第57話 静かな決意
心矢の家から少し離れた場所……登校をしながら愛は1人、考えていた。
(心矢君があぶない……というか、私がピンチかも……?)
ついさっきまで、美幸に対して友好的な感情を持っていた愛。
しかし…一人になって冷静になって考えてみると、美幸は非常に厄介な存在だと
再認識する羽目になった。
出会って数分は警戒していたが、その穏やかで丁寧な口調と物腰に、あっという
間に気を許してしまっていた。
それに加えて、あの整った容姿……はっきり言って、反則だ。
しかも、“真面目一辺倒”かと思いきや、別れ際には茶目っ気まで見せていた。
…ウインクがあんなに似合う人物を、愛は未だ他に見たことが無い。
(確かに、とっても良い人だとは思う…。
でも、あんな人が傍に居たら、心矢君を取られちゃうよ…)
当初は『2ヶ月経ったら海外留学』という言葉を聞いて、少し安心していたが…
少し接してみて分かった。
…2ヶ月もあれば十分過ぎる。むしろ長過ぎるくらいだ。
…想像の中で『好きです!』と言った愛に、『俺、美幸さんがこっちに帰って来る
のを待ってるつもりだから…ゴメン』と返答する心矢の姿が浮かんだ。
(なんとかしないと…。心矢君が本格的に美幸さんを好きになる前に…)
そうは思うものの、具体的な案は何も思い浮かばず、愛はずっと頭を悩ませる
こととなった。
そんな中、1人で考え込んでいた愛に、後ろから声を掛ける人物が現れる。
「な~んだ……今日も心矢のヤツは休みかよ。チェッ…つっまんねぇの~」
「…池崎」
「まぁ、女が一緒に居ないと学校にも来れないようなヤツだし…
今頃は家でママにでも甘えてんじゃね? ははははっ!」
「……………」
「オイ! 無視すんな!」
声を掛けてきたのは池崎亮太。心矢をいじめている張本人だ。
取り巻きの連中が加わっている場合もあるが、基本的にはこの亮太に従っている
ようなもので、実質的には亮太のせいで心矢が辛い目に遭っているのだ。
当然、愛は亮太のことが大嫌いだったが、亮太の方は心矢を『ストレス解消用の
アイテム』程度にしか思っていない。
だから、その心矢と仲の良い愛に対しても、こうして時折、ちょっかいを出して
くることがあった。
愛をイジメの対象にしないのは、愛の交友関係がとても広く、下手に手を出すと
女子生徒全体を敵に回す可能性があるからだった。
…つまり、“偉ぶっていても本質的にはその程度にはヘタレ”ということなのだが。
「ヘッ! 心矢なんかと一緒に居るような女が、あんまり調子に乗るなよな!」
「…あんたに良いことを教えてあげる」
「…は? 何だよ?」
「心矢君が今、一緒に居るのはね…お母さんじゃなくて、親戚のお姉さんよ。
しかも、アンタみたいなヤツじゃ一生話も出来ないような、とびっきり美人のね」
愛はそう言って亮太に嘲笑うような顔をして、その場を立ち去った。
亮太の言い草がどうしても許せなくて…だから、思い知らせてやりたかったのだ。
『その“心矢の傍に居る女”は、お前ごときが見下せるような相手じゃないぞ』と。
だが、教室に着く頃には、愛は自らの発言を後悔することになった…。
亮太を悔しがらせるために咄嗟に浮かんだのは、自分ではなく…美幸だった。
その事実が、皮肉にも既に心の中では自分が美幸に負けている証明になって
しまっていたのだ。
それに気付いた愛は、焦りと共に改めて決意する。
なんとしても、一刻も早く美幸を心矢から引き離さなければ…と。
“ピンポーン”
「あ、はーい!」
食器を洗っていた美幸は、少し大きめの声で返事をしながら時計を見た。
時刻は16時過ぎ。
時間的に考えても、今朝に真知子が言っていた心矢の担任に違いない。
「はい、どちら様でしょう?」
「心矢君のクラス担任をさせて頂いております。高井桜子と申します」
「はい。少々お待ち下さい」
インターホンのスピーカーから離れて、すぐに玄関に向かって行く美幸。
扉を開けた先に立っていたのは、先ほどカメラ越しに見た通り、若い女性だった。
「こんにちは。中へどうぞ」
「え……あ、では失礼致します…」
初対面の美幸に少々驚いた様子の桜子だったが、とりあえず促されるままに乾家
の客間までやってくる。
案内後、すぐに一旦席を外した美幸がお茶を用意して戻ってきたところで、桜子
は気になっていたことを聞くことにした。
「あの~、失礼ですが……どちら様でしょうか?
確か…心矢君にはご姉弟はいらっしゃらなかったと思うのですが…」
「あ、はい。私は原田美幸と申します。
私は心矢君の親戚でして…。
私の母は真知子叔母さん…心矢君のお母さんの姉に当たります」
「はぁ…。ご親戚…ですか…」
美幸の説明に、いまいち納得出来ない桜子。
最近は特に仕事の方が忙しいらしく会える機会自体は減っていたが、心矢が登校
拒否をしている手前、真知子とは何度か顔を合わせて話したことがあった。
だが、だからこそ違和感があった。
叔母と姪とはいえ、あまりにも真知子に似ていなさ過ぎる。
こう言っては何だが、真知子は容姿としてはごく普通の女性だ。
なのに、目の前の女の子はアイドル並み…いや、それ以上の容姿ときている。
そんな人物に突然『親戚だ』と言われても、にわかには信じられない。
「それで、本日はどういったご用件なのでしょう?
叔母からは応対を頼まれただけで、詳しい内容までは聞けていないので…。
申し訳ありません」
「あ、いいえ! 乾さんはとてもお忙しいと伺っておりますし…
こうしてお話が出来る方が居るだけでも、こちらとしてはありがたいので」
美幸を怪しんでいた桜子だったが、丁寧な対応でいきなり頭を下げられたため、
慌てて自分も頭を下げ返すことになった。
そんなやり取りをしながら、桜子は頭を切り替えて本題に入ることにした。
そもそも今日のこの時間に乾家を訪れたのは、真知子に連絡して『この時間なら
応対を出来る者が居る予定だ』と聞いていたからだ。
それなら、相手が本当に親戚の間柄かどうかは関係ない。
…そう。そういう意味で言えば、関係はないのだが―――
「…あの、質問ばかりで恐縮ですが……原田さんはお幾つでしょうか?
見たところ、学生さん…ですよね? 学校はどうされているのでしょう?」
本題に入る前に、桜子はそれをどうしても聞いておきたくなった。
どう見ても中学から高校生くらいに見える美幸。
…もしかしたら、この子も何か事情があって学校に行っていないのではないか。
特出した何かを持っている人間というのは、他の者からは排斥されがちだ。
それを言うなら、美幸の容姿はそうなる十分な理由になるだろう。
桜子は登校拒否の生徒を抱えている身としても、純粋に教師としても、その辺り
が心配になったのだ。
「あ、はい。
私は成長が遅いので幼く見えるかもしれませんが、これでももう18歳なんです。
それで、実はこの秋から海外留学が決まっておりまして…。
向こうの入学式までの間、日本を離れる前に叔母の家に遊びに来ているんです」
「海外留学、ですか…」
「はい。これでも語学に関しては誰にも負けないつもりです。
何でしたら、お好きな国の名前をおっしゃって頂ければ、今からでもその国の言葉
でお話し致しますよ?」
先ほどから、桜子が疑いの眼差しで探るようにこちらを見ていたことに、美幸は
気付いていた。
だからこそ、有無を言わせぬ証拠を突きつけるつもりで、自信満々な態度を意識
してそう答えた。
アンドロイドの基礎知識として、主要な国の言語は扱うことが出来る。
余程マイナーな国の…先住民の言語のような物を指定されない限り、その言葉通り
完璧な会話が出来るだろう。
「あ、いえいえ! すみません!
話の内容が心矢君の登校拒否に関することでしたので…
やはり、一応の確認を…といった程度ですので!」
美幸の言葉を受けて、慌ててそう言う桜子の目から疑いの色が完全に消え去る。
やはり、どんな言語でも話せる…という台詞は効果が高かったらしい。
「は~…優秀な方なんですね。
外国語が堪能で海外留学をされるなんて…凄いですね」
「いいえ、そんなことは…」
これも試験のためとはいえ、嘘を吐いて身分を偽る事実に対して心を痛めること
となった美幸とは違い、桜子の方は安心していた。
イジメも絡んだ複雑な話だ。
やはり、十代半ばに見えるような初対面の相手に気軽に話せる内容ではない。
だが、秋からとはいえ相手が大学生で、自分より遥かに頭が良いとなれば…。
…まぁ、母親の真知子も認めていることも考えれば、概ね問題は無いだろう。
「それで、ですね。話というのは毎週、当校にて実施させて頂いております、
心矢君の補習に関してのことなんですが…」
「補習…ですか?」
「はい。そうです。
当校では成績不振の生徒には日曜日に補習を受けさせることになっておりまして…
そちらに心矢君が出席することと、それ以外の曜日に週一日は登校することが現状
で生徒として認める最低条件…ということになっているんです」
桜子の話では、登校拒否でズル休みが多い心矢は、本来であれば退学させられる
立場なのだという。
そもそも心矢の学校は俗に言う“有名私立小学校”というやつだ。
当然、公立の学校に比べて、その規則は厳しい物となっている。
そういう事情もあり、日曜日に関しては心矢は必ず登校しているらしい。
だが、どうしても外せない予定がある際は事前に申請しておかなければいけない。
だから、こうして毎月初めに予定の有無を聞きにきているらしいのだ。
「お話はわかりましたが…心矢君が成績不振、ということはないのでしょう?」
これも意外だったのだが、今日初めて心矢と接してみてわかったのは、休んでは
いるが、心矢は自己管理がしっかりと出来ている、ということだった。
多少は寝起きが悪い日もあるらしいが、愛がやって来る時間帯には大体は起きて
いるらしいし、今日も朝食後は昼食までずっと机に向かって勉強していた。
その後も美幸が3時のおやつを差し入れとして部屋に持って行くまで、休まずに
机に向かっていたのだ。
勉強している時間だけで言えば、学校に居るよりもむしろ多いくらいだったし、
チラリと手元を見た様子でも、計算や暗記も問題なく出来ているようだった。
今も『もう少し進める』と言って勉強を継続している心矢は、“勉強家”と言って
も差し支えないレベルだろう。
「はい。むしろ同学年ではトップレベルの成績です。
だからこそ、学校側も特例としてこういった状況を認めているんです」
その桜子の説明にどこか違和感を感じた美幸は、目の前の担任教師にこの試験を
始める前から、ずっと気になっていた疑問を思い切ってぶつけることにした。
「あの、根本的なことを聞くようなのですが…」
「はい。何でしょうか?」
「心矢君が登校を躊躇っているのは怠惰ではなく、同級生からの意地悪が原因だと
伺っております。
先ほど、そちらは『特例で認めている』とおっしゃいましたが、そこまで心矢君に
価値を見出していらっしゃるのなら、その意地悪の原因となっている生徒にそれを
止めさせるのが、そもそも一番の解決策なのではないでしょうか?
…それとも、その生徒さんも特別優秀な方…ということでなのですか?」
美幸の鋭い指摘に、桜子は気不味そうな表情をして答える。
「…いいえ。その生徒の成績は、あくまで平均レベルです。
ですが、その…すみません。それはとても難しいんです」
「難しい…それはどういう意味でしょう?」
美幸はその『難しい』という言葉に嫌悪感を感じた。
佐藤運輸での試験の際も何度も聞かされることとなった、その言葉。
あの時は今後の課題として“諦める”のではなく、“保留にする”というかたちで
納得した美幸。
それは問題自体が世の中全体という規模であったことと、現状では美幸個人では
解決がほぼ不可能であったのがその理由だった。
しかし、今回はそうではない。
こう言っては何だが、規模で言えば精々はクラスメイト数十人、たとえ学校全体に
及んだとしても千人にも満たない、一教育機関の話なのだ。
学校側が本気にさえなれば、解決出来ない道理は無いだろう。
…この時の美幸は、そう思っていた。
「まず…その事実を証明する明確な証拠がありません」
「それに関して言えば、以前に大切にしていたペンを壊されたという話を叔母から
聞いています。…それではいけなかったのですか?」
「その件は心矢君が自分で壊した…ということになっていますので…。
…他の生徒の証言もありましたし」
「…その証言をした生徒が嘘を吐いている…とは考えられませんか?」
「勿論、その可能性もありました。しかし―――」
桜子はそこまで言うと、言葉を詰まらせ、すまなそうな目で見つめながら、
美幸にこう切り出してきた。
「あの…これから言うことは秘密にしておいて頂けますか?」
その如何にも意味あり気な言い回しに対して、返答に迷った美幸。
しかし、結局は―――
「…はい。わかりました」
と、いう返答をすることにした。
こう言っては何だが、ペンの問題は既に終わった話だ。
それなら、今更それに対して蒸し返すより、その時の詳しい経緯を知ることで
今後の対応に活かす方が良いだろう。
「それでは…お話致します」
神妙な表情の桜子は、美幸にその時の状況を詳しく話し始めた。




