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第9話 膨らむ期待

 それから約3ヶ月の間、美幸は研究所で出張お茶汲み係として、あちこちの部署

に貸し出されることになった。


 起動して間もないということもあって、少し素直過ぎるところがある美幸を世間

慣れさせるのが主目的だったのだが、その明るく優しい性格に、美月譲りの端正な

容姿も手伝って、すぐに各研究室から引っ張りだこになっていた。


 開始した当初は、こちらから行き先を決めてお願いしていたのだが、僅か3日後

には噂を聞きつけて自ら希望する部署が現れ始めて、一週間が経つ頃にはあまりの

希望者の数に美咲が辟易へきえきとするほどだった。


 引っ切り無しに訪れる希望者に、ついに『貴様ら散れ! 仕事はどうした!』と

美咲がブチキレたため、急遽、原田AI研究分室の前に専用の箱が設置される流れ

になった。


 システムとしては、貸し出しを希望する部署はその箱に“~研究室 希望します”

と書いた紙を週に一度、一枚だけ投函してもらう。


 そして、毎朝くじ引きの要領でその箱から無造作に一枚引いて、その部署に過去

一週間以内に貸し出されていないのが確認されれば決定……といったものだ。


 このやけにややこしいシステムを採用した理由は『希望者は研究室名を紙にでも

書いてこの箱に入れといて』と適当に美咲が言った、その翌日。


 各個人が片っ端から投函したことによって、箱から紙が溢れかえって大変な事態

になり、一旦、全て破棄する……というアホな状況になってしまったからだ。


 だが……そんな、美幸にとっては忙しく、美咲にとっては面倒極まりない日々も

一旦は今日で一段落となる。



――明日からは、ついに美幸の短期留学が始まるからだ。



 期間は夏休み前の6、7月の2ヶ月間で、私立の女子校に一年生として編入する

ことに決まった。


 これは、美幸の外見がちょうどそれぐらいであることと、一年生なら、入学して

まだ間もないこともあって、比較的美幸も馴染み易いだろう……という判断から、

そう決定された。


「この“私立高校”というのはウチとも繋がりがあって手配しやすかった、ということ

で、まだ解るんですが……。

何故、“女子校”じゃないと駄目だったんです?」


 隆幸は美幸が不在の今のタイミングに、以前から少しだけ気になっていた件を、

上司である美咲に不思議そうに尋ねた。


 近年の高校は教師不足という事情もあり、その地域の研究所と契約して、事務の

仕事をアンドロイドに任せているところもあった。


 特に私立は予算が潤沢な学校も少なくないため、アンドロイドの利用率も高く、

今回の学園も以前からアンドロイドが2体、事務作業をさせる目的で在籍している

ところだ。


…しかし、今回の編入先を決める際、美咲が頑なに女子校にこだわったため、決定

までに若干手間取った経緯があったのだ。


「あー……理由なら簡単さ。

共学なら、当然だけど男子生徒も居るだろう?

短期間とはいえ美幸に煩わしい思いをなるべくさせたくなかったんだよ、私は」


 いつもの甘い紅茶を飲みながら、面倒臭そうに美咲はそう隆幸に答えた。


「煩わしい……ですか?

それは美幸は美月そっくりで特別綺麗ですし、男子生徒には人気になるんでしょう

けれど……。

でも、今回はリスク回避のために、えて美幸の素性は周囲に明かして編入させる

んでしたよね? 

いくら人気になっても、相手がアンドロイドだと分かっていたら、おかしな事には

ならないんじゃないですか?」


 現状、ほとんどのアンドロイドが基本的に国の所有であり、同時に金銭的価値が

かなり高いことは周知の事実だった。


…事故ということなら話は別だが、何か個人的な不注意で壊してしまった場合は、

莫大な額の借金を負いかねない。


 それに、高校生男子といえば、()()()()()()に興味津々の時期だが…。


 アンドロイド相手では、()()()()()()()も出来ない。


 性的用途に利用される危険性を避けるため、アンドロイドには生殖器が備わって

いない……ということは、一般的にも割と有名な話だ。


 物の判断が出来ないような年齢の子供ならともかく、未成年とはいえ、ある程度

の自己判断が出来る高校生ならば、わざわざそんなリスクを背負ってまで国を敵に

回すような真似まねはしないだろう。


 今回の短期留学は僅か2ヶ月の間なのだし……大丈夫そうなものなのではないか

と、隆幸は考えていた。


「『美月そっくりで特別綺麗』って……。

質問の合間ですらサラッと惚気てくる辺り……流石は高槻君だ」


 透かさず『ね、姉さんっ!』と、いつものように美月に叱られている美咲。

…相変わらず仲の良さが伝わってくる姉妹のやり取りに、隆幸の心が若干和む。


「…まぁ、真面目に答えると……だ。

高槻君は理性的なタイプだからそういう結論になるんだろうけど、高校生ってのは

そこまで冷静でもないし、現実も見えちゃいないよ。

むしろ『リスク背負う俺、カッコイイ!』なんて思うような奴、割と居るよ?」


 美咲の返答に『そういうものですか?』と、首をひねる隆幸……。


 ただの冒険心で背負うには少々リスクが高すぎるように感じて、いまいち納得が

出来なかったが……そんな隆幸に、更に美咲は続ける。


「…それに、美幸は食事も出来る最新のタイプの素体なんだよ?

生命活動としての食事は必要ないけれど、料理とかでは味覚も必要だからね。

消化までは出来ないけど、摂取した食べ物をそのまま排泄することは出来るように

なっている。

排泄が出来るってことは……ほら、ここまで言えば流石に分かるだろ?」


「…あー……なるほど……。そういう意味ですか……」


 敢えて明言を避けつつも、理解した旨を伝える隆幸。

アンドロイド研究は素体がクローン技術を応用したものであることから、人体工学

の側面も持ち合わせている。


 自分が実際にしようとは思わないし興味も無いが……知識としては知っていた。


…すると、美咲はニヤニヤした悪い顔になって、そんな隆幸を見つめる。


「ふふふっ……まぁ、そこにすぐ考えが至らない辺り、妹婿殿はノーマルらしい。

いやー、安心あんし――いててっ!!」


 いやらしい笑みを浮かべていた美咲は、いつの間にか横に立っていた美月に腕を

(つね)られていた。


…流石に下世話過ぎる姉の発言に、美月の堪忍袋の尾が一瞬で切れたのだろう。


 悲鳴を上げながら腕をブンブンと振っているが、無表情で抓り続ける美月の指は

そこにガッチリと固定されたように美咲の腕から離れる気配が無い……。


…今度の姉妹のやり取りには、全く心が和まない、隆幸だった。


「…でも、そうか……」


 ただ、今回のその理屈に、隆幸は若干だが納得は出来た。


 AI研究者として、人の本能……特に三大欲求に数えられる『性欲』というもの

は実際、馬鹿には出来ないということは理解している。


 ましてや、あれだけ綺麗な容姿の美幸が相手なのだ。

代替の行為でも可能なら、リスクを承知で近付く生徒は居るのかもしれない。


「…でも、それだけじゃないんですよ? 隆幸さん」


 一通り姉への折檻を終えて、先ほどまで『美幸ちゃんの前では、そういうことを

言うのは絶対に駄目ですよ!』と美咲に念押しをしていた美月が、隆幸の隣の席に

戻って来ると、開口一番そう言ってきた。


「姉さんは男子生徒のことを理由に挙げていましたけれど……。

共学にした場合、どちらかと言うと大変なのは、むしろ女子の方なんです」


「…え? それは……どういうことなのかな?」


「…まず言えるのは、美幸ちゃんは可愛らしい容姿に、素直で優しい性格です。

だから、普通にしているだけでも、間違いなく人気者になります。

だというのに、突然の短期留学生というだけでなく、今まで見たことがないような

人間と見紛うほどの反応を見せる、アンドロイドなんですよ? 

もう、存在自体がセンセーショナルです」


「まぁ、それは僕も同意するよ。

特別、目立つ存在なのは間違い無いからね……。

でも、相手が女の子なら、さっきチーフが指摘していたような危険性はかなり薄く

なるんじゃないかな?

ただ好かれるというだけなら誘拐の危険性も少ないし、問題も無いだろう?

だから、チーフも女子校にこだわったんだと、僕はさっき納得したんだけれど……

それ以外にも理由があるのかい?」


「ええ、その通りです。

…共学ということは、当然そこには男女が同時に居るでしょう?

ここで重要なのは、()()()()()()()()ということなんですよ」


「…? あの、ごめん。

もう少し解り易く、お願いしてもいいかい?」


「美幸ちゃんが人気者になるのまでは良いとしてもですよ?

美幸ちゃんを好きになった男子生徒が、もしも自分の意中の人だったら、その女子

生徒は、美幸ちゃんをどう思うと思います?

…こんな言い方はしたくないですけれど、その子からすれば、相手はアンドロイド

なんですよ?

…人間ですらない相手に、好きな人の心を奪われる。

しかも、美幸ちゃんは人間と違って老いることもなく、ずっと美しい姿のまま。

…女の子の嫉妬って、意外と陰湿で怖いものなんですよ?」


「……なるほど。そうか」


 仮にそれでイジメにでも遭えば、美幸の学園生活が台無しになってしまう。


 一般的に、男子生徒のイジメが肉体的な攻撃や、面と向かって悪口や暴言を言う

ような直接的なものになりがちなのに対して、女子生徒のそれは、本人の持ち物に

イタズラしたり、根も葉もない噂を流したりと間接的なものが多いと聞くが……。


 極限まで追い詰められた場合、逆に想定以上の事をされかねない。

『相手はアンドロイドなのだから、殺人にはならない』といった思考になられては

堪ったものではない。


 いくらアンドロイドという事実を公表して、手を出しにくくしていても、犯人が

後先考えずに来られれば、こちらも対処が難しくなる。


 完全な防止は難しいかもしれないが、原因になりそうな可能性を1つ確実に潰す

ことが出来るのは大きいだろう……という判断なのだ。


 しかし……先ほどの美月の『女の嫉妬は怖い』の発言には、妙に()()がこもって

いた。


 一瞬、何かを思い出しているように遠い目をする美月を見て、隆幸は何となく

その内心を察することが出来た。


 美月は高校こそ女子校だったが、中学までと大学は共学だったはずだ。


 特に理系の大学は男の割合も多いという。

美月は隆幸と結婚こそしたものの、今でも大学に在籍している身なのだが、卒業に

必要な単位は既に取っているからか、ほとんど大学には行っていない。


 もしかしたら、真面目な美月が最低限しか抗議を受けに行かないのは、そういう

理由もあるのかもしれない……。


『恨み』というものは、時に本人に何も原因が無くとも降りかかってくるものだ。


 その悪い可能性に思い至っていなかった隆幸は、ここにきて初めて、美咲が何故

女子校にこだわったのかが理解出来てきた。


 美幸のプロジェクトは開発期間が長かったこともあって、研究所内のほぼ全員が

かかわっている。


 そういう理由もあって、ここでは美幸の存在を歓迎しない所員は一人も居ない。


 そもそも、ここはアンドロイド専門の研究機関なのだ。

アンドロイドを否定したり、嫌っているような人種が居るはずも無い。


 そんな環境にいる美幸を見るのに慣れきっていた隆幸には、イジメという可能性

を思い浮かべることが出来ていなかったのだ。


「…本当、チーフはよく見ているなぁ。

それに比べて……僕は、まだまだだね」


「ふふっ……いいえ?

こういうのは、実際の経験がないと意外と気が付けないものですよ。

…姉さんも、あれで今までに色々とあったみたいですし、ね……」


 その美月の言葉を聞いて『あぁ……そうか』と、また隆幸は納得する。


 隣にいる美月が飛び抜けて美人なのもあってどうも陰に隠れがちだが……美咲も

一般的にはとびきりの美人であるのは間違いない。


 実際、隆幸自身も、大学時代に美咲が多くの学生に声を掛けられる度に、それを

無碍(むげ)にしているところを見かけていたし、美咲と同じ学部を専攻していて、研究の

ことなどを話す機会が多かった隆幸も、そのことをやっかまれた経験がある。


 美咲の性格を考えれば、手段や言葉を選ぶことなく、バッサリと切り捨ててきた

だろうから、その辺りに気を遣いながら断るであろう美月よりも、周りの女性達に

逆恨みをされた経験は多そうだった。



「――ただいま戻りました!」


 そんな話をしていると、噂の女子校の制服に身を包んだ美幸が、上機嫌で研究室

へと帰ってきた。


…噂をすれば影、とはよく言ったものだ。


「ああ、おかえり。今日はちょっと早いんだね?」


 いつもよりも早く帰って来た美幸に、隆幸は微笑みかける。

美幸のその無邪気な笑顔には、いつもホッとさせられる不思議な力があった。


「はい! 明日から学校ですから。

今日は早く終わらせてくれたんです!!」


 そう言うと、美幸はその場でくるりと一回転してみせる。


「それより、ほら! 見てください!

美月さん! 隆幸さん! どうでしょう、似合ってますか?」


 嬉しそうな美幸は、満面の笑みでそう隆幸達に尋ねてくる。


 普段は大人しい美幸には珍しく、今日は目に見えてはしゃいでいた。


 余程、楽しみなのだろう。

今日は朝から一日中、この制服で過ごしているらしい。


「うん、よく似合ってるよ」


「えぇ。美幸ちゃん、とっても可愛いです」


「ふふっ、そうですか? ありがとうございます!」


 2人に褒められ、嬉しそうにしている美幸。

そんな美幸を、後ろから微笑ましく見守っていた美咲は優しい声色で尋ねた。


「明日からいよいよ学園生活だけど……。

どう? 何か不安な事とか、心配事とかはないかい?」


 すると美幸は、少しイタズラっぽい笑みを浮かべて、こう答え返してくる。


「はい……明日から美咲さんが寂しがらないかが、とっても心配です」


 一瞬、キョトンとした美咲だったが……すぐに笑いを堪えきれなくなった。


「ぷっ……あっははは!! いやー、君も言うようになったね?

ま、そこまで言えるようになったんなら、上出来だね」


 美咲は、その受け答えのキレの良さに、ひとまずは安心した。

この3ヶ月の研究所の貸し出し期間で、随分とその人間味も増したようだ。


…目下の心配事は、研究所内の色々な人物からの告げ口で、美咲に対する美幸の

扱いが若干、軽くなったように感じることくらいだろうか……。


 肩の力が抜けてこれはこれで親近感があっていいのだが、従順で自分を素直に

慕ってくれていた頃の美幸が、少しだけ恋しい。


「………よし」


 美咲は、密かに決意する。

『今回は美幸が随分と皆にお世話になったことだし……今度、からし入り饅頭で

有名な和菓子店の土産でも持って、各研究室に()()()()()()()』と。


――後日、研究所内のあらゆる場所で、悲痛な叫び声が上がることになった。


…ちなみに美咲はその日の内に美月に捕まり、9歳も年下の妹から『大人の自覚』

というテーマで3時間の個人授業を受けたのだった……。


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