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第67話 大きな代償

「――あはははははっ!」


 桜子がその教室に辿り着く頃、亮太の高笑いする声が廊下まで響いてきた。


 空き教室の扉は美幸が入った時から開いたままになっていたため、桜子は走って

いる速度をそのままに、室内へと勢いよく乗り込んでいった。


「何をしているの!!」


 室内では床の上に正座している美幸と、武器らしきものを持った生徒達。

…そして、腕組みで美幸の正面に立つ亮太の姿があった。


「…! って……ああ、なんだ……アンタか」


 突然、現れた大人の存在に一瞬だけ警戒した様子をみせた亮太だったが…

その正体が桜子だとわかると、途端に尊大な態度を取ってくる。


「何って……復讐だよ。

この女がこの前、俺のこと馬鹿にしたから、ちょっと復讐してたんだ」


「復讐!? 何を馬鹿なことを……今すぐ止めなさい!」


 すると、亮太は自分に向かってそう叫ぶ桜子を見て、再び笑いながら返した。


「止める? あははははっ! 止めるも何も、もう終わったよ~だ!

あんたも見てみろよ! あの女のバカみたいな顔を!」


 そう亮太に言われて、桜子は初めて気が付いた。

…ここまで美幸が俯いたまま一言も話していないことに。


それに気付いた瞬間、桜子は反射的に教室の真ん中に座る美幸を振り返った。


 美幸の視線はすぐ下の床に散らばった、“黒い何か”をぼうっと眺めていた。

右手には鋏。左手は床について、その“何か”をゆっくりと()き集めている。


 桜子が視線を美幸の顔の辺りまで上げた時……不意にその違和感に気付く。



 髪が――以前より短くなっている。桜子が前回見た時よりも、ずっと……。



「池崎君っ! あなた! なんて……なんてことを!!」


「あはははっ! 面白いだろ? ただ髪を切らせただけでコレだぜ!?」


 そう言って尚も笑い続ける亮太に、鋭い視線を向けた桜子は大股で近付いた。


 だが、完全に桜子を舐めきっている亮太は、そうして目の前まできた桜子を逆に

睨みつける。


「あ? 何だよ? なんか文句で――ほぶっ!」


 突然、亮太が変な声と共に横っ飛びに吹っ飛んでいった。


…あまりのことに、周囲の取り巻きの生徒達も状況が掴めない。

だが、それもほんの一瞬のことであり、すぐに生徒の一人が叫んだ。


「り、亮太君がやられたぞ! 逃げろ!!」


 その場の生徒達も普段、大人に怒られる子供の姿を見たことぐらいはあった。

だが、それはあくまでも拳骨を落とされるのを見かけた……といった程度だ。


 しかし、今、目の前で起こったことは、もうそんなレベルではない。


 大人が子供を、()()()()()()()()()()のだ。

勿論、拳ではなく平手ではあったものの、自分達のリーダーである亮太が、一撃で

吹き飛ばされる光景は、周囲の生徒達にとっては恐怖そのものだった。


 まさに蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく、取り巻きの生徒達……。

ドタドタとした足音はすぐに遠ざかり、室内はあっという間に3人だけになった。


「……ぁ……ぅ……え……?」


 そして、何が起こったのか分からなかったのは亮太も同じだった。


 間抜けな声を出して起き上がり、自らの周囲を見回して状況を確認する。


…すると、桜子が鬼の形相で再びこちらに向かって歩いてきている姿が見えた。


「な、なんだ――おぶっ!」


『なんだよ』と桜子にケチをつけようとした亮太は、再び頬を平手打ちにされる。


 今度は体ごと吹き飛ぶほどの勢いではなかったが……だからこそ、今回は正しく

状況が理解出来た。


 “今、自分は目の前の人物に、暴力を振るわれているのだ”と。


 心矢に対しては、日常的に暴力を振るっていた亮太……。


 しかし、自分自身がそういった目に遭った事は、ほとんど無かった。

両親からは勿論、同級生や教師達からも、だ。


 だから、いつの間にか“自分は殴られない”と何処かで思い込んでいた。


 殴られたことを自覚し始めた時、ちょうど痺れていた体の感覚が戻ってくる。


…頬が焼けるように熱く、そして……物凄く痛い。


 再び桜子を見ると、まだ亮太を睨みつけてきていた。


 いつもの困った様子で躊躇いを(にじ)ませながら叱ってきている時の表情ではなく、

憎しみすらこもっていそうな……純粋な怒りの表情を浮かべて。


「…ひいっ! うわああぁぁー……!」


 恐怖で顔が引きった亮太は自分を殴った桜子に憎まれ口を言うことも忘れて、

這うようにして空き教室から走り去っていった。


…そこには、もう先ほどまでの尊大な態度の面影など欠片も無かった。



「原田さん! 大丈夫!?」


 亮太が室内から逃げ去ったのを確認した桜子が、すぐに美幸の傍に駆け寄った。


「…え? あ……ええ。私は大丈夫です」


 少し呆然としているような雰囲気はあったが、思いのほか、しっかりとした返答が

返ってきたことで桜子はとりあえず一安心した。


…先ほど一瞬だけ見た時の美幸は、心が抜け落ちたように見えていたからだ。


「そう…。あの……本当にごめんなさい。私、駆け付けるのが遅れて……。

ええっと……ああっ! もう、なんて言ったら良いかっ……!」


 桜子は美幸の左手に視線を向ける。

そこには、なんとか掻き集められた……切られた髪の束が握られていた。


 亮太は一応は自分が担任を務めるクラスの生徒でもある。

そういう意味では、桜子にも責任は十分にあった。


「あ、そうだ。

あの……高井先生、1つだけ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」


「…え? ええ。何ですか?

私に出来ることでしたら、喜んでさせて頂きます」


「ありがとうございます。

本当に急なんですが……私、今日から本格的に海外留学の準備を始めなければなら

なくなりまして。

でも、時間が無くて、まだ心矢君にちゃんとお別れが言えていないんです。

心矢君……私に随分と懐いてくれていましたので……またショックで学校に来なく

なってしまうかもしれません。

ですので……何時でも結構ですから、心矢君の家に行って、私の代わりに励まして

あげてくれませんか?」


「…ええ、わかりました。明日にでも、すぐ伺わせてもらいます」


 女性にとって望まず髪を切らされるのが、どれだけ辛いことか……。


 だが、それでも一番に考えるのが今後の心矢の学校生活であることに驚きつつ、

その思いに応えられるよう、なんとしても心矢を説得しようと決意する桜子。


…ただ、桜子には1つの懸念があった。


「あの……原田さん。

心矢君のお家に伺うことは、確かにお約束します。彼を励ますことも。

…ですが、私はもう、この学校には居られないかもしれないんですよ」


 桜子は理事会からの通達と、先ほどの事実上の退職宣言を簡単に説明した。


「必要なことだと思ったからこそでしたし、今でも後悔はありません。

実際、思いきり池崎君の頬も叩いてしまいましたしから……」


 桜子は心矢のペンの件で会った際に、自分に食って掛かってきた亮太の母親の姿

を頭の中で思い浮かべた。


 あの人物ならばまず間違いなく、自分の解雇を要求してくるだろう。 


…だが、そんな桜子に美幸はその問題の解決策を提示した。


「そういうことでしたら、きっと大丈夫です。

高井先生は今日のことを包み隠さず世間に公表すれば、問題ありません」


「…え? いいえ、それは無理です! 先日、お伝えしましたでしょう?

仮に問題にしたところで、学校の中で揉み消されるだけです!!」


 美幸の案を即座に否定する桜子。


 自らの髪を奪われた美幸には本当に申し訳なく思うが、相手が悪すぎる。

むしろ、表沙汰にした方が、より悪い事態になりかねない。


…しかし、そう言って慌てる桜子に美幸は自信満々に答え返した。


「ええ……ですが、それも大丈夫です。

高井先生にはまだお伝えしていませんでしたが、私の家族は実はとても頼りになる

人達なんですよ?

…ですから、この件は全て私に任せておいて下さい」


「…いえ、あの……ですが……」


「高井先生の解雇は、こちらで何としても食い止めてみせます。

ですから……高井先生は心矢君のことを、どうかよろしくお願いします」


「…はい。わかりました。

では、今回の件は美幸さんにお任せします」


 内心では『家族というのがどういう人物かは知らないが、恐らく無理だろう』と

思った桜子だったが……今はとりあえず美幸にはそう答えておくことにした。


 今後の自分がどういう処分になるのかは分からないが、自分が第一にすべきこと

がそれで変わる訳ではなかったからだ。


 だが、それとは別にして桜子には一つの疑問があった。 


「それで、あの……一体何があったんですか?

こんな所で池崎君と居るなんて、どういう事情が――」


「ああっ……そうでした!

あのっ、ごめんなさい高井先生! 私、もう失礼します!!」


 桜子の質問を聞いてハッとなった美幸は、焦った様子で立ち上がると、教卓の上

のペンダントを右手で引っ掴んで、『失礼しますっ!』と改めて桜子に告げた後、

その空き教室から走って飛び出していってしまった……。


「……ええっと……?」


 そして、空き教室には突然、慌てて走り去っていった美幸の行動に思考が付いて

いけずに、ポカンとする桜子だけが残されたのだった。


                  ・

                  ・

                  ・


「ご、ごめんなさいっ! 愛ちゃん!! ちょっと遅くなってしまいました!!」


「あっ! 美幸さ……ん…………ぇ?」


 屋外から下駄箱の前まで勢いよく走りこんで来た美幸の声に振り返った愛は……

そこで言葉を失った。


 振り返った愛は、まず傘を差していたはずの美幸が、ずぶ濡れになっていること

に対して驚いた。


 そして、傘を持っていたはずの手元に視線を移すと……そこに握られている黒い

物体に気が付いた。


 最後に……その黒い物体の正体に気付いて反射的に見上げた美幸の髪がバッサリ

と切られていることを……自分の目で、確認した。


「これ! ペンダント……無事に取り返せましたよ!!」


「え……あ、あの……美幸さん……その……それって……」


 愛は美幸によって手の平に載せられたペンダントには目もくれずに、美幸の左手

に掴まれている髪束を指差して、絞り出すような声で何とかそう呟いた。


「…え? ああっ! こ、これは……ええ、大丈夫です!

愛ちゃんは、何も気にしないで下さい!!」


 愛に指摘された美幸は、慌てて左手を後ろ手にして隠した。


「あの……愛ちゃん。

そのペンダント、心矢君になるべく早く渡してあげて下さいね?

そうすれば、きっと心矢君も元気になってくれて……また愛ちゃんと一緒に学校に

通えるようになると思いますから」


「……あ……ええっと…………うん」


 ぼーっとしたまま、そう曖昧に頷いて返す愛。

美幸の髪が突然短くなってしまったのは、やはり愛には刺激が強かったらしい。


 心の中で『これは失敗でしたね……』と、髪束を見られたことを少しばかり後悔

した美幸だったが……今更どうしようもない。


 だから、美幸はこれで愛ともお別れになるということもあり、『きちんと伝えて

おきたかった事だけは言っておこう』と、頭を切り替えてそのまま話を続けた。


「……愛ちゃん。

昨日の話ですが……愛ちゃんは『心矢君を守る』と、おっしゃってましたよね?」


「…え? ……あ……うん」


 質問にはきちんと返答してくれた愛を見て、とりあえずはホッとする美幸。


…良かった。

何処かぼうっとしているけれど、ちゃんと聞いてくれてはいるみたいだ。


「あれなのですが……私は別に愛ちゃんが守る必要は無いと思いましたので、それ

をきちんと言っておきたかったんです」


「…えっ? な、なんで?」


 美幸の言葉の意味が分からない愛は、素直にその理由を聞き返した。

そんな愛に、美幸はいつものように優しくニッコリと微笑みながら、話し始める。


「私、まだ恋愛は正直よく分かりません。

でも、家族愛と友情なら、自信を持って『よく知っている』って言えます。

だから……私は思ったんです。

愛ちゃんは子ども扱いされるのはお嫌かも知れませんが、やはり今の愛ちゃんでは

まだ心矢君を守りきれないことも沢山たくさんあるかと思います。

そんな中、無理に守り続けようとすれば、きっといつか疲れてしまうんじゃないか

って……そう思うんです」


「…………」


 実際に今、自らの髪を犠牲にしてまでペンダントを取り返したのは美幸だ。

実質、情報を提供する際に条件を付けただけの愛には、何も反論出来なかった。


「…ですが、そういう時に守ってくれるのが、きっと“家族”なんです。

私にも、とっても優しい……大切な家族が居ます。

恥ずかしながら、私も普段からそんな家族に守ってもらっています。

自分で言うのも何ですが、私もまだまだ子供ですから。

だから、もしも自分達にはどうしようもないことに直面したら、1人で無理をする

前に、まずは周りの大人を頼って下さい。

私が見た限りでは、少なくとも心矢君の担任の高井先生は、ちゃんと相談に乗って

くれる方だと思いますよ?

それこそ、家族のように親身になって話を聞いてくれると思います」

 

「………うん」


 美幸の『大人に頼る』という言葉で、職員室の教師達が頭に浮かんで、否定的な

気持ちになりかけた愛だったが……。


 同時に、ついさっきの走り去る桜子の背中を思い出して、やはり素直に頷く。

…確かに、桜子が相手なら愛も素直に頼れるような気がした。


「そして、愛ちゃん自身は……友達としてでも、恋人としてでも構いません。

…ただ、心矢君の傍に居てあげて下さい。

私には、愛ちゃん達以外にも素敵な友人が、何人も居るんですけれどね?

その友人達には、いつも色々なことで支えてもらっています。

傍に居て、一緒に笑って、泣いて、喜んで、悩んでもくれる……。

ただそれだけで、本当に凄く助けになりますから。

…だから愛ちゃんは無理して頑張るんじゃなくて、今まで通りに心矢君の傍に居て

ただ笑っていてあげて下さい。

きっと……それが一番良いですよ」


「……うん、わかった……そうする」


 美幸のその言葉を聞いて、愛は少しホッとしている自分に気が付いた。

やはり美幸の言う通り、どこか気を張って無理をしていたのだろう。 


「さて! それでは、愛ちゃん。私は、そろそろ失礼しますね?」


 愛が小さく頷くのを見届けた美幸は、その場の空気を切り替えるために少しだけ

大きい声で元気良くそう言うと、なるべくさり気なくいつも通りに、そう伝えた。


「あ……はい。ええっと、あの……さようなら」


 そんな美幸に対して、別れというものの経験に乏しい愛は、何と言って良いのか

よく分からず……。


 結局、悩んだ末にいつも通りの別れの挨拶を返した。


「はい……さようなら、愛ちゃん。

…きっとずっと、元気で居てくださいね?」


 そう最後に告げて愛に背を向けた美幸は、そのまま一度も振り返らずに、その場

を後にしたのだった。

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