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第65話 遅れてきた罪悪感

 夕方の教室、授業も終わり…放課後になってもう一時間以上になるが、心矢は

床に()(つくば)ってあたりを見回し続けていた。


「…ねぇ、心矢君。もう今日は諦めて、一旦帰ろうよ?」


「…お前だけ先に帰れば良いだろ? 俺はもう少し探す」


 体育の授業が終わった後、すぐにペンダントがないことに気付いた心矢。


…だが、桜子以外の教師には秘密にしている上に、なくしたのは隣の教室だ。


 仕方なく放課後まで待った心矢は、誰も居なくなった隣の教室で、必死になって

探し回っていた。


…今までに何度もされたことがあったため、ゴミ箱の中までも引っ掻き回して。


「…もしかしたら、明日になら、ひょっこり見つかるかも知れないよ?」


「…は? なんで今日見つからない物が、明日なら見つかるんだよ?」


 その奇妙な物言いに、心矢は体を起こして愛に振り返った。


「えっ!? いや、あの……明るい方が見つかりやすいかなぁ……って」


「…いや、まだ外、明るいじゃん」


 心矢の鋭い追及に、冷や汗が出る思いの愛。

苦し紛れに言った理由も、すぐに論破されてしまった。


「でも、もうすぐ5時だよ……。ねぇ、もうそろそろ帰ろうよ」


「………はぁ。わかったよ」


 かなり不満そうではあったが、愛の言葉に従って立ち上がる心矢。


…しかし、その心矢の反応に、逆に罪悪感を覚える、愛。


 いつも乱暴な言葉遣いで返答してくる心矢だが、今のように愛が本気でお願いを

するような言い方をした時には、大体は頷いてくれる。


 だからこそ、なんだか騙しているような気分になって、その心矢の素直さに愛は

少しだけ心が痛んだ。


                  ・

                  ・

                  ・


「あ…お帰りなさい、心矢君。今日は少し遅かったですね?」


 心矢が帰って来ると、いつも通りに美幸が玄関で出迎えてくれる。


 最初の数日間は学校まで迎えに来ていた美幸も交えて、3人揃って下校していた

のだが、日によって帰る時間がまちまちであることと、何よりも美幸が学校の前で

待っていると非常に目立ってしまうことから、結局、帰りは愛と心矢の2人で帰る

ことになっていた。


「……………俺、明日は学校休む」


 笑顔の美幸を見た瞬間、ペンダントをなくしてしまったことが後ろめたくなった

心矢は、俯いて反射的にそう呟いた。


「…えっ?」 


「………っ……」


 驚く美幸の脇をすり抜け、目を合わさないように俯いたまま、心矢は階段を駆け

上がっていった。


 直前の台詞も相まって、焦った美幸は心配そうにしながら愛に事情を尋ねる。


「あ、愛ちゃん! 心矢君……今日、学校で何かあったんですか!?」


 昨日の格好良い姿が嘘のようにオロオロとする美幸を見て……また、愛は心には

鈍い痛みが走る。


 周りの他の大人なら『あら? また反抗期?』と言って、気にも留めないような

今の状況でも、こうして取り乱すくらいに本当に心配してくれている、美幸。



――そんな美幸に、これから愛はとても残酷な選択を迫らなければならない。



「…美幸さん。お話があるので、今から少し私について来てくださいますか?」




 美幸は、あれから部屋にこもってしまった心矢に『ちょっとこれから愛ちゃんを

お家までお送りしてきますね』と扉越しに伝えて、愛の後について行った。


 そして、乾家からほんの十数メートル行った所にある小さな公園に辿り着いた愛

は、歩みを止めて美幸を振り返った。


「…美幸さん、まず初めにお願いがあります」


「…はい。何でしょう?」


 愛の真剣な雰囲気を察した美幸も、神妙な面持ちでそう答えた。


「これから言うのは、さっき心矢君が美幸さんに言いたがらなかった内容です。

…だから、私から聞いたことは心矢君の前では言わないで下さい」


「…はい。わかりました」


「…ありがとうございます」


 愛は目を閉じて一度軽く深呼吸をして心を落ち着かせた後、美幸に昼間あった

ことを話し始めた。


「…今日、美幸さんからもらったペンダントが無くなりました」


「! だから、あんなに落ち込んでいたんですか……」


「はい。今日の帰りが遅れたのも、それを今まで探していたからです」


「…そう、ですか……」


 心矢の心中を思ってだろう……沈痛な表情を浮かべる美幸。

…だが、愛が伝えるべき内容は、ここからが本題だった。


「それから……これは、心矢君はまだ知りませんが……実は私、ペンダントが無く

なった原因を知っているんです」


「…えっ? それは……どういうことでしょう?」


「私、見たんです……池崎が、あのペンダントを盗むのを。

結局……すぐに逃げられてしまいましたが」


「ああ……また、あの子ですか」


 愛の言葉を受けて、美幸の表情が曇る。

美幸には珍しい……暗く、怒りを覚えたような、そんな表情。


「…はい。

明日の夕方5時……とある場所に美幸さんが行けば、返してくれるそうです」


「私……ですか?」


「はい、そう言ってました。

あいつ、昨日の言葉がそうとう嫌だったみたいです」


『なるほど』と思うと同時に、美幸は少しだけ安心していた。


 今回のターゲットは自分……心矢が酷い目に遭うわけではないのだ、と。


 そのいかにも保護者的な思考に美幸は深刻な話の最中にもかかわらず、心の中で

クスリと笑ってしまった。


 これでは――本当に心矢の姉にでもなったような思考だ、と。

…そんな自分が、妹が大事だといつも公言している誰かさんに重なったのだ。


「それで、それはどこなのですか?」


「あの……それなんですが……その場所を教える代わりに、私から美幸さんに1つ

お願いがあります」


「? お願い……ですか?」


 急に話の風向きが変わったため、美幸は不思議そうに愛に聞き返した。

…すると、意を決したような顔つきの愛が、強い視線で見つめ返してきた。


「はい。ペンダントを取り返したら、すぐに心矢君の前から去ってください」


「……!!」


 思いがけない愛からの頼みに、美幸はすぐに返事が出来なかった。


「………それは……」


 言葉に詰まる美幸。

初めから期間限定だったとはいえ、それでも終了時期まではまだ余裕がある。


 それまでに心矢の心が少しでも癒されればと考えていた美幸にとって、その突然

の可能性に思考が追い付かなかったのだ。


…それに、これはあくまで美幸の試験でもある。

どちらにせよ、美幸の一存(いちぞん)で簡単に返答が出来ないのも事実だった。


「…理由を……理由を聞いても、良いですか?」


「…今回のことで分かったんです。

今の心矢君は、あまりにも美幸さんに頼り過ぎています。

でも、美幸さんは来月の終わりには外国へ行っちゃうんでしょ?

これ以上長く一緒に居たら、美幸さんが居なくなった時、またショックで心矢君が

引きこもりに戻ってしまうと思うんです」


「それは……」


 確かに、愛の言うことは美幸も心配していたことの1つだった。


 だからこそ、遥達に相談して、美幸が試験を終える前にイジメ自体を無くさせる

方法を考えていたのだから。


「ペンダントを取り返したら、そのまま私に渡してください。

私から心矢君にペンダントを渡します……私が見つけ出したことにして。

そして、これからは私が傍に居て、心矢君を守っていきます。

…私は美幸さんと違って、ずっと心矢君と一緒に居られますから」


「ああ……そういうこと、ですか……」


 愛の真剣な眼差しからは、強い決意と……ほんの少しの迷いが読み取れた。


 そして――その目を見た美幸は、愛の“お願い”に対する回答を決めた。


「…わかりました。約束します」


「…! 本当ですか!?」


「はい」


 美幸の返答を聞いた愛は、目に見えてホッとしていた。


 先ほどの愛の目に見えた、微かな“迷い”。

それを美幸は、自分に去るように告げることへの迷いだと考えていた。


 そして、そんな迷いを抱えながら、それでも心矢の今後を優先して勇気を出して

美幸に言ってきたのなら……その思いは、とても尊いもののように感じたのだ。


 この時、美幸が愛の願いを素直に受け入れたのは――そんな理由だった。


「ありがとうございます。

それじゃあ、その場所ですが……『旧校舎の一番奥の空き教室』だそうです。

ただ、美幸さんだけだと、きっと校門で止められると思うので……。

明日は学校の中に入るところまでは、私が一緒について行きます。

…ですから、取り返したペンダントは学校で受け取ります」


「…わかりました。

それと……こちらこそ、教えてくれてありがとうございます。

それから、ごめんなさい。

愛ちゃんには、とても言い辛いことを言わせてしまいましたね…」


「…えっ? あ……いいえ! そんなの、大丈夫です!!」


 想像もしていなかった美幸の謝罪に愛は驚き、思わず大きな声で返事を返す。


…そして、同時に愛の中の罪悪感は更に増してしまっていた。


 もっともらしい理由を並べてはみたものの、結局は愛が心矢を独り占めするため

に美幸を排除したかっただけだ。


…愛からすれば、謝られる理由こそ全く無かったのだから。


「…さて! それでは行きましょうか?」


「えっ? 行くって……どこにですか?」


 その暗い雰囲気を吹き飛ばすように、一際ひときわ明るくそう言った美幸の言葉の意味が

よく分からず、愛は素に返ってそう尋ねる。


 すると、ニコリと笑った美幸が優しく答えを返してきた。


「ふふっ、愛ちゃんのお家ですよ。

『お送りする』って、言っていたでしょう?

…それに、これが最後になるんですし……。

愛ちゃんを……“私の大事な友達”を、きちんと送らせて下さい」


 そう言って愛の返答を待たずに手を握ってくる、美幸。


 だが、それを聞いた愛は歩き出せなくなった。

…我慢できなくなった涙が、後から後から……溢れてきたのだ。


 美幸の『友達』という言葉が、胸に突き刺さって……とても痛かった。


「…ありがとうございます。

私は愛ちゃんと友達で居られて……とても嬉しかったですよ」


 美幸はそう言ってしゃがみこむと、愛を正面から見つめながら優しく頭を撫でて

くれる。


(違うっ! 違わないけど……でも、違うの!!)


 言葉にならない言葉を心の中で叫んで、愛は更に大粒の涙を流す……。


 美幸と別れてしまうことが悲しくて泣いているのは間違いではない。

…しかし、やはりそれは違うのだ。


 愛が今泣いているのは、“友達だ”と言ってくれたこんなにも優しい美幸を、騙す

ように追い出してしまおうとしている自分の行いが、急に怖くなったからだ。


 だが、きっと目の前の美幸は、愛が純粋に自分との別れを惜しんで、涙を流して

いると思っているのだろう。


…それを嬉しく思う気持ちと強い罪悪感の狭間で、更に涙が溢れてくる。


「…ごめんなさい。

本当なら待っていてあげたいんですけれど……今日はもう遅いですし。

愛ちゃんのご両親も心配するでしょうからね。

…その……このまま歩けますか?」


「…………(コク)」


 美幸の質問に、涙を拭いながら、深く頷く愛。

美幸はそんな愛の頭をもう一度撫でてから、再び手を繋ぎ直して歩き始めた。


 愛はそんな美幸に軽く手を引かれるようにして、ゆっくりと隣を歩いていく。

そして、思った……一刻も早く泣き止まなければ、と。


…自分で追い出しておいて別れを惜しんで泣くなんて……あまりに身勝手過ぎる。


 今、自分はきっと悪い事をしているのだ。

涙を流す資格なんて、きっとどこにもありはしないのだから。


 そして、なんとか泣き止んだ愛は、繋いだその手にギュッと力を込める。


 せめて…この手の感触をこれから先もずっと忘れないでおこう……と。

そう……堅く心に誓って。


 そうして繋いだ美幸の手は柔らかく、そして――とても温かかった。

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