第39話 スターライト1
ギア到着の半年前。チョウホウ街中央。
私は自分の本当の名前を知らない。
両親は私が小さい時に戦争に巻き込まれて死んだ。私の本当の名前を知っている人はその時に全員死んだ。
「ブルー、考え事か?」
「うん。人は思考する生き物」
今の私は髪の色が青いからと。皆からブルーと呼ばれている。私のことをそう呼ぶのは。私と同じ境遇の。私を拾った人たちだ。
「思考する、ね、随分難しい言葉を使うようになったな」
「私ももう7歳だから」
彼らは最悪なこの街で生き残るために。弱い者同士でグループを組んだ。グループ名は『スターライト』。名前の由来はこの街をスポットライトのように照らす星からとった。スラム街でも一番大きなグループだ。
隣にいる彼は防塵ゴーグルを額まであげて苦虫を噛み潰したような顔をする。
「まだ7歳だ」
「でも戦える」
私は即答する。
そう私は戦える。私は魔法が使える。他の人よりもその分強い。大人よりもずっと。体が小さくたってそれは変わらない事実。
「ブルーこの街の常識に囚われるな、井の中の蛙って言葉は知らないのか?」
「知ってる。でもこの街で生き残るならこの街のルールに従うのがマナー」
この男は私を拾った人。スターライトのリーダー。親代わり。名前はゴーグル。いつも大きな防塵ゴーグルをつけているからそう呼ばれている。
「ブルー」
ゴーグルが小さな声で私を呼ぶ。今の状況から私は判断する。『獲物』が来た。
私たちは高いコンクリート製のビルの中にいる。中は建てっぱなしで内装なんてない四角い灰色の空間だ。そこにしゃがんで窓がはめられてない窓枠から手鏡を出す。顔を出さずに外の情報を得るためだ。
ビルの下を魔物が通っている。あれは魔王軍、九大天王の1人、凝縮された星のディザスターが使役する魔物だ。名前は岩石鬼。3メートルほどの巨躯を持ち。岩石で生成されている体は強固。魔法やスキルといった類は一切使えないが。力任せの攻撃はそれだけでも十分脅威だ。
危険度クラスはA、その中でも上位に分類される。
「またビンゴだ、お前の『予言』は百発百中だな」
「違う。5回に1回2回当たる」
ゴーグルは防塵ゴーグルを下げて。事前に準備していた大樽を真下に落とす。
私は急いで口元を布で覆う。あの大樽の中には爆薬が詰め込められている。大樽の落下と同時に爆発が起こる。このクソッタレの街にはおあつらえ向き花火だ。
奇襲成功だ。あの大樽に込められている爆薬だけでも岩石鬼は仕留められる。
私はゴーグルと顔を見合わせる。岩石鬼から取れる素材は優秀な武器を作るのに役立つ。さっそく素材を回収しに向かおう。頭の中に声が響いた。
『その建物から早く出なイエァー』
私はその声を聞くと即座に行動に移す。
「建物から脱出しろ!」
「おお!」
私のいきなりの命令にゴーグルは上官に従う兵士のように素早く従う。私が命令口調になる時。それは『スターライト』のメンバーならば誰もが知っている。
『お告げ』を受けたときだ。
「ブルー! 飛ぶぞ! しっかりつかまってろ!」
ゴーグルは私を小脇に抱えると助走をつけて窓から飛び出す。ビルの8階に陣取っていた私たちは宙を舞う。
とは言ってもそれは一瞬だ。5メートル先のビル。その7階。あらかじめ開けておいた穴に転がり込む。クッション代わりに設置してある古いベッドが衝撃を吸収しきれずに潰れる。だが役目は果たした。次の瞬間、私たちがいたビルが倒壊していく。
「あいつまだ生きてやがる」
下を見れば岩石鬼がいる。爆弾によって右腕は破壊できたが絶命には至ってなかった。私たちがさっきまでいたビルを血眼で殴っている。
「あの剣幕だとここもやばいな、砂煙に乗じて逃げよう」
「まだ。仕留めてない」
「奴の片腕は削いだ。十分な戦果だ」
「殺さないと」
「引き際を弁えろ新人! 奴は俺たち2つの命を使ってまで倒さなきゃならない相手か!? 違うだろ! 百歩譲って俺はいい、替えなんていくらでもきく、ましてやAランクと相打ちなんて万々歳の戦果だ。だがな、お前は違う。お前は俺たちの希望なんだぞ!」
「……ごめん。焦ってた」
「ああ、行くぞ。お前には助けられっぱなしだな」
私が『お告げ』を受けるようになったのは、物心がついた時からだった。
『これを食えYO』『あそこに向っチャイナー』、お告げの声はことある事に助言してくれた。それに従うと必ずいい事があった。食料があったり。仲間と出会ったり。時には。
『いいかいお嬢ちゃん、これは生きるために必要な魔法だから、しっかり覚えるんだYO』
そう言って私に拾わせたのは魔法について記された本だった。著者は王国の占い師だ。なんで占い師が魔法の本を執筆しているか。それに執拗なまでに書かれた送り仮名や。巻末には文字の書き方。さらには計算の方法。地図の見方といった雑多なことまで。まるで私のために作られたような本だった。
この声には本当に感謝している。私みたいな身寄りのない子供が最前線のこの街で生きるのには魔法は必要不可欠なものだった。魔法を覚えた初日に賊に襲われた時は。きっとこの声の主は未来を見ているんだと確信した。声しかわからないこの人を私はいつしか誰よりも信頼するようになった。
「ありがとう、おばぁちゃん」
その声はしゃがれた年老いた女性の声をしている。だから私はお告げの声をおばぁちゃんと呼ぶことにした。
ギア到着の5ヶ月前。チョウホウ街中央。
「来た」
ビルの屋上で私は灰色の毛布を頭まで被り双眼鏡ごしに言った。ビルの隙間から団体を視認する。
「来たな王国軍だ」
隣でゴーグルがそう言うと。後方の床を確認する。そこには円型の魔法陣が描かれている。
「この魔法陣は本当に使えるんだろうな」
「愚問。何度も試した」
「だよな、お告げが外れたことなんて一度もないもんな」
そう言うとゴーグルは身震いする。
「寒い?」
毛布は一枚しかなく。それは私が使ってしまっている。入れと言ってもゴーグルは入ってこない。はみ出しても気にしないのに。
「気にすんな、ブルーの手が凍えて魔法陣が使えませんでした、なんてことになったら死んでったヤツらに顔向けできないからな。それより任務に集中しろ、早く終わらせてアジトで暖を取るぞ」
「わかった」
私は再びビルの隙間を歩く王国軍に視線を戻す。
あれは王国軍の本隊? 今まで見てきたどの王国軍の規模より大きい。
ビルディーが乱雑に建てた建物のせいで王国軍のすべてを視界に収めることはできない。だけどかなりの数が進軍しているのはわかる。
「岩石鬼だ」
ゴーグルの言う通り。王国軍の進む先に1頭の岩石鬼がいる。すでに王国軍に気づき腕を振りかぶって攻撃態勢をとっている。
「少し様子を見るか。お、聖騎士が一人、前に出たな」
1人の聖騎士が隊列の中から跳躍して先頭に現れる。
「あれがあの大軍のリーダーか、どうやら進軍は止めないようだ」
「キラキラしてる」
キラキラと光る鎧をまとった聖騎士が剣を振るう。たったの一振りで岩石鬼の体が粉微塵に吹き飛んだ。
「な、なんだあれは! あの硬い岩石鬼を一撃だと! バケモノか!」
「あれ?」
岩石鬼を倒した聖騎士の姿が消えた。
「お前たちはこの街の自警団か何かか?」
「え?」
私たちが振り返るとさっきまで双眼鏡の先で剣を振るっていた聖騎士がいた。
「くっ」
ゴーグルは私の前に立ちナイフを構える。
「待て、別にお前たちに危害を加えるつもりは無い。ん?」
聖騎士は足元を見る。魔法陣に気づくと目を見開く。
「これは!?」
「今だ!」
私は地につけていた両手から導火線状に巡らせていた魔法陣部分に魔力を送り魔法陣を発動させる。魔法陣は半円状の光のドームを作る。これは中のものを閉じ込める結界魔法だ。聖騎士を捕縛することに成功する。
「……これは確かに魔法陣だな、なぜ王国魔導師でもないお前たちがこんなものを」
「随分余裕」
「余裕だからな、先に名を名乗っておこうか。私はマスター・ド・ロイ。王国聖騎士、その大隊長だ」
『お告げの通り』だ。本当に聖騎士大隊長だ。私たちが黙っているとロイは腕を組み訝しんだ目をする。
「お前たちの名前は? 名乗られたからには名乗るのが礼儀だろう」
「そんな常識は持ち合わせてないな」
「そうか。民間人に手荒な真似はしたくないんだ、これを解いてくれないか?」
「ダメ。まだここにいて」
「何を言っている。何を狙っている。金なら分けてやるし、身の安全が欲しいのであれば私たちが保護してやるが?」
「少し待って」
「話にならんな。この結界を切り裂いて出ていくことなど造作もないんだ。取引なんて最初から成立していないのが分からないのか?」
「だから待って」
「理由を言え、不毛な会話に付き合っているほど、私は暇ではない」
「来る」
「あれは……ッ!!」
聖騎士の軍団に真正面から突っ込んでくる光が一つ。
「ビルディー様か!?」
余裕な表情だったロイがここにきて初めて焦りを顔に出す。
ビルディーが通った後にはとてつもない速度で建物が生成されていく。周囲のビルの何倍もある建物がまるでヒュドラの首のように次々と生えてくる。聖騎士たちが建設に巻き込まれるのも時間の問題だ。
「ええい、結界を破るぞ」
「ダメここにいて! わかるでしょ!」
「わからん! ビルディー様をお沈めせねば、我が大隊が散り散りになる!」
「不可能。今のビルディー様は建設期に入っている。誰もビルディー様を止めることはできない」
私が受けたお告げは、彼を守ること。
私たちがいなければ、仲間を守ることを選んだロイはビルディー様に斬りかかる。仲間は守りきることはできるが、かわりにロイがビルディーに殺される。
それを防ぐのが今回のお告げ。
散り散りになる聖騎士大隊をロイは歯噛みして堪える。本来なら無謀な戦いを挑むところだが、私のような幼い、それも少女に諭されては本来の正しい選択をせざるを得ない。
「礼は言わないぞ」
「礼には及ばない」
私は魔法陣に注いでいた魔力を切る。魔力を絶たれた魔法陣は光を失い、結界が解ける。ロイは数歩歩き、歩みを止める。
「お前たちに聞きたいことは山ほどある、だが今は仲間を助けるのが先だ」
「早く行ってあげて。それだけ救える命が増える」
「礼は言わないが、その顔は忘れない」
そう言うとロイは駆け出して行った。
ギア到着の4ヶ月前。チョウホウ街中央。
『俺の目的はYO! あいつが来るまでの時間稼ぎだYO! 君を生き延びさせることそれすなわち俺の使命セイフォー!』
「ホー! ……あの人って誰?」
『楽しみは取っておけYO』
「その人の名前くらい教えて」
『ダメだYO、まだ早イエヤァー』
「イエヤー。じゃあ。せめて見た目くらい教えてよ。どんな顔か知っておかないとその人が来ても私には分からない」
『時が来ればわかる。わかることが俺にはわかる』
何度目かになる問答をしつつ。私は目を開く。
ここはスターライトのアジト。
このアジトは横にも縦にも広い。ビルディーの通ったあとの。建物同士が重なり合い融合している。複雑な地形を利用している。隠れ住むのには絶好の場所といえる。
このアジトもお告げによって安全な場所が選ばれている。皆。ここにいる時だけは安心した顔で日常を送っている。
でも。過酷な環境なのにはかわりない。ほぼ毎日誰かしらの死体を見る。暴徒と化した王国民の犯罪行為もよく目にする。
この歳で汚いものは全て見たと言える。
私は伸びをしつつ。窓のない部屋から出る。足は食堂へと向かっている。まだ食事の準備は終わっていないだろう。それでもつかの間の平穏を長く楽しみたい私は食堂へ歩を進める。
「お、ブルー、お前も飯を急かしに来たのか?」
食堂につくとゴーグルが配膳台の前を陣取っていた。
「違う」
「ほら急かしたらパンが出てきた、一緒に食おう」
「うん」
食堂当番がパンを2つ出してくれた。
「はいよ、あと数時間でできるってのに、こいつはとんだせっかちさんだな」
「私の分までありがとう」
「さすがに野郎に出して女の子に出さないのはな、みんなには内緒だぞ」
「うん」
トレイを受け取ったゴーグルが声をあげた。
「スープまで頼んでないぞ」
「いつも頑張ってるアンタらに俺からのささやかなプレゼントさ」
「お、珍しく具も入ってるな、いただこうぜブルー」
「うん。ありがとう」
つかの間の休息は唐突に終わる。頭の中に声が響く。
『敵が来るYO』
「そんな! ここは安全なはずじゃ!」
「どうしたブルー」
勢いよく立ち上がった私の顔をゴーグルが覗き見る。お告げは私にしか聞こえない。
「敵が来る」
「そうか、おっしゃ、仲間に知らせなきゃな」
「なんで。なんでゴーグルはそんなに平常心でいられるの? ここは安全な場所だったはずなのに!」
こんなの。取り乱さないはずがない。
「……あー、実はさ、俺たちもお告げってやつが聞こえていたんだ」
「え」
思考の止まった私の頭をゴーグルはぶっきらぼうに撫でる。
「いやブルーと全く同じお告げってわけじゃないんだ。はじめに言われたのなんて『重要なお告げはブルーにだけ伝えるYO』だぜ。そうじゃないとブルーが生き残れないからだとさ、それに俺たちがお告げに頼まれたのはただ1つ」
ゴーグルと食堂当番はニヒルに笑った。
「ブルーのために死んでくれ」
このスターライトは今日死ぬ運命にあった私を生き延びさせるためだけに作られたグループだった。
「ブルーのお告げがなかったら俺たちはもっと早くに死んでいた」
「でも、いま私を置いて逃げれば助かるかもしれない」
「初めはそうしようかと思ったけどさ」
ゴーグルはバツが悪そうに頬をかいた。
「俺たちはお前のことを娘のように思ってんだぜ」
その直後。激しい揺れが起こる。ビルディーの時とは違う。地震でもない。これは敵襲だ。
ゴーグルが戦える戦力を集める。私たちはそれぞれ建物の影から敵の姿を確認する。はるか上空に陣取るは九大天王ディザスター。その周囲を複数の岩石鬼たちが周回している。岩石鬼のあの重い体が、重力を感じさせない動きで宙を舞っている。
「……重力魔法」
ディザスターが最も得意とする魔法。物体を重くしたり軽くしたりする。他にも用途はあるけど。ディザスターはそうやって使う。
「私は魔王軍! 九大天王の一人! 凝縮された星のディザスターだ!」
その声は地表にいる私たちにも届く。
「君たちだな! この戦場をかき回している自警団というのは!」
ディザスターは私たちがどこにいるかまでは分かっていないはずだ。全体を見渡せる位置から話しかけているのがその証拠。
「私は勘が鋭い! 王国軍の連中よりも先に君たちを潰しておくのいい! 私はそう判断した! なぜならば! こんな過酷な環境において! 脆弱な人間どもが集団を保っていられるわけがないのだからな!」
その言葉を受けて私含めてスターライトのメンバーが歯噛みする。
「好き勝手言いやがって、この街で戦争おっぱじめたのは誰だ!」
「魔王軍が来なければこんなことにはならなかったんだ!」
「あの野郎よくもぬけぬけと!」
「家族を返せ!」
「許せねぇ! ぶっ殺してやる!」
怒号が飛び交う。ディザスターはふっと鼻で笑った。
そして一言。
「そこか」
「皆! 逃げて!」
今のは古典的な挑発だ。場所の割れたところから岩石鬼を投入してくる。
落ちてきた岩石鬼は落下のダメージなどお構い無しに戦闘を開始する。
「一思いに蹂躙されてくれよ人類、その方が双方のためだ。抵抗しなければ楽に逝かせてやろう。この街においてそれが一番幸せな死に方だろ?」
人のことを逆なでするようなことを言いつつ。ディザスターは戦況を吟味している。あの意味からならば文字通り手に取るように状況が分かるのだろう。
私の目の前で右腕が欠損した岩石鬼がメンバーに襲いかかる。こいつはこの前のだ。
「氷の槍!」
この魔法は形状を槍のように尖らせた氷の球だ。
一番脆い欠損部を狙った一撃は。岩石鬼を一撃で絶命させた。
そうか……このために右腕を削いでいたんだ。私はお告げの底知れぬ力に畏怖の念を抱きつつも冷静に対処する。
「非戦闘民は速やかに脱出を!」
幸い。私のところに飛ばされてきた岩石鬼はあの隻腕の1頭のみだ。これなら他のところのフォローをしつつ脱出できる。上空から見下ろすディザスターがため息をこぼした。
「さっそくやられたか、やはり隻腕を頭数に入れるのは間違いだったか。とはいえ建設期のビルディー様によって私の岩石鬼軍団も散り散りにされ戦力が足りない状態……、ふむ、ギアたちの目もある、わがままも言ってられないか、私も降りよう」
思い出したように重力が仕事をする。ディザスターは腕を組んだまま直立不動の姿勢で真下に急速落下する。岩石鬼の落下時の衝撃とは比べ物にならない規模の揺れが発生する。
ディザスターが落下した箇所には大きなクレーターができ。爆風で付近にいたスターライトメンバーが吹き飛ばされる。
「大将が来やがった、ブルー、退避しろ!」
「私はまだやれる」
「くっ! おい! メシタキ!」
素早い動きで食堂当番のメシタキが私を抱える。
「は、放して。私が戦わないと!」
「子供は逃げるんだ、後のことは大人たちに任せろ!」
「こんな時に子供扱いしないで!」
大人の腕力には適わない。私はメシタキに連れていかれる。だがそう簡単に魔王軍からは逃げられない。
「誰一人として生かして返す気はないよ」
ディザスターが跳躍して私たちの目の前に現れる。
「くっ、ちくしょう!」
「メシタキ!」
メシタキは私を後ろに放り投げる。そして腰の料理包丁を抜く。
「そんなにその娘が大事なのか?」
「子供を守るのが大人の役目だ」
「敬意を表する」
ディザスターは右手をメシタキに向ける。
「だが死ね、超重力」
目の前にいたメシタキが潰れる。血飛沫すら飛ばなかった。
「メシタキ!」
「次は君の番だ」
ディザスターはメシタキに向けていた手をそのまま私に向ける。
「魔王様のために死ね」