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第66話 亮太の復讐

 “ザーーーーー……”


 時刻は夕方5時前、天気は生憎の雨だった。

どしゃ降りというほどではないものの、決して雨脚は弱くない。


 そんな中、校門の前には傘を差した美幸と愛の2人の姿があった。


「それでは…行って来ます」


「あの、美幸さん…気をつけてくださいね?」


「はい。ご心配、ありがとうございます。

ところで、愛ちゃんは何処で待っていらっしゃるご予定ですか?」


「ここで待ってます」 


「それはダメです。

今日は雨ですし、最近は暖かくなってきたとはいえ風邪をひいては大変ですから。

最低でも屋根のあるところにして下さい」


「…わかりました。じゃあ、下駄箱の前で待ってます」


「はい。そうして下さい」


 わざわざ時間と場所を指定してきたのだから、あの亮太が素直にペンダントを

返してくれるとは思えない。


 きっと、何か美幸にとって良くないことを考えているはずだ。

にもかかわらず、まず自分よりも愛の体を心配する辺りが、いかにも美幸だった。


「それじゃあ、待ってます」


「はい。取り返したら、すぐに戻ってきますからね?」


 美幸の言葉に無言で頷きながら、下駄箱へと向かう愛。

その背中が校舎の中に消えたのを確認して、美幸は約束の時間に間に合うようにと

少し速歩きで旧校舎へと急いだ。




 無言のまま入った部屋には、亮太を中心に数人の生徒が立っていた。


 辿り着いた空き教室は雨雲が日の光を遮っているせいか薄暗く、どこか不気味な

雰囲気を漂わせている。


 最低限の明るさはあるため、相手の顔が見えないということは無いが、蛍光灯を

点けていない今の状態では部屋の隅々までは見通せない程度には暗かった。


 美幸は即座に視界の明度を上げて、見えやすいように視覚設定を変更した。

すると、たちまち天気の良い昼間のように周囲が見えやすくなる。


「…………………」


 そこにいる全員の顔を、ゆっくりと一人一人確認するように眺める美幸。

…しかし、周囲の生徒は何故か美幸の姿を確認すると、ザワザワと騒ぎ始めた。


 漏れ聞こえてくる声は『聞いてないよ』や『誰!?』や『どうする?』といった

ような内容だ。


…どうやら、亮太以外の生徒は、てっきり心矢が来るものと思っていたらしい。


 そこに見ず知らずの女性が入ってきたので、少々混乱しているようだった。


「黙れ! 怖がるな! 間違いなく、こいつが待ち合わせの相手だ!!」


 そう亮太が言うと、瞬時に周囲の声は止んだ。

しかし、やはり亮太以外の者は戸惑いを隠しきれない様子だった。


「…俺が話をする。お前らは武器を構えてろ」


 再び亮太が指示を飛ばすと、周囲の生徒は各々、用意していた武器を構えた。

カッターナイフや彫刻刀、中にはコンパスを持った生徒も居る。


 どれもこれも学校の教材で使うような物ばかりだったが、扱い方によっては

大怪我の恐れもある。油断は禁物だ。


 美幸は亮太の正面から2メートル程度離れた位置に立ち、尋ねた。


「昨日、あなたが盗んだペンダントは何処ですか?」


「…あそこだ」


 そう言って教室の奥にある教卓を指差した亮太。

そこには確かに、美幸が心矢に贈ったハートのペンダントがあった。


 すぐに視界を拡大して、ペンダントの状態を確認する。

…良かった。どうやら目立った傷は無いようだ。


「それで…どうすれば返してくれるんですか?」


 これが起動当初の美幸だったのなら、質問すらせずにスタスタと歩いて行って、

そのままペンダントを取り返そうとしていたのだろう。


…だが、今の美幸には多少なりともこれまでに得てきた経験がある。

この手の人間が無条件に返してくれるとは、流石に思ってはいなかった。


「そうだな…。…まずは一昨日の朝のことを謝れ!」


「あれは事実を言ったまでです。

あなたが私の友人の悪口しか言っていなかったから『聞く価値が無い』と」


「事実かどうかなんてどうでもいいんだよ! とにかく謝れ! 土下座だ!」


 冷静にそう答えた美幸の台詞に、亮太は逆上して興奮状態になった。


…これ以上刺激すれば、亮太が腹いせにペンダントを壊してしまいかねない。

そう思った美幸は、とりあえず素直にその指示に従うことにする。


「……一昨日は失礼なことを言って、申し訳ありませんでした」


 埃っぽい床に正座した美幸は、そのまま頭を下げて土下座した。


「ぷっ…あはははははははっ! バーーーカ! あっははははっ!」


 土下座する美幸の姿を見た亮太は、急に気分が良くなったのか…指を差して大声

で笑っていた。


…顔を上げた美幸の目は、そんな亮太の姿を捉える。

実に愉快そうだった。


「これで…返して頂けますか?」


「はは、は………はぁ。…いや、まだだ」


 美幸の言葉を受けてやっと笑うのを止めた亮太は、意地の悪い表情を浮かべて

そう答え返した。


「…約束が違います」


「バーカ! 誰も『それだけで返してやる』なんて言ってないだろ!

本番はここからなんだよ!」


 すると、床に座ったままの美幸の目の前に“ガチャン”と音を立てて何かが投げ

落とされた。


「それで髪の毛を切れ!」


「………………………え?」


 目の前に落とされたのは、(はさみ)だった。

子供が使いやすいように先が丸くなった……普通の、小さな鋏だった。


「たしか…“女は髪が命”なんだろ? この前、ママが言ってたからな!

お前がそれで自分の髪の毛を切ったら、アレを返してやる!」


「……………………」


 これが亮太が考えた美幸への復讐だった。

“復讐したい”と漠然と思ったのはいいが、実際にどうすれば美幸が悔しがるのかが

よく分からなかった亮太。


 前回のことで悪口は通用しないことは分かっていたし、体格差があるため暴力で

泣かせる…というのも難しいだろう。


 そんな時、不意に以前に母親が言っていた『髪は女の命なのよ?』という言葉を

思い出し、その髪を切らせることにしたのだ。


「何してる! さっさと切れ!

先に言っておくが、ほんの少し切ったぐらいじゃダメだからな!」


「……わかり……ました」


 亮太の言葉に従って、目の前の鋏を拾い上げる美幸。


 背中の中ほどで綺麗に切り揃えられた、美しいその黒髪。

美幸はその髪を一旦首の後ろで集めて、左肩の前で束にして持った。

…その後、鋏の刃を開くと……その髪束にそっと添える。


 そして…目を閉じた美幸は、ゆっくりと鋏に通した指に力を――込めた。


                  ・

                  ・

                  ・


 時間を遡ること、十数分前。

美幸と別れた愛は下駄箱の前で止まらず、そのまま職員室への廊下を急いでいた。


 もう約束の5時まで、そう時間が残されていない。

あの美幸のことだ。きっと5時きっかりに亮太と接触するつもりだろう。


…だから、愛も最低でも5時までには職員室に着かなければならない。

              

 そもそも愛の計画は邪魔者の()()なのだ。

その対象には美幸だけではなく、もちろん亮太も含まれている。


 愛の作戦は、美幸にペンダントを取り返しに行かせて、その現場を偶然見かけた

ことにした愛が、職員室に居る教師に報告。


 そうして現場を教師に押さえさせることによって、亮太を言い逃れ出来ない状況

へと追い込む……というものだった。


…愛も、以前に起こった心矢のペンを壊された件は聞いていた。

しかし、危害を加える対象が学外の人間……しかも愛という確実な目撃者がいる上

に、暴力を振るう現場に教師が居合わせたのなら、誤魔化されることも無く、

問題をより大きく出来るだろうと考えたのだ。


 これなら、上手く行けば亮太は退学……最低でも停学くらいにはなるだろう。


 そうなれば、亮太も今後はイジメをかなりやりにくくなるだろうし、されること

の程度がマシになれば、その対策もしやすくなるはずだ。



――少なくとも、この時の愛は……そう考えていた。



「すまん! 斉藤!

先生な? えーっと…大事な用事があって、今すぐ帰らないといけないんだ!」


「用事……!?

だって、先生……今さっき『今は大丈夫だ』って言ったじゃない!」


…そうなのだ。


 愛は、まさか亮太を擁護するために学校がグルになって、心矢をイジメの渦中(かちゅう)

敢えて置いているなどとは、夢にも思っていなかったのだ。


 だから、到着した職員室で担任教師のその言葉を聞いた愛は、本当に驚かされる

ことになる。


 愛の担任教師は怒ると怖いことで校内でも有名な教師だ。


 あの亮太もその例に漏れず、愛の担任教師にだけは警戒しているようなところも

あったので、今回の計画ではその担任に助けてもらうはずだった。


…しかし、いざ話してみると、担任は亮太の名前を出した途端に子供の愛でも見て

分かるほどに露骨にうろたえて、適当な嘘でその場から逃げようとした。


「先生!!

自分の用事より、早く私の知り合いのお姉ちゃんを助けに行ってよ! ねぇ!!」


「本当にすまん! 斉藤、じゃあな! お前も気をつけて帰れよ!!」


 そして担任教師は碌に愛の話を聞かずに、言葉の通り、すぐにその場から去って

行ってしまった。


「ああっ! もう他の先生でも良いから! 誰かお姉ちゃんを助けて!!」


 そう叫びながら、愛は職員室内の他の教師の顔を見回した。


 愛の助けを求める声は、子供の声とはいえ、決して小さくは無かった。

むしろ、廊下にまで響き渡っているほど大きいものだ。


…だが、誰もが机に向かって作業を続けていて、そんな愛を完全に無視していた。


「そんな……。なんで!? なんで誰も助けてくれないの!?」


 声の限りに叫んだ愛のその姿を、教師達は一瞬だけ視界に納めるが……。

…やはり、また仕事に戻っていく。


 他の教師達も、別に必死に叫ぶ愛を助けたくないわけではない。


 だが、寄付を打ち切られることを恐れた理事会から、強く通達されていたのだ。

『池崎さんのご子息に何かあれば、関係者は例外なく解雇対象とする』と。


「助けて!! ねぇ!! 誰か、誰かお姉ちゃんを助けてよぉ!!」


 そう叫ぶ頃には、もう愛はほとんど泣き出してしまっていた。


 約束の5時は……もうとっくに過ぎてしまっている。


 あの亮太のことだ。


 今頃はきっと、先日の腹いせに美幸に暴力を振るっていることだろう。

もしかしたら、既に美幸は何か怪我をしているかもしれない。


 愛は焦っていた。

これでは、美幸がただ痛い思いをするだけになってしまう。


 自分は美幸を追い出しただけで、結局は何も成し遂げられないのか。


…そう、愛が絶望しかけた――その時だった。


「ちょ、ちょっと! どうしたの!? 斉藤さん!!」


「………ぁ……」


 廊下から急いで職員室に入ってきた一人の教師が、愛に走り寄ってきた。


…心矢のクラス担任を務めている、いつも気弱そうにしている、高井先生だ。


「高井先生っ! 美幸さんを……お姉ちゃんを助けて!!」


 桜子は愛の口から出た『美幸』という言葉を聞いて、ピンと来た。

…詳しい状況は分からないが、きっと亮太絡みで美幸が危険なのだろう、と。


「…わかった。私が助けに行くわ。場所は何処?」


「旧校舎! 一番奥の空き教室!! 急いで!!」


「ええ、わかったわ。

それじゃあ、先生は今すぐ向かうから、斉藤さんはここで待っていなさい」


 そう愛に告げると、桜子は職員室の入口に向かって急ぐ。


…しかし、そんな桜子の進路をはばむように立ちはだかる人物が居た。

密かに職員室の奥で様子を伺っていた、教頭だ。


「おい、高井先生!

君は今さっき戻って来たから知らないのも仕方ないが、この件は――」


「わかっています! 池崎君が関係していると言うのでしょう?

…ですが、そんなことは関係ありません! そこを通してください!!」


 教頭の言葉を遮って、桜子は大声で進路を空けるように訴えた。


…だが、教頭はいっこうにその場を動こうとしない。


「いいや、ここを通すわけにはいかん!

君のような新米の勝手な行動で、我々全員が迷惑を(こうむ)るわけにはいかんのだ!」


「…なるほど、わかりました……」


「そ、そうか……うむ、わかってくれたか……」


 桜子のその納得したような返答を聞いて、一瞬、ホッとした様子を見せる教頭。


…だが、桜子は鋭い眼光のまま、更に言葉を続けた。


「…今から、私はこのまま扉まで直進します。

もし少しでも体に触れたら……教頭? セクハラであなたを訴えますので」


「! な……なっ……」


 桜子のその『訴える』という言葉が強力だったのか……。


 絶句した教頭は、宣言通り真っ直ぐ進んできた桜子を、反射的に大げさなくらい

の動きで避けることとなった。


…そして我に返った教頭は、廊下へと出た桜子の背に仕返しとばかりに捨て台詞を

浴びせかける。


「わ、私は無関係だからな!

君も……解雇になっても、我々は一切の擁護は出来んぞ!!」


 すると、桜子は一度だけ振り返って……そんな教頭に言い返した。


「ええ、結構です。

こんな子供が泣いて助けを求めているのを放置しなければいけないのが教師という

仕事ならば、私はそんな恥ずかしい仕事を続けたくはありませんから」


 そして、桜子は校則など知った事かと言わんばかりに、勢いよく旧校舎に向けて

廊下を走っていった。


…そんな一部始終を傍で見ていた愛には、桜子のその姿はこの職員室の中の誰より

も格好良く、尊いものに見えた。




 桜子を見送った愛は、その後こっそりと職員室を抜け出すと、今度は下駄箱へと

急ぐことにする。


…後は、そこで美幸を待っているだけで良いはず。

美幸のことは、きっとあの高井先生に任せておけば、もう大丈夫だろう。


 そう信じられる程度には、愛にとって桜子の背中は頼もしいものだった。

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