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第4話 刑事と元少年は交わる

「それではよろしくお願いします。失礼します」


 正雄は深々と頭を下げて、健矢と一緒にその場を後にした。


 話をしていたのは、商店街の組合長を務めている店主。商店街組合が設置している防犯カメラの映像提供をお願いしたところ。


 同時に、昨夜不審人物を見かけなかったか、不審でなくても(薙刀を隠した)長い物を抱えている人を見かけなかったか、の聞き込みもしたのだが、こちらは空振りだった。


 空振りだからと言って、気落ちなんかしていられない。いちいち気落ちなんかしていたら、刑事はやっていけない。空振って当然の気持ちでいかないと。


 でも、横はそうではなかった。


「これから何件回るんですか?」


 早々と嫌気を出している健矢にこれからの予定を伝える。組合長に会う前にも言っていたが。


「ここの商店街の店、全部だよ」


 組合ではなくて、店がそれぞれで設置している防犯カメラの映像提供のお願いのためである。


 そして、この商店街だけで終わりではない。


 正雄の言葉に、健矢の顔が露骨に嫌そうな顔になる。そんな彼に向って、


(「靴の1足2足履きつぶすつもりでやるぞ」なんて、こいつに言ったら逃げ出すか? むしろ、辞表を出してくれた方がせいせいするな)


 「影」の言葉は無視する。


 と、正雄は一点に目が留まった。2人組の制服警官が1人の男に話しかけていた。


 そこに向かって歩き出す。


「どうしたんですか、先輩?」


 健矢の呼びかけには答えず、


(あー、イヤだー。近づきたくねー。見なかったことにしてー)


 「影」のボヤキも無視して。


「どうしたんだ? 何かあったのか?」


 話しかけた正雄に向かって、背を向けていた警官たちが振り返る。


 その向こうには彼がいた。


 光村智尋。正雄の息子の高校の同級生で、35人の行方不明者の中の唯一の生存確認者。


 今日も、長袖長ズボンと露出の少ない格好をしている。天秤を意匠にしたペンダントを首から掛けているのも変わらない。


 その細く頼りない手にはビラの束。横の地面には「光村家一家殺人事件」のことを伝える手作りのパネルが数枚並べられている。


 彼以外には人はいない。手伝いを買って出ようとした彼の回りにいる医療関係者や福祉関係者もいたが断られた、と正雄は聞いている。


「ありがとうございます。でも、これは私一人でやりたいんです。私の自分勝手なわがままでやることですから」


と言われて。だから、手伝いをしようとした人たちは手伝える部分で手を貸している。正雄も警察官として出来る範囲、ビラ配りに必要な許可取りなどで力を貸した。


 振り返った制服警官の2人組のうち年嵩の方は顔をしかめた。正雄も顔を知っていた。この商店街の近くにある派出所に詰める巡査長だった。逆に、新人らしい若い警官は固い空気を纏った。難癖をつけられにきたと判断して、舐められないように、と。


 そんな彼らの機先を制する。警察手帳をかざして、


「月渓警察署刑事課の堂坂だ」


 難癖をつけてきたと判断した相手が身内だと分かって、振りかざした拳の下ろし方が分からなくなった、若い警官はそんな顔になった。


「それで何かあったのか?」


 改めて、問いかける。


 どう対応したらいいか分からなくなっている新人を見て、年嵩の警官が助け舟を出してきた。


「……彼にここでのビラまきは止めるように言っていたところです」


 彼の言葉には「これはウチの縄張りだ。口は出さないで貰いたい」の意味が明らかに込められていたが、そんなものは無視する。


「何か問題でも起きたのか? ビラ配りに必要な道路占有許可は取っているはずだ。ここの商店街にも許可は取っている。商店街組合には私が紹介したんでな」


と返す。「許可取りに俺も一枚噛んでるんだ。部外者とは言わせない」のニュアンスを込めて。


 この答えを聞いて、年嵩の警官が顔をわずかにしかめた。「面倒なことになった」「貧乏くじを引いてしまった」。そんなことを考えているのを正雄は見透かす。


(大方、派出所にクレームが入って、出てきたところか? こいつらの様子だと、クレームを付けてきたヤツは面倒くさい相手だろうなあ。対応しなければ(県警上層部)にチクるヤツか。ここの商店街で顔が広いヤツか。声がデカくて引き下がらなかったヤツか。組合長はビラ配りに快くOKを出してくれたが、一枚岩とは限らねえしな)


 「影」の推測に、心の中で同意する。


(正義はこっちにあるんだ。さあて、落としどころをどこに付けようかあ)


 警官たちの要求を突っぱねると、彼らの面子が立たない。ある程度面子を立ててやって、逆に、こちら側に引き込むような落としどころを見つけられたら、ベスト。


(だなー)


 そうして、「影」と一緒に考えようとしたら、


「あの……。ご迷惑をおかけして、すみません。ここでの活動は止めますから」


 智尋の特徴的な声が響いた。


 男としては甲高い特徴的な声は耳にした相手に不快感を抱かせる。でも、声の主に目をやれば、不快感は同情に塗り替えられる。


 服の上からでも分かる華奢な体つき。右目を覆った眼帯。


 そして、残った左目にだけ浮かぶ感情。憂いと深い悲しみ。


 少しでも想像力があれば、彼がこれまで壮絶な人生を送ってきたことを想像することが出来る。必ず同情せずにはいられないほど。


 不快感を抱かせる声すら、彼が歩んできた不幸な人生を象徴する1ピースに変わってしまう。


(いたたまれないなー)


 派出所でクレームを付けたヤツに義憤すら覚えてしまう。「お前には人の心がないのか!」と。


「光村君、いいのかい?」


「はい。皆さんにご迷惑をかけるわけにはいきませんから。活動を許してもらえる別の場所を探すことにします」


 身体を小さくして恐縮している智尋の様子を見ると、さらに義憤が強くなる。


 二人組の制服警官の方に視線をやると、バツの悪そうな顔になっていた。


(そんな顔をするなら最初から文句付けんな! 自分たちが不当な要求をしていたのは分かってんだろ!)


 警官たちに食って掛かっている「影」に悪乗りして、彼らをあてこするように、正雄も智尋に言葉をかける。


「そっか。俺の方でも場所を探しておくよ」


(お前もいい人ぶってんじゃねーよ! こんなことをさせてんのはお前のせいだろーが、この偽善者)


 「影」の罵倒を甘んじて受け入れる。でも、それだけでは終わらなかった。


「ありがとうございます。一日でも早く、犯人を警察の皆さんに捕まえてもらって、殺された家族に安心して眠ってもらいたいので、よろしくお願いします」


 智尋の心からの言葉は正雄の心をグサリと抉ってくる。深く、とても深く。


(けけっ! いい気味だな!)


 「影」の嘲笑も受け入れる。


 ――……俺の罪だ。


 智尋が10年間、どこでどんなことをして過ごしてきたのかは分からない。でも、身体をボロボロにしてまで、この街に戻ってきたのは家族に会いたい一心だったからなのは分かる。


(お前の逆バージョンだな。お前って本当に罪深いなー)


 彼が保護されたのは自宅があった場所。通報したのは隣人。その隣人から家族が殺されたことを知らされた時の、智尋の様子は……。


 臨場した救命救急士と警察官がPTSDになりかけるほど、狂乱した彼の様子は深い悲しみに満ちていた、と報告書に記されていた。


 心の痛みを耐えながら、正雄は智尋が活動のために広げていたものを片付ける手伝いをする。


 「光村家一家殺人事件」を伝える新聞記事の切り抜きが貼られたり、現況を伝える手作りのパネル1枚1枚を手に取るたびに、心がグサッグサッと切り刻まれる。


 必死に耐えた。痛みに耐えながら、それでも自分の息子(大志)を案じる気持ちが辛うじて、心の一線を保たせる。


(そんなに辛いなら、近づかなきゃいいだろ)


 息子を探し求める気持ちが辛うじて上回る。


 片付けには制服警官の二人も手を貸してきた。


 最後に、


「皆さんも、他にも多くの事件や様々なトラブルで日々大変だとは思いますが、私の家族の事件のことも、是非、ほんの少しで結構ですから、覚えておいてください。事件解決の糸口を見つけてください。本当に、お願いします」


 智尋が配っていたビラを一人一人に手渡してきた。


 制服警官の二人はビラを受け取ると、智尋に敬礼を送った。若い新人警官は先輩の様子を確認することなく自発的に。年嵩の警官も丁寧に。


 そして、智尋は去って行った。制服警官たちも去った。


 だが、直後の健矢が口にした言葉に正雄はギョッとすることになる。


「さーて、やっと仕事ですか? 本当、あんな気持ちが悪いヤツの肩入れをするくらいなら、さっさと仕事を終わらせましょう。時間の無駄ですよ」


「! ……真辺君、そういう言動は控えてくれ」


 はっきりと健矢をたしなめる。


「彼は殺人事件の被害者の御遺族だ。被害者や遺族への配慮も我々警察官の大切な務めだ。決して、無駄なんかじゃない。そもそも、君も分かっているだろう? あの事件はまだ未解決だ。未だに犯人を逮捕できていないことを我々は真摯に反省して、捜査にあたらなければならないんだ」


 だが、彼はキョトンとするばかりで、なぜこんなことを言われるのか理解できないと言わんばかりの顔をした。


 そんな健矢のことが信じられなかった。


(おいおい。こんなヤツが刑事で警察官なのか? 人手不足だからってマジかよ。世も末だな)


 嘆く「影」に思わず同意しそうになった。


 殺人事件の遺族を「気持ちが悪いヤツ」と公然と蔑む態度が理解できなかった。


 事件解決の情報提供を求める活動を行っている遺族の些細な手伝いをすることを、「時間の無駄」と断言する態度が理解できなかった。


 そもそも、智尋のやつれた身体を目にして、同情心を欠片も示さない冷たい態度が、人として理解できなかった。


 智尋から手渡されたビラも、受け取って直ぐにぐしゃぐしゃに丸めてポケットに仕舞っていた。仕舞う直前、彼の目はゴミ箱を探していた。


(あれは、周りの目がなかったら、ポイ捨てしていたぞ)


 理解できなかったが、健矢の生活安全課への異動希望が前の地域課の上司によって握りつぶされたことは理解できた。


 健矢が将来、児童ポルノ、児童買春といった犯罪に巻き込まれた子供を守る部署への配属を希望していることは知っている。その第一歩として生活安全課への異動を希望していた。


「子供の頃、いじめられたことがありました。だから、その時の経験を活かして、弱い立場に置かれて犯罪に巻き込まれてしまった子供たちの味方になりたいんです。彼らのヒーローになりたい、と言ったら格好つけすぎですよね」


と最後は照れくさそうに語ってくれたこともあった。


 でも、時折、首を傾げるところもあった。


(こいつ、本当のことを言っていたのか?)


 刑事の仕事にやる気を見せないのは、異動の希望が通らなかったから、今時の若者だから、そんな理由を考えていた。


 事件の被害者にひどくドライに接していた時は、まだ刑事としての仕事に慣れていないから、冷静に事件に向き合おうとしているから、だと考えた。


(違うな。あの目はサディストじみた目だった)


 その時の被害者の若い女性に向けていた冷たい眼差しを思い出した。


(こいつに子供がらみの犯罪の担当は任せられねえ。被害者の子供に寄り添った対応が出来るなんて到底思えないわ)


 「影」の言葉に思わず同意してしまった。


 こんなことを考えていたから、健矢にビラを手渡した時に、智尋の目が一瞬だけ細められたことに気が付かなかった。


 彼の首から下げられていたペンダントのトップが上下逆になって、その意匠となっている天秤が逆様を向いたことには気が付いた。シャランと音がしたから。


 回転しやすいものなのだろう、と正雄は気にも留めなかった。


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