表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/140

幕間 その8 隆幸の第一印象

「…恐らくですが、仮に姉さんにこんな話をしたところで、『そんなことはない』

と言って、笑い飛ばしてくれることでしょう。

『これは美月のせいなんかじゃない、自分でそうなることを決めたんだ』と。

ですが…“そうした”のと、“そうせざるを得ない状況に追い込んだ”のとでは、

随分と差があるでしょう?

それに、結局は私がそんな姉さんに守られていたのは確固たる事実なんです。

実際、“将来有望で怖い姉が居る”ということで、私に近付こうとする面倒な人達は

その存在を知って以降、目に見えて私の周囲から減りましたからね…」


「それは…」


 その言葉を聞いた美幸は、先日の試験のことを思い浮かべていた。


『学校』というものは、ある意味で閉鎖された社会だ。

だからこそ、その中での権力や影響力は、一般社会よりも直接的に反映させること

が出来る…ある意味で、とても特殊な空間だった。


 それが小学校の頃なら“怖い姉”を恐れて校内の男子は近づかなくなるだろうし、

生徒がある程度まで精神的に成長してくる中学校以降なら、今度は“将来有望な姉”

から、学校側が美月の周囲の生徒へ注意を促すように誘導することも、十分に可能

だっただろう。


 実際にそうしたかどうかまでは不明だが、少なくとも“多少成績が良い優しい姉”

という印象よりは、近付き辛くなるのは間違いない。


 それこそ、まさに『触らぬ神に祟りなし』といったところだ。


「…あれ? ですが…確か、元々は隆幸さんは美咲さんの大学の後輩ですよね?

知り合った時期も、美月さんが13歳…中学校1年生の頃だったはずです」


 聞いた話では、美咲は美月の容姿に釣られた変な男が近付かないようにも十分に

配慮をしていたらしい。


…だが、その話が事実なら、隆幸との出会いは矛盾があるように思える。


 美幸の開発に隆幸の起用を提案したのは、美咲だったはずだ。


 勿論、美幸も隆幸が“変な男”だと言うつもりは無いが、そんな風に妹を守ろうと

していたのなら、美咲のその行動は明らかにおかしい。


 以前から良く知る人物で、年齢が離れていたとはいえ、遠ざけていた“男”という

存在を、わざわざ近付けようとした理由が、美幸には分からなかった。


「ああ、そうでした…。

そういえば、美幸ちゃんは知らなかったんでしたね」


 そう言うと、美月は最近知った隆幸の過去の生い立ちと、それを聞いた後の美咲

の考えや行動を、美幸に詳しく語って聞かせた。


「…隆幸さん、そんなことがあったんですか…」


 夫とはいえ、他人の事情をサラッと美月が美幸に話したのは、既に隆幸本人から

『美幸になら必要であれば別に話しても良いよ』という許可を得ていたからだ。


 それに、きっと隆幸の性格ならば、美月の時がそうだったように、美幸のことを

思い遣って、自分からは決して過去を語ろうとはしないだろう…。


…しかし、美幸には知っておいてもらっても良いと、美月は考えていた。


 確かに、話を聞いた当初は隆幸の境遇を不憫に思いはした。

…だが、少なくとも美月はその暗い過去を知ったことを後悔はしなかった。


 そして、それなら美幸には知っていてもらおうと、自然と思えたのだ。

たとえ、一般的にはただのアンドロイドであろうとも、自分達にとっては大事な娘

であり、“家族”なのだから。


「ですが…それなら、美月さん達の結婚は本当に素晴らしい結果だったんですね。

隆幸さんにはずっと求めて続けていた愛情が…そして、美月さんには美咲さんが

認められるほどの素敵な相手が見つかった…というわけですし」


 隆幸の生い立ちを聞いた直後の美幸は、美月の予想した通り、泣きそうになって

いたが、その言葉を口にする頃には、穏やかな微笑みに表情が戻っていた。


 その表情の変化を見て、美月は“やはり、話して良かった”と、素直に思った。


…ただ、美幸の言葉の中に出てきた『美咲さんが認めることが出来るほどの…』と

いう部分が引っかかる。


「そう…そうなんです。隆幸さんは、あの(・・)姉さんが認めるような人だったんです」


「…? ええ、そうですね。でも…それがどうかしたんですか?」


 良い結果に終わった話…のはずが、美月の表情が優れないことに気付いた美幸は

不思議そうにしてそう尋ねた。


「…あの姉さんが、私を任せられると思えるほどの相手なんです。

そんな相手のことを、姉さん自身が嫌いなわけは…ないでしょう?」


「ええっと、それは私も美咲さんが隆幸さんのことを嫌いだとは思いませんが…。

……え? あれ? あの、もしかして……そういうこと……ですか?」


 美月の言い回しからその事実に気付いた様子の美幸に、美月は視線を戻して少し

困ったような笑顔を浮かべて頷いた。


「…ええ、そうです。私が姉さんから奪った、最大のもの…。

それは、隆幸さん(・・・・)なんです」


 美月はそう言うと、視線を海に戻しながら当時の様子を美幸に話し始めた。




 初めてその人物に会った時の美月は、誰がどう見ても不機嫌な様子だった。


「はじめまして。僕は高槻隆幸という者です。

原田先輩は大学の先輩で、日頃からいつもお世話になっておりまして―――」


「そんなお決まりのご挨拶は結構です。

…それよりも、姉とは一体どういったご関係なのでしょうか?」


「あー…ええっと……」


 冷たい表情のまま、挨拶の途中に厳しい口調で割って入った美月に対して、少し

困った表情を浮かべる隆幸。


…新型AIの開発が決まって、あてがわれたばかりの研究室内に緊張が流れる。


 しかし、そんな冷たい態度の妹の様子を後ろから見ていた美咲が、『はぁ…』と

溜め息混じりにその会話に入ってくる。


「ねぇ、美月? 別に高槻君を相手に過剰に気を遣う必要は無いけどさぁ。

…流石に、初対面の相手に対してその態度は失礼だと思うよ?」


「…そうですね。……すみません」


 姉の『気を遣う必要は無い』という言葉に、若干ながら引っかかりを覚えつつ、

一応は謝罪の言葉を口にする美月。


 そんな、敵意を向けながらも、礼儀正しく頭を下げて謝ってくる美月に、隆幸は

少々困った様子で…しかし、極力にこやかな表情を浮かべて返答した。


「あはは…。美月ちゃん…で良いかな? …大丈夫だよ?

僕はあくまで『後輩』っていうだけで、原田先輩とは特別な関係じゃないからね。

…そもそも、今回の開発の主要な部分を美月ちゃんと一緒に担当することになった

こと自体、自分でも不思議なくらいなんだから」


「…え? そう…なんですか?」


 意外そうにしている美月を他所よそに、後ろの美咲は楽しそうに笑い始める。


「ふふふ…。あの時の高槻君の驚きっぷりは、実に愉快だったね」


「先輩…。本当、勘弁して下さい。

それは、僕としても興味がある内容でしたからね。

この研究については、以前から色々とお話を伺ってはいましたが…。

それでも、突然、電話で大学の食堂に呼び出されたかと思ったら、

『ウチの妹と君をメインに開発することになったから、そこんとこヨロシク!』

というのは……普通は誰だって驚きますよ?」


「……姉さん…」


 隆幸の口から出たそのエピソードを聞いて、先ほどまで敵意を剥き出しにして、

睨むような目付きで隆幸を見ていた美月の瞳は、今度は呆れた目に変わって美咲を

見つめることになった。


「あれは、私なりのちょっとしたサプライズだよ。

それに、これなら高槻君も卒業前から堂々と最先端の研究に参加出来るだろう?」


「…まぁ、確かにそれに関してはありがたいんですが―――」


「あっ! そういえば! 2人に重要なことを伝え忘れていたよ!」


 隆幸が困った顔で答え返そうとしたところで、美咲が何かに思い当った様子で

大げさにそう声を上げる。


…ただ、あまりにもわざとらしい姉のその反応に嫌な予感がした美月は、尋ねる

前から面倒そうな様子で、念のため程度の口調で聞いてみることにした。


「…そうですか。まぁ…一応は聞いておきます。

それで、姉さん? その『重要なこと』とは何ですか?」


「ふふふ…。今日から私は君達の上司になるワケだ。…だから、2人とも?

これからは、私を『主任』か『チーフ』で呼んでくれたまえ!」


 美月の質問にわざとらしくふんぞり返りながら、大きな声でそう宣言してみせる

美咲…だったのだが、それに対する2人の返答は、まるで正反対のものだった。


「…わかりました“チーフ”。

改めて言わせて頂きますが…今後、ああいうサプライズは勘弁して下さい」


「…私は嫌です。そんな風に呼んだって、姉さんが調子に乗るだけですからね。

姉さんには、これまで通り“姉さん”で十分です」


 その後、美月に『えぇ~! 美月に“主任”って呼ばれたかったのに~』と駄々を

こね始めた美咲に対して、美月が『なにを馬鹿なことを…まずは私がそう呼びたく

なるようになってから言って下さい』と、辛辣(しんらつ)な言葉を返す…。


…そして、その様子を隆幸は一歩引いた距離から微笑ましそうに眺めていた。


 すると、そんな隆幸の雰囲気に美月が気付き、その美咲に言っていたそのままの

勢いで、隆幸に厳しい言葉をぶつけてくる。


「高槻さん…でしたね?

姉とは特別な関係ではないという話ですが、それなら(なお)(さら)、今後も私には無闇に

話しかけないで下さい! 良いですね?」


「あ、うん。別にそれは構わないよ。

…でも、挨拶だとか研究に関することだけは勘弁してくれると嬉しいかな?」


「……ぇ、ええ。……わかりました」


 隆幸の返答が自分の予想とは少しだけ違っていたため、返答が遅れる美月。

…美月としては、正直、もう少しくらい残念そうにするかと思っていたのだ。


 先ほどから見ていれば、美咲が隆幸を特別気に入っているのは明らかだ。


 美月は、これでも美咲の妹…。

姉が誰にどういう感情を持っているのかくらいは、ある程度は察することが出来る

つもりだった。


 そんな美月の見立てでは、現状では確かに特別な関係ではないにしても、隆幸が

告白でもすれば、すぐに交際がスタートするだろうという程度には、美咲が隆幸を

気に入っているように感じていた。


 にもかかわらず、隆幸の方には表情こそにこやかに微笑み続けているが、そんな

様子は全くといって良いほど無い。

…というより、あまりに表情が変わらなさ過ぎて、ほとんど感情を読み取れない。


 まぁ…パッと見たところ、言葉の通り特に今のところの関係は先輩と後輩という

だけだというのは本当なようなので、それは問題なかったのだが…。


…むしろ、美月にとって今の問題は、先ほどの隆幸の返答の方だった。


 この時の美月は既に街中を一人で歩こうものなら、必ずと言っていいほど通行人

が振り返る程度には、美しく成長していた。


 そして(あまり気持ちの良いものではないが)相手が男性なら、頭からつま先まで

ジロジロと見てくる人も、決して少なくはなかった。


 そんな中、目の前の隆幸はというと…視線こそ合うものの、その目付きは何処か

に逸れるようなこともなく、その雰囲気からも驚くほどに下心が感じられない。


 そればかりか、『話しかけないで下さい』と言う美月に対して、『構わない』と

即答して見せたのだ…。


 自惚れるわけではないが、今まで同じ言葉を言われた他の男性は、程度の違いは

あれど、自分と仲良くなれそうに無いことに、残念そうな様子を見せていた。


…だが、目の前の隆幸は、それがなんでもないことのように即答したのだ。


 そんな態度や発言から隆幸の誠実さを感じ取り、多少は好感を持った美月…。

だが…その反面、少々プライドが傷ついたのも事実だった。



 そんな経緯で、結果的に美月の隆幸への評価は、“姉に近付く悪い虫”というもの

から“別に悪い人ではなさそうだけど、どこか変な人”という…なんとも微妙なもの

に変わったのだった…。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ