第61話 悲しみを乗り越えるための音色
夏目家にて作戦会議を行った翌日。
早速、美幸は食材の買い物ついでに、銀粘土を購入してきていた。
今日の心矢は学校を休むらしく、いつも通り今も自宅で勉強中だ。
(さて、どうやって誘いましょうか?)
準備は出来たものの、今日も心矢は食事の時以外はひたすら勉強していた。
普段から心矢は3時に息抜きとしておやつを食べる程度で、受験生も舌を巻くほど
の熱中っぷりで机に向かっている。
(お勉強の邪魔はしたくありませんし…。
でも、時間がとれないと粘土を捏ねる作業すら出来ません…)
焼き上げる際には火も扱うため、初めから粘土を成形する工程以外は美幸がする
予定だったのだが…そもそもそのタイミングが掴めなかった。
「あれ? 美幸お姉ちゃん、こんな所で何してるの?」
心矢はトイレに行くために出た自分の部屋の前で、うんうんと唸っていた美幸を
見つけて、何気なくそう声を掛けた。
「え? あ! 心矢君、休憩ですか!?」
「え? ちょっとトイレに……。ええっと、どうかしたの?」
打ち解けた後の心矢は、出会った当初とは打って変わって、とても素直な態度に
なっていた。
ただ照れからか、美幸が雑談や一緒に食事する時間を取ろうとすると、勉強等を
理由にして、かわされてしまうことが多かったが…。
「あ…あの、今日、買い物の途中で面白い物を見つけたので…。
心矢君と一緒にやってみたいな…と、思いまして…」
「え? 面白い物!? なになに!?」
遠慮がちにそう話を切り出した美幸だったが、『面白い』という言葉に想像以上
に食いつきが良い心矢を見て拍子抜けした。
…どうやら勉強の邪魔になるかどうかは、あまり気にしなくても良かったようだ。
「ええっと、これなんですけれど…」
「ん? 何コレ?」
「これは銀粘土と言いまして……。
粘土みたいに捏ねて作った物が、そのまま銀になるんです」
「銀? 銀ってあの銀!?」
「ええ。指輪とかペンダントとかに使われている、あの貴金属の“銀”です」
「スゲーッ! なんで? なんで粘土が銀になんの!?」
「え? あ、この銀粘土の原理ですか?
この粘土は銀と水をマイクロサイズにして結合材と混ぜて作られているので、
乾燥させて水を蒸発、火にかけて結合材を焼失させることで最終的に銀だけが
残るというもので、これは銀の融点である―――」
「ええっと……ごめん。なんかよく解んないや……。
…結局、どうすれば銀ができるの?」
「え? ああ……そうですよね」
心矢の戸惑うような目を見て、ハッとなる美幸……。
原理といっても、説明はごく簡単なものでよかったようだ。
…思っていたより話が上手く転がって、少々浮かれてしまったらしい。
反省した美幸は、今度はもっと子供にも分かりやすい言い方に言い換えることに
した。
「ええっと……粘土みたいにして形を作って、ドライヤーの風を当てて乾かして、
最後にコンロで焼いたら、銀が出来ます」
「へぇ~! そうなんだ! やってみたい!」
「はい。
ですが、火を使ったりするのは、やっぱり慣れていないと危ないので……。
心矢君は粘土で形を作るところだけ、一緒にしましょうか?」
「うん! わかった!」
心矢が乗り気になったことでトントン拍子に話が進んだため、急遽、今から2人
で作ることになった。
それが嬉しくなった美幸は、作業に必要な広い机のある居間まで一緒に向かおう
として、心矢の手を引こうとその手を握るが……すぐに振り払われてしまう。
「あっ……」
自身も無意識でしてしまった事だったが、手を握るのはやはり駄目だったかと、
少し残念そうにする美幸。
…しかし、そんな美幸を見て心矢は慌てて声を上げる。
「いやっ……あの、そうじゃなくて!」
「…いいえ、良いんですよ? 突然、手を握ってしまって……すみません」
そう言って頭を下げようとする美幸に、更に心矢は言葉を返す。
「だから、別に嫌だったんじゃなくて!
あの……先にトイレ行きたいな……って」
「え…? ああ! そ、そうでしたね!」
その心矢の言葉で、美幸は自分がトイレに向かおうとしていた心矢を引きとめた
ことを思い出した。
そして、走り去る心矢の背中に『居間で待っていますね?』とだけ告げて、自分
は居間へと向かった。
…思っていた以上に上手くいって、自分でも気付かないうちに気が急いてしまって
いたようだ。
居間まで向かう途中、美幸は『自分はお姉ちゃん、落ち着かないと』と心の中で
何度も呟きながら、深呼吸を繰り返したのだった……。
「それで、心矢君。作り始める前に、私から一つ提案があるのですが……」
「え? うん。なに?」
「今日は自分の作った物を相手にプレゼントする…というのはどうでしょう?」
「え……」
美幸の提案に、困ったような反応をする心矢。
しかし、『ここで引き下がれない』と思った美幸は、更に続ける。
「大丈夫ですよ? 自分の物ではないからといって手を抜いたりはしませんから」
「いや……それは別に良いんだけど―――」
心矢は、美幸がそこで手を抜くような人間だとは思っていない。
この一週間、自分のために作ってくれた食事やおやつ等は、どれも一度たりとも
手を抜かれたことが無かったからだ。
だから恐らくは、今回も心矢のために丁寧に作ってくれるのだろう。
ただ、美幸が作った物を身に付ける自分を想像すると、どうしても恥ずかしくて
つい返答に困ってしまっただけだった。
…だが、事態は心矢のそんな心情を知ってか知らずか……勝手に進んでいく。
「あ……良いのですか? では、是非そうしましょう!」
「ぇ……ぁ……ぁー…………はぁ……」
心矢の言葉を勘違いした美幸は、満面の笑顔で作業を始めてコロコロと銀粘土を
転がし始める。
すぐにその発言の訂正をしようと思った心矢だったが、そのあまりに楽しそうな
美幸の表情を前に、溜め息しか出てこなくなってしまった。
そうして『始まってしまったものは仕方がない』と諦めて、美幸の正面の椅子に
座った心矢。すると―――
「はい。これが心矢君の分ですよ?」
と言って、転がしていた銀粘土を半分千切って、手渡してくれる。
その時、心矢が見た美幸の顔には、まるで同年代の少女ような、そんな無邪気な
笑顔が浮かんでいた。
その笑顔を見た瞬間、先ほどまでの恥ずかしさは不思議と無くなり、ただ純粋に
美幸の作ったそのアクセサリーを“欲しい”と……そう思った。
そうして気付けば、心矢は一生懸命に銀粘土を捏ねていた。
このお姉ちゃんに似合うものを、出来る限り上手に作らなければ……と。
…心矢はまだ小学2年生。
それが美幸の笑顔に一目惚れしたのだということに、本人は気が付かなかった。
「…出来ました!」
しばらくして高らかにそう宣言した美幸の声に反応して、ワクワクしながらその
手元を覗き込む心矢。
…だが、出来上がった物を見て、すぐに混乱してしまった。
「…コレ……ホントに、俺の?」
「…え? はい。
ええっと……何かおかしかったでしょうか?」
「だって、これ……ハートじゃん……」
出来上がった作品を見て心矢が初めに思ったのは、『どう見ても女物じゃん!』
ということだった。
だから、心矢は混乱したのだ。『これは自分用ではなかったのか』と。
「いいえ、これは心矢君です!」
「は? 俺?」
「はい。ハートに矢が刺さっているでしょう?」
「え? うん。刺さってるけど……?」
「ハートとは、つまり“心”です。
“心”に“矢”で、“心矢”になりますでしょう?
…だから、これは心矢君の名前から発想して作ったんです」
「名前からって……」
内心では『まんまじゃん!』と即座にツッコんだ心矢だったが……。
美幸の成形があまりにも完璧だったため、異常なくらいに完成度が高いそれは、
もう気軽に馬鹿に出来るようなレベルを軽く超えてしまっていた。
…そのため、それが“自分用だということ”以外に文句の付けようがなかった。
キューピッドに射抜かれたハートのような可愛らしいデザインのそれは、相手が
女の子だったなら、きっと飛び跳ねて喜ぶだろう。
そう……女の子なら。
「あ……男の子には少し可愛らし過ぎましたか?
あの……私、自分の『美幸』っていう名前が大好きなんです。
それで、心矢君のお名前も素敵だなって思ったもので、つい……」
「い、いや! うん! 良いと思う! むしろ、これが良い!」
「えっ? そうですか!? はぁ……良かった」
先ほどまでは形がハート型ということで微妙に思っていた心矢だったが、美幸の
『素敵』の一言で、急に素晴らしいもののように思えてしまう……現金な話だ。
「それで、心矢君は何を作っているのですか?」
「ええっと……ベル」
「ベル……ですか?」
心矢の手元を覗き込むと、確かにクリスマスの装飾などでよく見かけるような形
の釣鐘が見えた。
あと少しで完成するであろうそれは、美幸が想像していたよりもかなり上手い。
…これは、こちらも完成が楽しみだ。
「うん。好きなのかな……って思ったから」
「え? いえ、もちろん嫌いではないのですが……。
何故、そう思われたんですか?」
「だって、頭にたくさん付けてるし……音は鳴らないみたいだけど」
「頭? ……ああ! この鈴蘭ですか!」
美幸の髪には、遥達から送られた白い鈴蘭の髪飾りが着けられている。
…確かにその名の通り、花の部分が沢山の“釣鐘”のように見えなくもない。
「……ダメだった?」
「いいえ。そんなことはありません。
ふふっ……とっても、嬉しいですよ」
「そ、そっか!」
会話は出来るようになったが、今日まであまり雑談することは無かった2人。
そんな中で一生懸命に考えてくれたのがよく伝わった美幸は、素直に嬉しかった。
…だが、完成間近の心矢のベルを見た美幸は、ある事実に気付く。
「でも……このままだとそのベル、音が鳴りませんよ?」
「…え? なんで?」
「鐘の内側に、周りに当たる棒が無いでしょう?
舌っていう部分なんですけれど……」
心矢の作ったベルは、文字通り鐘の部分のみだった。
…これでは鐘にぶつかる物が無いため、振っても音は鳴らないだろう。
「あ、そっか……どうしよう?」
「うーん。折角綺麗に出来ているので、作り直すのも惜しいですし…」
もうほとんど完成に近い状態の、そのベル。
しかし、手持ちの銀粘土は全て使い切ってしまっていた。
美幸なら一度元の球体に捏ねなおしてから舌の部分を作る分を削って、再び作り
直しても(一回り小さくはなるが)細部まで全く同じ形で成形出来なくはない。
…だが、実際にそれをしてしまうと、それはもう厳密には『心矢の作った物』とは
言えなくなってしまうだろう。
「…あ! アレが使えるかも! ちょっと待ってて!」
不意に何か思いついたのか、突然2階へと消えていく心矢。
そして、すぐに戻ってきたその手には、美幸には予想外の品が握られていた。
「それは……」
「…もう壊れちゃってるから、ずっと持ってても意味ないし。
ねぇ……コレ、どっか使えない?」
美幸の目の前に差し出されたそれは……。
かつて大切にしていたであろう、壊れたペンの“残骸”だった。
「………このボールペンのペン先なら、少し加工すれば使えそうです。
…けれど、本当に良いんですか?」
もう一度……後悔しないかを確認するために、心矢にそう尋ねる美幸。
「…コレ見てたって、折られた時の嫌な気持ちしか感じないし。
…だから、もういらない」
口では『いらない』とは言っているが、それでも今まで捨てられなかったのは、
それだけこのペンが心矢にとって大事な物だったからだろう。
…その証拠に、今も心矢は耐えるような表情で俯いたままだ。
「…わかりました。これを使いましょう。
大丈夫……きっと、とても綺麗な音が出ますよ……」
「! うんっ!」
こうして、自分で作ったお互いの作品をプレゼントしあった、美幸と心矢。
そうして出来上がったそれを首から下げた時には、もう心矢は照れて逃げる必要
など無いくらいには、すっかり美幸と仲良くなっていたのだった。




