汝ら罪なし
───限界だった
もはや、どちらかが死ぬしかなかった
吹雪から逃げ込んだ小屋の中では、暖炉に今にも消えそうな炎が揺らめく
それは私達二人をかろうじて暖めこそしても、差し迫った飢餓から救うものでは無かった
「早く私を殺せ」
短刀を震える手で鞄から取り出すと、目の前の少年の足元へと投げ捨てた
「このままでは私は、君を殺す」
「暖かな血を啜り、その綺麗な肉を貪るためにだ」
「君のような美しいものを傷付けたくない」
この吹雪の中で外套の一つも無く裂傷だらけで彷徨っていた色白のこの少年がどういう素性であるのか、まったく見当も付かなかった
しかし確実な事が一つあった
私のような惨めな男の命に比べれば、彼の生存には価値があった
彼はつらそうに笑いながら首を横に振ると答えた
「僕の命こそ罪に満ちています」
「貴方は先程仰った事を僕になさって下さい」
「抵抗はしません」
真っ白な手が私に短刀を握らせる
この少年がそんな事をされるのに相応しい存在には、到底思えなかった
「どんな罪を犯したと言うんだ」
私は尋ねると少年は目を伏せた
「この世に産まれて、生きました」
「それこそが罪ではないでしょうか?」
少年は纏っていた襤褸のような服をはだけた
目を覆いたくなるような様々な傷痕が、雪のような肌に数え切れないほど刻まれていた
「これが、この世界が僕にした事のすべてです」
「だから疲れました」
「貴方は僕を救うと思ってやって頂ければ良いんです」
言い終えると彼は襤褸をまとったが、その際に一瞬だけ彼の背中が私の眼に入った
傷だらけの背の、左右の肩甲骨の近くに、皮膚の外まで突き出た骨と大きな裂傷が視えた
私が眼を見開き息を呑むと、すぐに彼はそれに気付き言葉を続けた
「昔、翼を引き裂かれた時の痕です」
少年の視線は床の、何処とも付かない場所を彷徨っていた
もしかすれば泣いているのかも知れなかった
「これをやったのは悪魔でも怪物でもありません」
「人間がこれをやりました」
「これやった人達は、その後も裁かれていません」
「だから、貴方も罪を恐れないで下さい」
私は彼を見つめて立ち尽くしていた
少年はそれに痺れを切らし私に歩み寄ると、短刀を持った私の手を両手で固く握りしめ、自らの喉に引き寄せた
私が衰弱していたという事も当然あったが、確実な断固としたものがそこには存在し、彼を信じがたい力で動かしていた
「もう一度言います、恐れないで下さい」
「貴方には罪は無いし、有ったとしてもそれを裁く者はこの世には存在しません」
そして手に、命を奪う為の感覚が伝わる
鮮血が視界を覆った
───彼は、すぐには死ななかった
「そういう存在だったから」なのかは解らないが、彼が完全に動かなくなり体温が無くなるまでに相当な時間が経過した
過程について描写する事は差し控えるが、現在私は返り血と自分の流した涙に汚れながら、短刀で刻んだ肉を口に運んでいた
調理されていない以上当然の事だが、味はほとんどと言って構わない程に無かった
命だったものの生肉を咀嚼する感覚だけが、そこには有った
こうして私は吹雪を耐え抜き、数日後には凍傷を負いながらも街まで辿り着いた
私は物語の英雄では無い
その後哀れな少年の敵を討つ事は無かったし、心には何も残らなかった
考えてみれば、すべてはそういうものなのかも知れない