閑話 その4 手柄を横取り?
十月十日…と言うだけあり、妊娠が6月半ばだった美月は、翌年の3月の末頃に
元気な男の子を無事に出産することになった。
時期的に春休みであったこともあり、遥達も病院を訪れて、皆でその新しい命の
誕生を心から祝福した……のだが―――
「くっそ~…いくら忙しかったとはいえ、遥ちゃん達にすら後れを取るとは…」
5月の初め、特にこの半年ばかりバタバタし続けていた研究室にやっと落ち着き
が出てきた頃になって、美咲はそう悔しそうに呟いていた。
「仕方がないじゃないですか…。
それは、確かに私だって姉さんには早く見て欲しかったですけれど…
ちょうど、その日の姉さんは忙しかったのでしょう?」
「それは…まぁ、そうなんだけどさ…。
あ、そうだ美月! すぐに2人目を産んでくれ!
そしたら、今度こそは私が病院に一番乗りして見せるからさ!」
「はぁ…。もう…馬鹿なことを言わないで下さい…」
美咲の無茶な発言に、いつも通りに溜め息混じりで答える美月。
…どうやら、病院に駆けつけるのが他の人に比べて遅れたことが、個人的には相当
悔しかったらしい。
美月の妊娠が発覚してからの、この数ヶ月。
美咲は、非常に忙しい日々を過ごすことになっていた。
昨年11月、遂に完成した量産を視野に入れた製品版『心を持つアンドロイド』
の発表は、アンドロイド研究の業界だけでなく、一般社会のあらゆる人々に衝撃を
与えることとなった。
元々、表情や感情表現自体は先の研究によって一定以上のクオリティを得られて
はいたのだが、それをより自然に使いこなし、且つその思考回路が人間に限りなく
近い形で機能している…という発表は『遂に人は神の領域に近付いた!』とされ、
大いに注目を浴びることとなったのだ。
感情表現の研究を完成させたのが、美咲の母親の原田美雪だということもあり、
世間からは『母の遺志を継いだ娘の快挙!』と、美咲は一躍もてはやされる存在と
なっていた。
そんな中で、正式な発表から少し経った、今年の2月。
初めて行われた開発者代表としての美咲への記者会見で、『今後のアンドロイドに
よる社会への進出について、どういった展望をお持ちですか?』という質問に対し
美咲が口にしたコメントが反響を呼んだことで、一時的にメディアに引っ張りだこ
になったのだった。
「最近は、やっと姉さんのメディアへの出演頻度も落ち着いてきましたね…。
初めは『話題の美人研究者!』なんて呼ばれて色んな番組に出るものですから、
このまま芸能人にでもなるのかと思いましたよ?」
「勘弁してよ…。あれだって世間にもっと今回の研究を詳しく知ってもらうために
やむを得ず出てただけだよ…」
「…ですが、実際そういうお誘いもあったのでしょう?」
「元来、私はそういうのは苦手なんだ。
だから、報道色の薄い…バラエティ系のものは全部お断りしてたんだしさ…。
どれだけの数の人に期待されたとしても…あくまでも、私は“研究者”だよ」
「でも、美幸ちゃん…凄く喜んでいましたよ?
『美咲さん、凄いです! 皆の人気者ですね!』って…」
テレビに映る美咲の姿を見ては、手を叩いてはしゃいでいる美幸は、目を輝かせ
ながら憧れの眼差しをその画面に向けていた。
「あー…それだけは惜しいことしたなぁ。
なんか、いつも以上に尊敬の眼差しで見てきてたし…。
…まぁ、でもさ。そもそも、その人気が出たのだって元は美幸のおかげなんだし…
むしろ、凄いのはその美幸なんだけどね?」
「それは、そうかもしれませんが…。
美幸ちゃんの存在を公表するわけにはいかないですし…仕方ないじゃないですか」
研究が一応の成功を収め、状況が一段落したとはいっても、引き続き美幸の存在
はトップシークレットのままだった。
いや、むしろ話題性が高まった分だけ、より厳重に秘匿されている。
同様にその研究内容も機密に該当しているため、美月や隆幸の開発への関わりも
一般には公表されてはいない。
「いや、実はアレ…私も結構、気にしてるんだよ?
美幸に『どうしても』って、お願いされて答えた言葉が、世間に評価されたんだ…
これじゃ、まるで私が手柄の横取りをしたみたいじゃないか」
「でも、美幸ちゃんはお願いを聞いてくれたことを感謝していましたし…
それは、もう良いんじゃないですか?」
「…美月、何言ってるんだ。それはそうだよ。
あの美幸が、『私の発案だったのに!』って、怒るわけないでしょ?」
「『妬み』っていう感情からは縁遠い性格ですしね、美幸ちゃん…」
美咲が評価される切欠になった言葉は、美咲が事前に聞かされていた記者の質問
への回答を考えている時に、美幸がどうしてもそう答えて欲しいとお願いした言葉
だったのだ。
美咲は記者からの“未来への展望”について、こう答えを返した。
“人間にとっての盟友、アンドロイドは遂に心を獲得することとなりました。
皆さんの中には、『神の領域に手が届いた』と称してくれている方もいらっしゃる
ようです。
しかし、仮に私達、人間が本当にアンドロイド達にとっての神だとしたならば、
『創り出しておいて、それで終わり』で、良いのでしょうか?
…私は、決してそうは思いません。
これから、アンドロイドが社会にとって身近な存在になっていけば、雇用という
ものの概念が根底から覆る可能性も、十分にありえます。
アンドロイドは容姿に優れ、難解な計算もミス無くこなし、歳を取るということ
もありません。
そうなれば、人間は年齢が若いかどうかや、学歴が良いかどうか、容姿が優れて
いるかどうかというものは、特に評価の基準にはなりえません。
何故なら、それらは全てアンドロイドなら初めから持ち合わせているからです。
そういったものを求めるなら、アンドロイドが一体居れば事足りてしまいます。
ならば、もう人間は必要ないのか? といえば…それは違います。
彼らアンドロイドは、心を持って生まれてくるとはいえ、その心は真っ白です。
『知識』としての常識や良識というものは、当然持っています。
…しかし、彼らには『経験』というものはありません。
ですから、彼らは共に過ごす身近な人間から見て学び、それを自らの『経験』と
して学んでいくのです。
仕事場で、日常生活で…。
あらゆる場面で、この心を持ったアンドロイドと接することになるのならば、我々
人間は、その心が清く正しいものになるように、彼らから見て恥ずかしくないよう
規範となっていかなければなりません。
つまり、この先の時代で最も重要なものとは『人間性』というものです。
歳が若い者に入社してもらえた方が、将来的に考えて会社の助けになるのかも
知れません。
よく学び、知識を蓄え、良い大学に入ることは勿論、今後も重要ですし、社会に
出ていく上でそれらは助けになるでしょう。
容姿が優れていれば、あらゆる場面で相手に好印象を与えることも可能です。
ですから、我々は今までそういったことにばかり注視し続けてきました。
相手の年齢や経歴、容姿といった、対外的な価値のみを評価してきたのです。
…『人間性』というものを、後回しにして。
私はこのアンドロイドの誕生が、そんな社会の転機になれば…と、考えます。
皆さん、人間的な正しさ…『人間性』というものを今一度、考えてみませんか?
アンドロイド開発に携わる私がこんなことを言うのは、可笑しいと思われるかも
しれませんが、アンドロイドによって未来が変わるのではなく、我々人間がこれを
切欠に社会を…未来を変えていけないでしょうか?
私は、我々の中にある『美しい心』というものの価値を、もう一度、振り返って
みて頂きたいのです…。
そして、私達人間の手で、この生まれたばかりのアンドロイド達の『心』という
ものを、正しい道に導いていくことが、彼らを生み出した我々人間の責任だ…と、
私は思っています”
「…美幸からあの内容を聞いた時には、何と言うか…不思議な気分だったよ。
私達、人間が忘れかけている“価値観”ってヤツをさ、まさかアンドロイドの美幸に
教わるなんてね」
「そうですね…。…ですが、意外とそういうものなのではないでしょうか?」
「まぁ、そうかもね…。“灯台下暗し”なんて言葉もあるくらいだ。
自分では身近過ぎて見えにくくなったものも、世の中にはあるんだろうさ…」
あの内容は明らかに佐藤運輸での経験が、大きく影響しているのだろう。
今まであの試験は、新型AIの安全性の証明には役立ったが、それ以外の部分では
美幸に恐怖と人間社会への疑念を植え付けただけのものとしか考えていなかった。
だが、こうして振り返ってみると、しっかり美幸の成長に貢献していたようだ。
そういう意味でも、美咲達には見えていなかったらしい。
「ですが…姉さんにしか出来なかったことなのは確かなんですし。
手柄の横取りとか、そういったことは気にしなくても良いと思いますよ?」
美月の言う通り、実際にそうだった。
美咲は難関大学を首席で卒業し、若くして開発室のチームリーダーを務め、更には
メディアに騒がれるほど美人なのだ。
同じ内容を言うにしても、『学歴』『年齢』『容姿』のどれかが足りない人物が
言うのと、全て兼ね備えている人物が言うのとでは“説得力”というものが違う。
あの場面で美咲が『何より人間性が重要』と言ったからこそ、反響を呼んだのは
間違いない事実だった。
「でもさ~、あの大演説が素晴らしかったってことで…
気が付いたら、なんか話が予想以上に大きくなってるじゃん。
ここまで来たら、流石に私も気にするよ~」
予想外の展開に『参った』と言わんばかりの表情で机に突っ伏してしまう美咲。
「あぁ…そういえば、賞を頂くことになったんでしたか。…結構、権威のある」
「そうなんだよ~…。美月~、助けておくれよ~」
研究そのものが素晴らしかったのは勿論だが、社会のあり方を変えるような未来
への貢献度も加味して、想定外のレベルの賞の受賞が決まってしまったのだ。
…最近の美咲の悩みの種は、正にその賞に関する部分だった。
「姉さん」
「あ、もしかして…なんか良い解決策とか、あったりする?」
首だけ持ち上げて、期待の眼差しで美月を見る美咲。
しかし、そんな藁をも縋るような顔の美咲に、美月から無情な言葉が告げられる。
「…ご愁傷様です」
「……う、うわ~ん!」
本格的に頭を抱えて困り顔になる美咲。
だが、どうしようもない状況だったため、美月には慰めるくらいしかできない。
「仕方ないですよ、姉さん。美幸ちゃんの存在は秘密になっているんですから。
それに、逆に言えば美幸ちゃんのことは知られていないんですし…
もう知らないフリで、胸を張って授賞式に出て来れば良いじゃないですか。
誰にもあの言葉が『美幸ちゃんからの受け売りだ』なんて、わかりませんよ」
「それが…実はそうでもないんだよ」
「…え? どうしてです?」
「美月…すっかり忘れてるでしょ?
断片的ではあるけど、美幸の研究経過は世界中の主要なアンドロイド研究機関には
ある程度は開示して、共有してたじゃないか」
「……あ」
珍しく、美月は目を見開いてポカンとしてしまった。
…そういえば、研究者の間では美幸はある程度は知られていたのだった。
それに、安全性をアピールするため、あの佐藤運輸での試験は他の試験の時より
多くの情報を開示していたはずだ…。ということは―――
「…気付いた? つまり…事情を知ってる研究者達から見れば、あの日の記者への
台詞は、良くても美幸の試験の経過を見て、私が思いついたことだし…。
カンの良い人が見れば、もう美幸からの受け売りだってことが丸分かりなんだよ」
「……姉さん」
「…何?」
「………ご愁傷様です」
「うわ~ん! 美月の馬鹿~!」
美月が慰めに失敗したことにより美咲は再び机に突っ伏してしまった。
『今日はやけに絡んでくるな…』とは思っていた美月だったが…。
…どうやら、ただ単に気を紛らわせるためのものだったらしい。




