32歳の万年床の決意
夜、小汚い六畳一間の万年床で、薄目でどこを見ているわけでもない僕の耳に、暗いが、しかし、前向きな歌が聞こえてきた。
きっと誰かがラジオでも聞いているのだろう。
微かに聞こえるその歌の主人公の女は、狂気に立ち向かう勇気がなくて、声も上げられず、家族を犠牲にしてまで、傲慢になる勇気もなく、故郷を離れて夢を追うことも諦めて、夢を追いうる誰かに夢を託して、東京行きの切符を渡して、励ましの言葉を投げる。
そんな歌だ。
音楽には疎い僕だが、この歌をどこかで聞いた覚えがある。
そうだ。4歳の頃だ。母親に聞かされたんだ。
当時の僕には、ただただ、暗くて、おどろおどろしい歌にしか聞こえなかったけど、今になっては、母親がなぜ僕に聞かせたのか、よくわかる。
母は口癖のように「私は、やりたいことをやらずに生きてしまった」とか「私、男に生まれたかったわ」と、口にしていた。そして、この暗い歌を歌っている歌手の歌をよく聞かせてくれた。
きっと、母はこの歌の主人公だったんだ。そして、僕は、東京行きの切符を渡された、夢を追いうる誰かだったんだ。
お母さん。4歳児にそんな人生の機微や、挫折を理解させるのなんて、無理な相談だ。今はようやくわかったけど、もう僕は30過ぎた独身の風采の上がらない男だ。
しかし、今までの人生を振り返ってみると僕の人生はこの夢を追いうる誰かというものに、割と忠実だった気がする。僕の今までの人生は夢を見ることを夢見ながら、夢というものに振り回された三十数年間だったのでは無いか。
僕は、万年床の暗闇の中で、薄々気がついてはいたことだが、直視できなかった仮説に向き合うべく、自分の人生を振り返っていた。