冷炎のリーヴァ
草原を走るバイクが一つある。走ることができる程度に舗装された道を時速90キロメートルで走っていた。日は傾いており、夜の訪れが近づいているのがよくわかる。ナリトカは急いでベルゼハートのもとに戻るべく、エルガルド王国へ急いで向かっていた。ロウギヌスの本拠点はエルガルド王国内にある。王国内の傭兵街と呼ばれる傭兵団の事務所が並ぶこの街は、荒くれ者たちが跋扈していることもあり、治安が悪い。夜ともなれば売春婦を連れ込む男もいれば、酒場の前では喧嘩が絶えることはない。
「おう、ナリトカァ獣臭せぇなあおい」
「獣人どもに襲われなかったでちゅか~アハハハハハハ!」
「ベルゼハート団長はどこにいる」
「チッ……からかいがいのねえ野郎だ。傭兵商会だよ。急いで帰ってきたかと思えばおまえらロウギヌスはピリピリしやがってよ!」
「ま、ベルゼハートも大変だよな。トリスはやめちまうし、ゼフィスは混血に魅入られちまうしよ。ハッハッハ!」
ハウンドシティの中央道にある歪な建物がある。首がない天使、下半身の一部が砕かれた男神の像が扉の両翼に築かれており、剝がれた鍍金はが目立つ。傭兵商会。傭兵の実力に見合った仕事の受注、斡旋を取りまとめている。ギルドは傭兵の中でも特に力をもつ5つの傭兵団の資金によって運営されており、この5団体によって決められた統率者を『ギルドマスター』と呼ばれている。
「戻ったかナリトカよ」
「ええ、只今戻りました。まったく、カンレーヌにいるかと思えば、もうここに戻っているとは……」
「緊急依頼が入ってな。まあ座れって。マスターこいつに適当な酒を」
「まったく、俺の本業はバーテンダーじゃないんだぞ。ナリトカちゃん、何を飲む?」
「プレリュード・フィズを」
「エリックさん、こいつにもさっきの話聞かせてあげてください」
エリック・ベルベット。ギルドマスターであり、元傭兵。ギルドマスターに選ばれる人は傭兵業を引退しているということと、偉大な功績を残したことが条件となる。彼はベルゼハートがロウギヌスを立ち上げる前に所属していた傭兵団の副団長だった。彼は傭兵団解散後も個人で傭兵業を営み、イドチスとエルガルドとの戦争において多大なる功績を治めた。
「今回、ベル坊を呼んだのはドラゴの討伐依頼のためだ」
「まさか、復活したんですか……⁉」
ドラコ。エルバスの森に住む謎の生物だ。翼を持ち、爬虫類のような尻尾に胴長の体を持つ。神話に出てくる12の龍に類似した見た目のため、名を「ドラコ」と名付けられた。ドラコは一体しか発見されておらず、どうやって出現したのか、どう繁殖するのかがいまだにわかっていない。エルバスの森の付近には集落が存在したが、天から現れたドラコによって壊滅してしまった。
「他4つの団にも声はかけているんだが応答がなくてな。おそらく今回もお前たちに任せっきりになってしまう可能性がある」
出資している5つの傭兵団には優先して依頼を回してもらうことができる。高い報酬の依頼、依頼者が大企業である依頼などの恩恵が得られる。今回のドラコ討伐も成功報酬は高く、得られる名声もある。しかし、危険性は高く、龍を信仰する「龍正教会」からの批判もあるせいか、だれも依頼を受けようとしないのだ。
「各国の連合軍はどうなんだ」
「言わずともわかるだろう。全滅だよ。第一、12の龍装を持たない一般兵が束になっても傷一つつくはずがない」
「今回も夢幻だけが甘い汁を吸ったってことか。わかった、今回の依頼俺たちロウギヌスが請け負おう。ナリトカ、全部隊体調を招集してくれ」
「承知しました。その前に今回の依頼の報告を」
「おう、では聞こうか。おまえから見てティルナシアはどう見えた」
「それ、ギルドマスターの前で言っていいんですか」
そう言うとエリックは目を閉じ、笑みを浮かべて手のひらを差し出す。そういうことかと理解を示し、カクテルを一口飲む。髪の毛を少しいじると目をゆっくりと開く。
「そうですね。ひ弱に見えて大胆。しかし繊細で立ち直りも遅い。ただの少女です。ですが、あの子の夢を信じてみたい」
「そうかそうか、おまえが信じると決めたなら他の奴らもすぐに認めてくれるだろうな」
「やっぱり、それをわかってて送り込みましたね」
「ああ、俺は混血差別をなくしたいからな。まずはおまえたち部隊長に認めてもらおうと思ったんだ」
「つまりそれはアルトゥームと対立すると?」
「ああ、いまだに疑問に残っていることがあってな」
「ゼフィスの……ハティニ村の件ですね」
「ああ、あの時の俺たちはイドチス兵が狙ったとばかり思っていた。だが当時イドチス兵があの地域を進軍していたなんて情報はない」
「あの宗教自体、不明な点は多いですからね。現人神が数千年間崇められていたり、科学を崇拝したり」
アドラールには様々な宗教があるが、科学を信仰対象にする宗教はアルトゥームだけだ。アルトゥームの教えには教祖アルトゥームが人族に科学を与え、魔族、精霊に負けない力を与えたというものがあった。
「ゼフィスの件でもご報告が。強くなってますよあの子は。青いところはまだありますが確実に強くなっている。いい武者に出会いましたね」
「その武者の名は?」
「覚えていますか。ハザマという男を」
ハザマの名を聞いた瞬間、ベルゼハート左方左肩から右胸にかけてなでる。酒を飲んで緩んだ眼は強く、獲物を目の前にした猛獣のような眼光を放つ。
「あいつがゼフィスを育てたか……再開が楽しみだ。ああ、楽しみだ」
「おまえが文に書き記した男か。龍魂解剣をしたおまえに一撃を与えたっていう」
「ええ、この傷ですよ、その名を聞くと傷跡が疼くんです。切られたあの感覚を細胞たちが思い出す……」
(ひさしぶりにこんな目を見る。たしかに、見合っただけであの殺気。ただものではない)
「話を戻します。今回の戦、夢幻の関係者だと思われるアダムという男が色欲の魔王ルナエラに加担していました。ルナエラ軍には名が通った傭兵たちが参戦していました。ギルドマスター、何か心当たりは?」
「こっちにはそんな話来てないぞ。おそらく夢幻が秘密裏に依頼を出したんだろう。わかる範囲でいい、参加した傭兵の名を教えてくれ。明日にでも調査してみる」
「夢幻が関わっているとな。よしわかった、俺からもドレークに聞いてみる。ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます。ですが私も行きたいところがありましてね。イドチスに行かせてください」
「ほうなぜだ?」
「ティルナシアのあの髪、地毛だそうです。私の知る限り、あの髪色をした人がいるのはイドチスだけ。それに彼女がなぜ殺されずにあそこまで成長できたのか」
本来、混血の子どもは生まれた瞬間に殺処分を目的にアルトゥーム教に回収されてしまう。隠したとしても民衆が監視の目となっているため、ほぼ確実に見つかってしまう。混血児を守るためにはティファーナ大陸に行くしかない。しかし、ティルナシアは今も生きている。髪色と生存の謎がナリトカを動かしていた。
「わかった。ドラコの撃退は任せておけ」
「私のわがままを聞いてくださりありがとうございます」
「なに、ナリトカからやりたいことを言ってくるのは珍しいからな。きみの意思を尊重したに過ぎない」
ナリトカはエリックが出したプレリュード・フィズの澄んだ夕焼けのような淡い色と、程よい苦みと甘酸っぱさを楽しみ、旅の疲れを癒す。飲み干すと槍を背負い、ギルドを後にした。ピアノを主体としたジャズが部屋の中に響き渡る。
「しかし、夢幻がゼルファストで実験をするのは変じゃないか?」
「妥当かもしれませんよ。ナリトカの報告書には新型らしき幻式と、マギカニウムを使用した装甲を搭載した機械兵器が配備されていたとある。対魔族、対精霊を想定したとすれば今回の戦争は格好の試験会場ってわけですよ」
「なるほどな、これはアルトゥームの教典にある全面戦争も近そうだな。おまえはどっちの側に着くつもりだ?」
「エリックさん、あなたはいつも難しい質問を俺に投げかけますね。俺は俺が正しいと思った側に着くつもりです。俺がこの傭兵団を立ち上げたのは三種族をつなげるためですから。部下にも同じように言うつもりです」
「じゃあ、敵対するかもしれないってことか。アドラール最強の男を敵にするのは骨が折れそうだな」
「俺は傭兵として言ったまでです。主義主張や愛国心に囚われず己が信ずるものに力を貸す。俺たちはいつだってそうでしょう?」
軍兵であれば国の方針や国教、愛国心などを理由に戦地に駆り出される。己の信じたいものを抑え込み、今まで友人だった相手にも切先を向けなければならない。だが傭兵は違う。あくまでたとえ生まれ故郷が戦火にさらされようと、信じる物を目当てに雇われ、故郷を捨てることもできる信じる物は傭兵によってさまざまだ。金、権力、戦況の優位性。いついかなる状況下であろうとも自分が信じる物のために剣を振るい、血を流す。
「今回の戦争《実験》で夢幻の力はますます強まるばかりだ。噂だがこの国の政治に干渉しているらしい」
「エドガルドだけじゃないでしょうね。おそらく周辺国にも」
ベルゼハートはアドラール全土に部下を派遣し、国々の監視を行ってきた。そうすると見えてくるのもが一つ。各国の軍隊に夢幻の最新鋭の幻式や、兵器車両が大量配備されているということだ。ナリトカの報告書にあったタイタンと名付けられたロボット兵器に類似するものもあれば、第三世代の幻式も配備されている。異様な軍備増強は夢幻にとって扱いやすい政治家が各国の政治に介入を始めたことの表れだろう。
「まあ、俺たちが心配しても仕方がないことですよ。さーって、次はだれを送り込むかな」
「またやるのか。ドラコの件もあるんだぞ」
「送るのはその件が終わってからですよ。それにカンレーヌの奴らがうるさいんで。今回はアルラとアレス、シエスタに頼むかな」
「ほう、そんなに送り込むのか?」
「おそらく送り込むころには橋も復活しているでしょうし、精霊の“コール”は侮れませんから」
アレスとアルラは武力に優れてはいるが、魔法を極めた精霊相手は分が悪い。そのため第4部隊である魔法部隊の部隊長であるシエスタを同行させる必要があった。
シエスタ・ブロンクス。ロウギヌスの中でも数少ない精霊の傭兵だ。傭兵団随一の魔法の使い手であり、魔法による後方支援や、を担当する。シエスタであればティファーナ大陸での案内や、情報収集を効率的に行えるという考えもあり、彼女の同行が必須だ。
カンレーヌのモンスター問題だけでなく、今回の戦争での不可解な夢幻の動向をベルゼハートは睨む。グラスに注がれた木々を思わせる色彩のカクテルに反射した淡い光が漢の顔をうっすらと照らす。その鋭さのある味わいが先に待つ大きな時代の移ろいをひそかに感じさせた。
4人を乗せた馬車は雪化粧で染められた銀世界を進んでいく。土の暖色を冷たく、閉ざされたような雪が覆い隠し、同じような世界が地平線まで続いていた。アロウから貰った地図を頼りに進んでいた。突き刺すような冷気が厚いコートから露出した顔や手首を冷やす。空はどんよりした雲に閉ざされ、いつ雪が降りだすかわからない状態だった。
「まだつかないのかよ。また降り出したら死んじまうぞ」
「この先に大きな集落はない。今、ティルナシアに探してもらってるが、望みは薄いだろうな……」
ナギアを出発して3週間が経過するが、ティファーナに近づくにつれて吹雪が強くなっていく。ルーデルワイスが言うには憤怒の魔王が治める領地の近くを通る必要があるらしい。憤怒の魔王の力によって領地周辺の地域は夏でも雪が吹雪いているのだ。
「こ、これなら春までまたほうがよかったんじゃ……しっかし、迷惑なものですね。ただ一人の力で環境が変わるのは」
「それだけのことがあったってことじゃないかな。ん?前方魔力反応あります!」
ガルシアスは急いで手綱を引き、馬を停める。茂みの奥から現れた蒼炎のセミロングの髪を下げた女性は急停止をする馬を目視した瞬間、身を低くし、手に持った紅蓮色のハルバードを構えた。彼女の間合いに入る寸前に止まったおかげか、
女は振り上げることなく、警戒を解き、その場に佇む。
錫色の瞳は危険な状態だったにもかかわらず落ち着いて落ち、手足の震えや呼吸や心拍が上がったようにも見えなかった。
「ここでは見ない顔だな」
「驚かせて済まない。俺たちはティファーナまで旅をしているものだ」
「ふうむ。見た感じ君たちは人族だね。私は。リーヴァ。リーヴァ・ギムレットだ。ティファーナまで続く橋ならあと一週間もすれば着くよ。けど今日は吹雪く。一泊していくこといい」
リーヴァは4人をコテージに案内する。彼女は重々しい見ためのハルバードを背負っているにもかかわらず、全く力を入れているようには見えなかった。さらに、明らかに薄着だった。ゼフィスたちは着こまなければ凍死してしまうような寒さにもかかわらず、彼女はさむがる仕草を見せなかった。
「たいそうな荷物だけど君たちは商人か何かかい?」
「ええ、アドラールの橋が落ちてしまいましてね。どうしてもティファーナで商売をしたくて遠回りしてきたんです。リーヴァさんはなにを?」
「呼び捨てで構わないよ。敬語も結構。私は修行のためにここにいるんだ。さっきまで熊と格闘してたんだ」
4人はリーヴァの言葉に耳を疑った。白い肌には血の跡も傷もなく、服にもほころびが一切ない。ミホノが匂いを嗅いでみても血の匂いはなく、ハルバードにだけ血の匂いがあった。
「熊とバトった後とは思えないですねほんと」
「ミホノ、いくら女同士とはいえレディの体臭を嗅ぐのは品がないよ」
「すみません。しかしすごい戦闘技術ですね。反撃も受けず返り血も一切受けていない」
「なに、これぐらいみんなできるよ。そろそろかな。コテージに着いたら薪割りと食糧調達を手伝ってほしいな」
「泊まらせてくれるんだ、積み荷の食糧を出そう。ティルナシアとゼフィスは食料調達を、俺とミホノで薪割りをしよう」
「馬小屋はありますか?そろそろジェンティルを休ませたいんです」
「あ、その馬の名前ジェンティルって言うんだな」
「あるよ。火種用の干し草でよければ餌として提供しよう」
コテージに積み荷を下ろし、ガルシアスとミホノは薪割りを、ゼフィスとティルナシアはリーヴァとともに森に向かった。ティルナシアは籠の中に野草や木の実を入れていき、ゼフィスとリーヴァは野うさぎを捕まえていた。ゼフィスはリーヴァから渡されたナイフを投げ、野うさぎを仕留めていたが、リーヴァは兎の行動を読み、野うさぎの耳をつかみ、捕獲した。
「すごい瞬発力だな」
「なに、鍛えれば誰でもできるよ。それにしてもいい剣を持っているね。刀匠の魂が宿っているようだ」
「ありがとう。リーヴァのハルバードもなかなかの一品じゃないか」
「ああ、12の龍装が一刀、俱利伽羅龍王だ」
「12の龍装⁉まさか龍魂解剣も」
「…もちろん、まあここら一体火の海になるけど」
柄をよく見れば天に上る龍の姿が描かれ、刃にはまがまがしい龍頭が彫られていた。周辺にも影響を与えるほどの龍装は数少ないと言われている。あくまで形状変化や、特殊な能力を剣自体が持つのが龍装の特徴だ。おそらく俱利伽羅龍王も形状変化と特殊能力を持ち合わせている。しかし周辺を火の海に変えるほどの力をもつ龍装は数少ない。
以前、ゼフィスは小さいころにベルゼハートに龍装の中で一番強い一刀は何かと聞いたことがあった。ベルゼハートはその子どもじみた質問に頭を悩ませた。
『使い手の技量にもよるが影響力がその武器だけにとどまらない龍装は強いと言っていいかもしれない。まあ、12本もあるんだ。その中で序列があってもおかしくないな』
リーヴァは龍魂解剣を扱えると言っていた。おそらく倶利伽羅龍王は周囲に影響力を与えることから龍装の中でも上位にあたる存在だろう。どんなに性能がよかろうと素人がつけば鈍同然の性能しか発揮できない。さらに言えば強大な力は使用者を呑みこむことすらありえる。リーヴァ・ギムレットという人物はハザマやルーデルワイスのように強者であるとゼフィスとティルナシアは感じた。
リーヴァの強さに圧倒していると何やら不穏な殺気が漏れ出していた。
「さっきから鹿やら猪がいないと思ったら君の仕業か」
漏れ出す殺気は執念のように粘り強く、どう猛さを醸し出す。そう奥から現れたのは数メートルはあろう熊だった。ティルナシアはそのおぞましい姿に度肝を抜かれ膝から崩れ落ちた。体表には無数の切り刻まれた跡があり、その傷の中にも新しい傷跡があった。さらに倶利伽羅龍王の先端でえぐられた傷口が目立つ。豊満な腹部に内臓を外すように三か所。
「グルルルルrrrrrァァァ‼‼‼‼」
「まったく、巣穴で静かにしていればいいものを。この熊は周辺の生き物を無差別にむさぼるから困ってたんだ」
背負ったハルバードを手に持ち、地面に切先を向ける。そして街道を歩くように自然に歩み寄った。熊も近づくリーヴァの姿に恐怖しつつも彼女の顔を覆いつくすほど大きな腕を薙ぎ払った。切先を近づく腕と平行の位置に立てる。切先に触れた腕は間接が外れたおもちゃのように切断され、雪をかぶった木に勢いよく打ち付けられた。断面をよく見てみれば焼かれたように表面が固まっており、血の一切が流れなかった。よく見ればリーヴァが歩いた後は雪が解けており、土が顔を出す。熊が片腕で突きをしようと斧の刃で薪を割ったように切り裂かれる。そして間合いに入った瞬間、先端を左胸に突き刺す。
「焔灯し」
突き刺した状態を数秒維持するとリーヴァはハルバードを抜き、また背負いなおした。熊はピクリとも動かず、石造のように佇んでいた。そこに北風がふわりと吹くと重々しいその巨体は力なく、その場に音を立てて倒れ込んだ。
「よし、今日は私が熊鍋を御馳走しよう」
「何が起こったんだ⁉」
「少し焦げ臭いような」
「熊の心臓だけを焼いたんだ。やっぱり新線が一番だと思って」
ゼフィスは心臓だけを焼いたリーヴァの技量に腰を抜かし、その場から2歩後退した。断面を一瞬のうちに焼き切る倶利伽羅龍王の力を制御し、心臓だけをピンポイントに攻撃する技量。武器に対する深い理解度のなせる業だ。しかも力む姿も集中する仕草もなくただ息を吸うように平然と。
リーヴァは近くの河に熊を沈め、丁寧に血抜きをしていく。
「いやぁ、今日は楽しい夕飯になりそうだ。ティルナシアちゃん、香辛料って君たちの積み荷にあったりするかい?」
「え、ええ。何種類か」
ティルナシアの言葉に笑顔を浮かべながら頷くと肛門から内臓を引きずり出し、血抜きを終わらせる。そして熊の足を引きずりながらコテージへ帰っていった。帰る途中も警戒心は一切ない。後ろを歩くゼフィスは常に左手をムスカリの柄の上に手を置いていた。誰に似たのか頭の中ではティルナシアの警護やアダムの正体、アイギスの制御などのほかにリーヴァと手合わせをしてみたいという私欲が新たに生まれていた。
ことばとは質量がなく思わず口にしてしまうこともある。質量も勢いもない。そのため無意識に口から零れ落ちることがある。
「なあ、リーヴぁよぉ。一つ手合わせしてくれないか?」
子どもが友だちを遊びに誘うように自然に、興味本位で。ただ遊びたいという単純な感情と同様に自分と彼女の強さの乖離を知りたかった。ティルナシアは両目を全開に開き、口を中途半端に開いていた。整えられた髪の毛の数本が髪束から離れ、頼りなく垂れ下がった。
「ちょっと、ゼフィス!何言ってるんですか⁉」
「俺は強くならなくちゃいけない。アイギスを止めるためにも。きみを守るためにも。なら強者と戦って超えなくちゃいけない」
「ふむ、私は別に構わないよ。じゃあ私が勝ったら裸で朝まで薪割りをしてもらおうかな」
「わかった」
「けどまあ、先にごはんにしましょ。おなかが減って仕方がないわ」
リーヴァは熊肉を豪快に使った鍋を振舞った。熊肉の獣臭さは一切なく、体の内から暖かくなった。
「ゼフィスおまえ、リーヴァと戦うんだって?しかも負ければ朝まで全裸で薪割と来た!アハハハハハ‼」
「さっそく酔いやがって。ま、ただじゃやられないさ。俺だってハザマに鍛え上げられたんだからよ」
「ほう、ハザマといえば色欲と強欲の戦争で活躍した武士か?そうか」
「ゼフィスはなんて無謀なんでしょうね。ティルナシアから聞いたときはあんぐりしちゃいましたよ」
日が傾くころには鍋はカラになる。ゼフィスは入念に体を伸ばす。リーヴァはガルシアスからもらったタバコをふかしていた。どうやら気に入ったらしく、木箱一杯に入ったタバコを革袋一杯にもらっていた。
「そろそろいいか?」
「いいよ、じゃあ戦おっか」
「そ、それでは試合、開始ィ―!」
ノーガード。リーヴァは左手に倶利伽羅龍王を持ち、切先を地に下げ、佇む。
出方をうかがっているように見え、眼光は鋭い。自分から動かなければ闘いは始まらないことを理解し、固唾を呑みこむ。足を動かそうとすればあの熊を殺す姿がフラッシュバックする。
「もう始まているわよ?」
「わかってるさ。じゃあ、行くぞ!」
姿勢を低くし、放たれた矢のように真っ直ぐに飛んでいく。5メートルは離れていた二人の距離は瞬間的に詰まる。ゼフィスは2度リーヴァの間合いを見た。馬車の目の前にリーヴァが急に現れたとき。熊と対峙したとき。なんとなくではあるが彼女の間合いを観察眼で察していた。そして間合いに入る瞬間に足を強く地面を踏み込み、目の前から姿を消す。そしてリーヴァの右側面に回り込んだ。そして腰に差したムスカリを抜く。
「その目も、いいね」
刃が触れる瞬間、重く沈むような音が響く。そこにはハルバードの柄がそこにあった。一撃目が決まることはないと最初からわかっていた。そのため柄を蹴り上げ、距離を取る。そして半呼吸とり、ジグザグに走り距離を詰める。そして高速で剣を振るった。一瞬の隙をも与えず、リーヴァはただ防いでいた。
「いいよ、最近戦った相手の中でもきみは群を抜いていい」
笑みを浮かべ、防いでいるだけだった動きが少しずつ避ける動作へ変わる。そしてすべての攻撃を少しの動作で避けるようになった。ゼフィスの攻撃のすべてを見極めたのだ。そして針に糸を通すようにハルバードの切っ先をゼフィスに突き刺す。前までのゼフィスであればそのまま突き刺されていた。しかし今の彼は攻撃だけに目を向けていた過去のゼフィス・ガラーズではない。意識をせずともリーヴァの足の動きから指先のしなやかな動きまで彼女の動きを見逃さなかった。
「さすがに避けるか」
「やられてたまるかよ!」
伸びきったリーヴァの体を見逃さなかった。ハルバードの切っ先を飛び上がり、回避する。そして切先の上で着地し、ジャンプする。そして空中で体をひねり、勢いをそのまま剣に乗せ、落下とともに剣を下ろした。だが振り下ろした剣も見向きもせずに防がれてしまう。そして勢いと重力、ゼフィス自身の腕力を乗せた刃は真っ二つに折られてしまった。
「まあ、これで終わり。ん……」
左腕をしならせ、ハルバードを握った腕を弾く。そして距離をとる。
「あの動き……オルテアさんに似ている」
刃を折られたことを気にする様子を見せず、ゼフィスはリーヴァに攻撃を仕掛けた。折れた剣はいつのまにかゼフィスの手から消え戦闘スタイルは格闘に変わった。その急な戦術の変化に戸惑いながらも状況を瞬時に飲み込み、突きや薙ぎ払いを絶え間なく繰り出していく。
「今までのゼフィスなら剣が折れたら何もできなかった。だがあいつはオルテアに教えを請いその弱点を解消したんだ。まったく、底の見えない男だ」
剣に頼り切っていたことがゼフィスにとっての大きな弱点の一つだった。カンレーヌ前の草原でモンスターに襲撃されたとき、剣がないことを理由に彼は思考を止めていた。しかしこの弱点は旅を続ければ致命傷へと変わってしまう。幻式もなくなったいま、ゼフィスが戦う術は剣と拳のみ。
「考えたね。けど慣れないことはしないほうがいいよ」
「ちょうど頃合いさ。一気に決めさせてもらう!」
一気に距離を詰め、顔と顔が接しようとする距離まで近づいた。ゼフィスは腰から服の下に手を回し、回復したムスカリを抜く。そしてリーヴァの太ももを蹴り、頭上へ飛び上がった。そして背中に回り、剣を突き立てる。
「ムスカリの修復能力⁉」
「ハァハァ、チェックだ」
「きみ、すごいよ。人族だからって正直甘く見ていたわ。ただ一発切先を当てる程度でいいと思っていた。けど今からはちゃんと向き合うよ。きみと」
背中につきたてられた剣を素早く鷲掴し、ゼフィスの攻撃の手を封じ込める。そして腹部を強く蹴り、吹き飛ばす。一瞬の出来事で脳の処理が追い付かず、肺の中に溜まっていた空気が一気に吐き出されたせいか意識が朦朧と名なる。
「ここから、殺す気で行くわよ。ついてらっしゃい」
「最初っからその気でこい!」
視界が戻った瞬間、そこにリーヴァの姿はない。視認しなくてもわかる。後ろから近づく静かなる殺気。先ほどまで一切なかった感覚だ。外気の寒さとは別で心臓が凍り付くほどの悪寒。すぐさま右側に飛び込み、回避する。先ほどまでの動きのない彼女の戦闘スタイルとは打って変わって荒々しく本気で殺しに来ているように見える。行きつく暇もないリーヴァの攻撃を目を凝らしながら一つ一つ防いでいく。
(またあの感覚だ…残像が視界の邪魔をしやがる)
ゼフィスの目にはリーヴァの薄い虚像が無数に生まれ、何層にも重なって見えた。ハルバードも全方位に現れて見え、サイケデリックな光景で目をつぶりたくなった。だが虚像にも農薄があるのがわかる。濃いものほどリーヴァが虚像と同様の行動をすること多い。虚像についてわからないことは多い。しかしゼフィスは農薄をたよりに防御を取った。一瞬にしてゼフィスの動きが変わったのを見てリーヴァは少し驚く。
「その瞳、なるほどすこし厄介そうだ。だが、そろそろ終わらせてもらおうか」
攻撃の手を止め、距離を取る。
「焔薙」
ハルバードに炎をまとわせ、リーヴァは一瞬で距離を詰め、燃え上がる倶利伽羅龍王の刃を胴体目掛け振るった。
ムスカリは砕け散り、ゼフィスは吹き飛ばされた。全身が炎に包まれ、火球のように飛んでいく。
「ゼフィス!」
「チェックメイトだね。よかったわよ、ゼフィスくん」
指を鳴らすとゼフィスを呑みこんだ炎は一瞬にして消え、腹部の傷以外目立った外傷はない。ティルナシアは駆け寄り、回復魔法をかけ、外傷を癒していく。気絶したのかゼフィスはぐったりとした。急いでコテージに連れていき休ませる。次第に吐息は寝息へと変わっていき、ティルナシアは安堵した。
「まさかゼフィスがあそこまで善戦するとは意外でした」
「ううん、ハザマさんのもとでずっと頑張ってたんだもん。努力が実ってるんだよ」
「ああ、コイツなりに責任を感じてるんだ。ティルナシアに拳を向けてしまったっていう責任がな。だから強くなくちゃいけない。強くあらなくちゃいけないってな」
「なるほど、君とゼフィス君はそういう関係なのね」
「ち、違いますって」
「フフフ、ごめんなさいね。からかってみたかっただけさ。それとティルナシア、君は混血だろう?」
「やっぱり気づいてましたか。そうです。この旅も商業としてではなく私の故郷に行くためなんです」
「つまり故郷に行くために旅をしているということね。ふーん」
倶利伽羅龍王を入念に磨いていく。刃のほころび一つなく、鏡のように磨き上げる。
「守るべき人がいるというのはいいことね。それにゼフィスくんは挫折を味わっているよね」
「ああ、挫折は人を成長させるというが、本当だな」
「さて、私が勝ったからやってもらおうかな」
「さすがにこの状態でやらせるのは酷というものでしょう」
「剣士同士の約束だ。反故にすることはできない。けど、私も鬼畜ではないよ。わたしもこの旅に同行させてもらおう。そしてゼフィスはティファーナに着くまで炊事登板だ」
「私たちの旅に同行する⁉」
「うん、きみたちは面白い。とくにゼフィスくんは」
暖炉にガルシアスとミホノが割った薪をくべていく。ぱちぱちと弾ける火種と、窓に打ちつく吹雪の音が鳴り響く。
「雪、なかなかやみませんね」
「なに、心配することはないさ。明日になれば晴れる。それにティファーナ《むこう》はちょうど春ごろよ」
「ティファーナの酒はどんなものがあるかねえ。ティルナシアや、次は俺と飲もうな」
「ティファーナの春ですか。どんなものなんでしょうか」
「おかあさんの話だと桜が満開の場所があるんだって。リーヴァさんはなんでティファーナに?」
「強き者に会うために、かな」
暖炉の灯が部屋をやわらかく照らす。雪に閉ざされた夜空は星も瞬くことも、清輝が届くこともない。外は閉ざされ、雪の白ささえわからない。朝早く旅立つために三人も毛布をかぶり、眠る。閉ざされた世界で、リーヴァだけがゆらめく炎を見つめていた。




