そこに今はいなくても
外のバカ祭り騒ぎとは隔離された静かな部屋は設計図が乱雑に散らばり、汚部屋というにふさわしい部屋だった。よほど女性の部屋だとは思えず文字通り足の踏み場もない部屋だった。
「どうしたんです。私に用って。わたしティルナシアさんと飲みたいんですけど」
「なに、ミホノに見せなきゃいけないものがあってね。私は臆病だから決めあぐねていたんだ。きみにミエコのことを話そうと思ってね」
「母のことを?」
「ああ、私の力、ラプラスは体に刻まれた記憶を見ることができる。初めて会った時君たちの記憶を読んだとき私は驚いたよ。まさかミエコの倅がこの国に来るなんて思いもしなかったよ」
わたしがまだ魔王になったばかりの時だった。私にはふたりの姉がいた。私が内向的でガサツな性格だったのに対し、ふたりの姉は気品があり、民からも慕われていた。三姉妹仲が良かったと思うよ。毎日一緒だった。一緒に読書をしたり、一緒に茶会を開いたりした。楽しかったよ。けど私たちの日常は長くは続かなかった。魔王の力。この力は世襲制でね。代々受け継がれてきた力だった。けれどこの力に馴染まなかったら死んでしまう。ふたりの姉はこの力に殺されたんだ。そして私は魔王の力に魅入られてしまった。だから私は魔王という地位を受け入れられなかった。だから私は城を出たんだ。家出というものかな。行先もなくただ走った。夜のナギアは子供の頃は怖かったな。
「どこの宿にも撥ねられちゃったし、今日も野宿かー。って、お嬢さんどこに行くんだい?」
そこに現れたのはミエコだった。当時のナギアは他の国と変わらなくてね。人族も獣人も差別されていた。そのせいか私と、ミエコは偶然にも出会ったんだ。私は人族にあったのが初めてだった。
「あ、私人族のミエコ。ただの旅人よ。お嬢さんの名前は?」
「……アロウ」
「アロウちゃんか。よろしくねアロウちゃん。でこんな夜遅くにどうしたんだい?いや、なにも聞かないでおこうか。何かなかったかな……あ、ビスケット食べる?」
当時のミエコはゼルファスト大陸を旅をしていたんだ。目的もなく心のおもむくままにゼルファストの大地を旅していた。
「お姉さんはなんで私のそばにいるの?」
「だって、真夜中に女の子一人でいるのは危ないもの。まあ私も怪しい人にカテゴライズされるかもだけど……とにかく、君が家に帰るまではお姉さんがそばにいるから大丈夫!それに泣いている子を一人にするのは気持ちのいいものではないもの」
ミエコの「大丈夫」という言葉は当時の私には信じられなかった。昔の私にも人族を毛嫌いする考えがあってね。人族は弱い種族だと思ってしまっていたんだよ。私が何もしゃべらないからか彼女はアドラールの話をしてくれた。炎の明かりではなく電気の光で照らされる都市、動物の力を使わずに走る鋼の荷車。魔王の力の影響かそれとも彼女自身に惹かれたのか私は夢中でミエコ話を聞いていた。彼女曰く「ゼルファストの人にとってアドラールの話は酒のつまみにはちょうどいい」と言ってたわ。このナギア《閉ざされた世界》に閉じこもっていた私の知らない世界を彼女は教えてくれたんだ。
「私さ、半ば家出みたいな感じでここまで来たのよ。両親からの期待の目とか同期からの冷たい目とか嫌になっちゃってさ、もう何でもなれーって思ってアドラールを飛び出したの」
「怖くはなかったの?」
「……怖かった。ゼルファストは人族には厳しいからなおさらね。けど必死に話しかけたら差別とか軽蔑とかは表面的だってことを知った。こじんまりした世界じゃあ知れなかった世界がいま広がっているんだって考えたら楽しくてしょうがない」
「楽しそうね」
「ええ。今アロウちゃんと話せているこの瞬間も楽しいわよ。む?ちょっと行きたいところを見つけたわ!」
ミエコは私の手を引いて崖の方向へ走り出した。そう、こんな夜だったわ。星が綺麗な夜だった。姉たちと見ていた夜空だった。星郡の下ではしゃぐミエコの姿に自己投影をして涙が出てしまった。
「私、一人になっちゃった。お姉ちゃんたちはもう……こんな力捨てたい。お姉ちゃんたちを殺したこの力を……」
「アロウちゃん……私はあなたの苦しみはわからない。けれど私も旅を始めたときは怖かったし少し後悔もあった。けれど旅を続けるにつれて認識が変わったの。アロウちゃんが持つその力は今は嫌なものかもしれない。けれどいつかきっとあなたを助ける力になってくれるわ」
「役に立つはずない。父様は魔王の力を一族で保持するために私たちに継承させたんだ。鈍の力なんか」
私も従者たちもは父が魔力開放の力を使っているのを見たことがなかった。使わない刃は衰えていくだけ。私は魔王の力が何の役にも立たないと思っていたんだ。
「じゃあ考え方を変えてみよっか。君はこの国の人たちのことをどう思っている?大切に思っているかい?」
「うん。けどみんな争ってる。獣人とか魔人とか種族の違いで」
「じゃあその人たちのために使うのはどうかな。君にとっては使えない力でも彼らにとっては貴重な力なんじゃないかな。それにもしアロウちゃんがその力でみんなを笑顔にできたら天国にいるお姉さんたちもきっと喜んでくれるんじゃないかな」
「そう……かな」
ミエコと話しているうちに私の心持はすこし軽くなっていた。そしてあたりが騒がしくなっていることに気づく。
「姫様―!貴様何者だ!」
「あー、えーっと……通りすがりの旅人?」
「出会え出会えー!」
「待ちなさい。彼女は私の友である。丁重に」
一通り語り終わるとコップに注がれた水を飲み干し、一息つく。
「この国で母はそんなことをしていたんですね」
「ええ、まだ語ればあるわよ。爺やに格闘術を学んだり、カイロウとであったり。最初はみんな毛嫌いしていたけれどミエコの人の好さにみんな閉じた心を開いていったの。おかげで私は今のこの国を作ることができた。彼女がいなければ私はこの力をルゥに譲渡していたかもしれない。ミエコがこの力の使い方を教えてくれた。そして沈んだ心を救ってくれたんだ」
休憩を終えると壁に手を当て、一部を押し込む。そうすると壁は変形をはじめ、中から箱を取り出した。
「君にこれを渡したい。ミエコが残した最後のメッセージだ」
箱の中には使い古されたビデオカメラが一台あり、それにミホノは見覚えがあった。
「これは母がよく使っていたビデオカメラです。家族で旅行に行ったときとか、学校の行事とかで使っていた……」
ビデオカメラを起動させ、内部データを見る。その中にはゼルファストの町並みや、荒野などの映像が保存されていた。ミホノはミエコが自分に見せるためにこの動画を取っていたのだと確信した。そして一番最後のデータだけはミエコだけが映った映像だった。
『ミホノちゃん、見てる?この映像を見ているということはあなたがナギアの地にたどり着いたってことよね。どうだった?ゼルファストの大地は。凄かったでしょう!カラッとした荒野!透き通った夜空!って聞きたいところだけれど、多分ミホノちゃんが聞きたいことはそういうことじゃないよね。何も言わず家を出てしまってごめんなさい。そしてあなたたちを置いて死んでしまってごめんなさい。ナギアは私の第二の故郷。だから今ゼルファストで起きている惨劇を見過ごせなかった。私って本当に母親として失格よね。辛気臭い話はここまでにして、お母さんはミホノちゃんがここに来るまで強くたくましく成長したことを誇りに思っています。私がいなくなって悲しくなったり不便に思ったりしたことはあったかもしれないけれどあなたは強く育ってくれた。どんな風に育ったのかなあ。もしかしたらボーイフレンドができていたりして!いけない……今はふざけないって決めたんだった。残念だけど私はミホノちゃんが成長した姿を見ることはできません。あなたのそばにいてあげられません。だけどこれだけは覚えていてほしい。今はそこにいなくても私はあなたをずっと見守っているよ。この身が滅びても死んじゃったとしてもずっと見守ってるよ。じゃあもうそろそろ行くね。お父さんと仲良くすること!そしてお友達と仲良くね』
ビデオの再生は終了し、笑顔で手を振るミエコの顔が残る。そっとビデオカメラの電源を切り、天井を見上げる。ほほを伝う涙を袖で拭い、深く息を吸い込む。
「今やっと受け入れられました。母はもうこの世にはいない事実が……」
「すまなかった。君の母をこの国のいざこざに巻き込んでしまって」
「いいえ、ここに来なければ母が死んでしまったのかもわからなかった。そしてあなたたちは母のことをずっと思っていてくれていた。それだけで十分なんです」
「そう……きっとミエコがあなたたちをここに運んできてくれたのね。そしてこの国に平和をもたらしてくれた」
「きっとそうですよ。きっと」
アロウはポケットの中にしまっていたハンカチを取り出し、ミホノに渡す。
「じゃあもう一つ。これはミエコが最後に残した仕事よ。娘であるあなたにしか成しえない任務よ」
アロウの手にはプラスチックのケースに入れられて一枚のSDカードだった。どうやらビデオカメラのSDカードらしく、挿入し確認する。目を疑うような映像がそこに映っていた。夜の荒野に青緑の光が地面走っていた。
「オーロラ?」
「大地を走るオーロラ《ゼムリャ・アブローラ》。ミエコはそう名付けてた。これをカルナって博士に届けてほしいって」
何度も再生し、動きを確認する。漂っているように見えるが、よく見ると一定の方向に流れているのがわかる。
「母はなぜこんな映像を……」
「わからない。けれど妙だ。これを撮影したのがルナエラが攻め込んできた後だった」
母が残した一つのビデオ。その中に秘められた怪異現象をミホノはただ見つめていた。
ナギアの谷の頂上にルーデルワイスは座り込んでいた。手に持ったコップを揺らしながら水面に映る星をただ見つめていた。
「おや、これはこれは珍しい。いつもなら祭囃子に乗せてはしゃいでいられるのに」
「そういうおまえももう呑み飽きたのか」
「いやあ、ゼフィスを奪われましてなあ。拙者、今は姫殿と飲みたい気分なんですよ」
瓶をの蓋を開け、コップに酒を注ぐ。
「どうやら魔王になられたようで」
「妾はもとから魔王じゃ。ただ形になっただけじゃ」
「そうですかい。姫殿が持ち帰った仏さんはここに?」
「ああ、ここなら静かに星を眺めることができよう。あの子たちには静かな地で眠っていてほしい」
夜空を模ったような片角を優しくなでる。
「守れなかった。子どもたちを……妾は8年前から変わっていない。何も……」
「姫殿……何をおっしゃりますか。姫殿は昔っからなーんにも変わっていませんよ。態度がデカくて、傲慢で、駄々っ子だ。そしてやさしいお人だ。自分の民でもない子どもも、初めて会った子どもにも涙を流せるやさしいお人だ」
「やさしいか。それはただの思い違いじゃ。妾は子どもたちに昔の自分を照らし合わせているにすぎん」
「それでもいいじゃないですか。殺すことに躊躇をしない人間よりもずっとマシだ」
「兄、ムサシのようにか」
「……ええ」
「たしかにそうじゃな。これから先悩んでいけばいい。この力を使い方は妾次第じゃからな」
注がれた酒をゆっくりと飲み干す。先ほどまで神妙な顔をしていたルーデルワイスにも少し笑顔が戻っていた。
「ひと月ぶりに孤児院に行った。皆元気にしておったわ」
「左様で。さぞ寂しかったでしょうに」
「何を言うか。妾が育てた子どもたちじゃぞ。みんな笑顔じゃ。誰一人欠けることなくみんなな」
ドレスの袖をめくり、腕に付けたブレスレットを見せつける。数本の糸を編まれたそのブレスレットは色とりどりで、すこし不揃いな柄をしていた。
「組紐ですか」
組紐は数本の糸を編み込み作られるが、ナギアの組紐は編んでいく際に願い事を書いた紙をたたんで入れていく。編むとき紙に記した願いを込めていく。その願いがきっと成就するように。
「あの子たちのおかげで妾は迷わずに済む。あの子たちが妾をつなぎとめてくれる」
ゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばす。ヤトノカミを片手に持ち、ハザマからゆっくりと距離を取る。ルーデルワイスの意図を察してか、刀を腰に差し、立ち上がった。
「しばらくゼフィスの稽古でおまえと立ち会っていなかったな。腕をなまらせていないだろうなぁ?」
「片時もあなたという強者を忘れたことはありませぬ。ゼフィスを育てたのもあなたに勝つため」
両者抜刀し、お互い距離を詰める。癒えない体なんてお構いなしに二人は剣を振るった。宵の夜に響き渡る剣戟を知る者はそこにはいない。知るのはただ二人だけだった。
おぼろげな視界を袖でこする。ふらつく足を地面に吸い付けるように着地させ、ゆっくりと歩いていく。久しぶりに多く飲んだせいか頭を打つような痛みが持続的に続く。先ほど吸ったタバコの煙のにおいが口の中にこもり、胸の内から何かがこみ上げてきそうになっていた。
「なんのために戦うかなんいてわかるわけないじゃないか。意味わからん奴が住みついているんだからよぉ」
(意味わからんとは……おまえ、口が過ぎるぞ)
「なんか幻聴が……いや、アイギスだっけか。なんで俺の体を乗っ取らない」
(おまえが毒素を体に入れるからだ。今の我ではあの女以外を殺しかねん。なんだこれは)
「酒だ。ナリトカさんの情報通りだな。おまえ生まれたての赤ん坊かよ」
(おまえたち生物と同じ感覚を持つとはな。早く女をころして消えたいものだよ)
「おまえ、ほんとうにティナを殺すことが目的なのか?殺して何になるっていうんだ」
(世界のためだ。過ぎた力は破滅を導く)
「世界のため?ティナはそんな悪い使い方はしない」
(なぜそう言い切れる?おまえはあの女の何を知っているというんだ。おまえが知るのは外側に過ぎないとは思わないのか)
ゼフィスは歩みを止める。
(反論できないのか?おまえはただ自分の理想をあの女に投影しているにすぎない)
「そんなこと……ない……」
(我にも思い出した記憶がある。人間は過ぎた力を持てばその力に操られる。それはなぜか。力を受け入れるほどの器を持っていないからだ。あの女はそのいい例だ。情緒不安で碌な力も持ってはいない。挙句の果てにあの黒い魔法だ)
壁を叩き、必死に否定する。しかし言葉が出てこない。心が否定しようとしてもアイギスの言っていることを否定できなかった。ティルナシアのことをわかっていると思っていた。心が弱いことも誰かを助けようとする癖も。だがゼフィスが知っているティルナシアなど表面上のものでしかない。そう思ってしまうのだ。
「ん~?ぜふぃす~?そこでなにしてるんれすか?探したんですよー」
そよ風のように柔らかく、消えてしまいそうな優しい声。聞きなじんだその敬語口調に思わず振り向いてしまう。ティルナシアだ。ほほを赤らめ、酒壺を片手に持ち、支えてやらないと転びそうなほどふらつく足運びはいつもの彼女とは思えないほど酔いつぶれていた。
(おい、この女も酒とかいう毒素を体に入れてるのか。信じられん)
「ティナ……どうしたんだ」
「どうしたもなにも、お酒を飲んでいるだけれすよ~ひっく……おいしいんですねお酒って~」
明らかに酔いつぶれていた。目は零れ落ちそうなほどに垂れ下がっている。おそらく水を飲まず、ずっと酒を飲み続けているのだろう。ゼフィスは急いで水をティルナシアに飲ませる。
「酒を飲んだことないから酔いつぶれている感じか。ティナ、とりあえず部屋に戻ろう。これ以上呑んだら明日に響くぞ」
「え~もっとお祭りを楽しみましょうよ~ほらちゃちゃんちゃちゃん~」
(我に一撃を与えたやつとは思えんな。屈辱だ。今殺してしまうか。ム……)
ティルナシアが持っていた酒壺の中の酒を勢いよく飲み干す。
「おまえは黙ってろ。ティナ、背中に掴まれ。部屋まで送るから」
ティルナシアをおぶると人ごみをかき分けながら城のある方向へ歩き出す。顔がいつもよりも近く、吐息の酒臭さからどれほどの量を飲んだか想像した。傭兵団の酒癖の悪い面々を思い出していた。
「まったく~どこいってたんれすか。探してたんですよ~」
「ごめん。ガルシアスと飲んでた。そのまえは部隊が一緒だった人と。ハザマもいたっけな」
「わたし、あんまりゼフィスがお酒を飲んでいるところ見たことありません。見てみたいな」
「ハハハ、ひどいもんだぞ。たぶんナリトカさんぐらいに」
なぜ彼女をぶっているのか。誰かに任せればよかったじゃないか。ゼフィスはティルナシアにあまり近づかないようにしていた。また彼女を傷つけてしまうから。なのになぜ今彼女を運んでいるのか。自分の心に従わない体に疑問を持っていた。
「ねえゼフィス、私はあなたに恩返しがしたいんれす。私を救ってくれたあなたに。私を信じてくれたあなたに」
罪悪感という名の海に沈み、絶望という名の砂に埋もれた心は言葉という名の激流によって界面まで一気に急上昇する。ふさぎ込んでいたゼフィスの心を激しく揺さぶっていた。
「その言葉は素面の時に言ってほしかったな」
気づけばティルナシアはゼフィスの背中の上で眠り込んでいた。起こさないようにそっと彼女をベッドの上に寝かせ、毛布を上に掛ける。従者に水を壺一杯に入れてもらうように頼み、眠るティルナシアのそばで静かに座っていた。ドアがゆっくりと開き、頼んでいた水とコップが届く。見てみればそこには酒も一緒に運ばれていた。
「なあアイギス、人間について知らないお前に一つ教えてやる。酒は人を変えるんじゃない。人の本性をさらけ出すものだ。俺は確信したよ。ティルナシアはお前が考えるような悪い奴じゃない。優しい心を持った女の子だ」
(そんなの詭弁だがまあいい。いつでも我はこの女を殺せるんだからな)
「そうはさせない。弱っているときも寝ているときでも絶対にお前にこの体を渡すものか」
ゼフィスはそう言




