固定、固着
Thelonious Monk
Live In Paris 1964
を 聴きながら今、書いていますが、
……例えば、……私は、固定されたものが、……面白いと思う。……それは、何の固定かというと、……一瞬を切り取ったモノクロの写真、……しかも、動きの途中の『それ』を、切り取ろうとしたものだ。
……私がもし、写真家なら、……その一瞬の切り取られた美をカメラに収める為に海外に行きたい。そうして、街中で足を上げて歩こうとする寸前のフォーマルな帽子をかぶっているのに、服装はてんで適当な紳士とか、少し前の時代のクラシックなドレス(簡単なワンピースのような)がまくれ上がった一瞬に、顔を驚かせている唇の分厚い個性的な顔立ちのアフリカ系ご婦人の短い巻き毛がぶわっと風で煽られて服装にあっていない帽子が風にあおられて飛ぶ一瞬とかを切り取って写真に収めたり、変わった模様のユニークな体つきをした(ダルメシアンぽいのに絶対雑種のようなユニークな個性をきらめかせている)わんちゃんが、ただ、静かな深夜、静まったロンドン市街の道路を右から左に横切ろうとしている一瞬とか、耳がぶるんと上に揺れてる瞬間ね。そういった一瞬の動きや表情を固定されたモノクロ写真が撮りたい。……が、……残念ながら私は写真家ではない上に、海外旅行に行くだけのお金もなければ語彙力もなく、そもそも一人旅出来る程の勇気もない為、今頭の中に鮮明に浮かんでいるモノクロイメージは、全てデジタル絵で表現されることになる……つまりは、……私が絵を描くのは、そもそも海外に行ってモノクロ写真を撮る為にモデルを探すスキルを持たない為、……一番お手軽な想像を映像化する美の自己実現の一番お手軽な方法だからだ。
……今明確にイメージした映像を形にすることに一番近い自己実現は、……ただはっきり思い浮かんだ映像イメージをそのまま描きだすこと、描き写すこと、……それが一番お手軽だったからだ。……それがデジタル絵であることが多いのは、……単純にアナログ画でだけでは、私の画力が無さすぎて映像化したいものを明確に形に出来ないからであり、……それはデジタル画だと完璧なのかというと、……それもまたアナログ絵に毛が生えたような実力の為、結局、完璧に想像した映像が絵として自己実現されることは、……もしかしたら生きている内は無いのかもしれない。
……残念である
……こんなに頭の中ではリアルに完璧に思い浮かぶそれを 想像を創造として形にできないなど、アホみたいである。
哀しい。
ああ、いつか全ての頭の中にストックしている固定化された動きの途中の映像たちを、
いつか完璧にモノクロ画で形に出来る日が来ればよいのに。
ああ、哀しい しかない。
残念である。
……実力が無いってわびしい。