鉱山大国サラルス
「ただいまー」
「おかえりおかあさん」
母はいつもクタクタになって戻ってきていた。夜遅くに家に戻り、1缶のビールを呑み床へつく。そして私が起きる頃には会社は出ていた。私は母が何をしているのか詳しくは知らない。母曰く私を空の旅に連れていくと口癖のように言っていた。
「ただいまー」
「おかえりおかあさん。最近忙しそうだね」
「うーん、ちょっと行き詰っててねー。明日は休みだから一緒に遊ぼうね」
母がお休みのときはいつも遊んでもらっていた。ままごとやお花摘みなど私のやりたいことをやってくれていた。そしてある日の朝、目覚めが遅い私は珍しく日が昇ると同時に起きた。私は寝床に母がいないことを知り、そっとドアを開けた。朝靄のなかに見える人影は何度も何度も空中に舞っては様々な蹴りで空を切っていた。
「いち、に、さん!ふぅぅ、やっぱりオルテアさんの動きには程遠いな。おや、おはようミホノ」
「おはようおかあさん。朝から何をやっているの?」
「これは私のルーティンだよ。ミホノもやってみる?」
「うん」
そこから私と母の蹴り技の特訓が始まった。母との特訓は厳しいものだった。運動靴の靴底にはあっという間に穴が開き、筋肉痛に苛まれる日が続いた。しかし私は母との特訓を心から楽しんでいたのだ。いつも私のわがままに付き合ってもらっていた母と共通の趣味を持つことが出来たからだ。私は時が経つにつれて母の技を体得していった。
「はあ、はあもういっかい!」
「ふふ、これが出来たら免許皆伝かな。まあ私もまだ完成の域に達してないけどね」
昔のことを夢に見て私は久しぶりに朝早く起きた。外は霧に包まれ、少しだけ準備体操をし、母に習った技を一つ一つ確かめていく。そしてまだ体得できない技を試すが、途中足を滑らし、その場に倒れ込む。やはり未熟な私にはまだできなかった。
「あれ?ミホノちゃん?どうしたのこんな朝早くから」
「おはようございます。冷気にやられちゃいました。だから今体を動かしてあっためてたところです」
「もうすぐサラルスの首都だね。なんか緊張してきちゃたよ」
「ふふ……お姉ちゃんらしいですね」
ティルナシアさんは朝日を見つめ、少し強ばった顔をした。
「絶対成功させようね」
「はい……」
ゼフィスたちが集落を抜けてから数日が経つ。ナリトカ曰くサラルスの首都「キルメア」は昼頃に到着するらしい。
「なんで山脈なんかに首都を設けるかね〜」
「レオ君、いい質問だ。山ってのは天然の防壁みたいなものだ。山道を進む敵を待ち伏せることもできるし、籠城にももってこいなのさ」
「つまり、難関不落の陣を貼れるってことか?ガルシアスさん」
「そういうことだ。だが鉱山となると話は別だ。植物は育ちにくいから籠城向きではない」
鉱山は草木が育ちにくい。そのため野菜が取れず、食糧難に陥りやすい。籠城において重要なのはいかに食料を多く確保できるかだ。食料の量によって兵の士気も籠城できる日数も変わるのだ。
「以前までは他国からの貿易が主な食料源だったそうです。ですが4年前に色欲軍の攻撃にあい、貿易ルートが確保出来ていないみたいです。今は野ウサギや野鳥の肉で飢えを凌いでいるとキルメアの人たちが言ってました」
「なるほどナリトカさんの情報が確かならばこの交渉は上手くいくかもしれん」
ナリトカたちサラルス軍と合流してからの移動は順調そのもので、キルメアは目と鼻の先だった。
「サラルスか……そういえばミエコは童たちと別れてからサラルスに行くと言っていたのう」
「サラルスにですか?デンドロちゃん詳しく」
「ああ。たしかルナエラの脅威を伝えに行くとか言ってたな」
「じゃあサラルスにも母を知る人がいるかもしれないんですね」
ミホノはいつもよりも目を見開き、進む道を見ていた。母親のことを知りたいという気持ちが彼女を動かす原動力になっていたのだ。
首都キルメアに着くとゼフィスたちの何倍もある門が目の前に拡がっていた。扉は煤や砂土で汚れ、数年間手入れがされていないようであった。
「ロウギヌス傭兵団のナリトカです。調査から戻って来ました!」
外壁の上から人が覗き、手を振ると城門はギシギシとひしめきながらゆっくりと開いていった。
「ようこそサラルスの首都キルメアへ」
「出迎え感謝する。時は一刻を争う。暴食の魔王アバドン殿の元へ案内して。」
「は。そちらの人族は?」
「私の付き人だ」
「承知致しました。ではこちらへ……」
国は荒れており、首都とは思えない光景だ。道には痩せ細った人や、住居の壁に背中を預け、力を失った人たちに溢れていた。
「これは……ひどい……」
「見るなティルナシア。さ、私の手を掴んで目を閉じなさい」
「アロウさんお気遣い感謝します。けど大丈夫です」
老若男女関係なく民は痩せこけ、見かねる光景だけが広がっていた。誰かの死を待ち望むハゲタカやコヨーテのような動物が跋扈し、首都というよりも衰退寸前の集落のようだった。
「このままじゃ、みんな死んじまうぞ。あんたら、何やってんだよ!」
「半獣半魔の方、ご心配なく。まだ死者は出ておりませんし、出ることはありません」
「そんな言葉信じられるか!」
「落ち着いてくださいレオさん。その言葉、嘘じゃなさそうです」
ミホノはレオを静止させ、尋ねる。しかし従者は一言も喋ることなく王宮まで案内した。
「ミホノ、さっきの言葉どういうことだよ。嘘じゃないってなんでわかるのさ」
「これはただの推論です。多分広範囲の魔力放出が発動されています。ゼフィス私たちは最後にいつ食事を取りましたか?」
「早朝だったな。まだ昼は食べてないし」
「私はいつも昼時になると腹の虫が悲鳴をあげ始めます。それなのに到着してからなぜかお腹が空かないのです」
「それは今日だけじゃないか?」
「いやミホノの言うことも一理あるかもな。なぜ彼らは4年間も籠城にもできたんだ?食糧難であれば数ヶ月も持たないはずだ。それに魔王の名『暴食』も関連づけるのならミホノの説は有り得うる」
ガルシアスはメモ帳に図を描きぜフィスに見せる。真ん中には暴食と書かれ、そ国民に向けて魔力と書かれた矢印が引かれていた。
「それは本人に聞けばよいこと。童たちは交渉に専念するぞ」
一行は応接間に案内された。数分後にドアが開き、一人の男が入ってきた。その姿にゼフィスは驚愕し、しばらく動かなかった。2から3メートルはありそうな身長と、食糧難とは思えないほどの肥満によって着いた贅肉は存在を大きく見せていた。
「お主らが強欲の使者か。朕こそがアバドン·キルメリアである。で、要件はなんじゃ」
アバドンは従者が持ってきた肉や野菜を頬張りながら喋り、その食べる行為を止めることなくアロウの返答を待った。
「副団長殿のからお聞きかもしれないが、単刀直入に申し上げる。我々ナギア軍と同盟を組んでいただきたい」
一瞬食べる手が止まったかと思うとアバドンはもう一度食べ始めた。
「それは……無理な話じゃ。今ルナエラ様に歯向かえば朕たちは死にかねん。見たであろう城下の光景を。我が国は今ルクスリアとの食料の貿易によって成り立っているんじゃ」
「代わりに我々と貿易していただきたい。食料だけじゃない。こちらは豆や芋などの痩せた土地でも育つ植物の種を提供出来る!」
アロウの言葉に熱がこもる。言葉一つ一つに緊張が走り、場の空気を凍らせる。ゼフィス、ティルナシア、ミホノはアロウから目を離せないでいた。ナギアに住む人たちや、増援を待つ執事オルテアやハザマのために必死で言葉を紡ぐ彼女から目が離せないでいた。
「何度言われても無理じゃ。わからぬか、ヤツらはたった8年でこのゼルファスト全体に喧嘩を売るほどの力を持つのだ」
断固として意見を変えないアバドンのその言葉にアロウは打ちひしがれた。目からは今にも涙が込み上げそうになっていた。もうダメだとアロウ、ティルナシア、ゼフィス、ミホノは思った。しかしこの諦めた空気の中、テーブルに足を大きく乗せる音が響き渡った。
「何諦めてるんじゃお主ら!いま童たちが諦めればナギアもこのサラルスもルナエラの餌食になるだけじゃ。アバドンお前もわかってるはずじゃ!今怖気付けば守ろうとしていたもの全て無駄になるんじゃぞ!」
「だが我々だけじゃ無理だ」
アバドンの言うことは正しかった。アロウはその言葉に何かを見いだしたように立ち上がった。そしてテーブルの上に魔学によって開発した品々を並べた。槍や剣、レオがははめていたグローブなどが並べられた。
「たしかに数では私たちは勝てない。けど技術じゃ負けてない」
「なんじゃ……これは」
「これは魔学と言って魔石を使ったものよ。これは我が国で開発した兵器の品々さ」
「貴殿の国では魔石が手に入るのか!」
「え、ええ。たくさんとれるわよ」
「それを先に言えい!」
食べる手を止め、テーブルに手をつけながら立ち上がる。いきなり出た大声に驚きつつもこの機を逃しまいと言葉を振り絞った。
「ええ、腐るほど。平気だけじゃない。鉄の原石を運ぶベルトコンベアとか街灯とかもあるわ!」
「たしかにそれも魅力的じゃが魔石じゃ!おい、あれを持ってこい!ついでに……」
「は……はい!」
従者は急ぎ足に走り出し、古文書のようなものを机に広げた。絵には色とりどりの石と掴んだ魔人の身体に波が走るような絵が描かれていた。
「古文書によれば朕らが持つ腐食と再結晶は本来魔石から魔力を取り出すためにあるとされている」
アバドンは青い魔石を手に取り、「ニグレド」と呟いた。そうすると青く輝いていた魔石は黒くなり、代わりにアバドンの体を青いオーラが包んでいた。
「これが本来の我らが力。魔石があれば勝路もあるぞ。そしてその魔学とやらと合わせることで戦力は格段に上がるであろう」
アバドンはもう一度席に座り、食料を脇にどけた。そして紙とペンそして印鑑のような筒とナイフをテーブルに並べた。
「強欲の魔王よ。朕はお主の話に乗ろうと思う。そこの童の言葉と貴殿らが持つ交渉材料に免じてな」
「じゃあ協力を!」
「だが貴殿らを信用したわけではない。だからこれを使う」
アバドンはナイフで指先を切り、印鑑に染み込ませる。そしてアロウに同じ行動を迫った。
「これは朕と貴殿の血の盟約。裏切れば血肉は油となり炎に焼かれる」
「構わない。私には民草を守る使命がある。その為ならばこの身を捧げよう」
アロウも同様に指先を切り、印鑑に染み込ませる。そして魔法陣の真ん中に押印した。
「その勇気受け取ったぞ。して、貴殿らはどうやって自国と連絡を取るつもりじゃ?戻る時間はもうないぞ?」
キルメアに到着するまでに2週間が経過し、タイムリミットはもう少なかった。アロウはレオに持たせていた機械を取り出すように命じ、テーブルの上にのせた。
「これさえ使えば連絡はすぐできる」
大きい箱に受信線の先に着いたボタンのようなもの。ガルシアスはその見た目に顎を擦りながら笑った。
「モールス信号か!」
「ああ。電波の代わりに魔力を飛ばし、空気中の魔素を伝わって受信機に伝えるのさ。ナギアのアンテナはゼルファスト全体まで届くわ!」
アロウはボタンをカタカタと押し、ナギアにいる兵士たちに連絡をした。内容は『大量の魔石を戦線に送れ。我、サラルスとの交渉成功』だ。
「これで物資の運搬は大丈夫よ。さあ早く行きましょう」
「待て待て、早とちりはいかん。今日はここで休め」
「いや早く行かなきゃ……おっと……」
アロウは緊張がほぐれたせいかその場で立ちくらみ、その場に倒れかける。ティルナシアは肩を貸し、ゆっくりとアロウを椅子にかけた。
「朕が戦線に出向くことは出来ん。その代わりに我が軍200名を同行させよう」
「ミホノアオガネと申します。アバドン様、あなたがこの国を動けない理由をお教えください」
「アオガネか。同じ姓の者に昔あった気がするのう。答えてしんぜよう。それは我が魔力放出『幾万の蝗』を常時発動せねばならんからじゃ。朕が食した物の栄養を国民分配し、飢えをしのぐ。そうやって食糧難の中生き延びてきた」
「ミホノの推論が当たったな。苦肉の策だが食料がない状況なら合理的な判断と言える。1人で多を助けるか……」
「そうだったんですか。しかし、食事はみんなとした方が楽しいですよ。誰かと団欒して食べるからこそ食は楽しいんです」
「そなたと同じ言葉をミエコも言っておったわい。まさかそなた、ミエコの子どもか!」
「母を知っているのですか!?」
ミホノはテーブルから身を乗り出し、アバドンの肩を持ち体を激しく揺らした。
「ああ、知っておる。ミエコのおかげで我々は色欲の襲撃に耐えることができた」
「そのあと母はどこに!?」
「知らぬ……色欲の元へ向かうと言って去っていった」
その言葉を聞いた瞬間ミホノはテーブルに手をつき、小刻みに震えていた。強く噛み締めた口からは血が滲み、目からは涙が溢れだし血とまじりあっていた。
「ミホノちゃん!?」
「大丈夫ですよ……ティルナシア。私は冷静です……」
ミホノはイスに座り直し、目と口元を両手で拭った。目は血走り、ティルナシアやゼフィスが見たことの無い形相をしていた。
「アバドン陛下……」
アバドンの配下が耳打ちをし、情報を伝える。その顔は焦りが見え、アバドンも顔をしかめる。しばらく沈黙が続くがドアを蹴破る音がひびき、2人の獣人と1人の魔人が応接間に入ってきた。
「アバドン殿、私の聞き間違いかもしれないが、まさか我が色欲軍を裏切るつもりですかな?」
「メフォス朕は貴様らと同盟を組んだつもりなどないわ!」
「では仕方ありませんな。私は外交官。サラルスは我々の脅威となりうる存在だ。しっかり報告を……」
「何も手を打ってないと思っておるのか?残念じゃがこの国におる貴様らの兵は抑えさせてもらった」
「何!?」
「当たり前じゃ。アロウ殿、ここは朕に任せい。貴殿に我が軍600とナリトカを預ける。必ず勝利せよ」
「アバドン殿助かる。行くよみんな」
「させんわ!ぐはぁ!」
「お前らが、お前らがお母さんを!」
ミホノはツインターボの推進力で飛び蹴りを繰り出し、メフォスの顎を貫く。すぐさま体をひねり、右脇腹を蹴る。
「ミホノやめろ!お前が倒すべきはそんな三下じゃない!」
「ですがガルシアス!こいつらが母を!」
「ガルシアス殿の言うとおりじゃ。こやつらは朕に任せよ。お主は仇を取ってこい」
ミホノはエンジンを止め、走り出す。ゼフィスたちはアバドンの配下に案内され、城内を出ていく。アバドンはマントや王冠をテーブルに置き、手首をさすり視線を色欲軍3人に合わせる。
「アバドン殿下ここは我々に」
「いや、うぬらは下がっておれ。これは朕のケジメじゃ」
「おいおい、そんな身体で俺たちを倒せるのか?動けねえだろ!」
獣人ふたりが懐からナイフを取りだし、アバドンの腹に刃を刺す。血が出るがアバドンは顔色を変えず、ふたりの顔を掴む。
「なんじゃこの程度か?朕は魔王じゃぞ?貴様らは我が民草の糧となろう。『悪意悪食』」
つかまれた獣人ふたりの体が末端から黒い靄につつまれ、消えていく。そして靄がすぎた部位はなくなり、獣人は嘆き苦しんでいた。
「これで少しは腹の足しになったのう。これなら獣人にもまわせるなぁ。さて」
アバドンはゆっくりと近づき、メフォスの前に立つ。腹の刺傷はなくなっており、血の跡も無くなっていた。
「貴様はどんな味がする?悪意悪食」




