第四十三話 名持ちの名店
名持ちの高級宿屋、五月雨。
由来は梅雨の時期の長雨、ではなく。本来ならダラダラと小刻みに連絡することを謝罪するのに使用する言葉、五月雨式ですみませんという定式文から来ている。
わざわざ悪い意味合いの言葉を用いたのはプレイヤーのいる現実世界とダンストD世界との縁が細々とでも続いていくようにとの願いから来ているのだという。
創業者はまだ初代でプレイヤーに御贔屓にされる形で成功を収めたのだとか。ソルト都市そのものが拡大したのも貴族プレイヤーの功績だから珍しくもないけどな。
現地人の中にはプレイヤーに対してわだかまりを持ってる人間もいるから、無防備になる宿屋とかはウィンウィンの関係を築けた親プレイヤー派閥の現地人が採用されやすいらしい。
ソルト都市の中でも昔から続く老舗の旅館とかは現地人の商人とかが利用して住み分けが出来ているそうだ。。
外観は新築の木造建築で、真新しいが懐かしい日本の温泉旅館を思い起こさせる。建築にもプレイヤーが関わっているのかな。
ハーレム先輩の家とかも昔ながらの日本建築の木造住宅だし有名な建築家でもいるのかもしれない。
基本的にダンストはヨーロッパの中世がモデルだから住宅は石材とかレンガで作られている。その中でも重要拠点がゴーレム素材を利用されていることになるな。
専門の生産職に特殊効果を発生させてもらっているらしいんだが、この木造建築もそうなんだろうか。
あ、もしやこの木材ってダンジョン産か。幻影庭園か影狼森林の木材ならゴーレムほどじゃないが特殊効果を生み出せそうなんだが。
「中島様御一行ですね。ご予約、承っております」
さすが高級宿、ピシッとしたスーツを着た女性がカウンター席に座って応答をしてくれる。完璧にホテルだ。
スーツのデザインとか絶対に現実から輸入してきただろ。ダンストでそんな服、見たことがないぞ。
ちなみに代表は俺の名前が採用されてしまった。言い出しっぺの法則で面倒くさい事務仕事を押し付けられた際にリーダー名を記入する必要があったのだ。
暫定でリーダーを名乗りたい奴を募集しても誰も手を上げなかったしな。押し付けられた形だ。
基本アイテムボックス内に装備なんかの貴重品はしまっているから盗まれる心配もないし初心者の宿のままでも不便に感じなかったんだろうが、視線がな。
明らかに浮き始めていたからな。店売り最高装備を持った奴が20人もいたらリスクを考えて喧嘩を売ってくることはないだろうが、嫌がらせを受けるのは時間の問題だった気がする。
生産班の師匠にパーティ全員分の紹介状を書いてもらうのは迷惑だろうとか後付けだ。
俺はイジメの気配に敏感なんだよ。あの問題が起こる前の全体の空気がちょっと悪くなる感じ。忘れてないぞ。
身に覚えのない噂話とかが本当かのように出回って訂正する前に事実になってるんだよな。クソが。
あー、もう過ぎたことだ。いい加減に思考を切り替えよう。
ホテルの受付に聞いてみたら、やはり宿全体に特殊効果が波及していて内部ではHPとMPの回復が早くなりリラックス効果が期待できるんだとか。
まあ木材の暖かみというか、現代でも森林浴とか言われて心身に良い影響があると信じられているしな。ダンストのダンジョンでそんな精神的余裕は一切ないが。
ハーレム先輩の家で朝練した後にお湯で身体を拭ったりするとサッパリして普通より調子が良かったりしたな、そういや。既に知らないうちに恩恵を受けていたのか。
ストレスの緩和とか大事だな確かに。特に命の危機に頻繁に陥る冒険者とか、強いし街中で暴れられても困るだろうから少しでも解消できるように工夫してるのかもしれない。
高い金を払うだけあって寝泊りに個室を選べた。畳12帖分ってとこか。短期宿泊なら複数人部屋とかでもいいけど、長い期間、住むならやはり自分だけの部屋が欲しい。
何だかんだ言っても自分はインドアなコミュ障気質なんだ。四六時中、他人と一緒にいるのはストレスがたまる。
生活空間がきちんと整えられてダンスト世界にやっと根を下ろせた気がする。服も頑丈さだけを追求した冒険者の服じゃなくて、もう少し良い生地を買うか。
寝転んだ時も大ネズミの粗い毛皮がごわごわとして寝苦しいんだよな。幻覚狐の毛皮とかで作ってもらった毛布はいい感じなのに。
五月雨は宿に備え付けの高級布団とかあるからいっそ裸で寝るか? 羽毛布団みたいだが、これは高速鳥亭の隼とか鷹が原材料かな。
防御力を一切気にしないなら絹とか綿で作られた寝間着くらいは売ってるはず。名持の服屋なら特殊効果を秘めた布の服とかも、もしかしたらあるかもしれない。
財布の紐が緩んだら幾らでも散財してしまいそうだな。目標だった気功特技を習得できて気が緩んでしまった。
次に習得すべき秘伝書は十万ゴールドはするし、効果こそ弱まるけど結界の魔道具を個人用携帯アクセサリーに拵えた外付けHP装置も同じく十万ゴールドする。
これまでの強化に必要だった合計金額より高いのに、今の稼ぎならそれほど間を開けずに買えそうだから驚きだな。先に廉価でステータス強化が出来るレストランの特殊メニューを優先するつもりだけど。
名持の高級レストラン、ハニートースト。
ソルトの都市で甘味のお菓子を提供している一大グループ、ミツバチホームの系列店だ。お菓子は複数の名を持たない系列店で販売しているのでこの店の名前は初めて聞いた。
遠方からお菓子作りに必要な食材を定期的に運搬してるだけあって独自の販売ルートを持ってる食品ギルドの雄。
大商人として成功を収めているミツバチホームの創業者一族は食品ギルド内外での利権争いの為に引退した上級冒険者を複数護衛にしているという。
現代日本の感覚でよくある食品企業だとなめてはいけない。中世のギルド間抗争なんてマフィア組織がバチバチに抗争してるのと変わらないのだ。
下手にゴロツキが名持の店に因縁でもつけようものなら翌日から行方不明になっててもおかしくない。
まあ現代知識を活かして商品開発をしようとか考えないんなら、ただの商店だ。運が悪く流れ弾に当たる可能性は否定できないが、そこまで気にしても仕方ないだろう。
アイテムボックスをパーティ全員が所持しているので引っ越しは簡単に済む。無料で食事をとれる考えると勿体ない気もするが、夕食はハニートーストでいただくとしよう。
「あ、俺も行きたい」
「食べるだけでステータスアップするなら、どうせなら全員で行こうぜ」
受付で紹介状を書いてもらってパーティ全員でハニートーストに向かうことになった。高校生が高級レストランなんて行ったことないだろうしな。一人で行くのは不安か。
既に行ったことのあるメンバーにマナーが必要か聞いてみたが、気にしてなかったらしくわからないとの返答があった。ある意味、強い。
特殊メニューの効果から冒険者も知れば活用するだろうし、そこまで煩くは言われないのかもしれん。でも万が一、追い出されたら今後の探索に支障をきたすから静かにするようにだけは言っておいた。
現代ならともかく一昔前なら村八分で商品を売ってもらえなくなるとか普通にあったからな。買物をするのにも一定の信頼が必要なんだ。
幸いなことに特にトラブルもなくハニートーストでの食事はつつがなく終わった。
初回ということもあって皆、千ゴールドのスライムジュースと大ネズミのステーキ、三千ゴールドの兎のソテーと羊のカルパッチョといった初心者ダンジョンのモンスター食材を中心に頼んでいた。
これでステータスが上がればモンスター肉とは別枠で強化可能だと確定するからな。
ネズミ肉に忌避感があるのか千ゴールドのメニューを頼んだメンバーは少なかったけど。俺も躊躇したがステータスの為には何時かは食わないといけないと挑戦することにした。
ゲテモノは後に残すほど気が重くなるからな。最初に片づけてしまった方がいい。
運ばれてきた大ネズミのステーキは毒抜きはどうしたのか断面が赤いレアのステーキで後悔したが。
口に運んでみるとサッパリした鶏肉のような淡泊な味で意外と悪くなかった。ソースは辛めでピリッとした香辛料がきいていて美味しい。
スライムジュースは味のない炭酸水という感じで後味をすっきりさせてくれる。さすがは一流の名持レストラン。ただのゲテモノ食品じゃなかった。
他のメンバーにも好評で普通に飯を食いに来てもいいかもしれないな。モンスター肉を使ってないメニューならもうちょっと安いし、ミツバチホームの系列店だけあってデザートが充実してるしな。
ステータスを食事後に確認してみるとパーティ全員が1ポイントのステータスアップを果たしていた。説明に偽りもない。
これは冒険者だからとイキって素行が悪いと痛い目を見るな。少なくとも何らかの組織に所属してないとゴロツキは淘汰されるようになっている。
レストランや武器屋、魔道具店以外にも何らかの隠し要素がまだあるかもしれない。秘匿情報を売買するような情報屋なんてわかりやすい存在がいりゃ良かったんだが、それすらいないからな。
完全な手探り状態で行くしかない。
昔から秘匿技能とか一族秘伝とかいって情報を秘匿する動きはあったんだよな。そのまま家が断絶して技術も知識もどんどん喪失していったんだけど。
体系だった学問とするには学ぶ場が必要なんだが、学校なんて知識を広める場を作るのは完全にギルドの利権を侵す行為だからな。戦争になる。
極まった騎士団や傭兵なら既得権益を無視して行動することも出来るだろうが、国家だとデカすぎて逆に身動きが出来ないんだろうな。
しかも今は現実からのプレイヤー来訪で文化侵略が起きてる真っ最中だ。神王トーラスがプレイヤーを容認したから現在の秩序があるが、油断は出来ない。
初心者プレイヤーに過ぎない俺らじゃ国がちょっと風邪を引いただけで簡単に死ぬ。これ以上ないってほど好待遇を受けられるダンストD世界でさえゴロツキに搾取されてかなりのプレイヤーがログアウトしてるんだ。
目立たないように埋没して波風をたたせず静かに力を蓄えないと。何も悪いことをしてなくたって注目されるのはそれだけで害になる。
物語の英雄譚だってよくある話だ。英雄は民衆に殺される。集団心理は時に怪物以上の化物と化す。
暴力がまかり通る時代だからこそペンは剣よりも強いのだ。




