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幕間 その6 美幸と逃亡劇

 7月も終盤に差し掛かった、この日。

美幸は、珍しく研究室で時間を持て余していた。


 ここ最近は夏目家で生活を続けていた美幸だったが、この日は定期メンテナンス

のために研究所を訪れていた。


 メンテナンス自体は特に異常はないようだったが、念の為に詳細なデータの確認

が終わるまでは…と、今は研究室でその結果が出るのを待っている状態だった。


 いつもなら、美咲を始めとした家族達が我先に…と、話し掛けてくるのだが…。


 今日は、いよいよ予定している正式発表の日までカウントダウンを迎えつつある

『心を持つアンドロイド』の開発に追われていて、美咲達は美幸の相手をほとんど

出来ない状態になってしまっていたのだ。


「ごめんね、美幸。せっかくこの部屋に来てくれたのに…。

もう少ししたら、一段落するからさ…」


「いいえ、私は別に大丈夫ですよ?

ここ最近は美咲さんとこうしてお会いする機会が少なくなっていましたから…。

私としては、お話し出来るだけでも十分です」


 美月とは夏目家で一緒の時間を過ごすことも多く、その美月の夫である隆幸とも

送り迎えの際に顔を合わせて、会話する機会が多い。


 しかし、美咲とは研究所に来ない日が続くと、その日数分はまるまる会えないと

いう状況になっている。

…研究が佳境に入った今、責任者としては現場を長く離れることは難しいらしい。


「あー! 相変わらず美幸は可愛いことを言ってくれるなー!

もう私もおじさんの家に戻ろうかなー!」


『良い機会だから』と、美月の高校進学のタイミングに合わせて、洋一の家を出た

美咲達だったが…。


 気付けば、もうあれから6年。

去年には結婚を機に美月が出て行ったこともあり、今では広いマンションの部屋に

一人暮らしの生活が続いていた。


 一人暮らしは気楽で、美咲の性格的にも合っており、それは良かったのだが…。

ここ最近は、美月や洋一から美幸との楽しい日常の他愛無い話を聞かされる度に、

若干の疎外感を感じていたのだ。


「…姉さん。おじさんの家へ引っ越すこと自体は一向に構いませんが…。

出来れば、それは来月以降にして下さいね?」


「美月、そりゃ確かにもっともな意見だけどさ…。

…そうなると、もう全く意味が無いんだよ」


 今はAIの調整もほぼ終了していて、細かいチェックをしている段階だ。


 見通しとしては8月の初めには完了が見込まれていたので、名目上は協力者扱い

になっている美月はともかく、責任者の美咲には打ち合わせ等で研究所外との予定

もぎっちり詰まっている。


 立場的に代役を立てられない以上、たとえプライベートな理由だとはいえ、手間

を増やすのは周囲の者達も避けてもらいたいところだった。


…だが、8月に入ると美幸は研究所に戻ってくる予定になっている。


 そうなれば、夏目家に移ったところで、その時には既に美幸は研究所内で寝泊り

しているのだから、美咲の第一目的は達成できないことになる。


「美月、そろそろ休憩がてら美幸と散歩にでも行っておいでよ。

…今日はまだ休んで無いでしょ?」


「え? はい。それではここを終わらせたら、そうさせて貰います」


「う~ん……却下。美月は今すぐに休憩。はい、開始!」


「……ふぅ…わかりました。…責任者に命令されては、仕方がありませんね」


「……普段は責任者扱いなんてしてないくせに(ボソッ)」


「…姉さん? 私…耳は良い方なんですよ?」


「………………ゴメンナサイ」


 お決まりの姉妹漫才を交えつつ、美月は指示された通りに美幸と共に散歩に出る

ことにした。


 つい茶化してしまったが、恐らく美咲は、美月が休憩を後回しにして疲れを溜め

込むのを懸念していたのだろう。


 それに、本人には悪いが、ここに美幸が居ると気になって集中し切れないという

部分もあるのは事実…ここは素直に従っておくのが一番だろう。


「では、姉さん。私はどれくらいで戻れば良いでしょう?」


「あー、そうだね…。3時間…いや、2時間半かな。それくらいでよろしく」


「えっ? そんなに休憩しても良いんですか?」


 てっきり1時間程度だと考えていた美月が、意外そうにして美咲に聞き返す。


 今はまだ午前9時だ。

いよいよ大詰め…ということで、最近は朝の始業も早めているとはいえ、それでも

今日は7時頃から始めたばかり。

ここで2時間半の休憩を取るのなら、休憩時間のほうが長いくらいだった。


「うん。皆がここ数日、頑張ってくれたからね。

現在の進捗状況は、かなり想定よりも良いんだよ。

それに…美月が戻ってきたら、今度は入れ替わりに同じ時間だけ私が美幸と遊ぶ

予定になってるからね。気遣いは無用だよ」


「…クスクスッ…なるほど。自分の休憩時間をまとめて取るための作戦でしたか」


「うん。この状況で部下を休ませないのに、上司が休むのもどうかと思うしね」


と、そんな話をしていると…今まで黙々と作業を進めていた隆幸も、そんな会話に

入ってくる。


「チーフ。それじゃ、僕もその後で、同じ時間だけ休憩を頂けるんですか?」


「うん。勿論、そのつもりだよ。

…でも、ここで…高槻君にとても残念なお知らせだ!」


「…残念、ですか…。響き的に、既に嫌な予感がしますね…」


「由利子おばさんの昼食を用意しなきゃいけないので、美幸は私の休憩中に一緒に

おじさんの家に戻ります。

…ですので、高槻君の休憩時間には、既にここには美幸は居ませーん!」


「……それは、本当に残念なお知らせですね…。

確か、美月も今日は所長のところに泊まる予定だったはずですし…」


 遥が夏目家に泊まりに来る日には、代わりに美月が隆幸の家に戻ってくることが

多かったが…それでも半分ほどの確率で一人で過ごすことになっていた隆幸。


『寂しい』と口に出して言うような歳ではないものの、やはりそこは新婚。

…正直に言えば、少し寂しいという気持ちもあった。


 それに、美幸とも美月の送り迎えの度に会ってはいるが、そう長い時間、一緒に

居られたわけではなかったので、可能なら今日くらいはゆっくりと雑談をする時間

が欲しいところだった。


「フフフ…。残念だったね、高槻君。

君も休憩時間は長いが、私達と違って君には相手をしてくれる人は居ないのさ!」


「それは…。なんというか、逆にその長い時間を持て余しそうですね…」


「そうだろう! 悔しかったら、早く子供でも作れば良いのさ!

そうしたら、君も子育てで暇も無くなるだろうしね!」


 ある意味、いつも通りの美咲の不謹慎な発言。

いつもの通りなら、ここで美月が鋭いツッコミを入れて場が一時的に騒がしくなる

…はずだったのだが―――


―――この日は、少しその様子が違っていた。


「あ…いや…それは…」

「………っ……」


 その瞬間、急に研究室の中に、美幸でも気付けるほどの緊張感が流れた…。


 普段なら今のような美咲の発言に、隆幸が『チーフ!』といった声を上げるか、

美月が『姉さん!』と言って、お説教を始めるかの2択だったのだが…。


 今日は、隆幸は判りやすいくらいに気不味そうな表情をして、視線を逸らして

口ごもり、美月の方はというと、若干頬を赤らめて俯いている。


…そして、そんな2人の予想外の反応に、今度は美咲の方がうろたえ始める。


「…へ? いやいや! 何、この空気…。

…え? いや、あのー…美月? 美月さん? あんた…まさか、にんし――」


「さぁ! 美幸ちゃん! お散歩に行きましょうか!」


「…え? あ、はい。わっ…わわっ…」


 突然立ち上がった美月は、美咲のその言葉を掻き消すように大きめの声で美幸に

話しかけたかと思うと、その手を引っ張って歩き出す。


 一方の美幸はというと、室内の急激な雰囲気の変化に『…あれ?』と思っていた

ところに、美月に突然、手を引かれたため…少々つんのめってしまっていた。


「いや! 美月!? ちょっと!?」


「今日は時間もありますし! 美幸ちゃん、今から海でも見に行きましょう!」


「あ、はい。それは構わないのですが…」


 美月の提案に答えながらも、後ろを振り返る美幸。

…そこには、椅子に座ったままでこちらに腕を伸ばして、手の平を上下に動かす、

いわゆる『こっちに来なさい』というジェスチャーを必死な形相で繰り返している

美咲がいた…。


 あそこまでするのならば、いっそのこと、もう立ち上がって追い掛けて来た方が

早いだろうに…恐らく、美咲も混乱しているのだろう。


「…美幸ちゃん、後ろを見てはいけません。さぁ、行きましょう!」


「わ、わかりました…」


 美月の必死な様子に、とりあえずは付き従う美幸だったが…。

美幸達が部屋を出た直後、美咲の大きな叫び声が室内から響いてくるのだった。


「あ…コラッ! 美月ーっ! 逃げるなーーっ!」

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