幕間 その20 最後の遊び
「ゴメン、美幸ちゃん、遥ちゃん。…もう、大丈夫だから」
あれから暫くの間、泣いていた莉緒だったが、落ち着いてきたところで待たせて
しまっていた美幸達に対して謝った。
「構わないわよ。そもそも、ここで我慢しないためのものだったんでしょうし」
「え? そうなんですか?」
不思議そうにそう聞き返した美幸に、少し楽しそうな顔をして、遥は答える。
「美幸、想像してみなさい。あの由利子さんよ?
『なぜ、こんなことを書き残したんですか?』って聞いたら、
『だって自分が亡くなった時くらい、いっぱい泣いて欲しいじゃない』って、
そんな風に答えそうな気…しないかしら?」
その遥の言葉にポカンとした表情をした美幸と莉緒は、思わず目を合わせると…
思わず2人揃って笑ってしまった。
その様子が簡単に想像出来てしまったからだ。
「クスクスッ…。確かに、その方が由利子さんらしいですね!」
「あははっ! ゆりりん、欲張りだね~」
そして、最後に遥も加わって、今度は3人共がクスクスと笑い始める…。
…全員が涙ぐんでいることには、お互いに気付かないフリをしながら。
「それでは、次のページ…捲りますね?」
「…うん。次はいよいよ美幸っちの番だね…」
莉緒にそう言われ、少し緊張しながらもページを捲る美幸。しかし―――
「………あれ?」
捲った直後、美幸は少し間抜けな反応をしてしまった。
何故か、見開いた次のページは左右共に白紙だったからだ。
不思議に思いつつ、もう1ページ捲ると…。
今度こそ、『原田美幸様へ』という文字が目に入ってきた。
…だが、間に白紙を挟んでいる理由が気になった美幸は、文面を読む前に1つ前の
白紙のページに戻って、その疑問を口にした。
「? 何故、ここだけ間を空けて書いているんでしょうか?」
「う~ん…。ただ単に、間違えて2枚一緒に捲ったんじゃないかな?」
「それは…どうなんでしょう?」
その莉緒の意見に、いまいち納得できない美幸。
由利子がこんな大事なところで、そんな凡ミスをするだろうか?
由利子は元研究者だ。しかも、その業界ではトップレベルの。
病気の影響で頼りない状態になったこともあったが、それも美幸の試験以降は安定
していたし…。
こんな人生最期の大事な文面を遺す場面で、そんな気の抜けた失敗をするタイプ
には、どうしても思えなかった。
そうして2人が首を捻っている中、遥がスッと机の上から日記を取り上げる。
「…そんなの簡単よ。これはね? こうするためよ―――」
遥はそう言って、リング部分を固定している金具のロックを解除して、自分と
莉緒へのメッセージが書かれたページのみを、日記から取り外した。
「ほらね? これなら、私へのページの裏面が、美幸へのメッセージ…ということ
にはならないから、自分へのページを個別に持っておけるでしょう?」
「ああ! なるほど!」
「あっ! そっか!」
遥のその行動を見て、ほぼ同時に反応する2人。
確かに遥の言う通り、これなら美幸が日記の本体を保管していても、遥達は自分宛
のページを持っていられる…。だからこその白紙の2ページだったのだろう。
「…でも、よく気付けたね? 遥ちん」
「相手が思慮深い由利子さんだもの。
ここに来て意味の無いことをしているはずはないでしょうし…。
それに、きっと何か意味があるなら、それは“私達にとって良いことのはずだ”と…
そう思ったのよ」
その由利子のささやかな気遣いが嬉しかったのだろう…。
遥は取り外した自分宛のページを見つめて、静かに微笑んでいた。
そして…そんな遥を見て、美幸は不意に思う。
先ほどの莉緒宛のメッセージの意図のことといい、遥は現状この3人の中で、一番
由利子に近い思考が出来るのではないだろうか、と。
「それじゃ、今度こそ。いよいよ、美幸っちのページだね?」
「はい。…少しだけ、緊張しますね」
深呼吸をしながらも、美幸はチラリと莉緒の手元を見る。
そこには、先ほど本体から取り外した莉緒宛の日記のページがあった。
…はたして、自分へはどんな内容が書かれているのだろうか。
大きな期待と…少しの不安を胸に、美幸はその文章に目を通し始めた。
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原田美幸様へ
あなたとの出会いは、試験による『高槻美月としての身代わり』…という、少し
特殊な物でしたね。
あなたは自信が無かったらしいけれど、最初は全く気付かないくらいに本人に
なりきっていました。大した度胸と演技力です。自信を持って下さい。
随分と悩んで…それでも、あの試験を引き受けてくれたことは、私にとっては
とても良い結果になりました。その点は、今でもとても感謝しています。
ですが、あなたはもう少し、肩の力を抜いて生きていった方が良いですね。
一人で『アンドロイドの未来』なんて重いものを背負う必要なんてありません。
あなたの生みの親であるあの3人も、きっとそれを望んではいないでしょう。
勘違いが無いように言っておきますが、“期待していない”のではなく、あくまで
“望んでいない”ということですよ?
あの3人が望んだのは、ただ『幸せに生きていって欲しい』ということです。
それは『美幸』という名前を持っているあなた自身、一番理解しているでしょう。
そして、それが解っていても、役に立ちたいという感情のままに、辛いことや
悲しいことに耐えてでも、試験に臨み続けている…といったところでしょうか。
それは、確かに間違ったことではありません。
しかし…それは、ただ“間違っていない”というだけです。
そして、それは“正しい”ということとは、また違うものなのです。
きっと、優しく責任感の強いあなたはこれからも試験が提案されれば、それが
どれほど大変なものであっても、受け入れて、必死に頑張っていくのでしょう。
その素直で真っ直ぐなところは、あなたの最大の魅力であり、もう本質そのもの
と言っても良いほどです。
…ですが、どうか決して、忘れないで下さい。
あなたを取り巻く全ての人達はみんな、『アンドロイド全体の未来』ではなく、
あなたの…『原田美幸の未来』が明るくなることを願っているのだということを。
最後に…突然、孫が出来て驚いたけれど、とっても嬉しかったわ。
いつも支えてくれてありがとう。あなたが家族であることを私は誇りに思います。
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全て読み終えた美幸は、読み始める前と同じように一度、深く深呼吸をする。
「美幸…大丈夫?」
莉緒のように泣いてしまうのではないかと思い、遥がそう声を掛ける。
…しかし、当の美幸は遥のその予想に反して、すっきりとした顔をしていた。
「はい、大丈夫です。確かに、悲しくはありますけれど…。
それ以上に、由利子さんの言葉は、私にとってとても嬉しいものでしたから」
美幸の心残りとは、最期にきちんと話が出来なかったことだった。
それが、こういった形とはいえ、由利子から自分へと言葉を送ってくれたことで、
少し解消されたような…そんな心持ちになれていた。
「由利子さんは本当に凄い人ですね…。まるで、未来が見えていたようです…」
「そうね…。でも、きっとある程度は分かっていたんじゃないかしら?」
おそらく由利子は、自分が友人達3人に好かれているということに自信があった
のだろう。
だからこそ、その悲しみが少しでも紛れるようにと、こういった形でメッセージ
を遺したに違いない。
自意識過剰でもなく、自らを過小評価するわけでもない…。
そこには確かに、美幸達には無い大人の余裕と…親友達に対する信頼が見えた。
「私、将来はゆりりんみたいなお婆ちゃんになりたいなぁ…」
「そうね…。自分がそうなるには、難しいのかもしれないけれど…。
少なくとも、理想にするには充分過ぎる価値がある人だったわね…」
「はい。私も、本当にそう思います」
何気なく呟いた莉緒の言葉に、美幸と遥の2人が同意する。
身近な“憧れ”が美月なら、由利子は将来の“目標”といったところだろう。
「…あれ? まだ何かあるみたいですよ?」
美幸がふと日記に視線を落としたところで、その違和感に気が付いた。
…美幸宛てのページの後、まだ1枚だけ、ページが残っているようなのだ。
恐る恐るもう一度ページを捲ると、そこには『私の素敵なお友達へ』の文字が
書かれており、それが正真正銘、一番最後のページになっていた。
「これは……どうやら、私達全員へ宛てたもののようですね…」
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私の素敵なお友達へ
はぁ…疲れた。真面目に文章を書こうとすると、肩が凝って仕方ないわ。
慣れないことはするものではないわね。私にはやっぱりこっちの方が楽だわ。
さて、このページを読んでるってことは、一人ずつに宛てた手紙には目を通して
もらえたかしら?
老婆心ながら、私なりに気になっていたことを書かせてもらったわ。
…とはいっても、あなた達は元々しっかりしてるから、大丈夫だとは思うけれど。
ところで、話は変わるけれど…私の一番大事な宝物があるのだけれどね?
…突然だけれど、あなた達にはそれを巡って、競い合って欲しいの。
勝敗は簡単。一番長く生きた人が優勝よ。宝物を自由にする権利をあげるわ。
そして、その条件はたった一つだけ。『幸せな人生であること』よ。
まぁ、理由は私がなるべく沢山の楽しい思い出話が聞きたいからなのだけれど。
これが私とあなた達との最後の“遊び”よ? どう? 気に入ってくれたかしら?
すぐに終わるのもつまらないし、私はこっちでのんびり待っているから、みんな
なるべくゆっくりこっちにいらっしゃい。
それから、その宝物は私の部屋の机の鍵付きの引き出しに仕舞ってあるわ。
鍵は美幸ちゃんに貰った折鶴の下に隠しているから、後で確認しておいて頂戴ね?
みんな本当にありがとう。こんなお婆ちゃんを友達にしてくれて。
私にとってあなた達は、大げさでもなんでもなく、人生の最後に出会えた『奇跡』
そのものよ。
色々あったけれど、私にはもったいないくらい幸せな人生だったわ。
きっと…あなた達のことだから、私が居なくなったらいっぱい悲しんでくれるの
でしょうけれど……大丈夫よ。私は自分の人生に、もう十分に満足しているから。
美幸ちゃん、いつも真っ直ぐな想いをありがとう。
遥ちゃん、いつも優しい気遣いをありがとう。
莉緒ちゃん、いつも楽しい日々をありがとう。
何度も何度も、もうしつこいくらいに書いてしまっているけれど…。
…それでも、やっぱりあなた達には“ありがとう”って言葉しか出てこないわ。
私の大切で大好きな親友達……みんな、本当に―――『ありがとうね』
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文章を読み終えた3人は、すぐにその引き出しの中身を確認してみた。
すると…そこには、真ん中にぽつんと1つ…その宝物らしき物が置いてあった。
わざわざ用意したのか…小さなガラスケースの中に、丁重に収められている。
「あはは…ゆりりん。これが『一番の宝物』なのかぁ…」
「クスッ…。これは、絶対に負けられませんね?」
「ええ、そうね…。私も、頑張って長生きしてみせるわ…」
そう言って3人が見つめる先…小さなガラスケースの中には―――
『3つ連なった銀色の沈丁花の花』が、夕日を反射してキラキラと輝いていた。




