閑話 その6 美咲の真意
「内容はズバリ、子育ての補助役…つまり、保母体験です!」
「ん? それは……前置きのわりには、案外…普通の提案だね?」
美咲から(主に自分にとって)危険な提案をされることを心配していた洋一は、
その内容のあまりの普通さに、拍子抜けした。
「状況的に考えて、美幸ちゃんが佳祥君の面倒を見る…ということなのだろう?
うむ。それなら、私も喜んで協力するよ。場所は私の家で問題ないかね?」
「ええ。勿論、そのつもりです」
「ははは…。なんだ…それなら尚更、賛成だよ。
こんな試験内容なら、回りくどい言い方をしなくたって構わなかったじゃないか」
…この時、ホッとした洋一が、美咲の後ろから美月が哀れんだ瞳で自分を見ていた
ことに気付けなかったのは、ある意味では幸せだった。
「そうかそうか。それで、実施期間はどれくらいにするのかね?
今は多少は余裕も出てきたことだし、少しくらい長めでも問題ないからね?」
「それは良かったです。実は私もそう思っていまして…」
「うむ、そうだな…。
これまでの試験期間は大体は2ヶ月から3ヶ月の実施が多かったことだし…
今回は思い切って、倍の6ヶ月くらいにしておくかね?」
「いいえ。私は思い切って、18年くらいにしようと思っています」
「うむうむ、なるほどな…。18ね……んんっ!?」
つい先ほどまで自宅で美幸と佳祥、2人の孫と一緒に過ごせる良い口実が出来た
と口元がニヤけるのを堪えている様子だった洋一は、提示された期間を聞かされ、
その意味を理解した瞬間……目を見開いて驚く羽目になった。
「ありがとうございます、所長。今回は喜んでご協力頂ける、とのことですし…
上の説得は、全面的にお任せしますね?」
「なっ……いや、あの……美咲…ちゃん?」
「いやー、そこだけが気がかりだったんですよ。
流石にここまでの長期間となると、国の許可を得るのも私の力だけでは難しくて…
本当、所長には心から感謝します」
「ぬ……くっ……ぐぅ…」
先ほどまでの上機嫌が一転…難題を突きつけられた洋一は、彫り込まれたように
深く眉間に皺を寄せたまま、表情を固まらせることになったのだった…。
「…どうぞ」
「うむ。ありがとう、美月ちゃん」
『とりあえずは一息つこう』ということになった洋一の前に、美月は熱い日本茶の
入った湯飲みをそっと置いた。
まだまだ5月も始まったばかりで暑い気候ではないということもあるが、どちら
かというと気を落ち着かせるために、敢えて熱いお茶を飲むことにしたのだ…。
「ふぅ…。さて、原田君。
ここからは、少し真面目に話させてもらっても良いかね?」
「…ええ。ですが、私は初めから至って本気ですよ?」
「…それは十分にわかっているよ。
18年…ということは、佳祥君が高校を卒業するまでということになるが…
これは間違いないかね?」
「はい。そうなりますね」
「うむ。私も一度は協力すると宣言した以上、協力しようとは思う。
だが、だからこそ尋ねさせてもらうけれどね。
…目的は何だね? ああ…建前じゃなくて、本音で頼むよ?」
建前を言うなら『超長期間の試験にすることにより…』といったような言い回し
などを使って適当な目的をでっち上げれば、誤魔化すことは出来るだろう。
…だが、洋一は美咲の隠された真の目的を知りたかったのだ。
案件が、他ならぬ美幸に深くかかわることなのだ。
あの美咲が、いい加減な理由でこんな提案をしてくると思えなかった。
洋一の『本音で』という言葉を聞いた美咲は、少し俯き気味に視線を落とすと、
何時になく真剣な表情で話し始める。
「私は、ですね…所長。美幸に一休みさせてあげたいんじゃないんです。
可能なら…この先、ずっと休ませてあげたいんですよ…」
「…『ずっと』…かね?」
「…ええ。…私だって、美幸が“どういう存在か”は、理解しているつもりです。
製品化が実現したとはいえ、開発にかかった期間と予算を考えれば、一応の目的が
達成できたからといって、これからは晴れて自由の身…とは簡単にいかないという
ことくらいは…ね。
…ですが、所長? 考えてみて下さいよ…。
必要なことだったとはいえ、美幸は起動してから―――
生まれてからずっと…試験の度に悲しみや痛みを積み重ねてきたんですよ?」
今となっては、女子校への短期留学と由利子の世話の試験に関しては、最終的に
丸く収まったことで『良い結果に終わった』という評価になっている。
…だが、冷静に考えてみれば、それはあくまで『結果的に』というだけの話だ。
毎回、試験の度に美幸が悩み苦しみ、辛い思いを経験していたのは間違いなく
事実だった…。
「先ほども言いましたが…私も解ってはいますよ?
美幸にとっては、それが仕事なわけですし、必要なことだったということは。
ですが…毎回毎回、それがどんな試験内容だったとしても文句の一つも言わずに、
『それがアンドロイドの未来に繋がるなら』っていうことだけで…。
…責任感の強いあの子は、それだけの理由で頑張ってきたんです」
美幸は、普段のほわほわとした雰囲気の裏に、強い使命感を持っている。
そして、一見するとすぐに周囲に流されそうな性格に見えがちだが、実はとても
強い芯を持っているのだ。
「最近、製品化された『MIシリーズ』。あれは事前に調整してますからね…。
こちらの指示に従うのは当然です。そういうプログラムですから。
…ですが、美幸に関しては思考に一切の制限をかけていません。
つまり…美幸が私達に従ってくれているのは、ただ単にあの子が“良い子”だから…
ただそれだけ、なんです」
通常のアンドロイドとは違い、美幸にはマスターの権限を行使できるような存在
は初めから設定されていない。
しかも、“あらゆる思考を自由に出来るように”と、製品化を考えるならば本来は
必要なレベルの禁止事項でさえ、設定されていないのだ。
だからこそ、極端に言えば、美咲達に反抗することも、試験に不満を覚えて放棄
することも、美幸には可能だったはずなのだ。
「…それは、そんな展開にならないようにするために、美月と高槻君を基本構造に
組み込んだのは確かですよ?
けれど、そのせいで…あの子は、この先もこのままその責任感から抜け出せずに…
ずっと『アンドロイドの未来』というもののために、自分を犠牲にし続けることに
なりかねません」
『未来』と言えば、耳障りも良く、素晴らしいもののように感じられる。
しかし、少し考えてみれば、すぐに分かることだが―――
『未来』とは、つまり『未だ見ぬ先のこと』…その“全て”を指す言葉なのだ。
…ならば、その『未来』というものに、明確な“終わり”など永遠にやって来ない。
そうなれば、美幸は『ゴールの無い道程を機能が停止するまで歩み続けることを
強いられる』ということになってしまう。
それが…そんなものが、素晴らしいわけがないだろう。
「今が絶好のチャンスなんです。…今、国は新型のPRに必死です。
このタイミングなら、美幸を“もうある程度用済みだな”と、上の連中も勘違い
してくれるはずです」
「……勘違い、か…」
美咲の口から出たその言葉に、洋一が思案するような顔で相槌を打った。
「ええ、そうです。『MIシリーズ』。完成品を見て確信しました。
美幸は…あの子は、あまりにも完璧過ぎます。
製品版の量産機…彼らは人間的な所作の自然さや、心情というものを確かに持って
生まれてきてくれました。
これは我々にとっての念願でしたからね。そのこと自体は喜ばしいことです。
…ですが、美幸と比べてみた時…やはり、何かが足りないんです。
恐らくは、私達が施した調整によって出来た制限の影響なのだと思いますが…。
…その重要な“何か”に国が気付いた時。
美幸の価値は、今以上に大きなものとなるでしょう…。
だから、その時までに私は美幸を研究から出来る限り遠ざけておきたい。
…ですから、私の“本音”…『目的は?』と問われれば…それは1つです」
「それは……何かね?」
もうここまで聞けば、洋一にもその目的の大体は分かっていたが…。
敢えて、美咲に尋ねることで自分から言わせることにした。
…これは洋一が察するのではなく、美咲が自ら口にすべきだと思ったからだ。
そして、その言葉を聞いた美咲は、視線をスッと上げると、洋一としっかり視線
を合わせてから…言った。
「私は、研究所が所有する新型アンドロイドの試験機である美幸を…
『研究対象』から、正式に『自分の本当の家族』にしたいと思っているんです」




