第38話 建設期
吸い込まれそうなほどの深い闇が穴から顔を覗かせている。なんだこりゃ。
「だからまってって言ったじゃない! ここはアリス様の『無限回廊』、固有結界の中なんだから下手に動けば二度と出られなくなるわよ!」
「それは困るな、どうすればいい」
「最初から素直に言うこと聞きなさいよね。いい? 無限回廊の脱出方法は……」
「おい勿体ぶるなよ、脱出方法はなんなんだ」
「助けてって大声で叫ぶのよ!」
「はぁ?」
「えっとつまりアリス様に気づいてもらえるまで叫ぶってことですか?」
「そうよ、私たちじゃこの無限回廊からは出られない。アリス様の家族である私でさえ、一度捕えられればその脱出方法はわからないのよ。だから叫ぶのよ!」
「わかりました、助けてーー!!」
「アリス様ーー!! 助けてーー!!」
こいつらを消耗させるのは愚策だな、俺もやっとくか。
「お前ら黙ってろ、俺が叫んでてやるからよ。助けてーー!!」
「たぶん貴方だけだと無視される可能性が高いわ」
「なにぃ、じゃあ皆で助けを呼ぶぞ」
「はい! 助けてーー!! 助けてーー!!」
「助けてーー!!」
「助けてーー!! アリス様ーー!!」
「わーー!! わーー!!」
3時間後、風呂から上がってきたアリス様が気づいて解除した。
「気づかなくてごめんなさいね。メアはまだ城下町にいると思っていたから」
「いいえアリス様、助けていただきありがとうございます」
「たく、思わぬところで時間を食った。もうブラギリオンの支度も終わっているだろうし、急ぐぞ」
「ギアは本当にせっかちなのね。戦場にはディザスターがいるんだもの、負けることはないわよ」
「勝ち負けなんてどうでもいいんだよ」
「アリス様、ギアは仕事がしたいだけなんです」
レイめ、根はいい奴みたいな庇い方しやがった。
「そうだったわね。九大天王に並ぶものとしてもう少し優雅さをと思ったのだけれど、その勤勉さ、ひたむきさは評価に値するわね」
「なんでもいいが、もう行けるんだな」
「ええ、いつでも出られるように準備は常に済ませているもの」
流石だな、俺も見習わねぇとな。
「私が行くからには優雅な遠征にさせてもらうわよ」
「それは楽しみだ」
様子を見ていたメアが口を開いた。
「あのアリス様……」
「なにかしら」
「私も……その旅について行ったらダメでしょうか?」
「メアリーは外の世界に出たことがないわよね」
「はい、一番遠くで『犬小屋』までです」
「なら見聞を深めましょう。メアリー、私についてきなさい」
「はい! アリス様!」
こうして、任を命じられたその日に俺たちは出立することになった。
魔王城正門前。集合場所には俺とレイがいる、他のメンツももうじき揃うころだ。
「そのチョウホウ街までは徒歩でどれくらい掛かるんだ?」
「えーっとですね」
レイは地図を広げる。
「『犬小屋』までがあれくらいだったから、そうですね。ざっと見積もって1年ってところでしょうか」
「1年だと?」
「地図を見たざっとした推測ですよ、地形も関係してきますし、なにせ魔王城から一番遠い街ですから」
「ふざけんな、往復2年じゃねぇか」
「落ち着いてください、今のは徒歩の場合ですよ」
「ああ、そうだったな」
「馬車なら2ヶ月で行ける距離です」
「そんなに短縮できるのか」
「はい、馬車で使う馬は走ることに特化していますから」
「それでも2ヶ月、往復で4ヶ月か、俺の想定よりもだいぶ遅れるな」
「どのくらいだと思っていたんですか?」
「3日」
「速すぎますよ! 世界は広いんですよ!」
「みたいだな」
元いた世界より広いのかもしれねぇな。
「移動は馬車だよな?」
「どうでしょう、移動手段に関しては九大天王のお二方が用意してくださるみたいですが」
アリス様は優雅な旅と言っていたし、徒歩ってことはないだろう。魔王軍にとっても九大天王を2人もほっつき歩かせるわけがねぇ。
となりゃ馬車だ、往復で4ヶ月、戦地でどのくらい研修するのかもわからねぇから、いつ帰れるかわかったもんじゃねぇな。
「レイ」
「はい」
「俺がいない間任せたぞ」
「はい、任せてください」
「なるべく早く帰る」
「これから戦地に行くっていうのに死ぬ気がないってのもおかしな話ですね」
「場合が場合だからな」
ありえないほどの高待遇だ。勇者戦前に比較的安全に戦地を経験できるのは正直言ってありがたい。ならばだ、やっぱり優秀な奴も連れていくか。
「任せるとは言ったがレイも来るか?」
「思いついたら自分の言葉すら撤回するのはさすがですが、私まで抜けてしまうとスケジュール管理ができなくなってしまうので遠慮しときまーす」
「そうか、他にも何頭か魔物どもを連れていってもいいと考えたが」
「戦地で過労死させるつもりですか?」
「そんなつもりはねぇんだがな」
「大軍になれば移動速度も落ちますよ」
「それもそうだな、やっぱ俺一人か」
「あれれ? もしかして一人が寂しいんですか?」
「ンなわけあるかよ。優秀な人材の育成に熱心なだけだ」
「ですよね、でもダメですよー」
雑談しているとブラギリオンとアリス様、そしてメアがその後ろから現れた。
「待たせたでござる、では参ろうぞ」
「移動手段は何を使うんだ?」
「しからば拙者の愛馬をーー」
ブラギリオンが話し終わる前にアリス様が口を挟んだ。
「いいえ、それくらい私が用意いたしますわ。ブラギリオンの手を煩わせることはありません」
「そうでござるか、ではお言葉に甘えるでござるよ」
アリス様は右手を前にかざす。
「我が名の元に命ず、その実は我を守る盾となれ、その根は我を運ぶ足となれ、その命『無限』の名の元に集え、南瓜の馬車」
地面に魔法陣が出現する、魔法陣の中から巨大な植物が生えてきた。
「これは」
カボチャの馬車だ。
窓から見える景色は次々に変わっていく、とてつもない速度で移動している証拠だ。カボチャ馬車は揺れもなく快適だ。馬車の中で優雅にティータイムを楽しんでいるアリス様が向かいに座る俺に言った。
「気に入ってもらえたかしら?」
「ああ、これなら予定よりも早く着けるな」
「そうね、片道1週間ってところかしら」
通常の馬車より断然速いな。魔法ってのはつくづく便利なもんだ。
「それにしてもこの馬車は広いな」
馬車にしてはかなり広い、席もファーストクラスの部屋って感じで広々している。カボチャの中にいるとは到底思えねぇ、人型をした植物系の魔物が客室乗務員として紳士然とした態度で仕事をしている、家具なんかもしっかりしていてベタついたりはしていねぇ、あくまでガワだけがカボチャってだけで機能性は抜群にいい。
「そうでしょう。調度品も玉座の間に飾ってあるものに比べれば劣るけれど、それでも私の気に入っているものを持ってきたわ」
たしかに、周りには凝った絵や難しい模様の描かれた花瓶なんかが置かれている。威厳を保つには十分な効力を発揮するだろう。バカバカしいが。
ふと俺はアリス様の隣に座っているメアに目を向ける、窓の外を目を輝かせながら見つめている。アリス様はその様子を見て優しく微笑んだ。
「メアリー、外の世界はどうかしら?」
「素敵なところです、見たことのない景色ばかりで、世界が広いことを思い知らされます」
「はん、観光じゃねぇんだぞ」
「なによ、することもないんだから景色を楽しんだっていいじゃない!」
「浮かれやがって何のためにこうしているのかわかってんのか」
「わかってるわよ、子供扱いしないでくれる!」
「なんだやんのかコラ」
「いいわよ! 受けて立つわ!」
「こらこら無駄な争いはやめるでござるよ」
俺の隣に座っているブラギリオンの一言で俺とメアは黙る。アリス様はその様子を肴にワインを傾ける。
「こうして見ると家族みたいね」
「冗談はやめてください、誰がこいつの妻なんかに」
「あら、私とブラギリオンが夫婦で、メアリーとギアがその子供だと思ったのだけれど」
「ーーッ!!」
メアの奴は赤面している、相当頭にきているようだ。そんな空気を壊すようにブラギリオンが大声で笑う。
「ぶふぉ! せ、せせ、拙者とアリス氏が、ふ、ふ、夫婦!?」
「誰も見たことのない貴方の仮面の下を覗けば私も本気になるかもしれないわよ?」
「ぬぬ『心頭滅却』。ふぅ……そんな色仕掛けで拙者が動揺するとでも思ったでござるか?」
「あ、スキルを使ったわね」
魔王城を出立して5日目。
「雪ね」
この5日間。酸の雨、毒の霧、灼熱の大地、生きた雷、チャチネコ(猫型魔物)の群れなど、様々な天候に見舞われてきた。そして今度は雪か、カボチャ馬車は悪天候もなんのその爆走している。
「この世界はどうなってやがる、天候がめちゃくちゃじゃねぇか」
「こういう天候はこの世界でも魔界だけよ。王国の領土は安定しているわ」
それを聞いたブラギリオンが頷いた。
「いかにも、原因は1万年前の神々の戦争にあるでござる」
「なにをしやがったんだ?」
「神々がこの地にて戦い、魔力を掻き回してしまったでござるよ」
「それは初耳ね」
「はっはっは、それはとんだ無知さんですな」
「それは言い過ぎじゃなくて?」
「悪かったでござる。大戦争を体験した者ももう一握りしか残っておらぬゆえ、知らない者がいるのも無理はないでござるね」
「ブラギリオンはいくつなんだよ」
「その戦争より前から存在していたとだけ言っておくでござるよ」
「ブラギリオンは古兵なのよ」
そういや、飄々としてるから忘れがちだが、ブラギリオンは旧魔王に仕えていたんだったな。するとイズクンゾも1万歳以上の後期高齢者なのかもしれねぇのか。
「ともあれ、こんな天気でも南瓜の馬車は走行できるわ」
「この魔法を俺にも教えろ」
「それは無理な相談よ、貴方、とても不器用じゃない」
「たしかにそれは否めねぇ」
不器用ってことはねぇ、普通だ。だが普通じゃ届かねぇ繊細な魔法だったり、特殊な才能がねぇと扱えねぇ魔法があるのは俺だってここで暮らして理解した。固有魔法って代物だ。このカボチャ馬車もそれに該当するってんなら、潔く諦めて代わる手を考えるまでだ。メアが口を挟んだ。
「そうよ、アリス様は天才なのよ!」
「そうだな、天才だ」
メアは自分のことのように胸を張っている、はしゃいでんな。
「む、チョウホウ街が見えてきたでござるな」
「なに、もうか?」
到着予定は1週間のはずだが、これにはアリス様も訝しんだ顔をした。
「……妙ね、まだ着くはずないのに」
ブラギリオンが窓を開けて上半身を馬車の外に出す。
「むー、幻術ではござらんなー、たしかにあれは存在しているでござる」
アリス様はメアが広げた地図を見つめている、そして一言。
「街が拡大している」
チョウホウ街が拡大している。地図が正しければあそこはまだ鋭利な山が連なる山岳地帯のはずだ。
「地図を書き換えないといけないわね」
「その地図も古いでござるからな」
「そういう問題?」
呑気に話しているアリス様とブラギリオンをほっといて俺は近づく街を眺めながら考える、俺が思い出すのは魔王が話していた神の話だ。
「『創造神』ビルディーか」
この神は『建設期』に突入している、だがまさか1人でここまで出来るのか?俺のつぶやきを聞いたブラギリオンがなるほどと頷いた。
「ああビルディー様がいるのでしたな。ならば納得でござる」
「あれを1人でやったって言うのかよ」
「いかにも」
まさしく神業ってやつか。けっ、工場建てんのに四苦八苦してた俺らが馬鹿らしくなってくる。
「神の所業でござるゆえ、あれは自然の理と捉えるしかないでござるよ」
神ってのは災害みたいなもんか。こりゃ戦いも長引くわけだ。近づく街を見て、俺たちはさらに困惑する。
「横に広いのは当たり前だが、縦にもなげぇぞこれ」
そう、連なる建物すべてが、現代の頃に見た高層マンションよりもでけぇ。
「そのうえ入り組んでいるわね」
端から機能性なんて考えてないのか、車が絶対に通れないような道とか(道と呼んでいいのかすら微妙だ)、建物と建物を繋ぐ太いパイプやらがまるで密集した植物のように建てられている。
「おい、この馬車じゃ通れそうもねぇぞ」
「今までの旅を見ていなかったのかしら、障害物なんて南瓜の馬車には無いも同然よ」
馬車が建物に突っ込む、容易く壁を破壊した、激突しても勢いは死なず、速度も落とさずに走り続けている(馬車内部はほとんど揺れていない)。
「ふむ、着いたはいいでござるが、これではディザスター氏を探すこともままならないでござるな」
「そうね、それについては今方法を考えているところよ」
「GPSとかねぇのか」
「じーぴーえす? 何かしらそれは」
「相手の場所が分かる道具とか魔法とかねぇのかよ」
「うーん、魔力探知ならできるけれど、こうも広いとどうかしらね」
「魔力感知でござるか、いい考えでござる。魔力感知は拙者が試みるゆえ、他の方法も考えていてほしいでござる」
「ブラギリオンのほうがそういったのは得意だものね。お願いするわ」
「任されよ」
九大天王同士、なんだかんだ言って信頼関係は厚いようだな。
「じゃあ、魔力感知はブラギリオンに任せるとして、私たちもディザスター、そしてディザスターの指揮する軍を探しましょう」
俺たちは巨大なストーンジャングルと化したチョウホウ街を馬車で破壊しながら突き進む。かれこれ数時間飛ばしているがディザスターの本隊は見つからねぇ。
「上から探そうかしら」
アリス様がそう言うと、馬車は建物の壁を登り始める(足の根っこが壁を突き刺して無理やり登っている)。
数秒で頂上につく、地平線までぎっしりと建物で埋め尽くされている(進む先はさらに超高層ビルが乱立してやがる)。そして印象的なのが一つ星だ、月よりも強い光を放つ星がスポットライトのようにチョウホウ街を照らしている。
「はぁ『無限回廊』に入れられた方たちの気持ちが少し分かってきたわ」
「む」
何かに気づいたのかブラギリオンが顔を上げる。
「いたでござる」
空中に浮いている影が一つ。少しして俺でも見えるくらいの大きさになる、ディザスターだ。
向こうも俺たちに気づいて近づいてくる。
「やぁ、ブラギリオンにアリス、それにギアと……あー」
「メアリーです!」
「メアリーだったね」
挨拶も程々にブラギリオンが本題に入る。
「して戦況は如何なものか?」
「ダメだね。ビルディー様の建設期にぶつかってしまって隊は散り散りだ」
「王国軍はどうなったでござる」
「彼らも私たちと同じさ、両者孤軍奮闘。エンカウントしては即戦闘を繰り返している」
「そうでござるか、これでは撤退もままならないでござるな」
「撤退だって? それだけはしちゃダメだろ。魔王様直々のご命令だからね」
「誠にお堅い殿方でござるな、ディザスター氏は」
「それだけが私のとりえだからね。それで九大天王が2人も援軍に来たってことは、この戦争を終わらせに来たのかな」
「違うでござるよ、拙者とアリス氏はギアの護衛でござる」
「護衛?」
「ネス氏はギア氏に戦場を経験させたいそうでござる」
「なるほど絶者のレベル上げか。分かった、そういうことなら協力しよう」
「何かあるのでござるか」
「うん、私が集め直した兵を総動員して王国軍のいると思わしきポイントを襲撃しようと思っていたんだ、一緒に来るといい」
こんな状態でも戦争活動は続けていたんだな。




