第8話 親バカ研究員
「他に何か質問はある?」
「はい、私は今後、どこに配属される予定なのでしょう?」
「…ん? どういうこと?」
「私は『心を持つアンドロイド』のプロトタイプです。
その目的は、私を様々な環境に触れさせて人の心を学ばせ、そのデータを取ること
によって改善点を把握・改良を施していき、最終的に完成したデータを活かして、
『より人のパートナーにふさわしいアンドロイド』の生産を目指す……。
…と、そういうことなのですよね?
ですから、私としては自分の最初の配属先を、先ずは把握しておきたいのです」
「あー、『配属』って、そういうことね。
それなら、まずは試験的にこの研究所の中で暫くの間、お手伝いをしてもらった後、
短期留学生として学校に通ってもらうつもりだよ」
「…学校。短期留学生……ですか?」
「あー……でも、海外とかじゃなくて、あくまでも国内留学だよ?
…まぁ、本来『留学』っていう言葉は、国外に一定の期間学びに行くことを指す
から、言語的な意味だけで言うと、もう何言ってるか解んないんだけれど……」
その言葉に、美幸は『?』という記号が浮かんで見えるような表情で、美咲の顔
を見返しながら、軽く首を傾げてみせる。
そのあまりに愛らしい小動物的な仕草に『くっ……可愛い、抱きしめたい!!』
と、衝動的に思った美咲だったが……。
ここは“威厳ある研究室長”として、グッと堪えた。
…そして、一度『んんっ!』とわざとらしく咳払いをしてから、続きを聞く体制で
待っている美幸へ、説明を続けることにする。
「…君の場合、現状ではどこの国に属しているというわけでもないし、その一定の
期間が終わると、もうそれきりだからね。
『体験入学』っていう言い方も考えたんだけれど、実際の入学の機会が、その後に
来ることは恐らく無いだろうからさ。
そう考えると、外部機関に一時的に所属するって意味だと『短期留学』って言葉の
方が認識が近いのでは……と思って」
美幸の場合、“所有者”は国で、“管理責任者”が研究所ということになっている
が、“国籍”という意味では、その『籍』自体が存在しないために、扱いが通常の
人間とは少々異なっていた。
勿論、色々な部分で協力を得るためにも、今回は例外的に学園側には美幸の正体
がアンドロイドである事実を伝えることになっている。
…しかし、万が一それ以外の機関へ説明が必要な状況が出てきた場合には、今回の
短期間のみの編入を『短期留学』と称した方が、感覚的に伝わり易いのではないか
…という判断になったのだった。
「…で、ここからが本題というか、目的の部分になるのだけれど。
君には、まずは“集団生活”っていうものを体験してもらおうと思っててさ。
それを実施するにあたって、君の外見的に考えても、学校が最も違和感の無い場所
だろうということで、そう決まったんだよ。
…ただ、管理的な問題もあって、国外での運用試験は流石に難しくてね……。
それで、『国内で留学』ということに落ち着いたわけだ」
「…なるほど、そういう理由なのですね」
美幸はその説明で、ある程度の自らの予定を把握するとともに、その奇妙な表現
の意味を理解した。
質問する前までは、従来のアンドロイドのように、何処かの職場で通常の人間の
職員の代替として働くものだと想定していたため、一瞬、『短期留学』という言葉
に面食らった美幸だったが……理由を聞いて内心で納得していた。
…自分は初めて本格的な『人の心』を搭載したアンドロイドなのだ。
その本格的な運用をするために、まずは美幸本人が『心』というものを学習する
必要があり、留学はそのための準備段階……といったところだろう。
「うん。
まぁ、でも……今の美幸への説明は、全部表向きの理由なんだけれどね。
俗に言う“建前”ってやつさ」
「…えっ? た、建前……ですか?」
「一応はここも国立の研究機関だからさ…国への報告書とか、色々あるんだよ。
まぁ、勘違いしたままだとマズいかもしれないから、一応、美幸にはこれから本当
の理由も説明しておくけれど……。
…今から言う話は、この研究所内だけの秘密だよ?」
「あ、はい。秘密だというのなら、必ず守ります。
…けれど、“研究所内”? この“研究チーム内”では無く……ですか?
ええっと……それは本当に秘密、なのですよね?」
美幸は今日、美咲に連れられて案内してもらった所内の光景を思い返す。
ここは国内では最大のアンドロイド専門の研究用施設だ。
アンドロイド研究の分野は国も重要視しており、その予算規模も規格外。
当然、ここには美幸が驚くくらいには多くの人が働いていて……。
「あー……その点は大丈夫だよ。
ここの研究員は誰も外部になんて漏らさないだろうし。
…そもそも、ここの奴らは皆、ノリが良いからね。
本当の事を知ってても、精々が『職権乱用だー!』って私をからかってくる
くらいのもんだよ」
「クスッ……なるほど、わかりました」
美咲のその言葉を聞いて、美幸は思わず小さく噴き出してしまった。
先ほどの案内の際に他の所員にからかわれていた美咲の姿を思い出してしまった
からだ。
…これから部外秘の重要な秘密を聞くという場面であるはずなのだが……。
研究員達とのやり取りと、その雰囲気が頭に浮かび……何だか気が抜けてしまう。
そんな美幸の反応で、何を思い出したのかの予想がついた美咲は、照れ臭そうに
視線を逸らして、わざとらしい咳払いで誤魔化すことにする。
「んんっ……!
それじゃあ、話を戻すけれど……良いかな?」
「………はい」
照れから来る咳払いこそわざとらしかったものの……それと共に真面目な雰囲気
になった美咲。
…そして、それを肌で感じた美幸は、返事と同時についさっきっまで抜けていた
肩の力が、再び入っていってしまう感覚を自覚する。
「あぁ、気持ちは解らなくはないけれど、そんなに緊張しなくてもいいよ?
一応は大事な話ではあるけれど、特に悪い話という程でもないから」
「“緊張”…ですか」
「うん。思わず縮こまってるみたいだし。
これから何を知らされるか……不安なんでしょ?」
「…はい。少しだけ……ですけれど」
「まぁ、ちょうどいいや。
今、体感して“緊張”がどういうものか、覚えたでしょう?」
「はい、覚えました」
「さっき君は“心を学ばせて”、“データを取って”、“改善”……って言ってたよね」
「はい、確かにそう言いましたが……何か違ったのでしょうか?」
「うん、全然違う」
「…??」
それなら、自分は何をすれば良いのだろう? と美幸は思った。
目的が解らなければ、何に気を付ければ良いのか、どんな努力が必要なのかすら
わからない。
これから多くを学ぶ必要があるはずの身としては、ある意味でこれは最重要事項
であるといっても過言ではないだろう。
「……………」
更に緊張の色を濃くした美幸を前に、美咲は少しだけ困ったように笑うと、硬い
表情の美幸に説明を続けた。
「前提として……君には心を『学ぶ』必要は、そもそも無い。
学ぶっていうのは、知らない知識を身に付けていくって事なんだけれど……。
そういう意味では、厳密には君はもう既に心を身に付けているんだよ」
「…え?
いえ……ですが、つい先程“緊張”というものを学びましたよ?」
美咲の言葉に驚きながらも、不思議そうに言葉を返す美幸。
そんな美幸に、美咲はその内容が理解できるように、更に説明を続けた。
「さっきもそうだったんだけれど……。
まず“緊張”を学んで身に付けることが出来たから“緊張”し始めた……って順番じゃ
なかったでしょ?
君は既に“緊張”していて、私に『今の状態を“緊張”って言うんだ』って教わって
覚えたわけだ」
「…あっ……はい。確かに言われてみれば、その通りですね……」
そういえば、昨日の起動時も何故か手足が無意識に縮こまって、硬直していた。
…今思えば、あれは驚き以外に『緊張』もあったのだろう。
「これは君の中の基本データにも記録されているから、既に認識してる部分だろう
けれど……。
君の心を構成する素材は美月と高槻君、この2人の“7年分の様々な情報”を下地に
して作られている。
具体的には美月の13~20歳までと、高槻君の20~27歳までのものだね。
美月のは俗に言う多感な時期ってやつで、高槻君のは精神的に大人になるまで。
この『人間の心の成長期』と言っても良いような重要な部分を、合計で14年分の
データとして簡単に纏めたものを中心に、君のAIは開発された」
…まぁ、実際には『簡単に纏めたもの』どころか美幸の中には、2人の丸々7年分
の人生経験が全て詰まっているのだが……。
その領域を美幸は自力で検知できないよう設定されているため、美咲は美幸には
あえてそこに興味を持たないようにと、その部分においては適当に誤魔化すことに
した。
美幸も、そういった部分以外の自分の精神部分が美月や隆幸をベースにしている
ことくらいまではデータとして既に知っていたので、そこには特に驚かない。
「14年。
それだけの期間があれば、ほぼ全ての感情……“心”を一度は経験してる。
参考にしただけとはいっても、心を構成する要素は重要だからね。
流石にそういう情報は削っていないから、きちんとデータには全部入ってる。
…つまり、君は無意識下ではあっても、とっくに知っているはずなんだよ」
「…なるほど。
つまり私は、起動するより前に既に全ての心を一通り身につけている状態である、
ということなんですね?」
「まぁ、そういうこと。
だから、これから君に必要なのは“実際に体験”して、“確かめる”こと……。
“学習”ではなく、いわば“復習”なんだよ」
なるほど、そういうことか……と、美幸は納得した。
まさに『百聞は一見にしかず』とでも言うべきか……。
…要は、留学体験を通じて、その辺りを体感して体で覚えろということらしい。
「それから、さっき自分で『得られたデータから改善』って言ってたけどさ。
そりゃ、一応はデータは取るけど……別に、改善なんてしないよ?」
「………えっ!?
いえ、あの……改善、しないんですか……?」
心の底から『なぜ…?』という顔をしている美幸に、それまで密かに堪えていた
笑いがついに我慢の限界を迎えた美咲は、楽しそうに笑い声を上げた。
「あははっ! いやいや、そんなの当たり前でしょ?
私は、最初に君が目覚めた時に、きちんと言ったよね?
『私達は家族だ』ってさ。
何か気に食わない事があったからって、自分好みに頭ん中を改造するような家族が
いったいどこに居るっていうのさ。
…まぁ、悪いことをしたら、叱ったりはするだろうけれど……。
私らがするのなんて、それくらいだよ?」
美幸にとっては予想外だったその返答に、疑問がどんどん膨らんでくる。
…そして、それに従って美幸は軽い混乱状態になり……つい、美咲に捲し立てる
ように質問を浴びせてしまっていた。
「えっ……ええっ!?
で、では短期留学は!? その実施の意図は……何なんですか!?」
人が多く存在する環境に置いて、多くのコミュニケーションを取らせ、データを
効率良く改良していく、というのが本件の主な目的だと思っていた美幸には、ここ
にきてその目的が突然、よくわからなくなってしまっていた。
『体験入学』という言葉も、ちらりと出てきていたが、今の美咲の話の内容だと、
本当にただ単に『お試し』という事になってしまう。
『運用試験』と『お試し』。
言葉としては似てはいるものの、その重みはまるで違っている。
…一方の美咲はというと、戸惑っている美幸が実に可愛らしく、少々可哀そうな気
がしないでもないが……段々と楽しくなってきてもいた。
“私たちの娘”は、本当に可愛らしくて――真っ直ぐな子だ。
「お、教えてください!!
その『留学』は、私をより良いモノにするための運用試験ではないのですか!?」
遂には僅かながらも語気が荒れるほどに混乱した美幸がそう尋ねると、やはり愉快
そうな表情のままの美咲は、遂にその疑問に答えた。
「ただ単に、その方が美幸が楽しそうだから。
もう本当に、ただそれだけの理由だよ?
特に、短期留学扱いなら、進級とか成績とか難しく考えなくて良いからね。
それはもう思う存分、学園生活ってやつをエンジョイできるよ!!」
口に出してから、脳内に現れた美月に『エンジョイはオバサンくさいです』と
冷たく言われてしまったが……今の美咲は気にしない。
唯一、聞いている美幸も、ただただポカンとしているだけだったので、美咲も
特にそこには触れずに、更に説明を続ける。
「…まぁ、実際には集団行動ってのはそれだけ“心の復習”にも好都合な環境だから
全くの無駄にはならないと思うよ。
それに、色んな感情を実体験してもらう必要があるのも確かだからさ。
その後の試験では、面倒な場所への配属も……まぁ、あるとは思う」
「それは……はい。
むしろ、私はそういうものだと思っていたのですが……」
補足的に続けられたその言葉には、納得出来た美幸。
…ただ、短期留学の理由が“自分にとって楽しいであろうものだから”という、理解
しきれないものであったため、曖昧に返答するのがやっとだった。
そんな美幸に、愉快そうな顔から、今度は優し気な笑みへと表情を変えた美咲が
続けて言った。
「…確かに、運用試験は大事だし『研究』という意味では、重要ではあるよ?
…でもさ、“大事な愛娘”が自分の手元を離れてする、最初の社会経験なんだ。
『こちらに出来る最大限で、おもいっきり甘やかしてやろう!』と思ってさ。
まぁ、予算の都合とかもあるから、そう長い期間は無理なのは申し訳ないけど。
…せっかくの学生生活なんだ。
ちゃんと、楽しんでくるんだよ?」
「ぁ……その、ええっと……はい」
――自らの働きが今後の全てのアンドロイドの未来に繋がるのだ――
そう思って、数分前まで静かな使命感と強い責任感に燃えていた美幸は、予想外
の宣告に、半ば放心状態になってしまった。
…他にも色々な事を尋ねたかったはずなのに、その最初の配属理由があまりに予想
外過ぎて、もう何と言っていいのかわからなくなる。
「ははっ!
そりゃあ、他の研究室の連中に『職権乱用だー!』なんて言われるよ。
今回の配属先に限って言えば、ただ単に“美幸に楽しい学園生活の思い出を作って
欲しい”ってだけで、目一杯予算注ぎ込んだんだからさ!!」
美咲はそう言って、あっけに取られる美幸を見ながら『あははっ!』と心底愉快
そうに笑い続けるのだった。