組失踪事件捜査本部」


 「月渓市光村家一家殺人事件捜査本部」


 警察署に来た時は、必ず、未解決のこの看板を目にして、誓いを新たにする。


 ――大志、絶対にお前を見つけだしてみせる。

 ――光村さん、大志を探し出すことが出来たら、犯した罪は必ず償います。


 昨日のうちに、妻との離婚に関する全ての書類に署名をして、印鑑を押してきた。


 正雄の家族は息子の大志だけになった。


 帳場(捜査本部)が立てられている講堂に移動する。


 「月渓市連続殺人事件特別捜査本部」


 入口の横には紙に墨書された真新しい看板が掲げられていた。


 だが、正雄は首を傾げた。


 入口の外にまで犯人逮捕に意気軒高な捜査員たちの熱気が漏れ出ているはずなのに、それが感じられない。仲間である警察官が殺された事件なのに。昨日、現場で感じた殺気じみた緊張感が全く感じられない。


 以前、トップが捜査指揮でミスしたことで未解決事件になってしまった帳場の空気に似ていた。


(あったなー。そんなことがー)


 「影」が姿を現す。


東京(警察庁)から来た世間知らずのボンボン(県警本部長)があれやこれや口出ししてきて、ポシャったヤツ(事件)。あれはひどかったなー)


 「世間知らずのボンボン」の言葉通りだったのではない。ただ、刑事捜査の経験がほとんどなかったのに、捜査指揮権を振りまわしたというだけ。結局、そのトップは事件のケリをつける前に東京に帰った。言い換えると東京(警察庁)に能力不足と判断されて戻されたということ。


 入口から講堂の中の様子をうかがう。


 同僚の刑事の顔を見つけた。一児の父親でもある彼の顔には苦々しさと腹立たしさと無力感が入り混じった表情が浮かんでいた。


 彼に捜査の状況を聞こうとしたが、止めた。


 親一の顔を見つけたから。彼から話を聞いた方が、より詳細で深い情報が得られる。


 向こうも正雄に気が付いた。立ち上がり、手で合図を送ってくる。合図は「話がある。外で話す」。その顔色は暗い。


 親一の後をついていくと、取調室に入った。その意味するところは、


(あーあ。面倒くせー)


 「影」がボヤく。


 ドカッと身体を投げ出すように、親一がパイプ椅子に座り込んだ。


(特級の面倒くせーことだー)


 捜査に問題が生まれた時、不満を持った時に、親一が愚痴をこぼす際、今のように警察署内の取調室など、他人に聞かれない場所に連れてこられたのは、これまでにもあった。部屋の中に入った時の彼の振る舞いから、その深刻さも推しはかれる。


「昨日、真辺の自宅に行ってきた」


 親一が俯き加減になりながら、零し始める。


「自宅には真辺の母親と10歳の男の子がいた」


 正雄は首を傾げた。


「真辺は母親と二人暮らしと聞いているが」


「俺もそう聞いていたから、男の子について真辺の母親に尋ねたら、2年前に母親の従姉妹で男の子の母親が亡くなったため、引き取ったらしい。父親は分からない、とのことだった」


 親一の言葉が一旦切れる。重苦しい空気が流れた後、彼の重い口が開く。


「男の子の身体には虐待の跡があった」


 正雄の片眉が上がる。親一は視線を下に落としたまま。


「加害者は真辺だ。彼の自室にあったパソコンから虐待の様子を録画した動画データが大量に見つかった。男の子を引き取ってから2年間、日常的に虐待が行われていた」


 思わず、天を仰いでしまった。


(おい! ヘボ刑事! お前の目は節穴か? 真辺の大馬鹿野郎の本当の顔を、お前は本当に見抜けなかったのか?)


 思い返してみれば、嗜虐的な一面を垣間見せることはあった。かつての事件被害者への対応しかり、一昨日の智尋に対する言動しかり。だが、児童虐待を行っていることには結びつけられなかった。


(だから、お前は三流刑事なんだ! この無能!)


 「影」の罵り声が辛い。それで、こう言ってしまう。


「真辺の母親と男の子は被害は訴え出なかったのか? 男の子の通う学校の先生は気づかなかったのか?」


(自分は見抜けなかったのに、その責任を別の人間に擦り付けるのか? この無責任野郎!)


 親一の首が横に振られる。


「男の子は小学校には通っていなかった。真辺の母親が言うには、真辺が学校側に男の子が母親を失ったショックで塞ぎがちなため登校を控えると連絡していたらしい。その母親も、真辺から暴力を振るわれていて、逆らえない状態だったようだ」


 親一の口から大きな溜息が漏れ出た。溜息に合わせて、その顔が下を深く向く。


「昨日は最悪だった。ヤツが警察官だったから、向こうは、特に男の子は警察を信用していない。違うな。警察に絶望しているんだ。だから、SOSも出さなかった。それでいて、別れ際に男の子がこんなことを言うんだ。ヤツを殺した犯人を捕まえないでくれ。その人は僕を助けてくれたヒーローだから、ってな」


(っかー!! きっついな、その台詞は!)


「影」の言葉がいたたまれない気持ちを増やす。だから、


「すまん。昨日は俺も一緒に行くべきだった」


 詫びに対して、「気にするな」と言わんばかりに親一の右手が振られる。


 ――真辺の指導役として、進退伺を書かないといけないな。


 でも、この思考は見透かされる。


「ヤツの件で、お前が責任を取ることは出来ないぞ」


 親一の顔が上を向き、正雄の方を向いていた。その顔には、明らかに、やるかたない憤懣の感情が浮かんでいる。


(県警上層部)はこの件を公にはしない」


 正雄の目が驚きで大きく丸くなるが、


(あーあ、そうくるかー)


 「影」が嘲笑うように口にする。


「現役の警察官が児童を監禁したうえ深刻な虐待を行っていた。このことが表に出たら、警察への県民の信用と信頼は失墜する」


 親一の言葉は自分に言い聞かせるような響きを持っていた。ゆえに、正雄の言葉を親一は否定する。


「だから、隠蔽するのか」


「隠蔽とは違う。表に出さないだけだ。表に出すのは『現役警察官が殺害された。犯人は現在捜査中』。それだけだ」


 取調室が重苦しい空気で満たされる。


(詭弁だな。でも、警察組織を守るためには必要だよなー。けっけっけ)


 「影」が囁いてくる。


 理屈では理解できるが、感情では受け入れられない部分がある。警察官人生が長くても、「仕方がない」とすんなり受け入れてしまうほど、良心はすり減らされてはいない。正雄も親一も。


 けれど、


(警察への信用と信頼がないと、いざという時に通報が来ないもんな。……例えば、大志が見つかった時とか)


 正雄はキュッと唇を噛み締める。


 その様子を見たのか、親一が重苦しい空気を動かす。


「それと今回の連続殺人事件について、(県警上層部)東京(警察庁)から犯人を検挙できなくても問題視しないと内々に伝えられているようだ」


「……どういうことだ?」


 意外な情報に、正雄は虚を突かれた。


「詳しくは俺も分からん。だが、(県警上層部)はこのお達しで胸をなでおろしている。犯人につながる手掛かりが1つも見つかってないからな。昨日も含めて、3件とも現場に犯人につながる遺留物はゼロ。先週のを除いてすべて揃ったわけではないが、今のところ、犯人らしき人影が映った防犯カメラの映像はまだ確認できていない。被害者の3人の共通点も見つからない。殺害方法の推測を除いて、犯人像の予測すら立てられないのが現状だ」


 つまり、3件目の事件発生翌日にして、迷宮入りの様相を漂わせ始めている。


 親一の刑事としての降伏宣言でもある。


(真辺の被害者の男の子の言葉も影響してんかね?)


「すでに、昨日の3件目の事件は1件目と2件目の事件とは別の事件として報道発表がされている。マスコミ対策も進んでいる」


「それで、捜査本部の熱気が失われていたわけか」


東京(警察庁)からのお達しは伏せられているが、(県警上層部)の捜査へのやる気がゼロなのはバレバレだ。俺が出していた科警研への捜査協力依頼も却下された」


 この無力感に満ちた言葉に、正雄は天を仰ごうとしたが、続いた言葉によって動きを止められる。


「これは8年前の『光村家一家殺人事件』と一緒だな」


 正雄の顔色が変わる。


「あれも犯人の手がかりが1つも見当たらなかった。そして、迷宮入りさせたにもかかわらず、捜査に関わった捜査員の人事評価はマイナスにならなかった。当時の本部長にいたっては栄転している。つまり、東京(警察庁)はあの事件を問題視しなかった。今回のと同じように……ああ、すまない」


 最後の詫びは、正雄が今も事件の捜索にあたっているから。あの事件が、行方不明の正雄の息子の捜索に悪影響を与えたことも知っているから。ただし、正雄は事件発生当初から捜査に加わってはいなかった。加わったのは、迷宮入りがほぼ確定した最終盤。「体調不良」で捜査に加わるのが遅れた。


 それで、親一が今話したことを正雄は今まで知らなかった。


「いや、いい。かまわない」


 必死に動揺を抑える。


(けけけっ! 良かったなあ。動揺したのは大志のことと勘違いしてくれてるぜ、殺人犯さんよ)


 「影」の嘲笑には耳を閉ざす。


 動揺を抑え込む。警察官の誇りによって。


「そうだとしても、今回の事件の犯人を捜すのは問題ないな」


「……問題ないが、手掛かりは何もないぞ」


「上等だ」


 警察官としての、刑事としての誇りに火をつける。


「手掛かりがない? 上等だ。大体、事件がこれで終わりだという保証はどこにもないぞ、鵜木。4件目が起きるかもしれない。5件目も起きるかもしれない。俺はそれを口をくわえて待っているつもりはない」


 親一を正面から見据える。


「事件の犯人を逮捕する。これは警察官として、刑事としての最大の使命だ。違うか?」


 一昨日の智尋の顔が正雄の脳裏にちらつく。家族を殺した犯人を探してビラを配り続けている彼の。


 大志の顔も浮かんでくる。息子が帰ってきた時に、胸を張って迎えるために、刑事としての情熱を燃やす。


「……分かった。こちらでも何か情報が入ったらすぐに伝える。だから、好きにやってこい」


「おう! 絶対に犯人につながる情報を見つけてくる!」



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