常識がないのと知らないのは大分違う
「ふぅー」
彼女は大きく伸びをしながら長い間椅子に預けていた腰を上げる。
もう朝か。
窓から射し込む光を受けてふとそう感じた。
調合の技術を高めて指導してほしいと頼まれてから二週間以上が過ぎ、薬は完成した。
鑑定もしたが品質は向上しているようで安心した一方で、それよりも疲れの溜まり具合が尋常じゃない。毎日の睡眠時間を削って調合をしていたのでたまには入浴しない日もあった。
人命優先だったので仕方ないが、もう少し国の重臣達には頑張ってほしいものだ。
「ふあー。フィアットさん、おはようございます」
私が台所に向かうとナシアが丁度起きていた。朝に弱い彼女は大抵起きた直後の寝癖が酷い。嗜みとやらは何処へいったのだろうか。
「おはよう。朝食の希望は何かあるか?」
「大丈夫ですか? 今日くらい私が代わりますけど」
「いや、構わない。私がしたいんだ」
心配そうにこちらの顔色を窺う彼女はこういう時には気を利かせてくれる。そう、こういう時には。
「それなら良いですけど……無理しないでくださいね」
「それはもう大丈夫だと思うが、気をつけよう」
会話を終えると朝食の準備に取り掛かる。素早く拵えるとナシアに声をかけてガルノスさん宅へ向かう。薬の譲渡と拙い指導が出来る程度には腕が磨けた事を伝える為だ。
彼女が軽快なノック音を鳴らすとげっそりとした男性が力のない笑みで迎い入れる。相変わらず清潔感の溢れる家内は彼の几帳面さを物語っている。
「それでどうなったか訊いてもいいか?」
彼は今にも倒れそうな体で茶を出してくれた。その顔色は何時になく神妙で先程までの弱々しさはどこかに消えていた。
「ああ。先ず薬だが、一応は完成した。恐らく本職には劣るだろうが――ほら、これだ」
彼女はカップを一度傾けて腰当たりにある肩掛けの魔法鞄の中から新緑の液体が詰まった小瓶を取り出した。
「これは……?」
「私なりに改良を加えた……謂わば我流で作ったものだ。ナシアが飲みにくそうにしていたので液状にした」
彼は瓶を片手で持ち上げて見定めるように底を見上げる。
「効果はどのくらいだか分かるか?」
「初めて作ったものでも風邪が三日で治るくらいだった。今はもう少し速いかもしれないが――」
「!? それは本当か?」
彼は彼女の言葉を聞くなり机越しに身を乗り出すと普段の気だるげな面持ちからは想像できない程の驚愕を見せる。彼がそうなるのも当然の反応である。
長年の経験がある調合師が作ったものでも流行り病を治すには一種間近くの時間が必要なのだ。その結果薬の効果が表れる前に命を落とすものがいるという現実もある。それをたったの三日で完治出来ると言うのはあまりにも都合が良すぎる。
有り得ない。だが、もしもその話が本当ならば世界中で今にも散っている命が救える可能性が浮上したのだ。これは一言で表すならそう、
「革命だ!」
「革命……か」
しかし、彼女がそれを知っているわけもなく、彼の突然の豹変にただ驚くばかりであった。