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幕間 その15 由利子の不調

 その知らせが美幸の元にもたらされたのは、8月の半ば…夏休み中ということで

ちょうど遥達と買い物に出かけていた時のことだった。


 その日は美月が休みで佳祥の面倒を見られるらしく、せっかくの機会だから…と

遥と莉緒の3人で出かけようという話になっていた。


 無事にMIシリーズが発表され、美幸の情報規制レベルが引き下げられたため、

最近ではこうして事前に研究所に申請すれば、気軽に出かけることも出来るように

なっていたのだ。


 そんな楽しいお出かけの最中に、佳祥の傍に居るはずの美月から、突然、電話が

掛かってきた。


 美幸は『何か買って来て欲しい物でも出来たのだろうか』と、気軽にその電話に

出たのだが―――電話口の美月の声は、酷く緊張したものだった。


「…美幸ちゃん。落ち着いて、冷静に聞いてくださいね?

…先ほど、由利子おばさんが…自宅で倒れました」


「……え? …由利子さん…が…?」


 電話の向こうで美月が病院の名前と病室番号、それに美月が付き添いとして病院

まで付いて来た旨を伝えてくる…。


「…美幸? どうかしたの?」


 電話に出た途端に急に深刻な顔をした美幸を心配した遥が、顔を覗きこみながら

尋ねてくる。


…そして、美月との会話を終えた美幸は、うろたえた様子で何とか遥に答えた。


「あの…その……由利子さんが…」


「…美幸。一旦、答えるのは良いから…ずは落ち着きなさい」


「…あ……はい」


 遥に指摘されて、自分が冷静では無いことを改めて自覚した美幸は、一度、

深呼吸をしてから『ありがとうございます』と遥に返した。


 その後、美幸は莉緒にも目配せをして、聞いてもらえるように無言で促す。


「先ほど、由利子さんが自宅で倒れられたそうで…

その…病院へ運ばれた、とのことです」


「えっ? 由利子さんが!? 大丈夫なの!?」


 驚きと共に美幸以上に焦った様子を見せる莉緒に対して、美幸は渋い顔をする。


「まだ分かりません。とりあえず、今の電話では『倒れた』とだけしか…」


 そう答える美幸に、今度は遥が落ち着いた口調で尋ねてくる。


「それで…病院は何処なの? 聞いたのでしょう?」


「それは、ええっと…」


 ついさっき美月に説明されたはずなのだが、すぐに思い出せなかった美幸は、

すぐに先ほどの会話内容を記憶メモリー内の情報から引きずり出す。


「…はい、大丈夫です。この辺りでは一番大きい病院みたいです。

ここからなら…車で向かって15分程度、といったところですね」


「…そう。それなら、今からすぐに向かいましょう」


 そう言ったかと思うと、すぐにタクシーを手配する遥。

そのあまりの手際の良さに美幸達が驚いていると、遥は2人に言った。


「由利子さんはご病気だったから…こういう可能性も一応は考えていたのよ。

全員が驚いて身動きが取れないのは…やっぱり困るでしょう?」


 遥は他の2人の性格を考えて、いざという時に自分が動けるようにと、心構えを

していたらしい…。


 美幸はそんな遥に頼もしさを感じることで、少し安心すると同時に、やっと心の

余裕が出てきた。


 そうだ。今日、家を出る前に見た様子では、今すぐにどう・・というほどの体調では

なかったはずだ。

…まずは病院へ行ってみなければ、現状では何も分からない。


「ありがとうございます、遥。少しだけ落ち着いてきました。

…それでは、由利子さんのところへ急ぎましょう」


 美幸はそう遥にお礼を言った後、手配したタクシーが見つけやすいようにと、

とりあえずは大通り沿いに3人で移動することにしたのだった…。



 そして、そんなやり取りを経て駆けつけた病室で、美幸達は―――


「あら、いらっしゃい。皆、随分と早かったのね?」


という、至極あっさりとした由利子の言葉に張り詰めた緊張を解くことになる。


「うわ~ん! ゆりりん、大丈夫? 私、すっごく心配したんだよ!?」


 想像以上に平気そうなその姿に、莉緒は半泣きで走り寄って、その手を握る。


「あらあら、ごめんなさいね。

ちょっと貧血を起こして、ふらついただけだから、大丈夫よ。

…みんな大げさよね?」


「おばさん…そう言わないで下さいよ…。

目の前で気を失われれば、それは誰だって焦ります」


 クスクスと笑う由利子に、美月はそう言ってきまりが悪そうな表情を浮かべる。


 しかし、結果的に軽い貧血だったとはいえ、重病人が倒れたのだ。

美月の対応自体は、特に間違っていたというわけではないだろう。


「ふふっ…美月ちゃんを責めるつもりはないけれど、私はまだまだ元気よ?」


 笑顔を浮かべながら美月にそう答える由利子に、今度は遥がホッとした様子で

話しかける。


「…でも、由利子さんがご無事で本当に良かったです」


「ええ、ありがとう。

少しクラッとしたらここに居たから、私の方が驚いたくらいなのよ?」


 由利子の、その想像以上に元気そうな様子を確認すると、遥は後ろでぼうっと

立っていた美幸を振り返った。


「…そういうことらしいから、もう心配は要らないみたいよ? 美幸」


「え、あ……はい…」


 その言葉を切欠に、張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろう。

なんとか遥にそう返すと、美幸はストンとその場に座り込んでしまった。


 そんな美幸を心配して、傍に駆け寄って来た美月が申し訳なさそうにする。


「ごめんなさい、美幸ちゃん。

私も、もう少し状況が落ち着いてから連絡すれば良かったですね。

おばさんはあの電話を切った、そのすぐ後に目を覚ましたんです」


 美月は病室の床に座り込んでしまった美幸の手をとって、立ち上がらせながら

『大丈夫ですか?』と優しく気遣った。


 そんな中、軽いノックの後に廊下から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「美咲です。…おばさん、入っても良いですか?」


「ええ、大丈夫よ。別に入って来ても構わないわ。

あ…でも、扉の傍に美月ちゃん達が居るから、ゆっくり開けて頂戴ね?」


「はい、わかりました。…では、失礼します」


 由利子に言われた通り、ゆっくりと扉を開けて、美咲が病室に入ってくる。

…すると、美月と共に居た美幸を見て、少しだけ驚いた顔をした。


「あれっ? 美幸達…もう来てたんだ? 早いね」


「あ、はい…。美咲さんは先にいらっしゃってたんですね?」


「あー…うん。ちょっとおじさんがすぐには出られない状態だったんでね…。

私がその代わりに来たっていうのもあるんだけれど…」


 美咲が言うには、タイミングが悪いことに洋一は外部との会議の最中だった

ため、どうしても抜けられなかったらしい。


 更に、研究室には美咲の代わりに真知子が臨時で詰めてくれていて、佳祥の

傍には隆幸がついている旨を美幸に併せて説明する。


「ごめんなさいね、美咲ちゃん。あなたも忙しいのに…」


「いいえ。おばさんは気にしないで下さい」


「それで、お医者様は何て? どれくらいで家に帰れるのかしら?」


「それなんですが、今回は特に病状が急変した…とかではないらしいです。

…ただ、倒れ方によっては危険な状態になる可能性もあるだろうということで、

病院としては、出来れば暫くはこのまま入院していて欲しいらしくて…」


「あら、そう…。それは困ったわねぇ…」 


 口ではそう言っているものの、さほど困った様子ではない由利子。

…恐らく、ある程度は本人もその返答の予想は出来ていたのだろう。


 そして、由利子はそのまま今度は美幸に視線を向けて、話しかけてくる。


「美幸ちゃん。申し訳ないんだけれど、そういうことみたいだから…

あの日記帳、ここまで持って来てくれるかしら?」


 最近では美幸がずっと夏目家に居ることもあって、由利子のあの赤い日記帳は、

再び持ち主の下に戻っていた。


 由利子の話では、突然倒れてそのまま担ぎ込まれたため、自室に置き忘れている

状態らしい。


「あ、はい。わかりました。

では、この後、一旦家に戻ってから、すぐにお持ちしますね?」


「ふふ…ありがとう。あと…お願いしてばかりで、悪いんだけれど…

これから毎日、書斎から適当に見繕って一冊ずつ本を持って来てくれるかしら?

…入院となると、やっぱり退屈だし…美幸ちゃんにも会いたいから。

…それも、お願い出来るかしら?」


「ええっと…私としては構いませんが…」


 今の美幸は、“佳祥の世話をする試験”という名目で、夏目家で暮らしている。

だが、病院まで毎朝お見舞いに来るとなると、その間の佳祥の面倒を見られる人物

が他に必要となってくるだろう。


 その問題をどうすべきか…と、考え始めた美幸は、すぐ傍の美月と目が合った。


「クスッ…それでしたら、おばさん。

私も美幸ちゃんと一緒に、佳祥を連れてお見舞いに来てもよろしいですか?

それなら、美幸ちゃんも毎朝ここに来られるようになると思いますので…」


「あら! それは嬉しい誤算だわ。是非、そうして頂戴」


 美月の提案に、より一層表情を明るくして喜ぶ由利子。 


「私が休みの日は、そのまま美幸ちゃんとここに居れば良いだけですし…。

出勤日なら、そのまま研究所へ佳祥を連れて行くことにします」


 そう言って由利子に微笑みかける美月の横で、今度は美咲と莉緒が声を上げる。


「やった! これで佳祥君の方から研究室へ来てくれるじゃん!」


「じゃあ私も! 私も美幸っちと一緒に毎朝ここに来る!」


 最近の莉緒は夏目家に来る度に佳祥の顔を見るのが楽しみの一つになっていた。


 楽しそうな空気が伝わるのか…莉緒が顔を出すと、佳祥はよく笑うのだ。

そして、それが本人には嬉しくて仕方がないらしい…。


 美咲にしても、忙しくてなかなか会いに行けない佳祥の方から自分の居る場所に

来てくれるのなら、願ったり叶ったりだった。


…しかし、ここで騒ぎ過ぎた2人に、美月から強めの注意が入る。


「しーっ! 姉さんも莉緒ちゃんも『病院ではお静かに!』ですよ?」


『ごめんなさい』


 美月に注意されて、揃って急に『しゅん…』としてしまう2人。

そして、そんな2人を見て、由利子が()()しそうに笑った。


「ふふふっ…。入院するとなると、凄く退屈そうだと思ったけれど…

これは楽しくなりそうで良かったわ」


 いつものように楽しそうに笑う由利子を見て、到着してからずっと深刻そうな

雰囲気だった美幸も、ここでやっと安心したような笑顔を浮かべられる。


「…そうですね。これは、引き続きあの日記が役に立ちそうです!」


「ええ。だから、美幸ちゃんも忘れずに持ってきてね?」


「はい!」


 こうして美幸と莉緒、美月の3人に加えて、(主に莉緒のストッパーとして)遥も

毎朝、病院までお見舞いに来ることに決まった。


 場所は変わったが、これからも由利子との楽しい日々がずっと続いていく…。

…少なくともこの時の美幸はそう思っていた。




 しかし…容体が急変した由利子が亡くなったのは―――


 ―――この日から、約3ヵ月後のことだった。


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