暴君様は私に一目惚れ?探しておられる女性って私なんじゃ······。
※この作品は短期連載していた作品『破天荒な暴君殿下と私の、角から始まる秘かな恋』の短編板となります。内容はほぼ重複しておりますので、もし連載板をお見かけしていた場合は申し訳ありません。
初見だという方は、良ければ一読お願いいたします。短編の割には長いので、天丼感覚でどうぞ。
──ガシャーン、ドカッ、ズガガァンッ──
「·········」
「ひ、ひいいっ!?」
「ま゛、ま゛い゛っだあ゛!!」
「ゆ゛る゛じでぐれえ゛ぇ!!」
「黙れ黙れ!このクソ虫らがぁ!!」
──ズガアアァッ──
『あんぎゃああああぁ!!』
と、もはや断末魔に近い悲鳴をあげながらピューッと吹っ飛ばされるチンピラ君達。みんなボコボコにされて痛そう。お大事に。
「ふん!喉が渇いた!リブラ!何か持ってこい!」
「はっ、ただ今」
ご命令が飛んだので私もサッと迅速に動く。
命令を下されたのは、チンピラ君達をボコボコにしたついでに大衆食堂を半壊させ、ギンギラと覇王オーラを漂わせてふんぞり返る我が君主アステル・リコス・ボウルグング皇太子である。
私は壊れかけたカウンターに滑り込み、棚に並んだ飲み物の中から目ぼしい物を素早く抱え込んで、ジョッキと共に戻る。この時魔法で氷を作るのも抜かりない。この間実に7秒。10秒以上かかると多分ぶっとばされるのでこちらも必死だ。
「ワイン、ビール、果実酒にはちみつ酒、ミルクでございます」
好みであろうドリンクたちを一通り並べると我が君は満足そうに頷いた。
「よし、うまそうだ。全部混ぜろ」
「かしこまりました」
この無茶苦茶な味覚は未だ理解出来ないが、異を唱えようものなら私がビールのごとくシュワシュワにされる。それはヤダ。
言われた通り、魔女のごとくドボドボと混ぜ合わせてお出しする。
「お待たせいたしました。出来上がりでございます」
「ご苦労、貰うぞ」
豪快な一気飲みが闇ポーションを流し込んでいく。
「うまい!」
「光栄にございます」
どうやらご機嫌が直ったようだ。
『暴君』を不機嫌にさせたままでは私の身が星の数ほどあろうと足りないからな。
アステル殿下は我がコンスデイル帝国の次期皇帝であり、第一皇太子だ。つまりとてつもなく偉い人。私のような小娘など吹けばちり紙のごとく瞬殺だ。
この間24になられたばかりで、容姿端麗、眉目秀麗。淡いブロンドの髪をさっぱりと切り揃え、その下の宝石のようなマカライトグリーンの目は切れ長で、細めると刃のような鋭い光を帯びる。
背も高く、スラリと伸びた手足もスマート。しかし、痩せ細っている訳ではなく、無駄な肉の無い引き締まった身体をしており、腹筋なんて6つにバキバキと割れている。
次期皇帝、イケメン、スタイル抜群。
黙れば王子様、座れば彫刻作品、歩く姿は若獅子の皇帝。絵本の中から飛び出してきたような外見。
だがしかし、その性格は山賊の頭、海賊の船長、下町のガキ大将。まさに暴力と横暴と短気の三位一体。
そう、つまり『暴君』なのだ。
「リブラ、腹が減った。何か持ってこい」
「はっ、ただ今」
こうなるだろうと目星を付けておいた食料たちを怪盗のごとく拐って、すぐに戻る。これが私、『リブラ』の仕事だ。
リブラとは私の本名ではない。これは仕事の名前、役柄、コードネームだ。
私の名前はマイナ・ユーラスデア。田舎の小さな領主の娘。18才。
私の仕事。それは皇太子お付き世話係という名前のまんまの仕事だ。
この世話係は私含め12人存在し、サテライトと呼ばれ、交代で殿下の身の回りのお世話をしている。
私の担当する日数は週に6日。
殿下はよくお忍びで町に下りられるのだが大抵何かを破壊したり、または誰かボコボコにする。
全然忍べてないのだが、庶民の前に姿を現す事は無いし、貴族の中でも面識のある人間は有力者だけなので誰もアステル殿下とは気付かない。
大体、庶民の服を着崩して酒を飲みまくってすぐケンカするような人間を皇族だとは誰も思うまい。
今日もなんやかんやあって、チンピラ君達と食堂をぶっ飛ばしてしまったので、私は今、絶賛アフターケア中。
「うまいっ。やはり肉だ、肉に限る。リブラ、お前も食うか?」
「光栄でございます。しかし、私どもサテライトはこの仮面を外す事を禁じられておりますゆえ」
私達サテライトのお仕着せは少し変わっている。
体格が分からなくなる真っ黒な長いローブと、頭をスッポリ覆い隠す魔女帽子、真っ白で無表情な仮面。これらを全部装着する。すると、個人の特定はもちろんの事性別や年齢すら不明の姿になる。
しかもこの仮面は特注品で、特殊な魔法加工により着用者の声が奇妙な音質に変わるようになっていて、声だけでは男女の区別も難しい。
ただし、どの世話係か区別するため仮面にはそれぞれマークが施されており、それによりコードネームの判別は可能だ。ちなみにわたしの仮面のマークは天秤だ。
「ほーん、飯を食う時すら外せんのか」
「そういう決まりでございますから」
「しかし暑苦しくないのか?それ」
「正式な衣装でありますから悪く言いたくはないのですが······少々不便でございます」
実に不便なお仕着せなのだが、このようなデザインになったのには理由があるらしい。
私も人伝に聞いた話なのだが──
過去に世話係と皇太子の間に色々あったからだそうだ。
世話係女中に皇太子が恋してしまい、妊娠させてしまったがために血みどろの後継争いに発展したとか、ならば男なら良いだろうと男性だけで世話係を組織したら今度は男性同士の愛に芽生えて逆に後継が断たれそうになってしまったり······
とまあ、そんな訳で、そもそも恋愛の対象にならないように姿を隠しちゃえというぶっ飛んだ結論に至ったそうだ。どうしてそうなる。
もう一つの実利的な理由は、この姿は黒魔道士の装束にそっくりなので、一応カモフラージュになるということ。
サテライトの存在は貴族や関係者しか認知していないが、念のため一般人にはただの黒魔道士だと思われるようにしてるのだ。
「その姿と声では男か女かも分からんな。が、まあ女だろ?」
「ご想像にお任せします」
「よし、ならこっち来い。ケツを揉んでやる」
「ご容赦のほどを······」
「ほら、女だ。ま、いいさ。それよりそろそろ行くぞ」
「かしこまりました」
床に転がった残骸を『邪魔だ』と言いながら蹴り飛ばしていく殿下。
私はカウンターの隅でガタガタ震えている店主の元にサッと赴き、店の修繕と損失した物品を賄えるだけの金貨を渡した。
「大変お騒がせいたしました。修理業者と衛兵は私の方で手配いたしますので、今はこちらの賠償金をお納め下さい」
「あ、ありがとう?」
「では、失礼します」
手早く済ませた後は、魔法紙で作った伝書鳩にここの事を記して飛ばし、すぐに殿下の後を追った。
「リブラ、ご苦労だった」
「もったいないお言葉」
「しかし、あの店主の怯えよう。さっきの輩がよほど恐ろしかったのだな」
いや、あんたのそのバカ力にビビってたんだよ。
という心の声はゴックんしておき
「心休まる事を願いましょう」
と返しておいた。
アステル殿下は凄まじい『力』を持って生まれた。
体力、筋力、魔力。全てがインチキレベルで、語り継がれる武勇伝にいたってはもはや荒唐無稽な作り話のごとく。
5歳のころに素手でオークを撲殺したと聞くし、10歳の時にドラゴンを背負い投げしたと聞くし、剣や魔法の稽古もやる度に指南役が病院送りになるので誰もやりたがらなくなったそうだ。
終いには、軍事演習という名目で兵士1000人による連続組手が行われたが、全員コテンパンに叩きのめしたそう。うん。化け物だ。
そんな化け物な力に加えて気性の荒いこと。すぐにカッとなって暴れる。
そんなんだからまともに躾る事も出来ず、傍若無人に育ってしまわれた。
ただ、権力を振りかざして誰かを追い詰めたり消したりするような事はしないし、命乞いをすれば基本的にはお咎めなしで許してくれるあたり悪い方ではない。あくまでキレやすくて少し暴れるだけだ。
だけ?
そんなアステル殿下を周囲の人間は『暴君』と呼び親しんで(?)いる。
暴君殿下は、庶民の服で変装して町へお忍びに行く毎日を送っている。ちなみに、お気に入りの場所は市場と酒場と賭博場。
まるで皇族らしからぬお方なのだ。
でも、実を言うと私はそんな殿下が少し羨ましい。
「よし、リブラ。ドラゴンダービーに行くぞ。早めに行かねば良い席が取れないからな」
「?殿下は特待席でご覧になれるのでは?」
「バカ言うな。あんな所は有力貴族のジジババどもがへつら笑いをひっさげて、やれウチの娘は器量良しだの血統がどうのと言って詰め寄ってくる所だ。つまりクソだ」
「はあ」
「分かったらとっとと行くぞ」
「かしこまりました」
ご自身の立場になんか構わず、好きなように振る舞う。私はそんな殿下が羨ましいのだ。
私のような境遇の人間には決して出来ない生き方だから。
私の実家は片田舎の領主をしている。貴族なんて大したものではないが、一定の領地と領民を財産として預かっている。私はそんな家の末子だ。兄が二人、姉が一人。ささやかだが、幸せな家庭だった。
ところが一昨年に、大嵐とそれによって発生した洪水により領地は壊滅的な被害を受け、未だにその傷が癒えてない。元々、裕福とも言い難かった我が家の財政では自力で復興するのは難しく、方々の貴族から借金をしてなんとかやりくりしている。それでも厳しいが。
そこにきて去年母が病に倒れた。復興のために休まず働き続けたのが良くなかった。タチの悪い病で薬も大変高価なため、我が家はさらに苦しくなった。
このままでは父や兄達も頑張り過ぎて倒れるかもしれない。
そんな私達の境遇に同情してくれたある貴族の方が、私に今の仕事を紹介してくれ、推薦状まで書いて下さった。かなりの高給であったから少しでも借金返済の足しになればと、私も厚意に甘えたのだ。
つまり、私は借金まみれの田舎娘で、この生活も同情によって恵んでもらったものなのだ。うだつの上がらない日々を後ろめたい気持ちで送っている。
そんな私からすると、なんでもかんでも力によって解決して、堂々とふんぞり返るアステル殿下は見ていて羨ましい。
ドラゴンダービーの会場につくと大勢の観衆によって熱の渦が逆巻いていた。
出走表を片手にブツブツと呟く殿下。
「ふむ······やはりレッドエクリプスか。対抗でシャドウタイムズ。だが、こいつらは体が大きすぎる。渓谷エリアの小回りは不利だ。となるとファイバー系の竜が······ピンキーベア。こいつだ」
ご自身の立場を忘れて真剣にドラゴンレースの予想をする。こういう真剣な表情はギャンブルの時にしか見られない。
そこそこの席も取れ、いよいよメインレースの時がやってきた。私はドラゴンレースに詳しくないけど、レッドエクリプスという大きいドラゴンが一番人気らしい。能力、体、血統。どれをとっても一流だそうだ。
殿下と二人でレースを鑑賞する。
結果は、大穴とされていたピンキーベアとかいう小さくて弱そうなメスのドラゴンが勝ち、会場は阿鼻叫喚の渦にさらされていた。
「ハーッハッハッ!!」
帰り道。我が君はめちゃくちゃ上機嫌で高笑いを上げていた。
「やはり来たか!あの狭い岸壁の間は競り合うと大きく消耗する。そこへくると小回りのきくドラゴンは有利だ、おまけにノーマークだったしな。しかしあの超低空飛行は見事だった。騎手には何か褒美をくれてやろう」
「的中お見事でございます」
「惜しい事をしたなリブラ?俺の言うとおりに賭けていればお前も儲かったものを」
借金まみれの分際で賭け事にお金をつぎ込んだら私は本当のクズですよ。
「しかし、よく勝てましたねあのドラゴン。私はレースに詳しくありませんが、あまりパッとしないように見えたのに」
「ふん。本質を見極める目こそ真の王の器量だ」
「流石でございます」
この日は上機嫌な殿下と城に帰り、私は他のサテライトとの交代の時間になったので上がることとなった。
「それでは殿下、失礼いたします」
「ああ、ご苦労」
アステル殿下のお世話は確かに大変だが、不思議と辛くはない。あの傍若無人で豪快な振る舞いは見ていて清々しい所もあるからだろう。
それよりも辛い事がある。
陰湿で、悪意に満ちた辛い事が。私の心を蝕んでいる。
殿下の部屋を出て長い廊下をあっちへこっちへ。上がったり下ったり。
そして私らサテライト用のロッカールームにたどり着いた。誰も居ないと良いのだけれど。
祈りながらドアを開けたが、その願いも虚しく、一番会いたくない人物が待っていた。
「あら、物乞い娼婦さん、早かったわね」
「······こんばんは、ミーティア嬢」
「馴れ馴れしいわね。ポワゾール侯爵令嬢と呼びなさいな」
「······失礼しました。ポワゾール侯爵令嬢」
「何その長ったらしい呼び方。煩わしいわね」
そう言ってニヤニヤと笑うのは本人のご紹介通り、ポワゾール侯爵家令嬢のミーティアだ。
私の3つ上で、美人で背も高く抜群のプロポーションと、貴族の中でも特に有力なポワゾール家侯爵令嬢の肩書きを持つ女性。
だけど性格は壊滅的に悪く、容姿と性根のギャップが激しすぎてコントラストになっている。自分の美貌と家の名を自慢し、下の立場の者や弱い人間をいびってはキャッキャッと笑い他人の不幸には心の底から喜ぶような人間なのだ。
そんな、一流の血統に濁流の心を持った令嬢に私は目を付けられている。
「私、分かりませんのよ?何故あなたのようなドブネズミがサテライトに選ばれたのか。どうしてアステル殿下にあれ程目を掛けてもらっているのか」
「······」
「なんとか言いなさいよ」
「申し訳ありません。私にも分からなくて」
「あっそう。やっぱり家柄が冴えないと頭まで鈍くなるのかしら?」
「······」
黙ってミーティアの横を通り過ぎようとしたら足を引っ掛けられた。分かっていたし、避けられたかもしれないけど、ここで避けたらもっと過激な嫌がらせをしてくる。
私はそのままつまづいて、椅子に当たりながら転んだ。じんっ、と痛かった。
「あら、ごめんなさい」
嘲笑が上から浴びせられた。
「あなたの足下にウジ虫が湧いてたから踏み潰そうとしたの。そしたら、あなたが鈍くさいものだからこんな事に。ふふふ」
「······いえ、大丈夫です」
帽子を取り、仮面を外してローブも脱ぐと、ミーティアが大げさな仕草で鼻を摘まんで後ずさった。
「きゃあ!何これ?酷い臭い!まるでドブの臭いだわ!おかしいわね、このお城にそんな薄汚い生き物は居ないはずなのに。ねえ、ユーラスデアさん?」
「······すみません」
「あら、何故あなたが謝るの?別にあなたの事を言ってるわけじゃないのよ?勘違いさせちゃったかしら?」
「······」
クスクスと笑うミーティアの方をなるべく見ないようにした。何があっても我慢だ。
癇癪を起こしたところで私の力じゃミーティアには勝てないし、城で騒ぎを起こせば家族にも累が及ぶかもしれない。ここは我慢だ。
「あら、いけない。そろそろ時間だわ」
ニヤニヤ笑っていたミーティアは時計を見るとハッとした。
「ああ、待ってて下さいね愛しのアステル殿下。今あなたのミーティアが行きますわ」
私と同じく支給されたお仕着せに着替えてミーティアは出ていった。
「······はあ」
私もさっさと帰ろう。ミーティアだけじゃない。サテライトの人間はみんな身分の高い人間で構成されていて、おまけにその大半が私に敵対的なのだ。ここに長居すれば同じような目にまたあう。
皇城の裏門からこっそり出て町に下りる。私の住まいはここから歩いて50分の場所にある。中心部から外れた閑静な場所の小さな集合住宅の一室だ。
帰り道。考えたくないことばかりが頭をよぎる。
「お母さん、大丈夫かなぁ」
仕事中はアステル殿下の暴君オーダーに食らいつくのに必死で余計な事を考えずに済む。でも、仕事帰りはいつも不安な時間に支配される。
闘病中の母。ギリギリでやりくりしている父に兄達。辛い生活をしている領民達。
本音を言えば、この仕事を通して貴族と交流し、私の故郷の現状を話して助けて欲しいとも思っていた。
でも世の中甘くなく、サテライトの貴族子女達は私のことを猛烈にいびった。
ミーティアを筆頭とした嫌がらせは特に酷く、お弁当箱をゴミ箱に捨てられたり、あるいはゴミを中に詰められたり、ロッカーの中をビシャビシャにされたり。例を上げればキリがない。
ここまで彼女らの嫌がらせが激しいのは元々の性格もあるだろうが、私のシフトにも原因がある。
お昼から夕方の時間帯。アステル殿下が最も活動的になり、プライベートな時間帯。ミーティア曰く『アステル殿下に一番お近づきになれる時間』だ。
私から言わせれば『アステル殿下に殺される可能性が一番高い時間』なのだけど。
──翌日──
「リブラ、少しカードに付き合え」
「かしこまりました」
今日はお出かけせず、暇をもてあました殿下とカードゲームに興じる事となった。
こういう時間をミーティア達は恨めしく思っているのだろう。
そりゃ、見た目だけなら超イケメンスタイル抜群の未来の皇帝なのだ。貴族令嬢が狙わないはずがない。このサテライトのメンバーが身分の高い人間ばかりなのも、教養やコネの理由もあるが、何より殿下の好みや趣味を知るために令嬢が狙ってくるからだ。
「おいリブラ」
「はい、なんでしょう殿下」
「どうして大半のサテライトは、ああもつまらんのだ」
「と、言いますと?」
「無駄なおべんちゃらを並べ立てたり俺の言う事に賛同しかしない太鼓持ちどもばっかだ。お前含め2、3人はまともだが他はつまらん。特にヴィルゴやスコルピオにアクエリスはクソだ」
殿下の言う「クソ」なヴィルゴ、スコルピオ、アクエリスは私の『リブラ』と同じくコードネームで、他のサテライトの事だ。
ちなみに、ヴィルゴはミーティアの事で、スコルピオとアクエリスはその取り巻きの伯爵令嬢達だ。
「こっちが何しても、ステキです、素晴らしいです、カッコいいです。しか言わん。てんでつまらん。おまけに手際は悪いし融通も効かんし気もきかん。賭け事も弱いときた。ついでにカゲ口も多い。姿こそ隠してるがあれは女だな。それも、どこぞの良家の高飛車女だ。ああいう醜悪な言動は見飽きている」
なかなかに鋭い。人のことちゃんと見てる。
「リブラ、あの3人は女だろう?そんでもって貴族令嬢だろう?」
「申し訳ありませんがお答え出来かねます」
「ふん、そういう決まりだったな。まあ、どうでもいい。それよりだ」
カードを切り終えた殿下が私の方を見る。凄い目力だ。
「何を賭ける?」
「そうですね······私は殿下が喜ぶような物を持っていないので、また占いというのはどうでしょう?」
「よし。で、お前は勝ったら何を望む?」
「では、私が勝ったら今日一日公務に勤しむというのはいかがでしょう?」
「なんだそのクソみたいなベットは」
「大臣が嘆いておられましたので。そして口酸っぱく説得するよう言われましたので」
「まあいいだろう。が、あのハゲは後で殴る」
ごめんなさい大臣。
「さて、じゃあ5本先取といくか。パスは3回までだ」
「分かりました。よろしくお願いいたします」
結果は4対5で私の負けだった。
「惜しかったな。仮面で表情を隠せるハンデがあるものの、お前も駆け引きが分かってきたな」
「恐れいります」
「じゃあ約束だ。占え」
「承知いたしました」
命令を受け、水晶を取り出してテーブルの上に置いて手をかざす。
「今日のアステル殿下の夕食。その献立を教えたまえ······むむ······」
私にはちょっと変わった力がある。それがこれ、占いだ。
古くはギフトと呼ばれる特殊能力らしく、希な才覚なのだが私のギフトはショボく、ちょっとした事を占うこと。
近い未来を占えるが、大局的なことなどは占えないし、的中率も8割くらいで、なんとも中途半端。せいぜい数日後の天気や、明日の夕飯に何を食べるかとかが分かるくらい。
使い方はシンプルで、知りたい事を念じたり言葉に出して問いかけると水晶に文字が浮かんでくるのだ。今、水晶には殿下の夕食のメニューが浮かんでいる。
「出ました」
「読み上げろ」
「今日の献立はカボチャパイ、ニシンの蒸し焼き、カニのクリーム煮込み、フルーツサラダにキノコのスパイス和え······」
「なんだとっ!?肉はどうした!!イノシシの丸焼きにステーキ、ベーコンにチキングリルは!?」
「無いようです」
「おのれえ!!あのクソコックめぇ、また病人食みたいなモン作りおって!今すぐ締め上げに行ってやる!」
「あくまでも占いですし必ず当たるわけでは──」
「大体当たるだろうが!ええい、我慢ならん!メニューの変更だ!!」
そう言うやいなや、殿下はバターンっとドアを蹴破って出ていかれた。少しして、地響きと悲鳴が聞こえてきたので私は耳をふさいだ。
私は悪くない私は悪くない······コック長さん、ごめんなさい。
数分後、肩をいからせた殿下がズンズンっと戻ってきた。
「まったく!あのバカは!なーにが殿下の健康のためだ!食いたくない物を食うほうが不健康だろうが!リブラ!」
「は、はい」
「もう一勝負しろ、ムシャクシャするっ」
「かしこまりました」
こういう時は逆らわない方がいい。
私と殿下は再びカードに興じた。
「おい、リブラ」
粛々と駆け引きをしていたところで殿下が唐突にこんな事を聞いてきた。
「お前、ポワゾール令嬢とかいう女を知ってるか?」
「え?」
毎日あなたのお世話をしていますよ。とも言えん。とりあえずそれとなく答えねば。
「会った事はありませんが、何度かお見かけしたことはあります」
「ふーん。どんなやつだ?」
「どう、と言われましても······」
あなたがクソだと言っていたヴィルゴですよ。とも言えまい。
「お綺麗な方でした。美人だと評判です」
とりあえず世間一般的な批評を述べるにとどまろう。ありのままを話すのは悪口みたいになってしまうから。
「血統も良く、スタイルも抜群とのことです」
「ほーん。胸は大きいか?」
「······はい」
「そうか、それはそそるな」
皇族がしてはいけない下品な笑みをニヤニヤ浮かべてカードを切る殿下。
「ケツもでかければ上も下も揉みごたえがあるのだがな」
「左様でございますか」
「どうだ、お前も女は肉付きが良い方がそそるか?」
どうと言われましても、私は女体に興味はありません。
「いえ、私は特に······」
「ふーん。お前やっぱり女だな」
「何故ですか?」
「男ならこういう話に乗るのが普通だからだ」
そうだったのか。これはミス。今度からはオッパイの話で盛り上がらなくては。
それにしても······やはり、アステル殿下もミーティアのような女性が好みなのだろうか。
「殿下」
「なんだ」
「やはり殿下もナイスバディな女性がお好みなのですか?」
「ん?まあ、そそるはそそるな。だが、それだけだ」
「というと?」
「情欲の対象にはなりえても愛せるかは別の話だ」
「そうなのですか」
男心はよく分からない。だけど意外だ。この人ならてっきりグラマーな女性でハーレムとか作りそうなものなのだが。
でも、アステル殿下の浮いた話というのは聞いた事が無い。女遊びくらいはしているだろうが、誰かに熱を上げたとかは聞いたことない。
それにしても──
「殿下、なぜミーティア嬢の事をお聞きに?」
「ああ、それはだな。あれだ。縁談の話が来てるのだ」
「そうですか······」
まあそうだろう。貴族の中でも有力とされているポワゾール家の美人令嬢なのだ。本人がいつも豪語するように『アステル殿下に最もふさわしいのは私よ!』なのだ。
「おめでたい話ですね」
「めでたくない」
私の社交辞令にギロリと返す殿下。プッツンゲージ6割くらい。危な。
「親父も母上もうるさくてかなわん。今回は真面目に考えてくれ、一度会ってくれと泣きついてくるのだ。好きでもなく、よく知らんやつに会わなければならんとは煩わしい事この上ない」
「そうでしたか」
「妻にする女くらい、俺の好みの女にさせろという話だ」
「······殿下の好みとはどんな女性なのですか?」
「気になるか?そうだな、改めて聞かれると······俺の好み······」
うーん、と唸って殿下は考え出した。
「そうだな。器量良しで聡明、物静かで思慮深い、可憐で愛くるしい天女のような輝きを持つ女。うん、天女のよう。これが重要だ」
まったくピンっとこないし、今時天女のようななんて古風な例えがさらに想像を難解にしているが、ともかく超絶美女だろう。
「なかなか難しそうですね」
そう答えるしかなかった。
少しして交代の時間となり、私は殿下に挨拶して部屋を後にした。
「結婚かぁ」
あの暴君の妻になる女性とはどのような人物か。同じく女帝のような凶暴な御仁だろうか、それとも完全服従した憐れな生け贄のような人か。全く想像出来ない。
ただ一つ言える事は、ミーティアと殿下では反りが合わないにも関わらず一番現実的だということ。
と、あれこれ考えながら廊下を歩いていた時だった。
「遅かったわねドブネズミ」
聞きたくない声がかけられたので顔を上げると、サテライトの衣装に身を包んだ三人の人物が行く手を阻むように立っていた。
ヴィルゴことミーティア、スコルピオことティオラ伯爵令嬢、アクエリスことリーラ伯爵令嬢。それぞれの仮面のマークで分かる。
「薄汚いネズミが堂々と城内を歩いているから、危うく炎魔法で消し飛ばすとこだったわ」
仮面越しにもニタニタとした笑みが見えそうなミーティアの言葉。
「それにしても、随分ギリギリまで殿下の所に居たのね。図々しい」
「でもミーティアさん?ネズミというのはそういうものではなくて?」
隣のティオラがズイッと一歩出る。
「居てはいけない所に図々しく居座る。そういう浅ましい生き物でしょう?」
そんなティオラの言葉にもう一人の令嬢リーラが相づちを打つ。
「ええ、ティオラさんのおっしゃる通り。でも私達は博愛主義ですもの、ネズミ1匹の厚かましさくらい許してあげないと」
二人の令嬢がミーティアの左右を固め、ミーティアは声を立てて笑った。
「オホホホ、そうね。二人とも優しいわ。いくら借金まみれの卑しい血の流れたネズミでも生きているんだもの。少しくらいは大目に見てあげないと」
「······」
この人達は何がしたいんだろう。今はもう仕事の時間のはずだ。本来なら殿下の自室で掃除とベッドメイキングをしてなければならない。
私に嫌味を言うためにわざわざ待っていたのだろうか。
「それにしても、どうしてあなたみたいなドブネズミがお出掛けの供にされているのか理解出来ないわ」
とティオラが言うとリーラが大げさに頷く。
「ほんとよね。もしかして色目を使って殿下をたぶらかしてるんじゃないかしら。貧しいと自分の体でも平気で他人に差し出してしまうもの」
「まあ!不潔!身も心も汚れきってるのね!恥ずかしいと思わないのかしら!」
二人の令嬢がわざとらしく半身をのけぞらせると真ん中のミーティアは
「あら、二人とも根拠の無い事を言うものじゃないわ」
と言った。もちろん、私への助け船ではないことは予想できた。
「ユーラスデアさんが殿下をたぶらかすなんて······出来る訳ないでしょう、こんなみすぼらしい田舎娘に」
「まあっ、そうでしたわ」
「おぼこい、冴えない娘さんには無理な話でしたわねえ」
「そうよね、したくたって出来ないわ。あたくしったらユーラスデアさんに酷いこと言ったわ」
「ごめんなさいねユーラスデアさん。あなたのゴミみたいなステータスを考えてなかったわ」
「色気も無い、お金も無い、良いとこなしの女だものねぇ」
「ふふ、卑しい血の子。そりゃ領地も散々になるわ」
「そんな女に魅了される男なんて居ないわよねえ」
「オスのネズミなら寄ってくるかもしれないけどね」
アハハハハハと三つの声が重なりあう。
「ほら、早く行きなさいな、臭くてかなわないわ」
三人に足を引っ掛けられながら、私は背に嘲笑を受けてロッカールームに入り、すぐに城を出た。
この日の夜も豆と玉ねぎのスープだけで食事を済ませた。家への仕送りのためにも贅沢は出来ない。
ベッドに入って一人で泣いた。枕を抱きしめてずっと泣いた。辛くて辛くて泣き続けた。
眠る前は嫌。今日あった嫌な事をどうしても思い出してしまうから。
「私だって······何か一つくらい······良い事あったって·········」
泣き疲れてきたところでやっと眠る事ができた。
翌日。
今日は仕事が休みだ。
「ふわあ······」
あくびをかみ殺して身支度を整える。
と言ってもどこかに遊びに行く訳ではない。
少しでも実家にお金を送りたいから散財は出来ない。よって、唯一の楽しみの散歩兼食料の買い出しだ。
「さてさて」
服も着替えたし、出発だ。いつもの黒魔道士スタイルのお仕着せではなく町娘風の格好。たまにはかわいいドレスとかも着たいけど我慢だ。節約しなくちゃいけないからな。
それに、私なんか着飾ったところで······
「いけない、いけない」
最近、悪口を言われ過ぎて卑屈になりがちだ。もう少し明るい事を考えよう。
私にはお金もないけど真っ当に暮らしている自負がある。自分で料理の工夫とかして安い食材でも満足いっぱいの料理を作ったりしてるし、つつましやかに家庭菜園で補ったりしている。
こうやって頑張っている私にはきっと良いことあるに違いないっ。根拠はないけど。
「よし」
今日は気分転換に少し遠くへ足を伸ばしてみよう。私は、普段はあまり行かない定期市に行くことにした。
歩いて一時間近く。町の中心部にある市場に着いた。
「色々あるなぁ」
アステル殿下と出掛ける際は良く立ち寄るけど、いつもは仕事中だし、あの暴君の一挙一動に神経を集中させなければいけないので自分が楽しむ余裕なんて全く無い。
だから今日はゆっくりウィンドウショッピングを楽しもう。
「へー、こんなのも売ってたんだ。あ、あんな物まで」
異国の陶磁器から魔法道具、珍獣の角や毛皮、美しい絵画などなど。ほとんどの物は私に縁のない物だけれど、こうやって眺めるだけでも楽しい。
と、立ち並ぶ露天の中でも私の目を引いたのは農村から出店しているパン屋だ。田舎パンは固いし雑味も多いけど、大きいからお腹一杯になれる。
何個か買って一週間の飢えをしのごう。
「すみません、この丸パンを三つください」
「はいよ」
「あと、このバターも」
「はいよ。お嬢ちゃん可愛いね。サービスで蜂蜜ジュースあげるよ」
「わ、良いんですか?ありがとうございます」
すごく良い店主の方に巡り会え、ご厚意に甘えて遠慮なくジュースを頂いた。
パンの詰まった袋を抱きながら久々の甘味をコクコクとやりつつ市場を歩く。
みんながワイワイやっている風景は好きだ。人の温もりとか息づかいを肌で感じられるから。こういう時間、好きだなぁ。
それに、今日は良い事もあった。美味しいジュースをご馳走になったのだ。もしかして、もっと良い事あるんじゃ──
「あら、あなた」
「え──」
そんなささやかな幸せに突如として冷水がバシャリとかけられた。
背後から聞き覚えのある声。振り返ると豪華な馬車があり、その中でニヤニヤ笑う人物。
「ミ、ミーティアさん······」
「あら、やっぱりあなたね。どうりで──」
わざわざ窓から顔を突き出して口元をセンスで覆ってミーティアが笑う。
「臭いと思ったのよねえ。でも、こういう庶民の群れの中ならあなたのそのドブ臭さも和らぐかしら?」
「······」
「あら、その抱えている物は何?」
「······パンです」
「まあ、パン?」
ミーティアは驚きと嘲笑を混ぜた顔を両手で押さえた。
「こんな汚い所でパンなんて売ってるのかしら?あ、もしかして、農村にあるようなあの泥の塊の事?嫌ね、あれはパンじゃないわ、ただのゴミクズ。あ、ごめんなさい、泥とかゴミがあなたの主食だったものね。オホホホ」
「っ······」
私は踵を返して早足で歩いた。背中に届く嘲笑に耳を塞ぎたくなるのをこらえて。
「······っ······」
ああ、嫌だなあ。
今日は良い事があったのに。それを忘れてしまうくらい嫌な事があった。
きっとこの先もずっとこうなんだろう。バカにされ続けて、何にも得られないのに一生懸命に生きなきゃいけない。そんな人生が待ってる。
もう嫌。逃げたい。こんな所から、こんな現実から──
──ドンッ──
「きゃ!」
曲がり角を曲がろうとしたら何かに─いや、誰かにぶつかった。
うつむいて早足だったのがいけなかった。パンの入った袋も片手にあったジュースもどちらも落としてしまった。
いや、自分のことよりも早く相手に謝らなきゃ。今のは完全に私の不注意──
「す、すみません。よそ見していて──」
「·········」
「······え?」
私はぶつかった相手を思わず見た。いや、見上げた。大きな人、男性。それも私の良く知る人物。美しい顔に神秘的な緑の瞳。いつも見る知った顔。
そう。私のぶつかった相手はあろうことか我が君、アステル殿下だった。
「あ······あ、あぁ······」
心臓が止まりそう。頭が真っ白だ、顔はきっと真っ青だ。そして目の前は真っ暗だ。
あの、沸点が人肌くらいしかなく、口よりも拳の方が雄弁な暴君に私は堂々と正面衝突したのだ。
おまけに、よく見ると殿下のシャツには私がこぼしたジュースがビチャリとかかっていた。
終わった。
一秒後くらいには条件反射でぶっと飛ばされるだろう。私みたいな人間には耐えられまい。
今日は良い日どころか命日だった······目をぎゅっと瞑った。
「············?」
しかし、一向にぶっ飛ばされる気配がしない。
それどころか怒鳴られもしない。
私は恐る恐る目を開けてみた。
そこには、怒るどころか目をまん丸にして呆けた顔をした殿下がいた。
「?」
よくは分からないけどキレてない。とにかく命乞いだ。
「す、すみませんでした!」
私はこの人の事をよく知っている。この人は暴君だが暗君ではない。その場でカッとなりやすいだけで、実は情の深い方だ。必死に謝れば許してもらえるかもしれない。
「本当に申し訳ありませんでした!全てこちらの不注意です!ごめんなさい!」
祈るように頭を下げて、殿下の反応を待った。
だけど、なんの音沙汰もない。また、ビクビクしながら顔を上げてみると今度は穴の空く程こちらを見つめていた。
「え、えっと······」
どうしたのだろう。あまりの怒りに思考がショートしてしまったのだろうか。
とにかく、怒ってはいないのだ。予想外の幸運。今なら逃げれるっ。
「で、では、私はこれで······し、失礼します。本当にすみませんでした」
「············はっ!」
さ、回れ右だ。このまま家に帰り──
──ガシッ──
腕を掴まれた。
終わった。逃げられなかった。ボコボコにされる。
と、絶望しかけた私の耳に入ったのは
「ま、待てっ···あ、いやっ、待ってくれ!」
という、今まで聞いたことのないような殿下の声だった。
その声音というか雰囲気が私の知るものではなかったので、私も思わず振り向いてしまった。
そしてもう一度驚いた。殿下の表情。それも今まで見たことないものだった。尊大な雰囲気や激情を秘めた鋭い瞳が和やかになって、少年のようにキラキラとしている。
「あ、えっと······き、君っ」
「は、はい」
殿下が一歩近寄る。
「君、その···怪我はないかい?」
「へ?ケガ?」
「い、いや、今ぶつかってしまったから······すまない、痛くなかったか?」
あれ?この人どなた?
「え?わ、私は大丈夫です」
強いて言うなら掴まれてる腕が痛いです。
「······あっ」
私の視線に気づいてか、殿下は慌てて手を離した。
「す、すまない」
「い、いえ」
「······あ、荷物が···」
アステル殿下は屈んで、私の落とした買い物袋を拾い、丁寧に土を払ってから渡してくれた。
「本当にごめん。俺のせいで荷物が······何か壊れたりしてないかい?」
「だ、大丈夫です。中身はパンくらいなものですし」
「そうか······」
殿下はまた呆けたような表情で私を見ていた。
というか、この人本当にアステル殿下なのだろうか。私の知る殿下とはあまりにも表情や雰囲気が違いすぎるんだけど。
ともあれ長居は無用。早く引き上げよう。
「で、では失礼します」
「!ま、待ってくれ!」
──ガシッ──
痛いです。
「あっ、すまない!つい······」
と、掴みかかった腕を慌てて離す殿下。
「すまない。女性の腕を勝手に掴んだりするなんてどうかしていた······どうか許してくれ」
「だ、大丈夫です」
こんなにシュンとなって目を伏せているのがあの暴君のわけない。うん。この人は別人、そっくりさんだな。第一、お供のサテライトが居ないじゃないか。
アステル殿下ではないと分かって少し冷静になったぞ。
「私もよそ見してましたから。それより、すみません」
「え?何が?」
「あの、シャツに······」
「あ、本当だ。いつの間にか濡れてる······」
「私の持ってたジュースです。引っかけてしまったみたいで」
「気にしなくていいよ。それより、せっかくの飲み物を台無しにしてしまった。弁償させてくれないかい?」
「いえ、お気持ちだけで結構ですので。それでは······」
今度こそ帰ろう。
私が背を向けると「あっ······」という声がしたが今度は腕を掴まれなかった。
それにしても、殿下のそっくりさんとは。
殿下もこのくらい誠実な感じなら良いのに。そしたら今よりももっと人気だったろう。
そんな不敬な感想を抱いた私の耳に
「き、君っ」
という上ずった声が届いた。
振り返ってみると、殿下のそっくりさんが必死な感じで私の方を見つめていた。
「君、な、名前は?」
「え?私の?」
「ああ!その······ぜひ教えてくれないだろうか?」
なんでそんな仔犬みたいな目で見ながらそんなこと聞くんですか?
「······マイナ。マイナです」
私も私で、そんな殿下──のそっくりさんの顔を見ていたらつい名乗ってしまった。
「マイナ···マイナか······」
そっくりさんは何故か嬉しそうに私の名を呟いてグっと拳を握っていた。
そしてパッと顔を上げて
「マイナっ、その······君はここによく来るのかい?」
「え?ええ、まあ······」
「そうか!俺もよくここに来るんだ!だから、その···またこの辺りを歩いてるからっ」
謎の唐突な散歩コース発言。そして私にどうしろと?
「だ、だから、その、またっ」
「はあ。また······」
気のない返事をしてからその場を離れたが、振り返ってみると、殿下のそっくりさんはいつまでも見送っていた。
「······変な人」
なんだか変わった人だったなあ。
だけど好意的だったし、あの殿下のそっくりさんなんだ。
ちょっとカッコよかったし、なんだか良い気分。今日は良く眠れそう。
次の日。
いつものようにお勤め先に着き、ロッカーで仕度をしているとサテライトの同僚が入ってきた。仮面は獅子。レオだ。数少ない友好的な同僚。
「あ、お疲れ様です。レオ」
「リブラか、とょうど良かった。お前ならあるいは······」
「はい?」
妙な事を口走るレオ。なんだか様子が変だ。
「どうかしたんですか?」
「いや、それがだな。殿下の事なのだが、昨日のお出掛けから帰られて以来様子がおかしくてな」
「殿下が?」
「アクエリスが目を離した隙にどっか行ってしまわれて、しばらくの後に無事に戻ってきたのは良いのだが、どうもその時から様子が変なのだ」
「変?と、言いますと?」
「なんというか、こう、ボーッとされていて上の空というか、気のない返事ばかりされるのだ」
「はあ。熱がおありなのでは?」
「いや、体調に問題は無い。だがな、昨日帰られてから一度もお怒りになられてないのだ」
「それは病気ですよ!!すぐに医者を呼んだ方が良いですって!」
「いや、病もない。全くの健康だ。とにかく、お前は殿下と最も親しい。それとなく話を聞くなりして原因を探ってくれないか?」
「は、はい」
何やら妙な事になっているようだ。すぐに仕度を済ませ、殿下の部屋に向かう。
──コンコンコン──
「殿下、リブラです」
「·········入れ」
「失礼いたします」
部屋へ入る。そこには暴君アステル殿下がいつものように椅子にふんぞり返って──はおらず、何やらものわびしげな眼差しで窓から外をボーッと眺めていた。なるほど、これは妙だ。
「殿下?いかがされましたか?」
「どうもしない······」
「······左様でございますか」
いや、絶対どうかしてる。本当に具合が悪いんじゃないか。それとなく殿下の顔を覗き込む。
「············」
本当に······黙っていればカッコいいのに。哀愁漂う横顔の美しいこと。いつもこうならいいのに。
って、そうじゃない。一体何があったのだろうか。しかし、無理に聞き出そうとして逆鱗に触れたら洒落にならん。困った。
ここは一旦、気分転換に外出へ誘ってみよう。
「殿下」
「·········」
「アステル殿下」
「はっ···あ、ああ、なんだ?」
「今日は天気も良いですし、どこかに出かけるのはいかがでしょう?」
「出かける······」
「はい」
「······」
すると、殿下は何かを思い出したかのように目をカッと開いて
「そうだ!こうしてはおれん!!」
と叫ぶやガターンッと椅子を倒して立ち上がりズカズカと大股で扉へ歩き出した。
「リブラ!出かけるぞ!」
「は、はっ!」
突然の豹変に戸惑いながらも、私は職務を全うするため急いで後を追った。
アステル殿下が向かったのは市場だった。
「·········ここは······」
ここは昨日アステル殿下のそっくりさんと会った場所だ。あの人、今日は居ないかな。
いやいや、いけない。今は仕事中だ。そんな浮わついた気持ちでどうする。
殿下の様子がいつもと違うんだ。何がきっかけで暴れだすか分かんないし、集中してお仕えしなくては。
「ここじゃない···あっちか······」
ブツブツと独り言を呟きながらキョロキョロと辺りを見回しながら殿下はあっち行ったり、こっち行ったり。何かを探してるようだが、何を探してるかまでは分からない。
「······居ない」
結局。日が暮れるまで市場を歩き回り、落胆した様子の殿下と共に城へと戻った。
「なんだったんだろう······?」
その翌日も。
「······居ない、か······」
その次の日も。
「今日も居ない、か·····」
そのまた次の日も。
「一体どこに······」
殿下は市場に行き続けた。
そして週末が来た頃には、城内ではちょっとした騒ぎになっていた。あの殿下が誰にもキレず、暴れもせずに大人しく生活しているのだ。例えるなら、ライオンが肉を食べなくなったといったところ。
「何か病では?」
と、ささやかれ、医師が診断したけど全くの健康状態。
ならば悩みがあるのではと言われているが、あの自由人に何の悩みがあると言うのか。
「···はあ·········」
また窓辺でため息を吐く殿下。流石に心配になってきた。私はまた明日お休みだし、今日の内に問題を解決してあげたい。
思いきってこっちから聞いてみよう。
「殿下」
「······なんだ」
「何かお悩み事でも?」
「······ああ。まあな······」
「私めでよろしければご相談に乗りますが······」
「······リブラ」
「はい」
「占って欲しいことがある」
「はい?」
予想外の言葉。
「俺は市場でとある人物を探している。その人に会いたいのだが、一向に会えない。お前の占いでその人がどこに居るか探せないか?」
「なんとも言えませんが···とにかくやってみましょう」
水晶を取り出して、テーブルの上に置く。
「それでは殿下。その探し人の特徴を教えて下さい」
そう尋ねると、殿下の目が少年のように煌めいた。
「大変可憐で美しい女性だ。まるで天使のような···この世に顕現した光の精、花の魂、太陽の化身······」
いきなりツッコミどころ満載の特徴だが、ここは黙ってうんうんと頷いておく。
「他には?お名前とか分かれば占いやすいのですが」
「名前······」
名前が分かれば占いで探りやすくなる。
さてさて、この暴君がここまでベタ褒めする女性の名。是非とも聞きたい。
殿下はゆっくりその名前を口にした。
「マイナ······」
「············へ?」
「マイナだ。家名は···分からん。聞きそびれてしまった······」
「·········」
奇しくも私と同じ名前。いや、待てよ。
もしかして······あの時ぶつかった相手はそっくりさんなどではなく──
「······殿下」
「なんだ?」
「その女性との出会いは市場の曲がり角ですか?」
「!?そ、そうだ!」
「出会い頭にぶつかった?」
「そのとおりだ!?」
「相手は殿下にジュースをひっかけてしまいましたか?」
「!?正にその通りだ!!」
「·········」
「素晴らしいぞ、リブラ!お前の占いは過去の詳細まで当てられるのか!」
当てるもなにも。当たったんですよ。私が。殿下、あなたに。
だけど、ということは···あの紳士的な人がアステル殿下本人?
「·········」
「どうした、リブラ」
「いえ···その······」
この人とあの人が同一人物?
しかも、あろうことか······というか恐れ多い事に、私のこと可憐で美しいって······
「リブラ」
「は、はい、なんでしょう?」
「マイナと会えるだろうか。占ってくれ」
「え、えっと······」
「もう一度会いたいんだ。その為ならなんだってする」
「い、いえ······」
無理です、占えません。
そう言って誤魔化せばこの話は終わりだ。しばらくは殿下もガッカリするかもしれないけど、それで全て丸く収まる。
私も変わらない日々を送るだろう。そして殿下も日常に──
「·········明日の昼頃、市場に行けば会えるかもしれません」
「!ほ、本当か!?」
「······はい」
「そうか!そうか、そうか!!」
活力を取り戻した殿下が窓に駆け寄り、天に向かって両手を広げる。
「明日よ早く来い!太陽よさっさと沈め!月よモタモタせずに出てこい!そしてまた落ちろ!」
「·········」
「あ、リブラ」
「は、はい」
「この事は他言無用だ」
「はい······」
私は何を口走ったのだろう。私みたいなのが殿下の探し人なわけない。
きっと同姓同名の別の人を探しているのだ。たまたま同じような出会い方をした別人を探しているんだろう。
そう自分に言い聞かせてベッドに入ったけど、なかなか寝付けなかった。
翌日。
私は昼頃に市場へ向かった。
この間と同じ格好だ。ドレスなんて無いし、同じ姿の方が見つけてもらいやすそうだし······
「って、私は何を期待してるんだ」
今日は殿下に会いに来たのではない。証明しに来たのだ。あれは殿下の勘違い。怒りのあまり冷静な判断力を失ってしまい、私の事が女神か何かのように錯覚してしまったのだ。そうとしか考えられない。
とにかく、もう一度お会いすればハッキリする。
「······あ」
市場に着いて、この間の曲がり角を見ると、既に殿下が立っていた。後姿だ。こちらに気付いてない。
「······」
私はそっと近付き、後ろから声をかけた。
「······あの」
「ん·········!?」
殿下が振り返った。驚愕の表情になった。そしてすぐに目を輝かせた。
「き、君はっ···ま、マイナ!!」
「はい······あの、この間はどうも」
アステル殿下は今にも舞い上がりそうなくらいに嬉しそうだった。
「いた!本当に!」
「は、はい」
「ああ、マイナだ······夢じゃないかな······」
「·········」
「あっ、すまない!そう言えば自己紹介がまだだった。俺は···ポラリス。ポラリスだ」
ポラリスとはアステル殿下の偽名だ。お忍びの時に名乗る際はこの名を使われている。
「マイナ、その···なんと言えば良いのか···俺は······」
本当に別人みたいだ。
あの暴君な殿下が緊張に目を泳がせ、恥ずかしそうに頬を赤らめているなんて。
「その、また会えて嬉しいよ。本当に。この間はすまなかった」
「いえ、その事なんですが······」
私も、何も興味本位だけで来たんじゃない。やるべき事をやりに来たのだ。
私は手提げカバンからシャツを取り出して殿下に差し出した。
「これは?」
「新しいシャツです。この間汚してしまいましたから」
「え!?そ、そんな!気にしなくていいのにっ。第一あれは俺のせいで······」
「いえ、私の不注意のせいですから。さ、お受け取りください」
シャツを手に取りボーッとする殿下。よし、私の使命は終わりだ。
あとはこのまま回れ右で帰れば······
「では、お騒がせしました······」
「!あっ、待って!」
パッと殿下に手を掴まれた。大きくて温かい手だ。
「その、マイナ。今······時間あるかい?」
「·········」
無いと言うんだ私。
ここで帰らなきゃ、これからどんどん殿下にこうして会ってしまう。そんな気がする。
それは駄目だ。私と殿下の身分の差を考えれば分かる事だ。
帰るんだ。私。
「良かったら、その···少し一緒に歩かないかい?」
「······はい」
私達は静かに歩いた。市場から出て、緑の多い公園に入り、ゆっくり連れ添って歩いた。
「······」
「······」
言葉は無かった。でも、不思議と心地よかった。アステル殿下の手から伝わる温もりが、私達を言葉もなく繋げてるようで。
しばらくして、ベンチに座った。手は繋いだままで、言葉もほとんど無い。
それでも、胸の鼓動だけはうるさかった。
そして、一時間くらい経ったろうか。
「······もう時間か······」
と、殿下が呟いた。今日も付き添いのサテライトが居ないところをみると、巻いてきたのだろう。あまり長く見失った場合は城の衛兵達が探しに来ることになってるのだ。つまりタイムリミット。
殿下の優しい緑色の目がじっとこっちを見ていた。
「マイナ、すまない。俺はそろそろ帰らなくちゃいけなくて······ごめん、こっちから誘ったのに。君を楽しませるようなことも何も出来なかった······」
「いえ、そんな。こうやってのんびり出来ただけでも良かったです」
「そうか。ありがとう······あの······」
「なんですか?」
「また、会えるかい?」
「······はい。また······来週辺りに」
それからの私の日常は変わった。
今までモヤがかかったようにぼやけていた日々が突如として晴れ渡り、将来の不安や恐れが随分と薄らぎ、一週間に一度の休日を心から待ち望んでいるのだ。
そして、アステル殿下の日常も変わった。
キレなくなったし、いつも上機嫌で、おまけに酒場や賭博場に行かなくなった。代わりに今はよく書庫に行かれるようになった。
「え~っと······君の美しさはすごく······凄い。それで、僕の心は······まるで···まるで心のように揺れて······君という存在は······」
愛の詩集や、古典の歌集などを片手に真剣にペンを走らせる殿下。この頃はこうやって愛のポエム作りに勤しんでおられる。
マイナ、つまり私に送るために。
「君といると、まるで歯に挟まった肉をほじくるようにスッキリと···酒に溺れた時みたくフラフラして、山カンが当たった博打の時のように僕の心は高まって、何もかもぶち壊したくなるくらい昂り──って、ダメだ!こんな詩を送られて喜ぶわけないだろう!!」
はい。それは正直喜べませんです。
「くそ、リブラ」
「はい」
「お前、女だよな」
「ご想像にお任せします」
「まあいい。女だとしてだ。どういう言葉を送られたら喜ぶ?」
「どういう言葉、ですか」
こないだみたく花の精だの太陽の女神だのというような大それたものは望んでない。
ただ、私を見てくれてる言葉ならなんでもいい。
「アステル殿下の素直なお言葉で良いのではないでしょうか?」
「俺の?素直な言葉······」
今しがた書き終えたポエムに目を落としたので、そこは否定しておく。
「いえ、残念ながらそちらの詩はいささか人類には早すぎるというか、常人には高度すぎるというか······」
「ぬぬ、そうか。なら······一目見た時、君の可憐さが僕の何かをガラリと変えてしまい──」
そうこうしてお休みの日になると──
「お待たせしました」
「マイナっ。来てくれたか」
「はい」
「マイナはもう昼食を摂ったかい?」
「いえ、まだですが······」
「そうか!そらなら、ぜひ一緒に食事でもどうかな?この近くに良さそうなレストランがあるんだけど」
「お誘いありがとうございます。でも私、少しお金に余裕がなくて······」
「そんなっ!もちろん俺が全部出す!いや、出させてくれ。それくらいで君と食事できるならっ······」
「で、では···あの、ぜひ」
「おおっ、ありがとう!」
そして仕事の日に戻り──
「殿下。何やら楽しそうですね」
「ん?ああ、まあな。昨日のランチは最高だったからな」
「それはそれは。良いお店でも見つけられたのですか?」
「もちろん店も良い。皇室のコック達を使って徹底的に調べ上げた優良店だからな」
「そんな事までしてたんですか······」
「なんか言ったか?」
「いえ。では、さぞかし美味しかったでしょう」
「ああ。だが······それよりもマイナと一緒に食事出来たという事実そのものが最高だった」
「······そ、そうですか」
そしてまた休日になり──
「マイナ、君は劇とか好きかい?」
「えっと、好きなんですが、最近はなかなか観に行けなくて、ほとんど観てません」
「そうか······!それなら、良い席を二つ取ってあるんだ。一緒に観ににいかないか?」
「まあ、良いんですか?ありがとうございます。ぜひご一緒に」
「ああ!」
「あの」
「ん?なんだい?」
「ポラリス様も劇とか良く観られるのですか?」
「え······?あ、ああ!もちろんっ」
リブラとしてお仕えする日になり──
「いや、焦った。劇なんて全然観た事なかったのに、つい見栄をはってしまってな」
「それは大変でしたね。ふふっ······」
「リブラ、今笑ったろ」
「すみません、想像したら光景が目に浮かんでくるようでして」
「ああ、その後も大変だった。俺には内容がサッパリだったのに、マイナは感心しきりでな。話を合わせるのに苦労した。彼女のせっかくの時間を台無しにするわけにはいかないからな」
「素晴らしい心遣いでございます」
休みの日が来る度に私の心はどんどん浮き立って──
「マイナ、そのドレスがどうかしたのかい?」
「え······あ、すみません。ただ見てただけです」
「······マイナ。その、良かったらなんだがそのドレス、俺に買わせてくれないか?」
「え?」
「どうかな?」
「いえ···でも高いですし。それに、そんな事にまでお金を出してもらうのは······」
「あっ、違うんだ!決して、恵んでやろうとか、買ってやろうとかそういうのじゃないんだ!ただ······」
「ただ?」
「も···もっと色んなマイナを見たいんだ。だから······俺の我が儘なんだ。ダメ、かな?」
「·········」
リブラである私をマイナとは知らない殿下は、私の事をよく話した。
「それでな、マイナが本当に嬉しそうに笑ってくれたんだ。だから、他のドレスもプレゼントしようと思ったんだが断られてしまった。何故だろう?」
「多すぎる贈り物は逆に相手の負担になることもあります。そのマイナという方が一般庶民ならなおさらでしょう」
「そうか。残念だな。あの笑顔が見れるなら千着でも一万着でも送るんだが。ああ、またあの笑顔が見たい!何かプレゼントしよう。そうだ、いっそのこと皇室御用達の仕立て屋にマイナだけのドレスを作らせるか!フェニックスの尾羽から作った生地に、ユニコーンのたてがみから作った糸で仕立てた二つと無いドレスを!」
「そ、それよりは何か小さくてささやかな物をプレゼントするのはいかがでしょう?」
「む。そうか?ふむ」
こんな私の為に思いもよらない事をしてくれる──
「マイナ、これ······」
「え?」
「プレゼント。どう、かな?」
「!?こ、これは!お、大きなブルーダイヤ!?」
「ささやかだけど、マリンソウルっていう宝石なんだ」
「?!?!だ、ダメですよ!それって帝国の至宝の一つじゃないですかっ!」
「あ、ああ、そう言えばそうだったかな。でもそれくらいじゃないとマイナとの釣り合いが······」
「と、とにかくダメですっ!というかなぜ帝国の至宝を持ってるんですかっ?」
「あっ······い、いや、これは···あ、あれだ!レンタルなんだ!」
無茶苦茶だけど殿下らしいはらしい──
「殿下。昨日、宝庫の扉が何者かに破壊され、中にあったマリンソウルが盗まれたと聞きましたが······」
「ああ、俺がやった」
「いや······そんな堂々と言われても······」
「マイナにプレゼントしたかったんだが、断られてしまった。リブラ、お前要るか?」
「いえ、遠慮いたします」
そうして、殿下との日々が流れていった。
こんな楽しい毎日があって良いのだろうか。こんな素晴らしい日々を私のような人間が送って良いのだろうか。
しかも、最近ミーティアが何故か休んでいるおかげで嫌がらせが減った。これも本当にありがたい。
良いことはそれだけじゃない。実家から送られてきた手紙に明るいニュースが書かれていた。
なんと、私達の領地から新しい魔鉱床が見つかったのだ。魔鉱床から採れる魔石は日常生活のエネルギーに欠かせない物で、もの凄く資産価値が高い。
コツコツ貯めたお金で早速この鉱床を開発し、魔石から出た利益で借金を返していく予定だ。そうすれば復興にも目処が立つし、お母さんの病だってきっと──
何もかもが良い方向へ流れ出している。
でも。殿下との関係は·········
もう、終わりにしなくては。
殿下との秘密のデートは気付かれていない。だけど時間の問題だろう。殿下の人の変わりようを周りが不審に思い始めている。
もう終わりにした方が良い。だって、どうせ············
結ばれない恋なのだから······
私とアステル殿下とでは身分が違いすぎる。誰も許しはしない。きっと、皇帝陛下だって······
「では、殿下。失礼します」
「ああ、ご苦労」
「······あの、殿下」
「ん?なんだ」
「あ······いえ、なんでもないです」
「?そうか」
「はい、失礼いたしました」
「ああ。ふふふ、次の休日が楽しみだ」
「······」
次の休日。私から言おう。もう止めにしようって。
これ以上会い続けても辛くなるだけ。止められなくなってしまう。駄目なのに。
今度の休日に言おう。それまでに言い訳を考えておこう。
そんな決意をしてロッカールームのドアを開けた時だった。
──ガッ──
「きゃ!?」
突然、誰かに胸ぐらを掴まれ強引に中へと引きずり込まれた。そのまま乱暴に床へと投げ出される。
思わず見上げると、そこには私を睨んで仁王立ちするミーティアと取り巻きの令嬢らが居た。ミーティアは恐ろしい形相をしていた。
嫌がらせはよくあることだ。でも今日のは何か違う。私を見下したり嘲笑うのとは別物だ。
もっと強い明らかな感情。そう、殺意を感じる。
「ミ、ミーティアさん?」
「······あなた······」
ミーティアの目がクワっと見開かれ、私は帽子も仮面も無理やり剥ぎ取られた。
「この薄汚い淫婦!」
──グイッ──
「い、痛いっ!」
髪を捻るように引っ張られる。
「よくも、よくも私の愛しい殿下に色目を使ったわね!!」
「な、何を······」
「とぼけるんじゃないわよ!コソコソと殿下に近付いて!私が気付かないと思って!?」
「!!」
髪を引っ張られ、無理矢理引き立たされた。そこへ張り手が飛んできた。頬に鋭い痛みが走る。
「っ······」
「汚らわしいっ···このっ···盗っ人のドブネズミめ!!」
また叩かれ、そのまま床に突き飛ばされた。他の令嬢らがお腹を蹴ってくる。
「この娼婦!」
「身分もわきまえないクズ女!」
「うっ、あぐっ······ううっ······」
何度蹴られたろう。やっと止まって、息が出来るようになったところでミーティアの震える声が下りてきた。
「私がミーティアとして殿下にお会いしても笑顔一つ見せて下さらない。冷たくて退屈そうな顔ばかり。おかしいと思って殿下の身の回りを調べたわ·········そう、あんたが殿下の目を曇らせていたのね」
「·········」
「何故······何故ですの殿下!ああ、きっとこの女に何か毒でも盛られたんだわ!この······ドブネズミめ!!」
またお腹を蹴られた。
ああ、そうか。やっぱりそうだ。
駄目だったんだ。最初から。
アステル殿下は私なんかが恋して良い相手じゃなかったんだ。
頭上で聞こえていたミーティアの荒い息遣いが、やがて忍び笑いに変わった。
「ふふふ······ふふっ。でもね、ユーラスデア。私はね、優しい女なの。許してあげる。ええ、許してあげるわ。女なら誰だって殿下にお近づきになりたいもの。あなたのような卑しい女だってそのくらいの欲望を持って当然だもの。あなたと殿下の秘密を知った時は気が狂いそうになったわ。何日も寝込んだわ。でもね、許してあげる······」
頭を掴まれ、私はミーティアを見上げさせられた。
「喜びなさいユーラスデア。あなたに縁談が来てるわよ」
「······え······」
「ヴェレネーノ家って知ってるでしょ?私の家と親戚なの。そこの長男のスコッドがあなたを妻にしてくれるって言ってるのよ」
「ヴェレネーノ······?」
そこは私の家が一番借金している子爵家だ。
「なんでヴェレネーノのスコッドが······縁談って······」
「あら、知りたい?経緯を」
さっきまでの憎しみが消え、ミーティアは冷たくて薄い残忍な笑みを浮かべたまま話した。
「あなたの実家に行って、借金をすぐに全額返済するように言ったのよ。そしてそれが嫌なら今ある領地の中でも資産価値のある魔鉱床の権利を譲るように、ってあなたの父親に話したの」
「そ、そんな!だ、だって返済期限はまだ先のはずでっ······」
「誰だって事情が変わる事はあるわ。いいこと?これは施しじゃないの。ビジネスなの」
「でもっ、でも、そんな急に······魔鉱床の採掘が始まれば期限までは返済出来るはずで······」
「あなたの父親も同じ事言ったわ~。親が親なら子も子ね。バカじゃないの?」
そしてミーティアの指が私の頬をゆっくりなぞった。
「おバカさん。あなた達みたいな弱小領主の意見なんてこっちでどうとにでも出来るのよ。あ、念のために言っておくと、もうお金を貸してくれる家は無いわよー。侯爵家のほうで注意喚起しておいたから。だからあなた達はすぐにでも自腹でヴェレネーノ家に全額返済しなきゃいけないの」
「そんな······」
絶望した私にミーティアは満面の笑顔を見せた。
「だけどね、流石にそれは可哀想でしょう?だから私、一つ提案してあげたの。もし、あなたがスコッドの妻となるならもう少し待ってあげても良いんじゃないかって」
「え······」
「他人相手じゃビジネスよ。でも親戚関係になれば多少の同情はあって当然じゃない?だから、あなたがヴェレネーノ家に嫁ぐのならもう少し猶予を与えてあげるという提案を私がしてあげたの」
「·········」
「あなたのお父さんも兄弟も反対したわ~。でも、あなたはどうかしら?」
「······」
「無理矢理に結婚なんて酷いこと出来ないけど困ったわねー。そうでもしないと借金に関しては融通できないものね~。あなが自分からこの提案に賛成してくれれば丸く収まるのに」
「私が······自分から······」
「そうよ。どうかしら、マイナ?借金の事も、鉱床の没収もしばらくは安泰。あなたは子爵家入りで家族も領地も守られる。恵まれ過ぎてるわよねえ」
「············」
何をどうすれば良いのか。もう、分からない。
私には何をすれば良いのか。
借金、領地、家族、身分、恋、ミーティア、子爵家、縁談、結婚······アステル殿下。
「さあ、答えなさい?マイナ?」
これは罰だ。
身分不相応な幸せを求めた、私が招いた罰だ。
そのせいでミーティアの怒りを買い、家族にまで迷惑をかけてしまった。
だから私がどうにかしなければ。私が。
「······わかりました」
「ふ······ふふふっ、アハハハハ!!」
ミーティアの勝ち誇った笑い声が頭の中にぐわんぐわん響いた。
「少しは物分かりが良いじゃない!ドブネズミにしては賢いわ!」
「ええ、本当に」
「ふふ、おめでとう、ユーラスデア嬢?これであなたも貴族よ」
三人の笑い声をしばらく浴びてから私は家に帰った。
家に手紙が届いていた。父からの物だった。
家の事は心配しなくて良い、何かあっても自分の事を考えなさいと書いてあった。
何も食べる気も起こらず、そのまま眠った。
次の日も。
その次の日も。
私の心は空のままだった。
「リブラ、最近のお前は働きが悪いぞ」
「申し訳ありません。少し体調が優れなく······」
「なら帰って休め。無理はするな」
「しかし······」
「命令だ」
「······御意に」
アステル殿下は近くに居るのに、すごく遠い。
早退して家に帰り、私は水晶に問いかけてみた。
──私は本当に結婚するの?──
水晶は「はい」と答えた。
──どこで?──
水晶はミーティアが告げた教会の名前を浮かべた。子爵家の所有する教会だ。
──いつ?──
浮かんだのはミーティアに告げられた日にちだった。
「·········」
外れる事を祈りたい。でもきっと当たるだろう。
休日が来ても私は家から出なかった。ミーティアに言われたのだ。もしまた殿下と会うような事があったらすぐにでも実家に取り立てに行く、と。
休みが明け、職場に行くと殿下がひどく沈んでいた。
そして一週間が過ぎて、私はまた家の中でじっと過ごした。
そしてまた一週間。また休日。
殿下はどんどん元気が無くなっていった。
次の休日。その日が私の結婚式だ。何をどうやったのか凄い早さで手配したらしい。一刻でも早く私を殿下から遠ざけたいのだろう。
そして式前日になった。
「はあ······」
「······」
殿下はすっかり沈んでしまい、周りがまた心配し始めてる。でも、その事情を知る者は少ない。
「······リブラ」
「なんでしょう」
「お前、どんな事をされたら男に愛想を尽くす?」
「······分かりません」
「······お前女だろ」
「お答えできません」
今日で殿下と会うのも最後になるだろう。大臣や書記官の方には私から辞めると伝えてある。
あとは殿下に直接言うだけ。
「殿下──」
「リブラ」
私が口を開くのと同時に殿下が振り向いてこう言った。
「占って欲しい事がある。マイナとはいつ会えるか」
「······それは······」
「どうも俺は自分で思ってたよりも彼女に夢中だったらしい」
「······」
「これは恋だ。紛うことなき、な。自分でもこの感情がなんなのか良く分からなかった。ただ会いたい。会って話したい。一緒に居たい。そう思ってた」
「殿下······」
「会えなくなった途端、こんなにも苦しいとは思わなかった。マイナに会いたいんだ」
「·········」
今日でお別れ。
もう会わない。きっと会えない。
なら、せめて······最後くらいは······私のこの気持ちを······
「······殿下」
「やってくれるか?」
「申し訳ありません。それは出来ません」
「なんだと?」
「殿下。そのマイナという女性は、もう殿下の前に現れる事はないでしょう」
「······なに?」
睨み付けてくるアステル殿下。久しぶりに凄まじい目力が宿った。
「どういう意味だ?」
「······殿下。私の話を聞いて下さい」
これが最後の我が儘。
「私は、殿下の察する通り女です」
「······それがどうした」
「私の生まれは片田舎の小さな領主の家です。近年起こった災害のせいでとても貧しい土地になってしまい、方々から借金までしております」
「······」
「そんな私は縁あってこの仕事に巡りあえました。ここで働いて少しづつ借金を返すことにしました。でも、もう猶予はなくなり······解決策として、私は子爵家に嫁いで返済の期限を伸ばしてもらう事になりました」
楽しかった。短い時間がどれ程の輝きを持っていたろう。アステル様の存在が私の辛い時間をどれだけ救ってくれたことか。
「明日が式結婚式です。私は今日でこの仕事を辞めます」
「!そうか······」
「アステル殿下」
「なんだ?」
「私は···暴君と呼ばれて思うがままに振る舞う殿下が好きでした」
「なに······」
「強くて、我が儘で、短気で、めちゃくちゃで、皇族らしからぬ人。でも、自由に生きてる人。羨ましいと思いました」
「······」
「そして同じくらい·······いいえ。優しくて、純粋で、こんな私の事を心から待ち望んで会ってくれる殿下のことはもっと好きでした。あの時、うっかりぶつかってしまったあの日から、とっても素敵な奇跡が私に起こったんです」
「·········え?」
「本当に楽しかった。この短い月日はこれからも私にとっての宝物です」
「··············リブラ······お前······いや、まさか······君は······」
私は仮面を取った。禁じられた行い。だけど、今だけは。
「······アステル様」
「······マ···イナ?」
「今まで黙っていてごめんなさい。そしてありがとう。私の······愛しい暴君様」
「··················」
「さようなら······」
私はそのまま部屋を出た。
歩いても歩いても涙は止まらなかった。
これでいいんだ。これで。
分かっていたはずだ。一時の儚い夢だったんだと。
アステル様。どうかいつまでもお元気で。そしてどうか······あなたはお幸せになって下さい。
愛するあなただけは······
式当日。
子爵家の有する教会の待合室。ウェディングドレスを着た私の胸の中で父は泣いていた。もちろん、嬉しくて泣いてるのではない。
「マイナ、す、すまない······私が不甲斐ないばかりに、こんな······」
「お父さん、泣かないで。もう覚悟はできてるから。これで良かったのよ」
「良いわけあるもんかっ······わ、私は······」
「おやおや、嬉し過ぎて泣いてるのかい?」
嫌みったらしい声を、入り口に寄りかかりながらかける男。スコッドだ。私の夫になる男。
「まあ、そうだろうねえ。君らの借金だって融通してやるし、栄えあるヴェレネーノ家に名を連ねられるんだ。お義父さんもさぞ光栄でしょうな」
「あ、あんたっ······!」
立ち上がり、今にも殴りかかろうとする父を止める。
「お父さん、よして」
「だが、だがっ、マイナ······」
「いいの。それよりお父さんにお願いがあるの」
「お願い······?」
親不孝の最低女かもしれない。だけど私は、こんな望んでいない結婚式を父に見て欲しくない。父の前で悲しみの涙は見せたくない。
そう話して父に帰ってもらった。
父はためらったけど、私の意思を尊重してくれた。
「いやー、折角の晴れ舞台を父親に見せないとはね。田舎者の流儀は分からんね」
スコッドは下卑た笑みを浮かべていた。
そこへもう一人、邪悪な笑顔をぶら下げて来た。
「あら、よく似合ってるわよ、そのドレス」
「······ミーティア」
「ふふふ、私が今日のために注文してあげたのよ?どう?友達想いでしょ?」
「······」
キレイなウェディングドレスだ。こんな高価なドレスは生まれて初めてだ。
本当に、これ以上ないくらいに皮肉な、ミーティアからの贈り物だった。
「くくく、冴えない血統の割にはなかなかサマになってるじゃないか。僕だって男だ。お前の家柄はともかく容姿は許容範囲だ。初夜はたっぷり可愛がってやる。生娘だしな、やりがいがある」
「あらやだスコッドさん、はしたない」
「なあに、愛人にはそれくらいしか価値が無いからね」
私は表面的にはスコッドの正妻、しかし実質はただの妾のような扱いとなる。いや、それよりももっと下だ。スコッドの性の捌け口にされ、あらゆる労働に従事させられる。
それでも。私の操で家族が救えるなら──
「それにしてもバカだよなぁ、こいつも。僕らの言葉を信じるなんて」
「え?」
我が耳を疑い、伏せていた顔を上げると、スコッドとミーティアの二人はさっきよりもさらに歪な笑みを私に向けていた。
「お前の領地で発見された魔鉱床。大変な規模らしいじゃないか」
「それをたかが小娘一人と引き換えに諦めるわけないでしょう?」
二人は代わる代わる言った。
「僕が何の得もなくお前みたいのと結婚するわけないじゃないか」
「私達が調べた限りでは鉱床の規模は国内でも有数のものになるわ。あなたの家のチャチな返済金なんて霞むくらいの利益が出る」
「お前との婚約を始めとして他の兄弟も縁組みを結んでいき、将来的にはそこの利益は僕らが貰う。お前の愚かな父親も、病気の母親も放っておいても長くはないだろうからな」
「縁談の度に借金の話を切り出せば断る事は出来ないでしょう。だって、あなたと血を分けた兄弟なんてあなたと同じく愚かでしょうし」
「念のために言っておくが、どこかに訴えたり逃げようとしても無駄だぞ。地方の揉め事なんて侯爵家が出てくれば白を黒にも出来るんだから」
「あなたはただ単にその身を売っただけ。無駄なその場しのぎにね」
「僕のコレクションになれたことに感謝したまえ」
「··················」
この身を捧げ、人生を差し出しても、この人達には足りないのだろうか。
最初からこうするつもりだったのか、それともミーティアの怒りがここまで私を追い詰めるのか。
もう何も分からない。
一つ言えることは私には最悪な未来しか待っていないという事。
私の忍耐も全て無駄で、私が守ろうとした家族も、きっとこの人達に食い潰される。
私に残されたものは············
『マイナ』
アステル殿下と過ごしたあの眩い思い出だけ。
「さて、そろそろ時間だ」
「ふふ、マイナ。あなたの晴れ姿、近くで見届けてあげるわ」
私はスコッドに連れ添って部屋を出た。
もう頭がぼんやりして周囲の状況がよく理解出来ない。
ただ、何人もの子爵家の親戚が出席している事。いくつもの嘲笑が向けられている事。ミーティアが今までで一番の笑顔を浮かべている事。神父様の前に立ち、いよいよ誓いの言葉が近くなってきた事は分かった。
何もかもが空虚に過ぎて行く。
やっと我に返ったのは神父様の声でだった。若い神父様だ。
「マイナ・ユーラスデア」
私は顔を上げた。
「貴女は、この男性との愛を永遠に誓いますか?」
「······」
言葉に意味なんて無い。上部だけの誓いで全てが決まるわけじゃない。
それでも言いたくない。こんな愛なんて。
だけど、もう·········
「············誓い──」
──バダーーンッ──
何か音がした。凄まじい音だった。
そして、なぜか懐かしいような乱暴な音。
思わず音のした方を見ると──
「─────え?」
蹴破られた教会の扉。滅茶苦茶に壊れている。
ギョッとざわめく参列者達。
その視線の先には──────
一人の男性が立っていた。
「な、なんだキサマっ!」
「この無礼者!」
子爵家の衛士達が掴みかかるのを
「邪魔だ」
の一言で一蹴して、何をどうやったのか
「のわああああ!?」
「わあああああ!?」
吹っ飛ばしながらこっちへ向かってくる人物。衛士達は壁に叩きつけられて気を失っていった。
変わらず、庶民の服を身に纏い
「な、なんと野蛮な!」
「礼も弁えぬ庶民め!」
「何をしとる!早くこの狂人を捕らえろ!」
ほとんどの参列者に正体の気づかれないその人は
「止まれ!」
「何者だ!」
「どけ」
剣を構えたナイトにも怯まず、次の瞬間には
「ぐえっ!?」
「がっ!!」
素手で軽々と昏倒させてしまい、重厚な足を運ばせて、堂々とヴァージンロードを歩いてくる。
何人も斬りかかったけど、全員一撃でぶっ飛ばされてゆく。
「ひ、ひいいいっ!?」
「ば、化物だあぁ!」
その凄まじい気迫と覇気に会場の人間が次々に逃げ出して行く。
残ったのは、呆然として立ち尽くすミーティア、真っ青になって震えてるスコッド、後ろに下がった神父様──
そして、目の前に居るその人が未だに幻のように見える私。
「な、なぜ貴方がここにっ······」
ミーティアが喘ぐように言う。ガタガタと震えるスコッドは
「な、なんだ君は!こ、こんな事をしてタダで済むと思っているのか!?」
と、まだ相手の正体に気付いてない。
「ぼ、僕を誰だと思っている!?ヴェレネーノ家次期当主のスコッドだぞ!!」
「知らんな、そんな小物」
その人物はすぐ目の前まで来て言った。
「お前がどこの誰でなんという名前かなど興味無い」
「へ······」
「だが──」
次の瞬間、ものすごい闘気が教会中を震わせた。
「俺の大切な女性を悲しませる奴は誰だろうと許さん!!」
──バッギイィ!──
「ぎょええええええええぇ!?」
骨が砕かれるようなヤバい音共にスコッドの体が落ち葉の如くクルクル舞い、そのままベンチに頭から突っ込んだ。バキッと、木の折れる音···だけじゃないかもしれない音がした。
「·········」
「ア······アステル殿下!!」
ミーティアが上ずった声を上げる。
「な、なぜここに?一体どうしてっ······」
狼狽し、しどろもどろになるミーティアに、その人──紛うことなき暴君、アステル殿下は静かに言った。
「俺がここに来たのは三つの目的があるからだ」
「え?」
「一つはこのふざけた茶番をぶち壊す事」
そして二つ目と、アステル殿下はミーティアを氷のように冷たい目で見て言った。
「ミーティア・メド・ポワゾール。お前との縁談を直接断りに来た」
「·········はえ?」
「後で正式に通達する。分かったら二度と俺の前に現れるな」
「はへ······え·········?」
ミーティアはその場に立ち尽くして茫然自失となっていた。
しかし、その顔にみるみるうちに憎しみの情が湧き出て、その矛先が私へと向けられた。
「あ、あんた······」
「·········」
「あんたのせいだ······お前のせいでっ······」
「······っ!」
ミーティアの手が動き、魔方陣が現れ、そこから火の玉が私めがけ放たれた。
「死ねええええぇ!!」
目をつむろうとした瞬間──
「この愚か者が!!」
アステル殿下の渇が落ちて、大蛇の姿をした水流が怒濤の勢いで生まれ、火の玉を飲み込み、ミーティアの体をさらった。
「ギャアアアアア!!」
そのまま外へと、ミーティアは遠く流されていった。
ミーティアの悲鳴と水流の音が去った教会は不思議な静寂に包まれていた。
「哀れな女だ。どこまでも醜悪で救いようのない」
大きくため息を吐くアステル殿下。そして、ゆっくりとこちらに向いた。
「············」
「アステル······殿下······」
夢じゃないだろうか。幻じゃないだろうか。
今、目の前にいるアステル殿下も、今起こった怒濤の出来事も全てが私の見ている幻覚じゃないだろうか。
そんな私の不安をアステル殿下の手の温もりがかき消してくれた。私の目元を指でそっとなぞる。私は泣いていたようだ。
「マイナ。ごめん。遅くなって」
「アステル······様?」
「昨日あれから俺は考えた。いや、考えてしまったんだ。俺はどうするべきかを。考えるまでもなかったことを」
そう言って、優しいマカライトの瞳が私に微笑んだ。
「身分の差や俺の立場なんてどうだっていい。俺は、俺の愛する人と一緒にいたい。俺の我が儘にずっと付き合い、誰よりも理解してくれて側にいてくれた名前も顔も知らなかった君に。初めて会った瞬間に心奪っていった君に。二つの顔を持つ君という女性に何もかも滅茶苦茶にされてしまったよ。だから今、ここに来た本当の目的を果たしたい」
「本当の目的?」
オウム返しにすると、アステル殿下は優しく笑ってからゆっくりと跪き、大きな両手でそっと私の手を包んだ。
「マイナ。どうか、僕と結婚してください」
「··················え」
「君を愛しています。心の底から。僕には君しかいません」
アステル殿下は懐から小さな箱を取り出し、蓋を開けた。そこには紅く輝く宝石をあしらった指輪があった。
「これからどうなるかは分からない。でも、一つだけ約束出来る事がある」
そう言いながら、アステル殿下は私の指に指輪を丁寧にはめた。そして立ち上がって真っ直ぐな目で見つめてきた。
「例え何があろうと、どんな事があろうと、俺が君を守る。君を傷つけたり悲しませるような奴がいたら俺が許さない」
「············」
ただの夢で良かった。
辛い人生の中に輝く一番星になるだけで良かった。
でも。でも。
でも、こんな幸せな事を言われてしまったら──
「······本当に私なんかで良いんですか?」
「なんかなんて言わないでくれ」
「私のような冴えない小娘でも良いんですか?」
「君ほど素敵な女性はいない」
「······」
もういい。
こんな時まで余計な事は考えたくない。
私も。私の気持ちを伝えたい。
「アステル様······」
「······」
「私も······あなたの事が好きです」
「マイナ······」
「愛しています」
「!」
「だから、どうか······」
殿下の大きい手を包み返した。
「私のこと離さないでくださいね。愛しの暴君様」
「ああ······!ああ!!もちろんだ!神父!」
後ろで控えていた神父様がすっと近寄る。
「アステル・リコス・ボウルグング。貴方はこの女性を永遠に愛すると誓いますか?」
「誓う!」
「マイナ・ユーラスデア。貴女はこの男性を永遠に愛すると誓いますか?」
「誓います」
「では、愛の証明に二人のキスを神に捧げて下さい」
初めての口づけは心が体と共に溶けてしまいそうなくらいに幸せなものだった。
教会を出て、私はアステルに抱かれたまま彼の力強い鼓動に耳を澄ませていた。
「マイナ、これから忙しくなるぞ」
「はい」
「まずは親父と母上に報告だ。何か文句を言うようなら親だろうとぶっ飛ばす」
「それはダメです」
「うぐっ······なら、なるべく、出来る限り、話し合いで黙らせる。その後は結婚式の準備だ」
「?今もう済みましたよ?」
「もう一度やるんだ。今度は俺から君にドレスを送る。そして最初から最後まで君にとって最高の式にするんだ。今日の事も、今までの事も、苦しみが全て消えてしまうような、そんな一等星の輝きのような素晴らしいものにするんだ」
「まあ······」
「それに」
「それに?」
「君のご両親も招待して喜んでもらえるような時間にしたい。これから家族になるのだから」
「きっと父も母も喜びます」
「そうだ、マイナは兄弟も居たな。なら全員招待しなくちゃな」
「みんな驚きますよ」
「ああ、そうしよう。そんなびっくりするような楽しい式にしよう。他にもやらねばならないことはあるが······まずは城に帰ろう」
すぐ近くに一匹のドラゴンが待っていた。轡と鐙が付けられている。
「こいつに乗って飛ばしてきたんだ。さっきも少し言ったが、情けない事に俺は朝まで考えていたんでね」
「小さなドラゴンですね。でも可愛い」
「ふ、縁があるな。こいつはあの時のダービーのドラゴンだぞ」
「えっ、そうなんですか?」
「速くてすぐに飛ばせそうなのがこいつしか居なかったんでね。オーナーに無理言って貸してもらったんだ」
「まあ。乱暴な事はしてませんよね?」
「う······」
「アステル様ー?」
「も、もちろんだ。少し締め上げかけたくらいで······」
「もう」
二人で空に飛び立ち、風を受けながら色々と話した。
「それにしてもあの神父様、度胸がありますね。全く動じていませんでした」
「ああ、あいつはレオだからな。俺の暴走には慣れてる」
「ええっ?あの人レオなんですか?」
「ああ。サテライトの取り纏め役で、あいつだけは素性が明かされてるんだ。俺の幼少からの従者でもあるしな」
「えええ!?そ、そうだったんですか?」
「はは、そんなに驚くとはな。あいつがこっそり置き手紙であの教会の場所を教えてくれたんだ」
「よ、予想外すぎて······」
「気が利く奴だよ。その指輪も一緒に用意して置いてあったんだ」
「そうだったんですか。そう言えばこの指輪も良く見ると凄く高価なかんじが······」
「ああ、インペリアル・ルージュだからな。質は保証する」
「え!!それって皇族の一番の宝じゃないですか!代々の妃にしか着ける事は許されないっていう······」
「なら問題ないじゃないか。マイナは俺の妻なんだから」
「あ、そっか······」
「はははっ」
「えへへ······」
色んなことがあったけど、こうして幸せな時間がまた戻ってきてくれた。
愛しい人の元へ。
私の旦那様は世界で一番素敵な暴君です。
────おしまい────
大変お疲れ様でした。楽しんで頂けていたら幸いですが、以降は長さの配分に気をつけます。
本当にお疲れ様でした。