第70話 魔王城の平凡な日常
空飛ぶ城塞型超巨大ゴーレム、通称『魔王城』は王国を目指して進行中だ。そしてここは玉座の間、黒を基調とした空間に玉座まで続く真っ赤なカーペットが敷かれている。そのカーペットを挟むように九大天王たちが並んでいる。って、なんだこの神妙な雰囲気は。
「おいコラ、はやく本題に入りやがれ」
「ギア、お静かに」
「ホネルトン、俺はなんで呼ばれたんだ? 忙しいの分かってんだろ、使いを追い返しやがって」
「拙者も花壇の花に水をやらねばならないでござる」
「仕事しろブラギリオン、庭のことは庭師に任せろ」
「前々からやってみたかったんでござるよ! はっはっはっ!!」
「笑ってんじゃねぇ」
「静粛に」
魔王の横に立つアリス様が苛立ったように言った。静かになってから魔王が口を開いた。
「ラーメンが死んだ」
ラーメン? ラーメンだと? この世界ではラーメンを生き物と見なしているのか?
「あのラーメンが!? まさかそんな……!」
ホネルトンが驚きの声をあげる。
「なんだそのラーメンってのは」
「ギアは会ったことがありませんでしたね。ラーメン・コックアタック、食を司る九大天王の一人でした」
「なに? 九大天王が死んだのか」
「はい、だから驚いているのです」
なるほどな、九大天王、こいつらは強い。それが死んだとなればまあこういう会議ぐらいは開くな。
「うむ。ではそのとき近くにいたセミリオンから詳しい話を聞くことにしよう」
玉座の間の扉が開く、蝉型魔人が部屋に入ってくる、見慣れないヤツだな。
「誰だあれは」
「セミリオンです。ラーメンと作戦実行中だった夏を司る九大天王の一人です」
ふーん、あいつが失敗したのか。片腕で済むといいな。
「魔王様、此度はーー」
「よい。経緯を話せ。迅速な対応が必要な場合がある」
「はっ!!」
セミリオンは話し始めた。魔王城が着く前にあるていどの『地ならし』をする役目を与えられ、先行して王国を目指していたこと。現在地を確認するために島に出たところ、不運にも三騎士と遭遇、戦闘になったこと。アリス様が相槌を打つ。
「なるほど、その三騎士に殺されたのですね」
「いえ、ラーメンさんはエルフの少女に殺されました」
ざわつく会場。何を狼狽えてやがる。アリス様が続けて質問する。
「その娘は誰なのです?」
「分かりません」
「そのエルフが使っていた武器はなんですか?」
「料理包丁のようにみえました」
「料理包丁? ……それで切られたのですか?」
「はい。料理包丁の一撃を受けたラーメンさんは石化して死にました」
料理包丁だと? 見た目で脅威が判断できねぇ武器だな。
「おいセミ。ラーメンは強かったのか?」
「セミリオンです。防御力は劣り気味でした、しかし自己再生能力とラーメンどんぶりから無尽蔵に出せる食料を駆使した魔法は強力でした、最後はまともに魔法を使うことも叶わずに……」
そう言うとセミリオンはラーメンどんぶりを背中から取り出す。
「いまは使えないのか?」
「うんともすんとも」
ブラギリオンが「あっ」っとなにかに気づいたかのように言った。アリスが視線を送る。
「どうしました?」
「シチュー氏のご飯はどうするでござる?」
皆が一同にハッとする。まさか。
「おい、まさかだが、あのドックフードを提供していたのはラーメンだったのか?」
「いかにも。このどんぶりは対象が食べたいものを察知して出す能力もありましたので」
「チィ、まずいことになったな」
魔獣チワワ。やつはドックフードでなんとか手懐けている状態だ、それがなくなったら。
「ドックフードの備蓄は? あと何日持つ」
「王国に着くまでの分はラーメンさんがここを出る時に計算して置いていきました、それより先は合流してから出す予定でした」
「そうか、すぐには暴走しねぇってわけだな」
こんなのは問題の先送りにしかならねぇ。対策を考えねぇとな。
「今のうちにシチューを殺すか」
ホネルトンがむせる。
「仲間を殺すなど」
「今なら有利なポジションを取れる、さすがにここの連中が全員でかかればなんとかなるだろ」
「やめた方がいいでござる」
「どうしてだ?」
「シチュー氏は狡猾でござる。討伐するにしてもかなりの被害を考えた方がいいでござる」
「どれくらいだ?」
「このゴーレムが落ちるくらいは想定しておいた方がいいでござるな」
「マジか」
却下だな。アリスが溜息をつく。
「シチューの件は置いておきましょう。この城から追い出す方法くらいは各自考えておいてください」
会議が終わり、ラボに戻ろうと帰路を急いでいた俺はいつからいたのか、背後からブラギリオンに呼び止められた。
「ギア氏」
「なんだよ」
「また仕事でござるか?」
「ああ」
「たまにはのんびりしたらどうでござるか?」
「あん? どうしてだ」
「王国に着くまでに余裕があるでござろう」
「無ぇ、余計なお世話だ」
話しているうちに庭に出る。かなり大きな庭だ。レイがいた。
「あ、ギアにブラギリオン様」
「こんなところで何をしている」
「え? 休憩中ですよ」
「もうそんな時間か」
「はい、結構話されていたみたいで」
「会議の内容はこの紙に書いてーー」
「今は休憩中です。ギアもこっち来てください」
「ち、分かった」
ブラギリオンは俺たちのやり取りを見て笑うとジョウロに水を入れ始める。
「この庭、ロゴリ……メアリー氏が手入れしているんでござるよ」
「へぇ」
「ギア、仕事以外の会話に興味がなさすぎですよ」
レイは「今更ですが」と余計な言葉を付け加えた。
「魔王城にふさわしい庭だとは思わないでござるか?」
「庭ねぇ、どの花も草も木も俺には全部一緒に見える」
「それは問題でござるな。もし勇者が草木に詳しかったら?」
「詳しかったらなんだよ」
「その分ギアは勇者に負けているということになるでござるな」
「おいレイ植物図鑑を寄越せ」
「そんなのいま持ってるわけないじゃないですか」
そういうとレイは紙袋からフルーツサンドを取り出して食べ始める。
「あむ、おいしい!」
「ちぃ」
「ござっふっふっふ」
ブラギリオンが不敵な笑い声をあげる。
「(な)んだよ」
「そこにいる彼女に聞いてみたらどうでござるか?」
「あん?」
ブラギリオンの指さす方向に首を傾けると、柱の影からこっちを見ているメアがいた。
「なにしてんだ」
「こっちのセリフよ! なんで貴方がここにいるのよ!」
「流れだ、こっち来い」
「は!? なんでよ!」
「嫌ならいい」
「いいわ! 行ってあげるわ!」
「嫌ならいいって言ってんだろが」
「なによ! 来てあげたのに礼も言えないの!」
「ありがとう」
「くっ! 変なところで素直なのよ貴方!」
「大声が鬱陶しいぞ、トーンを下げろバカヤロウ」
メアはわざわざ俺の隣に座る。まぁどこでもいい。
「植物について教えろ」
「嫌よ!」
「ならいい」
「あれが今一番見頃の花よ」
「おい、なんで必ずワンクッション拒否を入れるんだ? 時間の無駄だろ」
「私は貴方の道具じゃないからよ」
「意思表示ってわけか」
それだと効率が悪い。
「俺に植物のことを教えてください。これでいいか?」
「いいわ! 特別に教えてあげるわ!」
たく、めんどくせぇやつ。
「これが上薬草よ」
「レタスじゃねぇか」
「レタス? これは上薬草よ、機械の貴方には意味無いけど生物の傷なら薬草よりも高い効能と速度で癒すことができるわ」
「ここの草も無駄じゃねぇんだな」
「そうよ」
俺にはレタスにしか見えねぇがメアが言うことなら本当なんだろう。この形なら覚えやすい。そう考えているとメアが庭にいるブラギリオンを怒鳴りつける。
「ちょっと! ブラギリオン様!」
「なんでござるか?」
「水あげすぎです! それじゃあ根腐れします!」
「え、そうなんでござるか!?」
「ほらやっぱり知らないんじゃないですか」
メアは呆れ顔をしている。植物ってのは面倒だな。ん?
「おいメア」
「なによ」
「その傷はどうした」
「なんでもないわよ」
「そうか」
「だから引き下がらないでよ!」
めんどくせぇ。でも乗らねぇ方がもっとめんどくせぇ。よく見れば腕に包帯を巻いていたり額に絆創膏もつけている、服も太ももが見えるくらいに服も破けているな。
「ファッションか?」
「そんなわけないでしょ、喧嘩よ喧嘩」
ブラギリオンがメアをじっと見ている。
「この城でも喧嘩すんのかよ。無駄な労力だ、相手は誰だ?」
「別に」
きた、こういう時に一押しして欲しいんだな。
「言えよ」
「嫌だって言ってるでしょ!」
もう意味がわからねぇ。
「あ、私仕事に戻ります」
「おう、俺も行く」
「ちょっと待ちなさいよ」
「なんだよ」
「……なんでもないわよ」
「なんでもねぇなら行くぞ」
俺は庭から絶望タワーに戻ろうとした。したが、足が止まった。
「なんのつもりだ?」
ブラギリオンが俺の腕を掴んでいる。ピクリとも動かねぇ。
「シチュー氏でござるな」
「あん?」
庭に視線を戻すとシチューが塔からジャンプして庭に着地するところだった。
「ひぃ! 魔獣チワワ!」
レイは慌てて俺の後ろに隠れる。こいつにはトラウマを植え付けられてるからな。
「シチューがどうした? 今は何も問題ないだろ」
メアがボソリと呟いた。
「シチュー様が出てきた塔は食料の備蓄庫だわ」
「セキュリティはどうした。警備は?」
「シチュー様がその気になれば造作もないわよ。口元を見て」
シチューの口元は血でベトベトだ。
「腹も尋常じゃないほどに膨れているわ。それにこの臭い、血の臭いの他に、あのドックフード特有の匂いがするわね」
「蓄えていたドックフードに手を出したってことか」
普段なら問題ねぇ。だが今は別だ、ラーメンが死にドックフードの補充は不可能となっている。
「問題はどのくらい食べたかだ」
「拙者が調べるでござる。カラでござるな」
ブラギリオンはその場から動かないまま言った。
「なんで分かる?」
「そういう能力ゆえ。備蓄棟の中にドックフードは一粒も残っていないでござる」
なぜ今なんだと疑問が出てくる。
「シチュー氏は賢いでござるからな。人が嫌がる最悪のタイミングでこういうことをするでござる」
「知っててやったってことか」
「いかにも。自分の中でルールを決めて、それを破らないようにしてどうやって獲物を狩るか。シチュー氏はよくやるでござるよ」
メアがシチューを指さす。
「シチュー様の膨らんでいたお腹がどんどん小さくなっていくわ!」
「うむ。消化しているでござるな」
「あんなに早く!? 動いてもないのに!」
「シチュー氏の消化吸収能力はすごいでござるからな。ああやって食べたものを即座にエネルギーに変換できるでござる」
腹が完全に凹んだシチューは涎を垂らし始める。そして腹の音が聞こえる。
「ぐぎゅるるるるるるるるるぐぼぉこここここここ」
「腹ぺこでござるな」
「ドックフードはもうないわよ!?」
「この城には生きた獲物が沢山いるでござる。それを狙うーー」
直立していたブラギリオンの姿が一瞬で蹴りを終えた姿に変わっていた。シチューが消えて城壁が大きな音を立てて崩れる。
「いま何が起こったの!?」
「シチュー氏がメアリー氏を殺そうとしたので軽く蹴ったでござる」
「どっちも見えなかったわよ……、どんな動体視力してるのよ」
「動体視力よりも、マジな話だと時間操作系の技術が必要でござる」
なかなか出てこねぇな。
「いつまでそこを見ているでござるか、もうあそこにシチュー氏はいないでござるよ」
「じゃあどこに行ったんだ」
「上でござる」
ブラギリオン以外が一斉に見上げる。空高くシチューが飛んでいる。
「羽が生えてやがるぞ」
「そうでござるな」
「そういうもんなのか、あの犬は」
「魔獣ゆえ、とは言ってもシチュー氏は特別でござるからな。なんでもありでござるよ」
「あれどうすんだよ、野放しにはできねぇぞ」
「向こうも今ので怒っているでござろうからな。来るでござるよ」
ブラギリオン目掛けて急速落下してきたシチューが地面に激突する。ブラギリオンは僅かに動いて回避していた。
「はっはっはっ! そんなに遊びたいでござるか! みんなは離れているでござるよ!」
ブラギリオンはシチューの尻尾を掴むと持ち上げて振り回し始めた。その間にもシチューは手足を伸ばして巨大化させた爪を地面に食い込ませる。
「はっはっはっ! はーっはっはっはっはっ!!」
だが回転は止まらない。シチューの尻尾が千切れる、城壁に激突、壁を削りながら屋上に跳ね上がる。
「尻尾を自切したでござるな」
「逃げたか?」
「気をつけるでござる」
「お」
シチューの尻尾が鋭利な槍となり俺の喉元に迫る。それをブラギリオンは人差し指と薬指の間に挟んで止めた。
「達人同士の戦いに無駄な行動はあんまりないでござるよ」
そう言うとブラギリオンは槍状の尻尾を挟んだ指でへし折った。
「さて、シチュー氏はそろそろ撃ってくるころでござるね」
「何をだ?」
「魔王砲でござる」
「おい、それって」
「撃たれればこの城は落ちるでござろうな」
「くそが、おいレイ、止めに行くぞ」
「無茶言わないでくださいよー」
「ちぃ! 俺が行く」
「待つでござる」
「なんだ、猶予はねぇんだろ?」
「拙者ら以外にもこの城にはいるでござるよ」
遠くの方から音が聞こえる、ガシャガシャとした騒音だ。音の元は俺たちに影を落とす、上を見る。巨大な白い化物が首を出している。
「あれは骸骨か?」
「いかにも、あれはホネルトン氏が使役する巨人骸骨でござる。それにあれも」
「ディザスターか」
空中に浮いているのはディザスターだ。他の九大天王たちが働き出した、俺もこうしちゃいられねぇ。
「ギア? どこに行くんですか?」
「仕事に戻るんだよ」
「え! シチュー様ほっといていいんですか!?」
「九大天王が出張ってきたんだ、俺がすることはねぇよ」
「待ちなさいよ! 今はブラギリオン様の近くにいる方が安全よ」
「いつからそんな保守的なやつになったんだてめぇは」
「うるさいわね! 危ないって言ってるのよ! 貴方だけじゃシチュー様と戦えないでしょ?」
「戦えないことはねぇ、このボディだってそれなりには改良を加えてんだ」
「勝てるの?」
「勝てねぇ」
「ならやめときなさいよ」
「ちぃ。ブラギリオン」
「なんでござるか?」
「この場を収めるにはどうすればいい、教えてくれ」
「そうでござるなぁ」
ブラギリオンは手を顎に当てて考えている。そういやブラギリオンが剣を使ってるところを見たことがねぇな。
「なぁおいブラギリオン」
「なんでござるか」
「武器は使わねぇのか?」
「使うでござるよ、忘れたでござるか拙者の二つ名は『魔剣』でござるよ?」
「ブラギリオンが武器を手にしているところを見たことがねぇんだが、それはどういうことだ?」
「使うほどの相手がいなかっただけでござるよ。徒手空拳でも拙者は戦えるでござるからな」
「それはさっきの戦いを見ればわかる」
「戦いだなんて、あんなの互いにじゃれていただけでごさろうに」
「まぁ、だからよ、武器を使ってシチューをぶっ殺せねぇか?」
レイが間に入る。
「それは難しいですよ」
「どうしてだ?」
「ブラギリオン様とシチュー様は旧魔王時代からの古い付き合いなんですから」
「御託を並べやがって」
「ギアに欠如している感情を私が代弁してあげたんですー」
「そりゃすまねぇな、よし先に仕事に戻ってろ」
「あ、はい。ってこの状況でやめてください! 死ねって言ってるようなものですよ!」
どうしろってんだよ、もう魔王に頼むくらいしか思いつかねぇぞ。
「あ! おっきな骸骨がやられました!」
見れば骸骨が粉々に砕かれているところだ。シチューが俺たちのいる庭に着地する。地面が陥没しやがった、あの体で相当な質量を溜め込んでいるみてぇだな。ディザスターとホネルトンも少し遅れて庭に降り立った。
「ブラギリオンか、ちょうど良かった。いまホネルトンと共にシチューを止めようとしていたところだ」
見れば2人とも臨戦態勢だ。シチューは呑気に後ろ足で顔をかいている。まあまあとブラギリオンが手を振る。だがそれを無視してホネルトンが言った。
「これ以上は看過できません。私たちで対処すべきレベルの問題です。そもそもシチューは魔王様に懐いていません。九大天王と呼べるかも怪しいのです。ここでハッキリさせるべきです」
「その通りだ。このまま行けば魔王軍全体の士気にも関わってくる」
「正論でござるな。至極くだらない」
「なんだと。いまなんと言ったブラギリオン」
「ここは魔界でござるよ、正論がまかり通るならここは天国でごさろうに」
「ならばシチューに肩入れすると言うのか?」
「それもないでござるな。拙者は気に入らないのであれば自身の力で排除させればいいと思うだけでござるよ。力こそ全て、それがこの魔界の絶対不変の唯一のルールでござる」
「無駄なようだな。なるば私たちでシチューを撃退、もしくは討伐しようじゃないか」
「それしかないようですね」
ディザスターとホネルトンがシチューに向き直る。シチューも殺気を感じ取ったのか目だけが高速でこちらを向いた。今にも戦いが始まりそうなとき、背後から声がした。
「待つポメ!」
「待つポメ!」
2回も言いやがった。そしてこの安直な語尾は。まさか。
「ポラニアか」
「そう言う君はギアポメね」
そこにいるのは確かにポラニアだ。杖をついているがふてぶてしい分厚い眼鏡は健在だ。
「もう大丈夫なのか?」
「大丈夫ポメ。ちょっと頭がかけておかしくなっただけポメ」
「それならいつも通りじゃねぇか」
「違いないポメ」
俺たちはシチューに向き直る。九大天王が囲む形になってるが脅威は未だ変わらずだ。
「それでこのタイミングで来たってことは、あれをなんとかできるんだろうな」
「もちろんポメ。見てるポメ」
ポラニアは杖をつきながらシチューに近づいていく。
「危ないですよ!」
「止めるんじゃねぇ」
「だって、あまりにも無謀ですよ」
「策なしで行くようなやつじゃねぇ」
俺がレイと話している間にポラニアはシチューの前に立っていた、シチューの表情は相変わらず読めねぇ。
「シチュー様。どうか怒りをお納めくださいポメ。僕と一緒にラボに帰りましょうポメ」
ポラニアは杖を離してその短い腕を広げる。シチューはさも当たり前のように二足歩行になると困惑した顔をしながらもポラニアとハグをする。
「もう大丈夫ですポメ。僕がいますポメ。おいしいご飯もたくさん用意しますポメ。遊びも。生贄も。僕の捧げられるものなら全部ぜーんぶ捧げますポメ」
それを聞いたシチューはキョトンとしていたがポラニアの言葉を聞いた途端、眉間にシワを寄せて目をぐぐぐと歪ませる。口を8の字を横にしたような形に歪ませてから涙をこぼす。
「〜〜〜〜!!」
それは声にならない嗚咽だった。どういう理由かは分からねぇ。だがポラニアが優しく背中を撫でるとシチューは破顔する、顔の穴という穴から体液を垂れ流す。それはさながら工業排水を垂れ流すような光景だった。
「シチュー様は寂しかったんだポメ」
その体には不釣り合いな大きな椅子に座ったポラニアが言った。
ここはラボだ。ポラニアの膝の上にはシチューが丸まって寝ている。
「寂しくてあんなことしやがったのか」
「シチュー様は主と離れてから情緒不安定だポメ。癇癪くらい起こすポメ」
「それでなんでポラニアがいると大人しくなるんだ?」
「ラブパワーだポメ」
「は?」
「愛の力ポメ」
「は?」
「僕たち付き合ってるポメ。というか番だポメ」
「本当ですか!?」
真っ先に反応したのはレイだ。机を叩き腰を上げた、おい、シチューが怖かったんじゃねぇのかよ。
「いつからですか?」
「ラボにシチュー様を迎え入れた時からだポメ」
「最初からじゃねぇか」
「主不在の寂しさに漬け込んだ形にはなったけど、僕も本気でシチュー様を愛しているんだポメ。なりふり構っていられなかったポメ」
「なんで俺に黙ってた」
「特に話すことでもないと思ってたポメ」
「祝儀は?」
「ポメ?」
「いくら包むのが普通なんだ?」
「別に獣同士のことだポメ。祝いは必要ないポメよ」
「そういうもんなのか」
「周りに認知される必要もないポメ。僕らの愛は僕たち二人で完結しているのだからポメ」
「わかった。種族間の話に口は出さねぇ。ただ俺からこれだけは言わせろ」
「なにポメ?」
「結婚おめでとうございます」
「強情なんだポメから。ありがとうポメ、と友人として返させてもらうポメ」
そういうとポラニアは照れくさそうにベロで自身の鼻を舐めた。
「ところでよ、大人しくなったのはいいが、それは一時的なものじゃねぇのか?」
「そうポメ。食料問題はまだ解決していないポメ」
「そもそもそのラーメンとかいうやつ一人に魔王軍の食料事情を任せきりにしていたのが間違いなんだ。挙句の果てにそれを前線投入して失うなんてバカとしか言いようがねぇ」
「ごもっともだポメ。でもそれだけラーメン様は強かったし食糧生産能力も高かったんだポメ。ここの人たちが頼り切るのも納得の話だポメ。ギアも間接的にラーメン様に助けられていたポメ」
「そうだな。俺も疑問に思ったまま無視していた部分がある。(まさか一人でこの城の食料をまかなっていたとは誰も思わねぇだろ)だがな王国につく頃には大半が餓死してましたなんてのはゴメンだ。何かねぇのか?」
「僕、そういうのには関心がないポメからね」
「関心がなくてもポラニアならできるだろ」
「ポメ。でも今は難しいポメ。いまごろ上の人たちは欠けた九大天王の一席をどう埋めるかで話し合っている最中だろうポメし」
最悪の場合、王国に行くのを中止するかもしれないポメとポラニアは呟いた。
「ぶざけんじゃねぇぞ。おいこらシチュー。食ったものを吐き出せ」
シチューはわざとらしく大あくびをしてポラニアの太ももの上で体勢をかえた。
「やめるポメ。もうドックフードはエネルギーに変換されてシチュー様の体内に収まってしまったポメ。現状をどうこうすることはできないポメよ」
「それもそうだな。妻の再犯に気をつけろよ」
「つ……ま……ポ……メ」
ポラニアのいつも出ている舌がさらに出た。
扉が開かれる。現れたのはアリス様のメイドだ。書類の山に寝っ転がっていたメアが反応した。
「あれ、どうしたの?」
「アリス様がメアリー様にお話があるそうです」
「アリス様が! すぐに行くわ!」
「なんだどうした」
「何かあったのよ、行ってくるわ!」
「ギア様にも来てもらいたいと仰っていました」
「様はいらねぇ。ポラニア、レイ、ここは頼んだぞ」
「任せるポメ」
「はい」
「なんでギアまで呼ばれているのよ!」
「知るか、急げ」
メイドに着いていき今回は無限回廊にハマることなくアリス様の部屋にたどり着いた。
「アリス様、ただいま参りました!」
「あら、早いわね」
「おう、アリス様用件はなんだ」
「ギア! 気が早いわよ!」
「メアリーいいのよ。ギア、貴方にはメアの上司として一緒に聞いてもらいたい話があるのよ」
「メアに何かあったのか?」
「そうよ」
「私に、ですか?」
「ええ。簡潔に言うわね。メアリー、九大天王になりなさい」
「え? え? ええ!?」
「おいアリス様。メアが混乱してるぞ」
アリス様は口角を上げている。つまり微笑みってやつか。
「子供を困惑させてその反応を楽しむなんざ。いい趣味じゃねぇか」
「ごめんなさいね。メアリー。ラーメンが死に九大天王が一人減ったのは知っているわね」
「は、はい」
「それでね。新しい九大天王に貴女が選ばれたのよ」
「どうしてそこで私が?」
「確かに戦力だけで見れば貴女はラーメンに劣るわ。でも食料に関しては並び立つ可能性を秘めているのよ」
「食料ですか」
「そうよ。ラーメンの役割は戦闘だけではなかったの。むしろこちらの方がメインといえるわ」
「それが食料、ですか」
「ええ。植物を自在に操ることのできる貴女なら、野菜や果実をそれこそ無限に作り出せる」
「そ、そんな大役……」
「おうメア、悪い話じゃねぇだろ。能力買われて出世のチャンス来てんだ、物怖じして逃すんじゃねぇぞ」
「うるさいわね! そんなこと分かってるわよ! やらさせてくださいアリス様」
「ふふ。じゃあ魔王様にお伝えするわね」
アリス様は部屋を出ていった。
「出世だ、それも幹部クラスだ、良かったな」
「貴方の部下が九大天王になったのよ? 絶者と九大天王は同格ってことらしいけどそれはいいの?」
「あん? そんなことに拘ってなんかいいことあんのか? 口を挟まなかったのは合理的な判断をしたからだ」
「そう、じゃあこれからは対等に戻るわ!」
「何一つ変わらねぇだろ」
それから一日。俺は絶望タワーにある司令室で作業している。ドアがノックされる。
「入れ」
「失礼するわ」
「なんだメアか」
「……」
「終わったのか?」
「ええ……いまさっき正式に九大天王になったわ」
メアはだるそうに椅子に腰掛け、そして机に突っ伏した。
「何してんだよ」
「疲れたのよ、精神的に」
「確かにいつもの鬱陶しさがねぇな」
「うるさい」
「それでここに何しに来たんだ。休憩なら他所でしろ、ここは職場だ」
「硬い事言わないでよ。疲れてるんだから」
尚更しっかり休めと言ってやろうと思ったがやめた。言っても意味がなさそうだ。
「勝手にしろ」
「そうさせてもらうわ」
メアは水筒を取り出す。そして中心が空洞になっている茎を咥えてそれをストローのように水筒にさして吸う。一気飲みだ。飲み終えると消え入りそうな声で呟いた。
「私にできるのかな」
「あん? なにひよってんだよ」
「だって九大天王よ、九、大、天、王!」
「絶者になろうとしてたときはそんなんじゃなかっただろうが」
「私が絶者になりたかったのはアリス様の手助けがしたかったからなのよ。それが親子……主従関係が変わることはないとはいえ、アリス様と同格になってしまうなんて……」
「親孝行の一つだろ」
知らねぇけど。
「でも」
「でもじゃねぇ、アリス様のあの様子を見ただろ。口角を上げて嬉しそうにしてたじゃねぇか、それともなにか? アリス様ってのは子供の成長を喜べねぇやつなのか?」
「違うわ! アリス様はそんな人じゃない!」
「なら頑張れよ、それがメアのモチベーションになるなら、それを糧にして頑張れよ」
「……そうね。ありがと」
「説教くせぇこと言っちまったな」
「ほんとよ! なんで貴方に言われなきゃならないわけ!!」
「んだとコラ」
「まーまーポメ。そのくらいにするポメ」
机の下から出てきたポラニアは後ろ足で顔をかこうとして足が届かないからやめた。間を置いてチャレンジしたがそれも失敗する。
「ポラニアいたの!?」
「ずっといたポメ」
「あー、恥ずかしいことを聞かれたわ」
「メアはもっと自分の弱さを認めて周りを頼るポメ」
「よわ……嫌よ! だってカッコ悪いじゃない!」
「ツッパることもいいポメけど」
まぁ相談出来る相手が一人いるからいいポメね。とメアに聞こえないくらいの声で呟いた。
「なによ!」
「なんでもないポメよ。さ、ギア、小難しい話をしようポメ」
「おう簡潔に頼む」
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
「うるせぇ、音量が戻ったなら出てけ」
「あー! そうですかそうですか! わかりました! 出ていきますよ! お邪魔しましたね!」
メアが部屋から出ていった。入れ違いでレイが入ってくる。
「何かあったんですか?」
「痴話喧嘩ポメ」
「あぁまたですか」
「またとはなんだ。それに痴話でも喧嘩でもなかっただろうが、それでそれはどうなんだ」
いま俺とポラニアは大事な仕事をしていた。ポラニアが鼻を舐めてから改まった感じで言った。
「キラーキラーキラー、通称神殺しは理論上は制作可能ポメ」
「何が足りねぇ?」
「神クラスの素材ポメ。神を超えるには神の力が宿ったものを使うのが手っ取り早いポメ」
「神クラスの素材だァ? 『犬小屋』から採掘した鉱石の中にはねぇのか?」
「神力の宿ったものがそう易々とあるわけないポメ」
「ならどこにある?」
「神力はすなわち神の魔力ポメ。魔力自体が極小サイズの魔法陣の集合体のようになっているポメ。それによって荒唐無稽な魔法をーー」
「やめろ、理解できねぇ」
「ポメ。そうポメね簡潔にいえば神クラスがいたところには神力に触れた物質があるポメよね?」
「ああ」
「その触れていた物が神力を吸って極々稀に神クラスの素材にランクアップしている場合があるポメ」
「なるほどな。それを神殺しのボディに使おうってわけか」
「そうポメ。それさえ手に入れば制作可能となるポメ」
「神のいた場所か。魔王はどうだ?」
「ダメポメ」
「どうしてだ?」
「魔王様は魔力を抑えているポメ。それでもすごい魔力であることに変わりはないんだけど神クラスの素材が生まれるほどじゃないポメ。たぶん魔王様もそれを意識して抑えていると思うポメ」
「なら頼んでちょっとの間だけ魔力を解放してもらったらどうだ?」
「それは現実的じゃないポメ。神力が宿るのに何年かかるか正直なところ分からないポメし。短時間ではまず無理ポメ」
「魔王は使えねぇってわけか」
「言い方が酷いポメよ。一つだけ可能性のある場所を知ってるポメ」
「それを先に言え。どこだ?」
「チョウホウ街だポメ」
「あの戦争地域だった所か」
「今は大きな球体に包まれているポメね。中もみっちりポメ。それの原因は覚えてるポメね?」
「ああ、創造神ビルディーだろ」
「そうポメ。そこまで分かれば話は早いポメ」
「そうか。ビルディーはいま建設期が終わってあの中にいるのか」
「あれから何年も立っているポメ!」
「神力を吸収するには十分ってことか」
「そうポメ。それに魔王城の航空ルートとチョウホウ街の位置が重なっているポメ」
「チャンスだな。さっそく魔王に話してみるか。ポラニアついてこい。レイここは頼んだぞ」
「はい。行ってらっしゃーい」
魔王城玉座の間。ポラニアが神殺しの説明を終える。魔王が頷いた。
「ほう、神力をか。またとんでもないことを考えたものだ。分かった、よいぞ。チョウホウ街の真上にとめてやろう」
「助かる。あとメアはどうだった?」
「メアリーのことか? 会議でのメアリーは凛々しくまさに九大天王の態度としては相応しいものだったが?」
「ならいい。よろしく頼んだ」
玉座の間から出る。改めてポラニアを見る。どこも変わってねぇように見える。
「おい。そういや杖はどうした?」
「え、雰囲気出るかなって思って最初使ってたけど邪魔だからシチュー様の玩具にしたポメ」
「紛らわしいことしやがって」
「心配かけたポメ」
「いい。復帰したんだからな、もう平気なんだよな」
「うんポメ。変わりないポメよ、それで僕のいない間は何してたポメ?」
「どうもこうもねぇな。このボディの改良とかやってみたんだがうまく進まなかったな」
「やっぱり天才が必要ポメね」
「そういうこった、遅れた分を取り返すぞ」
「ギアの兵士たちはどれくらい生き残ってるポメ?」
「300ほどだ。頭脳運動が出来るやつは絶望タワーに籠らせてる。他のやつはこの浮いている城の中じゃ用無しだから鍛えさせまくってる」
「死者は?」
「試合でたまに出るくらいだ」
「そうポメ。平和ポメね」
「ああ」
「もうギアの特殊部隊はどの軍よりも強靭な兵士たちになっているポメ」
「そうじゃねぇと勇者を殺せねぇからな。まだまだ絞る。死んだら他のやつに食わせて力を受け継がせる」
「それは素晴らしいポメ」




