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幕間 その7 奪ったものとは

 研究室を急ぎ足で出た2人は、研究所の敷地内にある小さな浜辺に来ていた。


プライベートビーチ…と言えるほど立派なものではなかったが、それでもちょっと

遊ぶくらいには問題のない広さはある。


 本来なら、実験等の目的が無ければ使用は禁止という名目になっているのだが…

夏の間は研究員が好き勝手に使っていて、実質的には出入り自由になっていた。


「ふぅ…」


 誰が持ち込んでいたのか、いつの間にか設置されていた浜辺のベンチに座った

ところで、美月は大きな溜め息を一つ吐く。


 並んで2人座れるように美月が端寄りに座ると、美幸はその意を汲んで、そっと

その隣に腰かけた。


「ここは日陰になっていて、丁度良いですね…。海風が、とても心地良いです」


「はい…。あの、それで美月さん…その…」


「クスッ…先ほどの話、ですか?」


 遠慮気味に何かを尋ねようとしている美幸の様子が急に可笑しくなった美月は、

敢えて自分からその話題を口にした。


「はい。あの…ご懐妊、されたんですか?」


「…はい。つい先日、判ったんですが…5週目だそうです」


「! あのっ…ええっと…おめでとうございますっ!」


「はい。ありがとうございます」


 少しだけ恥ずかしそうに答える美月に、美幸は驚きながらも笑顔で祝福の言葉を

伝える。


…そして、先ほどの研究室でのやり取りを思い返した美幸は、気になっていたこと

を美月に尋ねた。


「…美咲さんには…まだお伝えしないんですか?」


 あの状況だ。美咲にも、もうほとんど分かっていただろう。

…ただ、やはり直接伝える・・・か、気付かれる・・・・・かでは、大きな違いがある。


 美幸から見ても、美月は良識があり、常識的で、至極まともな人物だ。

だから、こういった大切な物事に関しては、きちんと自分の口から伝えそうなもの

なのだが…。


「そうですね……。あの…美幸ちゃん、ちょっと私の話を聞いてくれますか?」


「え? あ…はい。それは勿論、構いませんが…」


 遠くの海を眺めながら、そう切り出してきた美月のその瞳は、どこか寂しそうな

雰囲気を漂わせていた。


 基本的にはおめでたい話ではあるし、美月自身も先ほどまでは嬉しそうな表情を

浮かべていたはずなのだが…。


 美幸はその美月の眼差しが気になって、つい心配になってしまう。


 しかし、そんな美幸の様子に気付いた美月は、一旦、美幸の方に視線を戻すと、

すぐに言葉を付け足した。


「あ、大丈夫ですよ?

話とは言っても、ちょっとした愚痴のような物なので…。

確かに明るい話ではないかもしれませんが、まあ…思い出話のようなものです」


「思い出話…ですか?」


「ええ。だから、美幸ちゃんも深刻に捉えずに、気軽に聞いていて下さい」


「…はい。わかりました」


 少し明るさを取り戻した美月の様子にとりあえず安堵しつつ、美幸は頷きながら

そう答え返した。


 まだ、若干ながら心配そうな表情ではあったものの、一応は美幸の雰囲気が元に

戻ったのを確認した美月は、再び視線を海に向けながら話し始める。


「そうですね…。実は私、以前は自分のことが大嫌いだったんです」


「…え!? 美月さんが…ですか!?」


 意外そうにそう問い返す美幸に、自嘲気味に微笑みながら無言で頷く美月。


「私は……姉さんから沢山たくさんの物を奪ってしまいましたから…」


「美咲さん…から?」


 美月はその呟きに無言で頷くと、美幸に対して1つ質問をしてきた。


「美幸ちゃんは…私達の両親がどうして亡くなったか、ご存知ですか?」


「…交通事故、とだけ伺っています」


 美幸のその返答を受けて、美月は一瞬だけ今にも泣き出しそうな顔をした後、

ふっ…と温かな笑みを浮かべながら呟く。


「そうですか…。やはり…みんな優しい人ばかりですね…」


「優しい…ですか?」


「ええ、そうです。

……あれはですね? 実は、私のせいなんですよ」


「………え?」


 その発言に、美幸は思わず美月の瞳の中にその感情を探してしまう。

…しかし、その感情は複雑に入り混じって、はっきりと判別が出来なかった。


「…事故自体は、居眠り運転のトラックが信号を無視して突っ込んできたのが原因

なのですが…。

その、両親が亡くなったのは……2月13日だったんです」


「それが何故、美月さんのせいにな…る………え? 2月13日?」


 美月の責任とは言えないような事故の内容を聞いて、言葉を返そうとした瞬間、

不意にその日付が意味している事実に気付いた。


 世間的に2月14日と言えば、バレンタインであり、13日はその前日…という

解答になるのだろう。


 だが、原田家にとって2月14日は、バレンタインとは違う、もっと大切な意味

をもっている日だった。


…そう。確か、その日は美月の―――


「…気が付きましたか?

ええ、そうです。2月14日は私の誕生日。

あの日…私の両親は、私への誕生日プレゼントを買いに出かけて…。

…そして、その帰りに…あの事故に遭ったんですよ」


「ですが、それは……」


「私も…頭では解っているんです。

それが偶然、そのタイミングだっただけ…ということは。

…ですけれど、だからと言って全く気にしないというのは…難しいでしょう?」


「………」


 美月のその台詞に、美幸は返す言葉を見つけられなかった。

内容が内容なだけに、気安く『気にしないで下さい』とは、とても言えない。


「でも、両親の事故は、ただの切欠で…。

私が姉さんから色々なものを奪ってしまったのは…その後のことなんです」


「…何が…あったんですか?」


「何も。…何も無かったんですよ」


「…え? 何も…ですか?」


 その美幸の不思議そうな返答を聞いて、美月はハッとなって我に返った。

…気付かぬうちに、意識が自分の中へと埋没しそうになっていたようだ。


 美月は一息『ふぅ…』と溜め息を吐いて、一度自分を落ち着けた後、すぐに美幸

にも分かりやすいように先ほどの発言を言い換える。


「…ごめんなさい。ちょっと解り辛かったですね。

正確に言うと、“何もすることが出来なかった”ということなんです。

あの頃の私は、ただただ泣いていただけで…。

結局、葬儀の準備の何もかもを…姉さんが手配してくれたんです。

…きっと、姉さんだって泣きたかったはずなのに…。

葬儀が始まるその時まで、涙一つ見せることもなく、1人で準備してくれて…。

だから、私はあの日…姉さんから“両親が亡くなった、その時に流すはずだった涙”

を奪ってしまったんです」


「あの…お言葉ですが、その時の美月さんは―――」


 気まずさに言葉を詰まらせながらも美幸の言わんとする言葉を、その雰囲気から

察した美月は、自分からその予想される質問の返答を先に口にする。


「そうですね…。

確かに、8歳になったばかりの子供に出来ることなんて、限られていたでしょう。

ですが、それでも…あの時の私がもう少し我慢出来ていれば…。

そうすれば、姉さんにだって…泣く余裕が出来たのかもしれません」


 海を眺め続けながら、そう言う美月。

…しかし、美幸はそんな美月に少しだけ遠慮気味に言葉を返した。


「美月さん…。私、思うんですが…」


「…何でしょう?」


「きっと、美咲さんなら…美月さんが泣くのを我慢したら、自分も一緒に我慢して

…結局は、泣かなかったんじゃないでしょうか?」


「ぁ……クスッ…。

…そうですね。…もしかしたら、そうだったのかもしれません。

いいえ。きっと…美幸ちゃんの言った通りになっていたのでしょうね…」


 美幸の言葉に『どうして、今まで気付かなかったのでしょう…』と呟きながら、

少しだけ表情を明るくさせる美月。


…だが、その表情が完全に晴れることはなかった。


「ですが…たとえそれが私の勘違いだったとしても…

それ以降に姉さんが失ったものは、間違いなく…私が奪ったものです」


「美咲さんが、失ったもの…」


 美幸はそう呟いてみるが、その言葉にいまいちピンと来なかった。


 何故なら、美幸から見た美咲とは、いつも楽しそうな人物であり…。

自分の境遇を憂いて生きているようには、とても思えない。


 あの美咲が、今も何かを失って悲しんでいるようには見えなかったからだ。


「ええ、そうです。

姉さんは両親が亡くなって以降、急に変わってしまいましたから…」


「…変わった? 以前の美咲さんは、今とは何か違うのですか?」


「そうですね…。まず、髪が今よりずっと長くて…。

それから…とっても、“女の子”らしかったんですよ」


「あ、その…髪のことは、先日、由利子さんから伺いました」


「あら、そうなんですか?

…あれも、当時の私は気が付きませんでしたが…。

今にして思えば、きっと幼い私がショックを受けないためにショートカットのまま

で居てくれていたんでしょうね…」


 美月は少し優しい表情で『姉さんは、そういう人ですから…』と呟いた。


 その当時のことを思い返しているのか…一時的に懐かしそうな、穏やかな表情を

見せた美月だったが…。

 また、すぐに寂しそうな顔に戻ってしまう。


「…ですが、私が奪ってしまったのは髪だけではないんです。

それまでの姉さんは、今のような男性みたいな口調でも無かったですし…。

休みになれば、友人達とも買い物に行ったりして…よく他の方とも一緒に遊んだり

していましたから…」


「あの美咲さんが……ですか? 

こう言っては何ですが…少し、想像し辛いですね…」


 その後、美月によって簡単にまとめて語られた当時の美咲は、今の印象からは想像

もつかない…まるで別人の話のようだった。


 明るく騒ぐ様子だけなら、今の美咲からも多少は想像も出来るのだが…。

美月によってもたらされた情報が本当なら、昔の美咲とは、むしろ今の美月に近い

印象であり、率先してワイワイ騒ぐというよりも、クスクスと一歩後ろで微笑んで

いるような人物像だった…。


「でも…その変化が何故、“美月さんのせい”ということになるのでしょう?」


 確かにタイミングを考えれば、美咲が変わったのは両親を亡くしたことが大きく

影響しているのだろう。

 十代の少女にとって、突然、両親を亡くすことは相当なショックだったはずだ。


 ただ、仮に両親の死が美咲が変わっていった切欠だったのだとしても、はたして

それが“美月のせいだ”とまで言えるのだろうか?


 美月本人は、その事故すらも自分の責任だと思っているようだが…。

ここまでくると、美幸から見ると少々考え過ぎなようにも思えてしまう。


「私達はあの日…お互い以外の家族を失いました。

だから…姉さんは、両親の代わりに幼い私を守ろうとしたのだと思います。

勿論、洋一おじさん達には色々と助けて頂きました。

でも、おじさんからの養子の申し出を断った以上、その後の私達は自分で自分を

守る必要があった。

…ですが、当時の私は8歳になったばかり。だから、でしょうね…。

姉さんは強い自分で居るために、あんな口調に変わっていったんです」


「強い…自分…」


「…ええ。それに、両親が残してくれた遺産や、事故の相手からの補償もあった

とはいえ、今後の生活がどうなるか分からなかったのもあるでしょうね…。

寝ても覚めても、ずっと勉強し続けるようになってしまって…」


 その勉強への打ち込みっぷりは髪の話を聞いた時に由利子からも聞いていた。

由利子は当時の美咲を『取り憑かれたよう』と言っていたのを、美幸は思い出す。


「そんな姉さんの急激な変化に、周囲はついていけなかったのでしょう。

かつて友達だった方達も、いつの間にか居なくなってしまっていて…。

それどころか、家族以外の人への当たりが厳しくなってしまったんです。

そのせいで、姉さんは恋愛からも遠ざかっていって…」


 話が進むにつれて、少しずつ美幸の中の美咲とイメージが重なってくる。


 洋一達の話では、美幸の起動を機に最近では随分と丸くなったらしいのだが、

それでも真知子を含む一部のよく接する人物を除いて、同じ研究所の研究員相手

でも平気で無視するくらいには、今でも他人を寄せ付けない空気を纏っている。


 美幸の知る『原田美咲』という人物は、基本的には人嫌いだが、気に入った人達

には気さくに接する…といった印象だった。


「そんな姉さんの役に立とうと思っても、結局、私には何も出来なくて…。

空回りした私は、姉さんの綺麗だった長い髪を奪う結果になってしまったんです。

…でも、そんな役立たずの私に、姉さんは言ってくれました。

『美月は綺麗なんだから、あんたは髪も大事にしなよ?』って。

『こんなに綺麗な妹を持って、私は幸せ者だ』と、笑ってくれたんです。

…だから私、せめて姉さんが誇れるような妹で居ようって…そう、思ったんです」


「…なるほど」


 美月のその美しさは、確かに生まれ持っての要素が大きいのは確かだ。

しかし、それは日々の色々な努力があってこそのものであることは、日頃から美月

と一緒に居る時間の多い美幸には、よく分かっていた。


 決して表立って主張したりはしないが、影では色々と配慮している美月。

その美月の様々な日々の努力の動機が、自分のためではなく、美咲のためであった

という事実は、美幸にはすぐに納得出来るものだった。


 家族として共に今まで過ごしてきた美幸には、美月が美咲を大切に思っていると

いうことも、確認するまでもなく解っていることだったからだ。


…ここまで美月が綺麗なのは、その想いの強さも大きく影響しているのだろう。


 そうして一人、納得していた美幸に、美月はこれまでの経緯を総合して…。

最後に、こう結論付けた。


「結果的に、私はそうして姉さんから“女らしさ”を奪ってしまったんです」

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