第7話 美幸の質問タイム
「…さて、改めて……。
私がこの研究室の主、原田美咲だ。よろしくね?」
今日の予定は、美幸の起動の翌日ということで、手始めに美幸に研究所内を案内
して回ると決めていた。
そこで、つい先ほどまで美幸を連れて説明を交えながら研究所内を一緒にぐるり
と一通り歩いて回っていた美咲達は、やっと自分の城である、この『原田AI研究
分室』のプレートの掛かった部屋まで帰って来たのだった。
だが……本来、アンドロイドである美幸には案内などは必要なかった。
“人の心を持っている”とは言っても、アンドロイドである以上は、当然マップも
メモリーのデータ内に入っているし、自分の現在位置もGPSで把握出来る。
発言や態度からは頼りなく見えるかもしれないが、実際には美幸が施設内で迷子
になったりする事は、まずありえない。
しかし、美咲は美幸に限っていえば、この案内にも意味があると判断していた。
何故なら、データ上の知識と実際に見る印象というものは、かなり異なるものも
多いからだ。
通常のアンドロイドならば持たないであろう感想や、データだけではわからない
事も、美幸なら自分で見ることによって感じ取り、理解するだろう。
…まぁ、つまりは『百聞は一見にしかず』というやつだ。
「改めて歩くと結構疲れるね~。
なんだかんだ言っても、ここは結構広いしさ……」
いつもの癖で首をコキコキと鳴らしながら、美咲は愚痴った。
「…それで、どうだった? ここの印象は」
「はい、さすが国内最大の研究施設です。
設備もさることながら、研究員の方々の数には少し驚かされました。
それに、皆さんが揃って温かく迎え入れて下さって、とても安心しました」
「そっかそっか、それは良かった。
それにしても……はぁ……。
私の方は、終始からかわれていただけだったよ。
まったく……揃いも揃って、本当に失礼な連中だ」
親鴨の後を付いて回る子鴨のような様相で美咲の後に続く美幸は、案内の先々で
常に可愛がられていた。
…だが、それに対して、そんな美幸を甲斐甲斐しく説明していた美咲には――
『普段からこれだけ可愛ければねぇ……』とか、
『美咲ちゃんにも他人の世話が出来るのね?』だとか……
案内の間中、ずっと散々な言葉が浴びせられ続けていたのだ。
…まぁ、行く先々でイジられながらも楽しそうに笑っていた美幸を見て、案内して
良かったとは、美咲も思っていたのだが。
今日、美咲がしたかったのは施設の説明ではなく、各施設に居る人の人となりの
説明だったからだ。
…これについては、口頭での説明よりも実際に会って話すのが一番良い。
「まぁ、気に入ってくれたのなら良かったよ。
ここは君からすれば、産まれ故郷みたいなものだしね」
「産まれ故郷……そうですね、ここは私の故郷です」
そう言って微笑んだ顔は、正直とてもアンドロイドとは思えないほど穏やかで、
温かかった。
「さて、案内も終わったところで……何か質問はある?」
来客用の簡易スペースにあるソファに座って、美幸にも座るように促しながら、
美咲はそう尋ねた。
「はい。
あの……美月さんや隆幸さんは、本日はいらっしゃらないのですか?」
「ああ……あの2人は、今日は特別に自由出勤になっているんだ。
『美幸に会いに来る』とは言ってたから、来るには来るだろうけれど。
特に時間までは決まっていないんだよ。
…昨日はあの場に居た連中に、あちこち連れまわされていたからね……。
夕方までには、流石に来るつもりなんだろうけれど。
まぁ、どちらにせよ、今頃は2人揃ってお家で夢の中なんじゃないかな?」
普段から真面目過ぎる程に真面目な2人だ。
深夜まで店を梯子するなんて、生まれて初めての経験だったろう。
本当は美幸の案内も美月の方が適任なのは美咲にも分かっていたが、昨日夫婦に
なったばかりなのだ。
…姉としては、二人きりでのんびりする時間も、少しは作ってやりたかった。
「ええっと……それで、何かあの2人に聞きたいことでもあったのかい?」
美咲がそう言うと、美幸はどこか言い辛そうにしながら、質問してくる。
「いえ、その……昨日、私が初めて『美咲さん』と呼ばせてもらった時に、皆さん
驚かれていたのが、少々気になっていまして。
それで、あの時に隆幸さんが『凄い』って言っていた意味を伺いたかったんです」
あの後、起動後のメンテナンスのために美咲達と別れた美幸は、そのことが
ずっと気になっていた。
自分としては、受け答えに何か問題があったようにも思えなかったのだが。
「あぁ、そんなことか……。
それなら簡単だよ? 君が予想以上の反応だったからさ」
「予想以上……ですか?」
「うん。あの時の会話、覚えてるでしょう?」
「はい、勿論です」
「あの時の私は、『美咲って呼んでくれ』って言ったよね?」
「はい、確かにおっしゃっていました」
「それに対して君は、迷う事無く『それでは美咲さんと呼ばせていただきますね』
って答えただろう? ……だからだよ」
「? 何か、おかしかったのでしょうか?」
美幸は美咲の言いたい事がいまいち理解出来ずに、可愛らしく首を傾げて不思議
そうに尋ねた。
「普通のアンドロイドなら、あの場合、言われた通り『美咲』って呼ぶんだ。
でも、君はあの時『美咲さん』って敬称を自然に付けて呼んだ。
…確かに、自分で考えて敬称を付ける可能性もありえるよ?
近年のAIのレベルは非常に高いからね。
ただ、そういう場合でも『~さんと呼ばせていただいてよろしいでしょうか?』と、
大抵は一度はこちらに判断を仰ぐんだよ」
「ぁ……いけなかった……でしょうか?」
不安げな上目遣いで美咲の様子を恐る恐る伺う美幸に、『心配要らないよ』と
微笑み返しながら、美咲は説明を続ける。
「いいや、あれは親近感があって家族としてはとても嬉しかったよ。
…でね、高槻君が驚いていた理由は、その発言から、君が『空気を読んだんだ』
と気が付いたからなんだ」
「空気……ですか?」
「そうだ。『その場の雰囲気』といった方が解りやすいかな?
改めて尋ねるけれど……君は何故、あの時に『美咲さん』と呼ぼうと思った?」
「それは……………あれっ? 何故でしょう? 明確な理由が分かりません」
美幸はその瞬間の記憶をメモリーを探って確認してみたが、その判断を下した
明確な理由を、何故だか発見できなかった。
「きっと、君は私の口調や表情といった情報から、自然と判断したんだ。
いいや……私だけじゃなく、あの部屋の“皆の雰囲気”を読み取ったんだよ」
「雰囲気……ですか」
美幸は昨日の記憶をもう一度再生してみた。
その記憶の中の光景は、文字通り、誰もが自分を歓迎してくれているのが空気に
乗って伝わってくるようだった。
「その『何故かそう思った』ってのは、とても大切な事なんだ。
私達は、まさにそういうものを求めていたんだからね」
そう言って美咲は美幸の頭を優しく撫でた。
美幸の方も撫でられるのが好きなようで、美咲の手を大人しく受け入れている。
「でもまぁ……その凄さに本当に気が付いていたのは、あの場のごく一部の者だけ
なんだろうけれどね?」
「…えっ? あの……それなら何故、皆さん揃って驚いていらしたんです?」
頭を撫でられる心地よさに浸っていた美幸は、その一言で再び現実に引き戻され
てしまう。
そして、先ほどと同じく、美幸は首を傾げて不思議そうに美咲に尋ねた。
確かについさっき再生し直した記憶では、その場の全員が一様に驚いていた。
しかし、美咲の言う通りに、もしもほとんどの人が隆幸の言葉の真意に気付いて
いなかったとするならば、美幸には皆が驚いた理由が今度こそ分からない。
「皆が驚いていたのはね、とても単純な理由なんだよ。
…自然だったから。
君の言動、表情、所作。その全ての反応がアンドロイドっていうのが信じられない
レベルで自然だったからだよ。
起動したその瞬間こそ、アンドロイドらしい反応と受け答えだったけれど……。
私のことを初めて『美咲さん』って呼んでくれた時に笑ってくれただろう?
あの笑顔がね……ただ笑顔を“作った”って感じじゃなくてさ。
だからだと思うよ?」
確かに美咲の母、原田美雪の研究によってアンドロイドの表情は自然で、豊かに
表現できるようになった。
しかし、あの時の美幸の笑顔には、その向こうに確かに感じられる“温かさ”が
込もっていたように思う。
その言葉では上手く表現できない温かさが、今まで手が届かなかった領域に手が
届いた……その証明でもあったのだ。
「………なるほど。ありがとうございます」
美咲の言葉を聞いて昨日の記憶を確認してみた美幸は、その説明で、やっと理解
することが出来た。
確かに自覚して笑顔を“浮かべた”のではなく、自然と“零れて”いた。
つまり、こういうものが自分以外のアンドロイドには無い部分であり、そして、
美咲達が求めていたものなのだろう。
そう結論付けることで、やっと美幸のその疑問は解消したのだった。